東京高等裁判所 昭和31年(う)2734号 判決 1957年9月05日
控訴人 被告人 近藤順二 外二名
弁護人 山崎一男 外三名
検察官 川口光太郎
主文
本件控訴はいずれもこれを棄却する。
当審における訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。
理由
本件控訴の趣意は弁護人山崎一男、同高橋潔、同井本良光、同木内曽益連名提出の控訴趣意書ならびに弁護人井本良光提出の控訴趣意補充書記載のとおりであるからここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。
一、各弁護人連名提出の控訴趣意第一点について
所論は、「原判決は訴因の変更乃至追加の手続を経ないで訴因と異る事実を認定して有罪の判決をした違法がある。」というのである。そこで記録を調査すると、被告人古屋良平に対する昭和二十九年二月二日附起訴状、同早瀬大介に対する同年同月八日附起訴状、同近藤順二に対する同年同月十日附起訴状及び被告人古屋良平、同早瀬大介両名に対する同年同月二十三日附起訴状には、それぞれ被告人近藤は日本通運株式会社の取締役兼東京支社長、被告人古屋は同会社東京支社経理部長、被告人早瀬は同会社東京支社経理部主計課長たる職務に在つたものであるが、原判示猪股功から融資の申入れを受けた際、被告人らはいずれも該貸付は被告人らの任務に背くものであり、かつ右貸付が猪股の為利益となると同時に、日本通運株式会社の損害となるものであることを認識しながら前記任務に背き右猪股功に対し融資をなし、以て前記会社に財産上の損害を加えたという趣旨の記載があるにとどまり、右融資は「被告人ら自身の利益を図る目的でなされたもの」であるという原判決認定にかかる事実の記載されていないことはまことに所論のとおりである。
所論は、前記のように、起訴状に記載された訴因が被告人らが「第三者の利益を図る目的」で背任行為をしたというにある場合に、原判決がなんな訴因変更の手続を履践しないで訴因と異る「自己の利益を図る目的」でなした背任行為であると認定処罰したのは、畢竟審判を受けない事件について判決をした違法があるものであるから、原判決は刑事訴訟法第三百七十八条か、少くとも同法第三百七十九条によつて破棄せらるべきものであると主張するから考えてみると、商法第四百八十六条所定のいわゆる特別背任罪における犯人の目的意思は「自己若ハ第三者ヲ利シ又ハ会社ヲ害センコトヲ図ル」というように定められている。右の「自己ノ利益ヲ図ル」ということと、「第三者ノ利益ヲ図ル」こととは同一の事実であるということはできないから、第三者の利益を図る目的で背任行為をしたという訴因と、自己の利益を図る目的で背任行為をしたという訴因とは厳密な意味からいつて決して同一の事実であるといえないのは論をまたないところであるが、さればといつて、前者の訴因によつて起訴されたものを判決で後者のように認定するためには常に訴因変更の手続を必要とするかどうかということは、軽々しく決定することはできないのである。けだし、法が訴因変更について一定の手続を要請する所以は、裁判所が勝手に訴因を異にした事実を認定することにより、被告人に不意打を加え、それまでの防禦権の行使を徒労に終らしめることを防止するにあるから、起訴された訴因たる事実と、判決で認定しようとする事実との間に多少の相違が存していても、それが被告人の実質的な防禦権を害する虞がない限り、あえて訴因変更の手続をとる必要がないと解するのを相当とするからである。これを本件の場合についてみると、商法第四百八十六条違反罪の構成要件は
(1)被告人らの行為が会社の事務管理者たる任務に背くものであること
(2)被告人らに背任目的(自己若ハ第三者ヲ利シ又ハ会社ヲ害セント図ル)意思があること
(3)会社に財産上の損害を加えたこと
の三点に要約されるから、本件においても検察官の立証や被告人らの防禦も主としてこれに集中されたのは当然である。
