東京高等裁判所 昭和31年(う)3226号 判決
物価統制令第一条は同令の目的として本令は終戦後の事態に対処し物価の安定を確保し以て社会経済秩序を維持し国民生活の安定を図るにあると規定しているのであるから、同令第九条の二、第一三条の二にいわゆる不当に高価なる額にあたるかどうかは、社会経済秩序維持の適正価格を標準として決すべきものであつて、必ずしも原価計算によることを要するものではなく、又この適正価格は物資の売買においては取引当時若しくはその前後における同種又は類以の物資に対する法令告示等による統制価格又は公正な普通一般の取引界における市場価格等を参酌して定めるを相当とするのである(昭和二五年一〇月二六日言渡最高裁判所第一小法廷判決参照)。ところで映画、演劇等各種興行の観覧券の価格は、物資の売買における価格と異なり、これら興行の経営者は一定の条件の下に広く公衆が観覧の機会をもつことができるような一般的且つ継続的提供をしているものである一面、興行そのものが個性的であり、供給に自ら制約があるため、その提供自体は多かれ少なかれ独占的性質をもつていて、観覧を欲する者は興行経営者の定める条件に従わなければ観覧することができず、その観覧券の価格も亦興行経営者がその提供する興行の稀少価値、出演者の技能、人気等の社会的評価、投下資本の回収、推定観覧需要等の経営上の諸々の指標を綜合検討して算定し公衆に示した料金によつて一方的に定まり、観覧を欲する需要者がその価格の決定に参与することのない特質をもつているのである。しかもすべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障されている今日においては、映画、演劇の観覧のような健全娯楽に属する娯楽の利用は、国民一般の日常の文化生活上必要不可欠な、重要なものであり、国民はひとしくこれら娯楽の提供者である興行経営者が公衆に示した観覧料金すなわち観覧券の興行場窓口売出価格によつて娯楽を利用する機会が与えられるべきであると共に、国民一般の生活水準の向上するに伴い、娯楽費の経済生活における比重が次第に増大することは、国民生活における現実であるから、観覧券の右窓口売出価格が維持されないで昂騰することは、国民一般の経済生活に対し軽視できない影響を及ぼすものであることを考えると、右窓口売出価格は公共的利用の提供に対する対価である性質をもつているものであり,社会経済秩序を維持し国民生活の安定を図るには、観覧券の右窓口売出価格の維持が確保されねばならないのである。従つてこの観覧券の価格について物価統制令第九条の二、第一三条の二にいわゆる不当に高価な額にあたるかどうかを決する標準である社会経済秩序維持の適正価格は原価計算上の結果を顧慮するをまたないで観覧券の右窓口売出価格によるを相当とするものといわねばならない。そしてこの観覧券の価格が右窓口売出価格を標準として不当に高価な額であるかどうかは、もともと不当という概念が法的価値判断によるべき概念であるから、前者が後者の額を超えるとしても単に両者の間の数額上の差異のみによつて形式的抽象的に定められるべきでなく、物価統制令第一条の掲げる目的に照らし、社会観念と具体的事情を考慮して個別的具体的に定められねばならないものと解すべきであるところ、押収にかかる帝国劇場入場券四枚、現行犯人逮捕手続書、原審第二回公判調書中被告人の供述記載、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書によると、被告人は通称ダフ屋と称する各種入場券類の職業的ブローカーであつて、昭和三〇年一二月二九日自ら帝国劇場に入場して興行を観覧する意図がないのに入場券の売切れを予想し、売切れにより入場できない不特定の観覧希望者にその困窮に乗じ窓口売出価額を超える価格で右入場券を売渡して利益を得る目的であらかじぬ窓口売出価格一枚一七〇円の割合で買受けていた同劇場入場券四枚を不特定人に対し一枚二〇〇円ないし三〇〇円で売渡す目的で所持していたことを認めることができるのであるから、前記のような物価統制令の立法目的、興行観覧券の価格の性質、被告人が帝国劇場入場券を入手した事由、今日における国民一般の経済生活における娯楽費の比重等から考えると、帝国劇場入場券一枚一七〇円の窓口売出価格に対し被告人が不特定人に対し売渡す目的であつた同劇場入場券の価格一枚金二〇〇円ないし三〇〇円はこれを同条第九条の二、第一三条の二にいわゆる不当に高価な額にあたるものと認めるべきである。右両者の間の差額が三〇円ないし一三〇円に過ぎないとしても、このような差額の程度によつては社会経済秩序の維持を阻害せず、これに格別の影響を及ぼさないということはできない。しからば被告人は営利の目的で物価統制令第九条の二にいわゆる不当に高価なる額を以て取引する目的で物品を所持していたものに該当することが明らかであるから、被告人の右行為は同令第一三条の二の規定に違反し同令第三五条に該当するものとしなければならない。しかるに原判決は被告人が売渡す目的で所持していた本件帝国劇場入場券につき被告人の意図した売渡価格が同条第九条の二、の不当に高価な額にあたらないものとして本件起訴にかかる被告人の行為につき無罪の言渡をしたのは、同令第九条の二、第一三条の二の解釈を誤り適用すべき両条を適用しなかつたものであり、この法令適用の誤は判決に影響を及ぼすこと、もちろんである。それ故原判決の法令適用の誤を主張する検察官の論旨は理由がある。
(裁判長判事 加納駿平 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)