東京高等裁判所 昭和30年(ラ)324号 決定
記録によれば、抗告人高橋照吉は昭和二十一年頃から熊谷市において雑貨類のブローカーを営んで一家(現在抗告人等夫婦と一男四女の七人)の生計を維持して来たが、昭和二十八年頃から事業不振に陥つた結果、現在大野尚司に対する金十八万六千五百六十円を含む債務元金合計金三十七万七千六十五円(その余の債務があることについてはこれを徴すべき的確な資料がない。)の負債を有するに至り、而も定職がなく臨時に雑貨類の販売員等をして僅かの収入を得、又抗告人高橋花(特に病弱であるとの証拠はない。)もズボンの仕立内職をして一カ月金千二百円ないし金四千円位の収入を得ているに過ぎず、(右認定に反する抗告人等の本件抗告理由一の(二)の主張は採用し難い。)抗告人等の現住する家屋番号第三一五号木造亜鉛葺平家建一棟建坪十坪七合五勺の家屋も前記大野尚司に対する債務の担保としてこれに抵当権を設定する約定となつていることが認められ、抗告人等一家七人がその生活を維持することは並大抵ではないことが窺われる。
然しながら、抗告人が右の如き状態に陥つたのは主としてその事業が振わなくなつた結果負担するに至つた債務のためであつて、この債務の弁済若しくは支払猶予を得るために親族に対し民法の規定による扶養の請求をすることが許されないことは原審判がその理由中において説示するとおりである。而して記録によれば、抗告人高橋照吉は明治三十九年四月生で、抗告人高橋花は明治四十二年六月生であり、ともに未だ老年者として働く能力がないものであるとはいえないし、又長女喜美江も昭和十二年四月生で今春高等学校を卒業した者であり、好き嫌いを言わなければこれらの者が正業に就くことは必ずしも難事ではない。なお他の一男三女は未だ幼少であるとはいえ、一家中に特段の費用を要する病人があるわけではないから、稼動能力を有する抗告人等及び長女が協力一致して働いたならば、おのずから、現在の生活状態を打開することも可能であると考えられるのであつて、本件扶養の請求をしなければ、到底抗告人等一家の生計を維持することができないものとは断じ難い。従つて抗告人等が本件抗告の理由として主張する一の(イ)ないし(ハ)及び(ヘ)記載の諸事情を斟酌しても、現段階においては未だ抗告人等が本件扶養の請求をすることは許されないものというべきである。