東京高等裁判所 昭和31年(う)1458号 判決
被告人 内藤繁栄
〔抄 録〕
論旨第一点について。
起訴状における公訴事実は訴因を明示してこれを記載すべく、訴因を明示するには、できる限り日時場所及び方法をもつて罪となるべき事実を特定しなければならないものであり、裁判所はこの訴因として明示され、特定された事実について判断するのであるが、公訴事実と同一性を害しない限度において訴因の追加変更をすることが許され、その限度と手続によらなければ起訴状の訴因たる事実以外の事実について判断することはできないのである。本件において公訴事実中には「被告人は前方に対する注意を怠つたため金井広行が原動機付自転車に乗つて被告人の前方左側を同方向に進行しており、小型トラックとすれ違う際金井の右側を追い越す位置にあつたのに気付かなかつた」旨記載があり、被告人が金井の進行に気付かなかつたのは前方注視の義務を怠つたにあるとされているのである。これに反し原判決は被告人が本件事故現場の手前百六十米位で金井を追越しながら、その後における同人の位置を確認することなく、これを完全に追い抜いたものと軽信し、慢然進行したため、自己の運転する自動車の左側後部車輪の近くを金井広行が併進しつつあつたのに気付かなかつたと判示している。この原判示事実によれば、被告人は金井が前方進行中の事実に気付かなかつたのではなく、却つて金井の原動機付自転車に乗つて進行しているのを認識し、これを現場手前百六、七十米の地点で追い越したとしているのであるから、被告人が前方注視義務を怠つたため金井に気付かなかつたとの事実はそこでは否定されているといわなければならないと同時に、被告人の過失は金井を完全に追い抜かなかつたのに、完全に追い抜いたものと軽信し、追越後における金井の位置を確認しなかつた点にあるとされているのである。このように原判決が公訴事実に訴因として明示された態様の過失を認めず、それとは別の態様の過失を認定するには訴因の追加変更の手続を要すると解するのが相当である。然るに原審でこの訴因の追加変更を命じた形跡は記録上認められないし、被告人は公訴事実の訴因につき終始金井を本件現場の百六十米手前で追越したのに金井が後方から被告人の自動車に突き当つたとし、その前方注意義務を怠つたことを否定するのみで、前方注意義務を怠らないとしても金井を追越すについて過失ありとする原判示見解に対し防禦方法を講じたとは認め得ないところであるから、原審が訴因の追加変更を命じないで訴因とは別個の態様の過失を認定したのは、被告人に実質的な不利益を蒙らしめたものといわなければならない。従つて原審の右訴訟手続には法令違反があつて、この違反が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから論旨はその理由がある。
(加納 吉田作 山岸)