東京高等裁判所 昭和31年(う)1085号 判決
被告人 金谷喜作
〔抄 録〕
一、弁護人の論旨第二点について。
原判決挙示の証拠によれば、原判示第一の(一)の営利誘拐及び(二)の児童福祉法違反の事実を肯認するに十分であつて記録を精査検討するも右事実認定に何らの過誤ある廉を発見できない。すなわち、右証拠によれば原判示森本美智子及び被告人は飯島進一及び提橋勝よりかねて原判示N子等の酌婦奉公先の世話をたのまれていたのであるが、昭和三十年五月二十日頃右被告人と右森本美智子が長野県上山田温泉の芸妓置屋に芸妓二名を世話し桐生市に帰り、右森本は被告人が翌二十一日早朝桐生駅より豊橋市に行くことを聞いてそれぞれ帰宅した。右森本が自宅に帰るや、かねて話のあつた前記N子外一名が来ており、間もなく飯島進一及び提橋勝も来て改めて右両名の就職先の周旋を頼まれ、ここに右森本は右N子等がいずれも十八才未満の児童であり親許を遠く離れて就職することについてその各監督権者の承諾を得ていないことを十分承知しながら、同女等が他に就職を希望しているのを奇貨とし、その身上や希望職種、就業地等について少しもこれを質すこともなく、且つ特飲店接客婦の業務内容についての説明もしないで同女及びその監督権者等の諒解なく勝手に同女等を豊橋市の特飲店に接客婦として売り渡し、利益を得ようと企て、同女等を自宅に一泊させた上、同女等が醜業婦に売られることに気がついていないのに乗じその行先地就業先等について一切秘匿したまま翌二十一日早朝自宅から同女等を伴い国鉄桐生駅に赴いた。被告人はその頃かねて同人の世話で豊橋市所在特殊飲食店早川庄太郎方に酌婦として住み込んだ藤田安子の母ゑいからその前借金の借増の交渉を依頼されており、右ゑいを伴つて右豊橋市の早川方へ交渉に行くために同朝同駅に来たのであるが、右森本よりこの連行の娘等の同行並びにその旅費の立替方を依頼され、ここに被告人は右の事情をすべて推察しながら、右森本と共同して右N子等を豊橋へ同行することを承諾し、同女等を桐生駅から乗車させて豊橋市に到り同市において桐生の右森本の自宅から右N子等を連れ戻せとの趣旨の電報が来ていることを知りながら、被告人及び右森本はこれを無視し右N子の奉公先を物色し遂に同月二十四日同女を豊橋市有楽町二十八番地特殊飲食店営業「一力」こと豊田酌治方に前借金名義で現金二万円を受領し酌婦として住み込ませるまで同女を誘拐し、右受領した金二万円は被告人等両名においてこれを利得した事実及び右森本被告人等は右N子が十八才に満たない児童であること、右豊田がN子をして淫行をさせる行為をなす特殊飲食店営業をしている者であることを知悉しながら敢えて共謀の上前記のように同女を右豊田に酌婦として奉公させるために引き渡したものである事実が明らかである。
そして営利誘拐罪は、営利の目的をもつて欺罔誘惑の手段を施し不法に人を自己の実力支配内に置くことによつて成立するのであるが、この罪はいわゆる継続犯の性格を持つものと解するのが相当であつて、被誘拐者に対する実力支配が継続する間は法律の保護しようとする被誘拐者の自由又は監督権者の監督権の侵害は、依然として持続しているのであるから、その犯罪は、被誘拐者が犯人の実力支配内から離脱するまでは、なお、引き続き存続するものといわなければならない(昭和四年十二月二十四日大審院判決、大審院判例集第八巻刑事六九九頁以下参照)。それ故、本件においては前段に説示したとおり原審相被告人森本美智子の営利誘拐の所為は、昭和三十年五月二十日夜同女の自宅において前記飯島等からN子等と共に同女等の奉公先の周旋を依頼され豊橋市特殊飲食店に奉公させようと決意したときから、同月二十四日前記豊田方に酌婦として住み込ませ右森本等の実力支配から離れたときに至るものであるから、(原判決の判示するところもまたこの趣旨であると解される。)この過程において情を知つてこれに加担しその実行を分担した者は営利誘拐の共同正犯をもつて目せられるべきものである。