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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)2290号 判決 1960年4月09日

控訴人 グレート・アメリカン・インシユアランス・カンパニー

被控訴人 アライド・インダストリアル・コーポレーシヨン

主文

原判決主文第一項中二千百九十四ドル四十四セント及びこれに対する昭和二十八年九月九日から右完済まで年六分の割合による金員の支払を命ずる部分及び第三項を取消す。

被控訴人の請求中第一項に該当する部分はこれを棄却する。

控訴人のその余の控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の陳述した主張の要旨は左記の外は原判決の事実摘示のとおりであるので、これを引用する。

被控訴代理人は左のとおり述べた。

原判決二枚目裏五行目に「一万四千八ドル十三セント」とあるのを「一万三千四百三ドル十三セント」と、同十行目以下に「以上の損害合計一万八千七百八十九ドル二十七セント『から原告においてグインより返済を得た六百五ドルを控除し残額一万八千百八十四ドル二十七セント』」とあるのを「以上の損害合計一万八千百八十四ドル二十七セント(『 』内の部分を削除する)」とそれぞれ訂正する。

会計監査手数料千二百五十ドルは、被控訴人が会計士に本件保険事故による損害を明かにするために会計監査を依頼し、これに支払つた手数料である。本件保険契約は会計係の窃盗又は横領の行為を保険事故とするので、その性質上損害を明かにするため会計士の会計監査は欠くことができないから、その手数料は本件保険約款の前文に定める「窃盗又は横領の行為により使用者の金銭その他の動産に与えた損害」に該当し、かりにそうでないとしても商法第六六〇条第一項但書の損害防止費用として保険者に請求することができる。

弁護士費用千ドルのうち五百ドルは、控訴人主張の保険約款第十三項に基く告訴手続、本件保険事故に関するアドバイス、控訴人又は会計士との折衝等の費用及び報酬として支払われ、残額五百ドルは本件訴訟の訴訟代理人に対する費用及び報酬であつて、いずれも本件保険約款の前文に定める損害であり、かりにそうでないとしても商法第六六〇条第一項但書の損害防止費用として保険者に請求することができる。

本件保険約款第一項に後記控訴人主張のような約定のあることは認めるが、同項は契約者である被控訴人の陳述書を意味するので、保険の対象者である訴外ジエリー・ウオーター・グインの作成した陳述書は含まれない。

右約款第七項に、後記控訴人主張のような条項のあることは認める。もつとも、「役員」とあるのは原文の Officerをこのように訳したものであつて、オフイサーは日本商法の取締役、監査役を意味するのではなく、会社の使用人にすぎない。右第七項でオフイサーの認識が会社の認識とみなされるという趣旨は、会社の業務に関する事項に限定されるべきであつて、その私事に関することまで会社の認識と同一視されることは条理上及び信用保険の性質上できないところである。したがつて、グインの前歴その他の私的な事項に関する右陳述書には同項は適用されない。

右グイン作成の陳述書に同人の前歴その他の項に Lawerと記載されていることは認めるが、これは同書の他の部分にAttorneyと記載されていることから考えても、「弁護士」の意味ではなく「法律家」の意味で使用したと解すべきである。そうだとすると、グインは法律を学んだことがあるので、右記載は必らずしも虚偽の申告とはいえない。

かりに、控訴人の主張するように右記載が「弁護士」の意味であるとしても、本件契約は会計係であるグインを対象とするものであるから、同人が弁護士であつたかどうかは重要な事項ではない。しかも、被控訴人には右虚偽の陳述について悪意も重大な過失もない。

かりに、右条項の趣旨が無効原因を重要な事項に限定しないとすれば、同条項は次の理由で無効である。すなわち、本件契約の成立及び効力について、当事者は日本の法律によるという意思であつた。商法第六四四条は「保険契約の当時保険契約者が悪意又は重大な過失により重大な事項を告げず又は重要な事項について不実の事を告げたときは、保険者は契約の解除をなすことを得」る旨を規定している。同条は、保険者が強大な経済力を背景として経済的弱者である保険契約者を不当に圧迫して一方的に自己に有利な契約条項を設けささいな理由で契約を解除することを禁止し、保険契約者の利益を保護しようとするものであるから、効力規定である。その要件を重要な事項に限らず、しかも解除権よりも強力な契約の無効を規定する条項は、保険契約者にとつて極めて不利益なものであるから、右法条に反し無効である。

