大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和30年(ネ)2109号 判決

(一) 控訴人は、控訴人と日本飼料株式会社間の右家屋の使用関係は、右家屋が右会社の社宅であり控訴人は社員としてこれに入居を許されたものではあるが、その関係は賃貸借であり、控訴人はこれを以て右家屋の競落人である被控訴人に対抗できると主張するのに対し、被控訴人はこれを一般社宅と同様社員たる資格を失えば入居権原を失う関係であり、控訴人は右訴外会社が閉鎖機関に指定せられて解散すると同時に右会社を退社しているので、最早本件家屋に居住する権限はないと主張するので、まずこの点について考えてみよう。

本件家屋が日本飼料株式会社の社宅であり、控訴人はその社員として右家屋への入居を許されたものであることは前記の通りであり、また控訴人が右会社の解散と同時に同会社を退社したことも控訴人の認めるところである。しかし当審証人植松正久、藤野時雄の各証言及び控訴本人の原審並に当審における各供述を総合すれば、右会社はもと日本飼料配給株式会社と称し、その後日本飼料統制株式会社となり、終戦後になつて日本飼料株式会社と称したものであるが、昭和二三年二月二二日飼料配給公団の設立と共に解散し、同時に閉鎖機関とせられて閉鎖機関整理委員会の管理に委ねられたものであつて、控訴人は右会社が日本飼料配給株式会社と称していた昭和一四年頃から右会社に勤務し、昭和二三年の解散直前の頃は同会社業務課長の職にあつたこと、同会社ではその頃社員のための社宅約二、三十戸を持つていたが、解散直前の頃になつて、なお数戸の社宅を買入れたものであつて、その一戸が本件問題の家屋であること、本件家屋はもと控訴人の友人堀孝義の所有であつたが、昭和二三年二月の会社解散の直前頃、控訴人から申しでて、これを代金二八万円で会社に買つて貰い、これへの入居を許されたものであること、しかし控訴人が現実にこにに入居したのは前所有者の都合もあつて、結局同年三月となつたもので、その頃にはもう会社は解散しており、控訴人も同会社を退社して、飼料配給公団の関東支部次長となつていたものであることが認められる。そして控訴人が右家屋の使用料として会社または閉鎖機関整理委員会に支払つて来た金員については、控訴本人はその原審及び当審供述において、当初の頃は一カ月地代約一〇〇円、それに純家賃として七二円、計約一七二円を支払つており、その後何度か値上げせられて、右家屋の競売当時には地代を含め九七〇円または千円程度(控訴人の主張ではこれが八〇〇円となつている)を支払つていたというのである。しかし、控訴本人の原審供述により成立を認める乙第一号証、第四号証の一ないし六に控訴本人の原審及び当審供述を総合して、控訴人が本件家屋の敷地の地代(いずれも一カ月につき昭和二三年四月から二四年三月まで一四四円、同年四月から一二月まで二一六円、二五年一月から七月まで二〇二円五〇銭、同年八月四九四円一〇銭、同年九月から二六年八月まで四九三円九二銭の割合であること右乙第四号証の一ないし六の各記載及び計算上から明かである)を会社または整理委員会に代つて地主に支払つていたことまた控訴人は昭和二三年一〇月一日から二六年七月三〇日までの本件家屋の使用料は、右地代を差引けば、結局合計三千円となるにすぎないものとして、これを昭和二六年八月二九日閉鎖機関整理委員会に支払つたが、同委員会では控訴人の右支払にかかる地代が高すぎると主張してこれを認めず、これを認めないとすると三千円では不足するというので、その領収証である乙第一号証では、これを全使用料の支払と認めず、内入金の支払としてその領収証が出されているにすぎないが、ともかく控訴人は本件家屋の使用料に関係して右認定の地代と右金三千円を支払つた事実だけはこれを認めるに足るのであるが、果して本件家屋の使用料が控訴本人のいうような額であつたかどうかはこれを認めるに足る確証がない。(前記控訴本人の供述は、控訴本人が当初と最後の額をいうに止まつて中間時代の額を明かにし得ないせいでもあるが、支払地代を差引いた残額が三千円にすぎないという控訴本人の計算は控訴本人のいう当初一七二円、最後千円足らずの月額と右支払地代額から考えて仲々理解し難いところであり、結局右月額そのものについての控訴本人の供述もこれを採用するに躊躇せざるを得ない。)ただ当審証人藤野時雄の証言により成立を認める乙第五ないし第八号証、第九号証の一、二に右証人及び当審証人植松正久の各証言並に控訴本人の当審供述を総合すれば、控訴人と同様日本飼料株式会社の社員(経理課長)であつて、控訴人の本件家屋と殆んど同時頃同様の関係から同会社社宅の居住者となつた藤野時雄は、右会社または閉鎖機関整理委員会に対し、本件家屋とは多少悪い程度の社宅(本件家屋は二八万円、藤野の方は二二万五千円で会社が買つたもの)に対し、地代を含めたものとして一カ月、昭和二三年九月以前は一〇二円、同年一〇月から二四年五月までは二五五円、同年六月から二六年七月までは四〇八円を家賃として支払つているものであり、右会社においては社宅の使用料については、他の会社との比較、一般家賃、本人の収入、社宅と会社との距離等を基礎としてこれを決定していたもので、一般家賃に比較すれば多少は安いかも知れぬが、ただ若干の維持費を徴収するにすぎないという程度のものではなく、また小修理の如きも居住者たる社員の負担であつた事実を認めるに足るのであり、右各認定事実から考え本件家屋の使用料は、控訴人が地主に支払つた地代を全額使用料の一部として認めるか否か、控訴人が支払うべき使用料を全額支払済であるか否かはともかくとして、一般家賃に比べれば幾分安いものではあつても、これを賃料というべく余りに安すぎる程の定めのものではなかつたことを認めるに十分であり、右認定を覆すべき資料はない。