従つて、この点に関し右N子は被告人等とともに豊橋に向け出発する前夜から右森本美智子等の甘言により同人の家に就職を世話して貰うために泊つて居つて同被告人の実力的支配の下に置かれて居たのであるから、この時において右森本の誘拐の所為は完了し、被誘拐者はその親権者等により保護されている状態より離脱したものであり、その後被告人が豊橋に連行しても最早あたらしい親権者等の保護状態よりの離脱という構成要件を欠くから誘拐罪は成立しないとする弁護人の所論は、全く前述した誘拐罪の罪質を誤解した議論であつて直ちにこれを採用し難いものである。本件記録に現われた証拠によれば仮に被告人が当初桐生駅出発の時において右森本の前記誘拐の企図を完全に承知していなかつたとしても、その後右N子等を同伴して右森本と一緒に豊橋市に到り同市に滞在中右森本からすべての事情を聴き、且つ、前記電報の来ているのを知りながらこれを無視して右森本とともに右永島の前記酌婦奉公先の物色竝びに前記豊田方へ住込奉公の交渉等に協力し森本の前記犯行の実行行為の一部を分担したことが明らかに窺えるのであるから、被告人亦前述するとおり本件犯罪の共同正犯としての責を免れないこと勿論である。
以上説明したとおり原判決には所論のような事実認定の過誤のないのは勿論、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤は存しないから、各論旨は、いずれも理由がない。
二、弁護人の論旨第一点について。
原審第一回公判調書の記載によれば、原審は刑事訴訟法第二百九十一条の冒頭手続終了後可成り長きに亘つて公訴事実の内容につき具体的な事項について質問をなし被告人がこれに答えていること洵に所論の指摘するとおりである。そして、一般に裁判長は何時にても被告人が任意に供述をすれば、必要とする事項についてその供述を求め、或は、又その陳述について釈明を求めることができるのであるが、冒頭手続の場合においてはその範囲は、自ら冒頭手続の本質にかんがみ、被告人に対し審理の冒頭において陳述の機会を十分与えることによつて一般的な防禦をなさしめ、且つ、公訴事実に対する認否を質して被告人の陳述が不明確であるようなときにはその点を明らかにしてもつて当該事件の争点を明らかにする趣旨においてでなければならないこと勿論であつて、かりそめにも、裁判所に予断偏見を懐かせる虞のある程度に亘ることは不適法であるといわなければならない。ところで本件においては起訴にかかる各犯罪事実がいずれも複雑錯綜しており原審相被告人森本美智子と被告人の各供述が冒頭手続において既に対立しその利害相反するものがあり又その陳述においても相互に対立不明確なものが随所に散見していた関係上原審裁判長はこの被告人等両名の陳述を明確にしその争点を整理する意味において所論の指摘するとおりの質問をしたものと認められる。そして原審裁判長はこのような方法によつて被告人等の陳述を質し争点を明確にすることが本件事案の真相を把握し引き続いて証拠調を遂行する上に役立つものと解していたことは、その後の各公判廷においても証拠調の前後を通じ随時被告人質問を繰り返していることによつてもこれを窺うに難くないところである。このような方法による質問は、ややもすると裁判所が予断偏見を持つものと誤解され、延いては裁判の公正を疑われる原因ともなるものであり刑事訴訟法の精神に照し妥当な方法とはいい得ない場合が多いのであるから、努めてこれを避けるのが相当であるけれども、本件においては前に述べたような事情が存し又これによつて裁判所が予断偏見を持ち特に判決において被告人の不利益に影響を及ぼした事蹟を窺うことができないから直ちにこの訴訟手続が違法であるということはできないのみならず、仮にこの被告人質問が違法であり従つて原判決が被告人のこの第一回公判期日における供述を採つてもつて本件犯罪事実認定の証拠に供したことが違法であるとしても、この供述を除外してもその余の原判決挙示の証拠によつて被告人の犯罪事実を肯認するに十分であるからこの違法は判決に影響を及ぼすことの明らかなものということはできない。従つて論旨はいずれにするも理由がない。
(大塚 渡辺辰 江碕)