右約款第七項に関する被控訴人の各主張が理由がないとしても本件のようなささいな告知義務違反を理由として契約の無効を主張するのは権利の濫用で許さるべきではない。

グイン作成の陳述書に控訴人主張のような虚偽の陳述があつたとしても、前記のようにそれは保険契約者である被控訴人の陳述ではないし、またそれと同視されるものでもない上、控訴人主張の事項は、重要な事項でもないから、商法第六四四条の解除権は生じない。

控訴代理人は左のとおり述べた。

会計監査手数料、弁護士手数料に関する前記被控訴人の主張を否認する。これらは、被控訴人自身が調査しなければならない事項を便宜公認会計士に依頼し、或は、被控訴人が自己の権利を確保し実効あらしめるためにその法律事務を弁護士に依頼したもので、殊に告訴手続は約款第十三項による被控訴人の義務の履行であり、いずれも本件保険事故と相当因果関係ある損害ということはできないから、保険契約に基いて請求することはできない。また、被控訴人は本件保険契約者であるが被保険者ではないから、たとえ損害防止費用を支払つたとしても商法第六六〇条の適用はない。

本件保険約款第一項には、「本件保険契約を締結するにあたり使用者がなした陳述は、質問に対する回答を含めて、使用者によつてその真実性を保証され、かつ、本証書中に記載されたと同様に本証書の一部をなすものであり、右陳述中に少しでも虚偽の部分があれば、本契約は初めから無効である。」と定められている。それなのに、被控訴人が控訴人に対して本件保険契約をなすにあたつて提出した、被保険者ジエリー・ウオーター・グイン作成の陳述書(甲第二号証の二)の中の前歴その他の項に、同人が一九四九年九月から一九五〇年七月まで弁護士の業務を取扱つていたとの虚偽の事実が記載されている。ゆえに、本件契約は右第一項によつて初めから無効である。

もつとも、右陳述書は契約の当事者である被控訴人の作成したものではないが、次の理由でこれと同視すべきものである。すなわち、右約款第七項には、雇傭主が法人である場合、その役員又は取締役の一人の認識は雇傭主の認識とみなされる、と約定されている。グインはトレジヤラーとして被控訴人に雇傭されていたものであり、通常外国会社では、トレジヤラーは会社の役員である。ゆえに、グインのなした虚偽の陳述は結局控訴人の虚偽の陳述と同視すべきものである。

本件保険約款第一項は、前記のとおりであつて、被控訴人主張のように虚偽又は不真実による無効原因を重要な事項に限定していないから、虚偽又は不真実の陳述があれば、当然第一項によつて契約は無効となる。

本件契約の効力については日本法が適用さるるものであることは認めるが、商法第六四四条は効力規定ではないから、本件保険約款第一項は有効である。

グインが弁護士であり独立して法律実務を行つたことがあるということは特別の信用と安心感を与えるので、殊にグインが会計の担当者として個人的信用に重点がおかれる職務につくことをも考えれば、保険契約にあたり危険を測定するについて重要な事項であるといわなければならない。前記のようにグインの認識は被控訴人の認識と同一視されるので、結局右虚偽の陳述は控訴人の故意又は重大な過失によることになる。よつて、控訴人は昭和三十一年十一月二十八日被控訴人に対し右の事由によつて本件契約を解除する旨の通告書を送付し、同書面は同月二十九日被控訴人に到達し本件契約は同日解除されたから、本件契約は初めから効力を生じていない。

当事者双方の証拠の提出、援用、認否は左記の外は原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

被控訴代理人は、甲第十ないし第十二号証及び第十四ないし第十六号証を提出し、当審証人ウオーレン・デイ・ウエストランドの証言を援用し、控訴人が当審であらたに提出した後記乙号各証中第四号証の成立は不知、その余の各証はすべて成立を認める、と述べた。

控訴代理人は、乙第四、第五号証、第六号証の一、二、第七、第八号証を提出し、当審証人レオン・アイ・グリンバーグ(第一ないし第三回)イー・ジエー・ヴイ・ハツト(第一ないし第五回)の各証言を援用し、前記甲号各証中第十四号証は不知、その余の各証はすべて成立を認める、と述べた。

理由

控訴人は、保険業を目的とする外国会社であるが、昭和二十七年一月二十八日東京において被控訴人との間に、被控訴人が会計係として雇傭したジエリー・ウオーター・グインが同月二十五日から昭和二十八年一月二十五日までの間に被控訴人の金員を窃取又は横領したときは、保険金額二万五千ドルを限度として被控訴人の損害を填補し、この保険料を二百五十ドルとする、との信用保険契約を締結し、被控訴人は控訴人に対し右保険料を支払つたことは、当事者間に争がない。