そうすれば本件家屋の使用関係は、右認定の各事実、即ち使用料の額、殊に本件家屋は、日本飼料株式会社が既に解散が決定せられ、その従業員である控訴人も右会社を退社して飼料配給公団に入ることが決定せられた後に、控訴人のための社宅として買入れられたもので、しかもその入居は控訴人の退社後の時期において何等の支障もなく行われた点等から考え、社宅には違いないにしても、従業員たる身分の存続をその居住条件とする一般の社宅とは類を異にするものであつて、その性質は借家法の適用を受くべき賃貸借であり、この賃貸借は被控訴人の本件家屋の所有権取得により被控訴人に承継せられたものと解するのが相当である。従つて控訴人が右会社を退社し従業員たる身分を失つた以上、本件家屋を占拠使用すべき権限なしとする被控訴人の主張は失当であつて、これを採用することはできない。

(二) 被控訴人はまず本件家屋の賃貸借は、昭和二六年六月閉鎖機関整理委員会から控訴人に競売実施を通告したことにより解約せられたものと主張し、その頃右のような通告のあつたことは控訴人の認めるところである。しかし競売を実施するとして、現居住者との賃貸借を消滅させることが必ずその前提条件となるものではなく、賃貸借存続のまま競売を実施することは通常あり得ることであり、殊に本件では、その競売公告において「現居住者の立退については買主の責任において行い、整理委員会はその責任を負わない」旨が附記せられていたこと後に認定の通りであるから、競売実施の通告は文字通り競売を実施することを通告したにすぎないものと解すべきであつて、これを以て賃貸借解約の申入があつたものと解することはできないので、右被控訴人の主張またこれを採用することはできない。

(三) 被控訴人は更に昭和二七年一〇月中控訴人を相手として大森簡易裁判所に家屋明渡の調停を申立てた旨主張し、この事実また控訴人の認めるところであつて、右申立は家屋の明渡を求めての調停申立であるから、右申立によつて被控訴人は控訴人に対し本件家屋賃貸借の解約を申入れたものと解するのが相当であろう。

