大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和30年(ネ)280号 判決 1956年11月23日

控訴人 鈴木盛庸

被控訴人(原告 折田兼精訴訟承継人) 折田ふく 外二名

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は各被控訴人に対し金四十五万八千三百三十三円宛及びこれに対する昭和二十七年十一月十四日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人等において各金十万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等訴訟代理人は主文第二、三項同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実並びに証拠の関係は、

被控訴人等訴訟代理人において、原審における原告折田兼精は昭和二十九年一月十八日死亡し、その妻たる被控訴人折田ふく並びにその子たる被控訴人折田多津夫、同折田隆治においてその相続をなし、先代の有していた権利の三分の一宛を承継したから、本訴においては請求の趣旨を訂正して、被控訴人等は本件手形金百三十七万五千円の三分の一にあたる金四十五万八千三百三十三円宛及びこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和二十七年十一月十四日から完済に至るまで年六分の割合による金員の支払を求めると述べ、

控訴代理人において被控訴人等主張の原審原告折田兼精の死亡の事実並びに被控訴人等の相続の事実はこれを認めると述べ、なお控訴人が原審において主張した原判決(三)の仮定抗弁はこれを撤回すると述べ<証拠省略>た外すべて原判決の「事実」の部分に記載してあるところと同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

按ずに成立に争のない甲第一、二号証の各記載、原審並びに当審証人中村左武郎の証言、原審における原告折田兼精の本人尋問の結果、原審並びに当審における控訴本人の供述によれば、控訴人は昭和二十七年五月二十九日株式会社近江屋商店商事部代表取締役名義をもつて受取人欄を白地とした本件約束手形二通(原判決記載の(1) 並びに(2) の約束手形)を振り出して訴外岡本一夫に交付したこと、同年七月中原審原告折田兼精は当時本件手形を所持していてその受取人欄の白地部分に自己の氏名を補充した訴外中村左武郎から白地式裏書によりこれが譲渡を受け、(単に取立委任の目的で裏書を受けたのではない。)取立委任の趣旨で白地式裏書により更にこれを訴外富沢由松に譲渡し、なお(1) の約束手形については、同人はこれを白地式裏書によつて訴外葛飾信用金庫堀切支店に譲渡したので、これら最後の所持人は本件約束手形二通を満期((1) の手形は同年八月七日、(2) の手形は同月二十二日)にその支払場所に呈示したが、いずれもその支払を拒絶されたこと、(右支払拒絶の事実は当事者間に争がない。)よつて前記原告折田兼精は白地式裏書により返戻を受けた結果、裏書の連続により適法に本件約束手形二通の所持人となつたことが認められる。当審証人坂本源三の証言中右認定に反する部分は成立に争のない乙第十三、十四号証の記載、原審並びに当審証人中村左武郎の証言、原審における原告折田兼精の本人尋問の結果と対照して措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

而して成立に争のない甲第四号証の記載に原審証人鈴木富美男の証言を併せ考えれば、前記株式会社近江屋商店なるものは、藤沢市辻堂千五百三十三番地に本店を有する訴外株式会社近江屋洋服店が昭和二十七年四月三十日その商号を変更したものであり、同時に控訴人がその代表取締役に就任したものであることが認められ、他に反証がないから、本件約束手形二通は一応前記株式会社近江屋商店がその商事部名義で振り出したものとして同会社がその振出人たるの責に任ずべきものの如くであるが、飜つて前記甲第四号証によれば前記商号変更、代表者の就任は昭和二十七年九月十五日に至つて初めて登記せられたものであつて、本件約束手形二通の振出当事は勿論その満期当時においても未だその登記がなされていなかつたことが認められるところ、成立に争のない甲第五号証の記載、原審における原審原告折田兼精の本人尋問の結果によれば、右原告折田兼精は本件約束手形二通を取得した当時右事実を知らず、全く善意であり、且つ同年九月二日控訴人を債務者として、本件手形金債権保全のため、東京地方裁判所において仮差押決定を受けたことが認められ、他に特段の反証がない本件においては、右決定はその頃控訴人に送達されたものとなすを相当とするから、控訴人は株式会社近江屋商店の存在をもつて善意の前記原告折田兼精に対抗し得ないものというべく、従つて控訴人は現実の手形振出人としてその責に任ずべきものといわなければならない。よつて控訴人主張の(一)の抗弁につき按ずるに、