控訴人は、本訴は当事者間の合意による出訴期間を経過した後に提起されたものであるから不適法であると主張するので、次に判断する。

本件保険約款第五項に、保険契約者は保険者に保険金請求書類を交付した後六ケ月を経過したときは保険者に対しどんな訴訟手続をもしてはならない、と規定していること、被控訴人が昭和二十七年九月二十七日に控訴人に対し保険金請求書類を交付したことは、いずれも当事者間に争がなく、本訴が東京地方裁判所に提起されたのは、昭和二十八年六月二十二日であることは、本件記録によつて明かである。

右出訴期間が昭和二十八年一月二十二日控訴人の東京営業所副支配人ランス・ラ・ビアンカ名義の書面によつて同年六月二十七日まで延長されたこと、本件保険約款第十五項に、契約条項の変更は控訴人会社の社長、副社長、セクレタリ、アシスタントセクレタリによつて作成された書面によるものでなければ無効である、との規定があることは当事者間に争がない。原審証人レオン・アイ・グリンバーグの証言によれば、昭和二十八年一月二十二日当時ウオレン・エフ・プロボストは、控訴人会社の日本における総支配人であり、かつ、外国保険事業者に関する法律第四条に定められた控訴人会社の日本での代表者であつたことが認められる。ゆえに、本件契約について、同人は、控訴人会社の代表者と同一の権限を有するものといわなければならない。右証言によると、ランス・ラ・ビアンカは当時控訴人会社の日本での営業所の副支配人であり、日本での代表者不在のときは保険金請求訴訟の出訴期間の変更について代表者を代理する権限を有したことが認められるから、同人が作成した書面は本件契約の内容を変更することのできる約款第十五項に該当する書面であることを認めることができる。以上の認定に反する原審人エドワード・ビー・リイドの証言は前記各証拠に照し合わせて信用できず、他に右認定を動かすことのできる証拠はない。よつて、本件契約による出訴期間は同年六月二十七日まで延長されたものといわなければならない。

本件訴訟が昭和二十八年六月二十二日に提起されたことは上記認定のとおりであり、右出訴期間内であること明かであるから、控訴人のこの点に関する主張は、右特約の有効無効を判断するまでもなく、理由がない。

控訴人は、本件契約は約款第一項に違反した事由によつて無効である、と主張するので次に判断する。

本件保険約款第一項に、契約者が契約にあたり提出した陳述書に虚偽または真実でない記載があれば契約は当初から無効である、という趣旨の控訴人の主張のような定めのあること、本件保険契約締結にあたり提出された被保険者グイン作成の陳述書中の同人の前歴その他の項に同人が一九四九年九月から一九五〇年七月まで Lawyer の業務を取扱つていたとの記載のあることは、当事者間に争がない。控訴人は、右 Lawyer は「弁護士」を意味するものであるのに、グインはその資格がないから虚偽の記載である、と主張する。しかしながら Lawyer は「弁護士」という意味の外に、弁護士をも含めてより広く「法律家」の意味にも使用されることのあることは当裁判所に顕著であるばかりでなく、成立に争のない甲第二号証の二によると右陳述書の他の部分ではジエイムズ・W・イネスの職業として Attorney と記載されていることを考え合わせると、右 Lawyer の記載は必ずしも「弁護士」に限定する意味であるものとは解することはできない。しかも、右甲第二号証の二によると、グインは昭和二十四年(一九四九年)一月から同年九月までアラバマ大学の法科学生であつたことが認められ、この認定を左右することのできる証拠はないから、グインは法律について多少の専門知識を有し、広い意味では法律家といえないこともない。しかも、被控訴会社でのグインの地位は会計係であつて純粋の法律職でないことを合せ考えると、 Lawyer との記載は虚偽又は真実でないものとは必ずしも断定できない。また、右の程度の僅かな相違が本件保険契約を締結するかどうかを左右する程度のものとも解することができない。よつて、前記陳述書が約款第一項に定められた使用者の陳述ないしは同第七項によつてこれと同視される陳述に当るかどうかについて判断するまでもなく、控訴人のこの点に関する主張は理由がない。

控訴人の、本件保険契約は保険契約者の告知義務違反によつて解除されたとの主張について、次に判断する。控訴人が被控訴人に対し、昭和三十一年十一月二十八日その主張のような理由で本件保険契約を解除するという書面を送付し、同書面が同月二十九日被控訴人に到達したことは、被控訴人の明かに争わないところである。しかしながら、本件保険契約を締結するにあたつて、契約者である被控訴人から提出されたグイン作成の陳述書には、虚偽の記載があるとは認められないことは上段認定判断のとおりであり、このことは告知義務違背の点についても全く同じである。そればかりでなく、グインの後記認定の被控訴会社の金員の横領又は窃盗は、特段の主張立証がないので、弁護士であつたかどうかということと必ずしも何等関係があるものとも認められない。よつて、右解除の意思表示はその効力を生じないものといわなければならない。よつて、控訴人のこの点に関する主張も理由がない。