(四) 控訴人が前認定のような関係から社宅たる本件家屋に入居したものであり、右家屋が結局処分せられることとなつてこれを被控訴人が競落により取得したことは前認定の通りである。そして当審証人藤野時雄の証言により成立を認める乙第三号証に同証人及び当審証人植松正久、吉田やちをの各証言、控訴本人の原審及び当審における供述並に被控訴本人の原審供述を総合すれば次の事実が認められる。即ち、控訴人は前記のように本件家屋を日本飼料株式会社に買つて貰つてこれに入居したものであるが、同会社は既にその入居の頃から解散しており、閉鎖機関整理委員会の手によりその清算が行われていて、本件家屋も他の同様社宅と共に早晩処分せられる運命にあつたこと、そして整理委員会としてはできるだけこれを現居住者に随意売却するの方針を採り、他の社宅は殆んどこの方針に従つてその居住者に売却せられて処分を終つたのであるが、本件家屋外数戸は遂に随意契約をすることができず、競売とまでことが発展するに至つたものであること、本件家屋は前認定のように二八万円で会社が買受けたものであるが、整理委員会はこれを一四五、〇〇〇円まで下げて控訴人の買受を求め、控訴人またその買受を極力希望したのではあるが、代金の額で妥結に至らず遂に競売となつたもので、競売においても控訴人はなお買受の希望を捨てず、一三五、〇〇〇円の最低競売価格に対し一二五、〇〇〇円まで申出て、その競落を期待したのである(この点控訴人は自己が現に居住せることを頼みとして聊か見通しを誤つたかの感を免れない)が、二〇一、〇〇〇円まで申出る被控訴人の出現によつて遂にこれを競落することができなかつたものであること、控訴人は本件家屋につき壁の塗かえ、焼跡の整理、屋根瓦の修理等相当の修理をしていること、前認定の被控訴人の解約申入当時から現在に至るまで、一時控訴人一人が神戸地方に出張したことはあるが、大体夫婦及び三人の子供及び母と共に本件家屋に居住し、本件家屋をその生活の本拠としていることを認めるに足るのであり、また一方被控訴人側の事情としては、被控訴人はもと赤坂に居住していたが昭和二〇年五月の空襲で戦災を被り、同年九月から現住居の近くである川崎市登戸の知人(大工)方仕事場に寄寓したが、間もなく同人の息子が復員して右仕事場を使用することとなり立退く外はなくなつたのであるが、当時たまたま被控訴人の妻は姙娠中であり、せめてその分娩までとの約で、人には貸さぬという現住家屋を、特に家主に懇願して一時これを借受け居住するに至つたものであること、従つて被控訴人としては一時も早く右家屋を立退くの要があり、その立退先に苦慮中、たまたま本件家屋競売のことを知つてこれに居住せんことを希望し、またこれを期待してその競落をしたものであること、もつとも右競売の公告にあつては「現居住者の立退については買主の責任において行い、整理委員会はその責任を負わない」旨の附記があり、控訴人が本件家屋に居住して、なおその継続を希望していることを知りながらこれを競落したものであるが、被控訴人及びその妻は右競落の前後数回に亘つて整理委員会の係員に会い、居住者の明渡のことを確めた結果、交渉次第で明渡を受け得る程度の言を得て前記のような希望と期待とを持つて右競落となつたものであること、(当審証人吉田やちをの証言中には本件競売の公告には前認定のような附記はなかつた旨の供述があるが、右は前示乙第三号証及び当審証人藤野時雄の証言及び控訴本人の原審及び当審供述に徴し信用できないところであり、却つて競売公告に前記のような附記があり、また控訴人に出る意思がない旨を聞いて、何度も整理委員会の係員に確かめたものと認めるのが相当であろう。また右証人吉田やちをの証言及び被控訴本人の原審供述では、右委員会の係員は被控訴人が本件家屋を競落すればすぐ右家屋に入ることができると確言したというのであるが、右係員の立場から考え、前示競売公告の附記以上のことを同係員が確言するとも考えられず、結局前認定程度の言を得て、被控訴人がその希望的観測に立つてこれを有利に受取つたものと解するのが相当であろう)。なお被控訴人も夫婦に子供四人の六人暮しであり、現住家屋の家主に対する約束を履行せんとして本件家屋を競落しながら、その競落後五年以上の永きに亘つてその目的を達することができず窮地にある事実を認めることができる。

そこで右事実関係の下で被控訴人の本件解約申入に正当の事由があるか否かを考えるわけであるが、右事実関係中最も重要なものは、被控訴人の側にあつては、住家の必要を痛感しているものではあるが、控訴人が居住の事実を知り、しかも退去の意思のないことを知りながら本件家屋の所有権を取得した点であり、控訴人の側においては、もともと本件家屋が社宅として控訴人の住居にあてられたものであり、しかもこの社宅は当初から早晩処分せられるの運命にあり、しかもその処分の方法として、社宅居住者として相当有利な条件でこれを買得するの機会を与えられながら、遂にこの機会を掴まずして、第三者たる被控訴人の手に本件家屋の所有権を帰せしめた点にあるであろう。そして他人の賃借居住中の家屋を取得した第三者は、一般的にいえば、自己使用の必要があるものとして、これを以て賃貸借解約の正当事由とすることは、相手方の事情その他にもよるとはいえ、相当に困難なことであろう。しかし、本件家屋は、前認定のような事情から会社と控訴人間のその使用関係はこれを賃貸借と見るとしても、社宅であり、控訴人は社宅としてこれに入居を許されたものである。そして右家屋が会社の所有に存する間は、控訴人は、賃料の点でも、またその処分の場面でも、種々有利恩恵的な取扱いを受けたのであり、しかも控訴人はその最後の、家屋処分についての恩恵的申出に応ぜずして、これを第三者たる被控訴人の所有に帰せしめたのである。即ち本件家屋は右のような事情から社宅たる性格を脱却したのであり、しかも被控訴人には前認定のような本件家屋の使用を必要とする事情がある。右各事情を併せ考えれば、たとえ控訴人にも前認定のような本件家屋を必要とする事情があるとはいえ、被控訴人のした前示解約申入には正当な事由があるものと解するのを相当とする。

(薄根 奥野 山下)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!