原審並びに当審における控訴本人の供述によりその成立が認められる乙第三号証、同第四号証の一、二、当審証人稲留耕一の証言に原審並びに当審における控訴本人の供述を併せ考えれば、控訴人は自称「米満化学工業株式会社」専務取締役副社長岡本一夫の申入により、昭和二十七年五月二十九日同人との間に同会社(実際は株式会社ではなく、同人の兄岡本一郎の個人経営に係る米満化学工場)製運動靴二千九百七十六足代金六十二万四千九百六十円相当及び雨靴千七百三十足代金七十五万九百円相当の購入契約を締結し、その代金合計金百三十七万五千八百六十円の支払の方法として本件約束手形二通を同人の要求により受取人欄を白地のまま振り出して交付し、(これにより控訴人は同人に右白地の補充権を賦与した。)その際同年七月末日までに前記物品の入荷がないときは、本件約束手形二通の返戻を受ける約束であつたこと、然るに右岡本一夫は約定の期限が来ても前記契約を履行しないので、控訴人は同月三十一日同人に対し前記売買契約の解除を通告するとともに、本件約束手形二通の返還方を交渉したが、同人は本件約束手形二通を前記中村左武郎に奪取されたと称してその返還に応じなかつたことが認められるけれども、原審原告折田兼精が前記認定の本件約束手形二通の取得当時、右の如き事情を知り、控訴人を害することを知つていたとの事実は、控訴人提出、援用のすべての証拠によつても未だこれを認めることができないから、との点に関する控訴人の主張は採用し難い。

よつて更に控訴人主張の(二)の抗弁につき按ずるに、前記甲第一、二号証、成立に争のない同第六、七号証の各記載、原審並びに当審証人中村左武郎、当審証人中村二郎の各証言、原審における原告折田兼精の本人尋問の結果によれば、訴外中村左武郎はかねて前記岡本一夫から米満化学工業株式会社(株式会社ではなく個人経営の米満化学工場であることは既に認定したとおりである。)のため融資されたいとの申込を受け、右岡本一夫に対し合計金二百万円以上を貸与したが、同年七月中、同人は右債務の支払に充てるため、二男中村二郎を介して前記中村左武郎に対して本件手形二通を交付して譲渡したことが認められる。当審証人岡本一夫の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠と対照して措信し難く、原審並びに当審証人鈴木富美男、同稲留耕一の各証言、原審並びに当審における控訴本人の供述並びに乙第八号証の記載によつても前記認定を覆して控訴人主張の如く、前記中村二郎が右岡本一夫から本件約束手形二通を奪取したとの事実を認定せしめるに足りないし、他に特段の証拠がない。従つて控訴人の右抗弁も亦採用し難い。

なお、右認定の事実に徴すれば、前記中村左武郎は本件約束手形二通の取得によりその受取人欄の白地補充権をも取得したものと解せられる。よつて右中村左武郎が既に認定の如く本件約束手形二通を原審原告折田兼精に譲渡した際その受取人欄に自己の氏名を補充したのは右白地補充権に基くものとして有効といわなければならない。

以上認定のとおりであるから、控訴人は所持人たる原審原告折田兼精に対し本件約束手形金の支払義務あるところ、右原告折田兼精が昭和二十九年一月十八日死亡し、その妻及び子たる被控訴人等がその相続をなしたことは当事者間に争がないから、被控訴人等は各三分の一の割合をもつて先代の権利を承継したものというべきである。従つて控訴人に対し本件約束手形金の三分の一にあたる金四十五万八千三百三十三円宛(円以下切捨)及びこれに対する本件訴状が控訴人に送達された日の翌日であること記録上明白な昭和二十七年十一月十四日から完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人等の本訴請求はいずれも正当としてこれを認容すべきものとする。

然らば本件控訴は理由がないが、ここに言い渡すべき判決は原判決の主文と一致を欠くに至つたから、原判決はこれを変更すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺葆 牧野威夫 野本泰)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例