被控訴人は、グインが右保険期間中に被控訴人の金員一万三千四百三ドル十三セントをニユーヨーク市のチエイス・ナシヨナル銀行に送金したと称した金額を窃取又は横領した、と主張するので次に判断する。各その成立に争のない甲第十三号証、乙第七、第八号証、原審証人レオン・アイ・グリンバーグの証言によつて成立を認めることのできる甲第五、第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一ないし三、原審並びに当審(第一ないし第五回)証人イ一・ジエー・ヴイ・ハツト、原審並びに当審(第一ないし第三回)証人レオン・アイ・グリンバーグの各証言によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、グインは昭和二十六年十月頃から昭和二十七年六月十二日まで被控訴会社東京営業所の会計係として勤務し、同社の一切の資金、有価証券等を保管し、払込まれた金員を受領し、また、正当な債務が支払期に達した時は手持資金で支払う等の会計事務を一人で担当していた。被控訴人は昭和二十七年六月頃計理内容に疑をもつに至り、会計士に調査を依頼した。右会計士はグインに会計帳簿、原始記録等を提出させ、同人の説明をきいて同年一月二十五日から同年六月十二日までの計理内容を調査したところ、収支計算の結果右期間中の未使用の現金勘定として残る筈の一万四千八ドル十三セントについて、ニユーヨーク市のチエイス・ナシヨナル銀行の被控訴人の口座に振込むため同年六月十日に金額二百五ドルの小切手一通、同月十一日に金額五十ドル、四百ドル、七百ドル、五百七十九ドル七十九セントの小切手各一通、同月二十一日(退職後)に金額九千ドル、三千七十三ドル三十四セントの小切手各一通以上合計七通で一万四千八ドル十三セントの小切手を送付したとの送金状の控(甲第十ないし第十二号証)があり、帳簿上もこれに応じた記載がなされているにかかわらず、同銀行には右のうち二百五ドル及び四百ドルの小切手二通計六百五ドルが送金されただけで、他の五通合計一万三千四百三ドル十三セントの小切手については同銀行に到達しないばかりではなく振出人も明かにすることができず、グインはこのことについてなにも具体的合理的な説明をすることはできなかつた。他に右認定を動かすことのできる証拠はない。外になにも反対の主張と立証のない本件では、右認定の事実によれば、グインは、昭和二十七年一月二十五日から同年六月十二日退職するまでの間に、保管中の被控訴人の金銭から一万三千四百三ドル十三セントを窃取又は横領したことを推認する、を相当とする。

被控訴人は、グインが右保険期間内に給料名義で被控訴人の金員千ドルを窃取又は横領したと主張するので、次に判断する。前記甲第五号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一ないし三の各記載、原審証人レオン・アイ・グリンバーグ、当審証人イー・ジエー・ヴイ・ハツト(第五回)の各証言中には、グインは昭和二十七年一月から同年六月退職するまでの間にその保管する被控訴人の金員の中から自分の給料として千五百五十ドルを受取つており、同人に給料を支払う契約はなかつたけれども右期間の給料としては五百五十ドルが相当であるから、残額千ドルはグインが勝手に被控訴人の金員を費消したことになるという趣旨の記載や供述がある。しかしながら、給料について全くなんの契約もなかつたということもおかしいし、各その成立に争のない甲第二号証の一、第十五号証によるとグインは当時シビル・エアー・トランスポート(CAT)の地方会計係とガルフ・コースト・エイシアテイツク・コーポレイシヨンの会計係を兼務しており、前者の給料は月額八百三十五ドル、後者の給料は月額千ドルであつたことが認められ、これらを考え合わせると前記の記載や供述は信用できない。他に、グインが右千ドルを窃取又は横領し、しかも、これが前記認定の一万三千四百三ドル十三セントに含まれていないものであることを認めることのできる証拠はないので、控訴人の右主張は理由がない。