ところで、いま本論旨で問題とされているのは、右の中で(2) の背任目的意思の点であるが、原裁判所が所論のような訴因変更の手続をとらなかつたことにより、被告人らはその防禦権の行使について果して実質的な不利益を蒙つているのであろうか。記録を調査すると、本件の起訴状における訴因は、被告人らは第三者たる猪股功の利益を図る目的で背任行為をしたというにあることは前記のとおりであるけれども、これに対する被告人らの防禦方法をみると、被告人らは単に右のような目的意思を否定したにとどまらず、むしろ積極的に、被告人らは本人たる日本通運株式会社(以下「日通」と略称する)の利益を図る意思の下に行動したものである、と争つていることが明らかである。即ち、被告人らはまず審理の冒頭手続において、起訴事実に対する認否に際し、被告人古屋及び同早瀬の両名は『………貸付の目的は北沢の流用費消による「日通」の既存の損害金の回収という「日通」の利益だけを唯一の目的を達成する方法として貸付けたのであります。決して私利私慾等不純な気持は毛頭無かつたのであります。右貸付が任務に背くとか、猪股のため利益となるとか、「日通」の損害になるとか、という認識は全然無かつたのであります。』と述べ、また被告人近藤は『私は日本特殊産業株式会社に対して、金三、四百万円程度なら融資してもよかろうと古屋か早瀬かに話したのは猪股に、北沢の費消額一千三百万円位を確実に引受けて短期間内に支払つて貰うため、即ち支社の損害を填補するためであつて私の利益のためとか、または猪股の利益のためにやつたものではなく、勿論支社を害するためにやつたものではありません。』と弁解していることが認められるが、被告人らの右のような主張は、ひとり「第三者の利益を図る目的」という訴因に対する防禦方法たるにとどまらず、「自己の利益を図る目的」または「会社に財産上の損害を加える目的」という訴因に対しても共通する防禦方法でもあるから、訴因が右のいずれに変更されたとしても被告人らは決して不意打を受けたということにはならないことが認められるのである。しかも検察官は立証に入るに先立ち、その冒頭陳述において、『………被告人三名は、昭和二十六年三月「日通」東京支社の経理部主計課資金係長北沢一郎が擅に同支社の資金千五百万円を他に貸付け費消した等の事実を知り同事実が本社に知れるに於ては被告人等の同会社に於ける地位に影響することあるべきを虞れ、斯る事態を回避する目的の下に、其の善後策に苦慮協議して居た折柄、北沢一郎と懇意の間柄にあつた猪股功から同年四月同支社で右費消額を責任を以つて引受けるから同人の経営する日特の事業資金等として金三千万円程度の融資を受け度い旨の要請があつたので、其の頃同支社で被告人等三名協議の上猪股功の事業資金として東京支社の資金を流用貸付けて融資し同人の事業より生ずる利潤より右北沢一郎の右事故損失金を補填し併せて本件融資金の返済を受ける意図で先づ猪股功の利を図る目的を以つて右要請を容れて貸付け融資することに謀議決定したものである。』『被告人古屋良平同早瀬大介の両名は、昭和二十六年六月初頃前記資金係長北沢一郎がさきに発見された前記約千五百万円の東京支社資金の貸付費消等の外に、更に同支社の資金約二千三百万円を擅に流用費消した事実を知つたので驚愕狼狽し益々同事実が本社に知れるに於ては被告人等の同会社に於ける地位に影響を来すやも計り知れない不安の念を強くしたところから、斯る事態を回避する目的の下に、これが措置について苦慮して居た折柄、同年六月初旬頃から同年八月初旬頃までの間同支社でまた猪股功から再三に亘り北沢一郎の右約二千三百万円の流用費消額も猪股に於て責任を以つて引受け弁済するにつき同人の事業資金などとして前同様の方法により一回四百万円乃至二千万円前後の融資を受け度い旨の懇請を受けたので右被告人両名は其の都度同支社でこれを協議の結果猪股功の事業資金として東京支社の資金を融資し同人の事業より生ずる利潤より北沢一郎の右事故損失金を補填し併せて被告等の融資金の返済を受ける意図で、先づ、猪股功の利を図る目的を以つて右要請を容れて貸付け融資することに謀議決定したものである。』と陳述して居り、その後の立証においても、被告人らが本件融資をなしたのは第三者たる猪股功の利益を図る目的からばかりでなく、被告人ら自身の利益を図る目的もあつたことを明らかにすべく努力していることが認められるが、これに対応して被告人側においても、弁護人らが検察官の証人尋問に対して再三にわたり異議を述べたり、或いは反対尋問をしたりなどして、この点に関する検察官の立証効果を薄弱ならしめると共に、進んで被告人らに「自己の利益を図る目的」のなかつたことまでも明らかにしようと尽力していることが認められるばかりでなく、弁護人らはその立証に入るに先立ち冒頭陳述書を提出し、その第二の四乃至七において、『被告人等は北沢一郎の事故について本社または「日通」労働組合からその責任を問われる虞は毫もなかつた。被告人等は、いずれも、自己の地位に恋々たる人物でなく北沢一郎に関して自己の責任を回避した事実はない。被告人等は、いずれも会社の損失を補填することを唯一の目的としたものである。被告人等には猪股功の利を図つたものと社会通念上是認するに足る事情は全く存在しない。』と述べ、これを立証するために多数の証拠を提出し、しかもその最終弁論において、被告人らには猪股功の利益を図る意思のなかつたのは勿論、被告人ら自身の利益を図る目的をもつて行動したものではない旨を強調していることが認められるから、被告人側としても、本件融資行為が自己の利益を図る目的ではなかつたことについて、十分防禦を尽しているものと認められるのである。
而して、さきに判示したように商法第四百八十六条所定の特別背任罪における「第三者の利益を図る」という訴因と、「自己の利益を図る」という訴因とは必ずしも同一であるとはいえないけれども、両者は法律的には構成要件を等しくするのみならず、叙上のように、被告人の側において十分に防禦の方法を尽していると認められるような場合には「第三者の利益を図る目的であつた」という訴因についてなされた起訴に対して、判決で「自己の利益を図る目的であつた」と認定しても、被告人には少しも実質的な不利益を蒙らしめることがないと認められるから、とくに訴因変更の手続をとらずに、訴因として明示された事実と異る事実を認定しても差支ないものと解するのを相当とする。果して然らば、原判決にはなんら所論のような違法な廉は存しないから本論旨は理由がないといわなければならない。
(その他の判決理由は省略する)
(裁判長判事 花輪三次郎 判事 山本長次 判事 下関忠義)
弁護人山崎一男外三名の控訴趣意
第一、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の違反がある。
原判決は、訴因の変更乃至追加の手続を経ないで、訴因と異る事実を認定して有罪の判決を為しているのである。
即ち、本件起訴は、訴因として、本件融資行為の目的は、第三者たる猪股の利益を図り及び本人たる日本通運株式会社(以下「日通」と略称)に損害を加えるに在つたとの二点を挙げているのであつて、被告人等に自己の利益を図る目的があつたとの点は訴因としていないこと起訴上明白である。然るに、原判決は、検察官が訴因とした行為の目的の点については認められないとしているのであるから、検察官から訴因の変更乃至追加が無かつた以上、無罪の判決を言渡すべきものであつたに拘らず訴因の変更乃至追加の手続を経ないで(一件記録に徴してもこの点明白である)、訴因と異る被告人等に自己の利益を図る目的があつたものとして有罪の判決を言渡したのであるから、原判決は、審判の請求を受けない事件について判決した違法のものとして刑事訴訟法第三七八条に則り破棄せらるべきものであり、少くとも同法第三七九条に則り破棄は免れないものと信ずる。
何となれば、判決の対象は、訴因として明示されたものに限定され、訴因として明示されていないものに対しては判決をすることは出来ないものと解すべきであるからである。判決の対象は、審理の範囲とは異るものと解する。審理の範囲は、判決の対象よりも広いもので、訴因について被告人の罪責の有無、程度を判定するため自然の経過として訴因を中心として訴因に関連する事実も一応は問題とされ審理されるが、判決の対象となるものは、あくまでも、明示された訴因に限ると解すべきである。被告人に実質的な不利益を生ぜしめないよう被告人に十分な防禦の準備と機会を与えることが訴因制度の本質である以上、或る事項が訴因として明示されていなければ、審理の過程においてその事項が一応問題になつた場合に、被告人側は、その事項自体について罪責を負わされないものとして、無視乃至看過し、たとえ防禦の必要を感じても或る程度にて打切り立証弁論等十分な防禦を為し得ないで終つて了うのである。
本件においては、検察官が冒頭陳述において、突如として、行為の目的として被告人等に監督責任の回避、「日通」本社に対する被告人等の面目信用の維持の目的があつた旨陳述はしたが、それは訴因の変更乃至追加として明示したものでなく結局訴因の変更乃至追加の手続を執らずに審理を終結したのであつて、その間弁護人において或る程度の防禦態度は執つたが、もともと訴因として明示されてなく又変更乃至追加の手続もなかつたので、被告人弁護人としては明示された訴因が認められない以上無罪の判決があるものと考察し、訴因として明示されていない事項についてこれ以上防禦態度に出るのはただ徒らに裁判所に無用の手数を煩わすのみにて刑事訴訟の本旨に副わないことになるとの観念から、十分な防禦を為さずに終つたのである。即ち、被告人側に十分な防禦の準備と機会とを与えられなかつたのである。その結果、原判決説示においても明瞭な通り検察官が明示した行為の目的の点に関する訴因は何れも認容されなかつた以上被告人等は無罪の判決言渡を受けるべきものであつたのに拘らず、審理を尽さずに意外にも有罪の判決言渡を受けるに至つたもので、原判決の右訴訟手続の違反により被告人等は実質的に至大な不利益を蒙つたものである。
(その他の控訴趣意は省略する。)