被控訴人は、グインが事務所の賃料名義で被控訴人の金員七百五十ドルを窃取又は横領した、と主張するので次に判断する。前記甲第五号証、第七号証の二、第九号証の三によれば、右七百五十ドルはグインが昭和二十八年一月から同年四月までの四ケ月分の被控訴人の事務所の賃料として支払つた八百五十ドルのうちの一部であるが、同年五、六月分の同事務所の賃料としてこれより高額の一ケ月二百五十ドルの割合で合計五百ドルが支払われているにもかかわらず、この分については、被控訴人は正当な支出としていることが認められる。右認定に反する原審証人レオン・アイ・グリンバーグの証言は上記各証拠に照し合わせて信用できず、他に、右八百五十ドルのうち七百五十ドルはグインが帳簿上賃料名義で支払つたことにして実は、窃取又は横領したものであり、しかも、前記認定の一万三千四百三ドル十三セントに含まれていない全く別個のものであることを認めることのできる証拠はないので、被控訴人の右主張は理由がない。

被控訴人はグインが本件契約期間内に丸紅に対する手数料名義で四百四十四ドル四十四セントを窃取又は横領したと主張し、前記甲第十三号証、原審証人レオン・アイ・グリンバーグの証言中には、右主張にそう記載や供述があるけれども、これらは当審証人イー・ジエー・ヴイ・ハツトの証言(第五回)に照し合わせて信用できない。これらをおいて他に、グインが右四百四十四ドル四十四セントを窃取又は横領し、しかも、これが前記認定の一万三千四百三ドル十三セントに含まれていないことを認めることのできる証拠はないから、被控訴人の右主張も理由がない。

控訴人は、グインが本件契約期間内に鉄鉱石分析費用名義で三百三十六ドル七十セントを窃取又は横領したと主張し、前記甲第五号証、第九号証の二、三、原審証人レオン・アイ・グリンバーグ、当審証人イー・ジエー・ヴイ・ハツト(第五回)の各証言によれば、被控訴人の右主張事実を推認することができ、他にこの認定を動かすことのできる証拠はない。

会計監査手数料についての被控訴人の主張について、次に判断する。前記甲第十三号証、原審及び当審(第一回)証人レオン・アイ・グリンバーグ、原審及び当審(第一ないし第五回)証人イー・ジエー・ヴイ・ハツトの各証言によると、被控訴人は前記認定のように会計士にグインの窃盗又は横領による損害額を明かにするため会計監査を依頼し、その手数料として千二百五十ドルを支払つたことが認められ、他にこの認定を動かすことのできる証拠はない。控訴人は右費用は本件保険事故と相当因果関係のある損害ということはできないと主張するので次に判断する。右のように会計士に支払つた費用は会計係の金員の窃取又は横領行為によつて直接発生した損害でないことはもちろんであるから、もし、本件の場合でもグインの窃取又は横領行為による損害額を会計士による会計監査によらなくとも、控訴人でこれを認め得られる程度に証明することができたとすれば、右費用は相当因果関係のあるものとは認めることはできない。しかし、本件の場合はグインが被控訴人の東京営業所の唯一の会計係であつたために、同人の金員の窃取又は横領については正確な調査が極めて困難であつて、会計士の会計監査によつて初めて明かにし得たが、控訴人は右会計士の会計監査さえも信用しないで、グインの金員の窃取又は横領の事実及びその額を争つているのであるから、被控訴人がグインの金員の窃取及び横領について会計士に監査を依頼したのは必要であつたと認めるを相当とする。他方本件の損害保険の趣旨は、グインの金員の窃取又は横領によつてうけた被控訴人の損害について、保険金額二万五千ドルの限度内では、被控訴人に十分に填補する趣旨であることを合せ考えれば、被控訴人の会計士に支払つた手数料はグインの金員の窃取又は横領と相当因果関係のある損害と認めるを相当とする。よつて、この点に関する控訴人の主張は理由はなく、被控訴人に対し会計士に支払つた右金千二百五十ドルを支払う義務があるものといわなければならない。しかしながら、原審は右金額の半額のみの請求を認容し、その余はこれを失当として棄却しているのに、被控訴人は右棄却した部分について、控訴又は附帯控訴の申立をなしていないから、右棄却された半額については当裁判所は原判決を変更することはできない。なお、少くとも原審の認容した右千二百五十ドルの半額については会計士の手数料として相当である。と認める。

弁護士手数料についての被控訴人の主張について、次に判断する。前記甲第十三号証、原審証人レオン・アイ・グリンバーグの証言によつてその成立を認めることのできる甲第四号証、原審及び当審(第一ないし第三回)証人レオン・アイ・グリンバーグの証言によると次の事実を認めることができる。すなわち、レオン・アイ・グリンバーグは被控訴人から昭和二十七年九月頃本件保険契約に基く保険金の請求のための一切の手続を依頼され、その費用及び手数料として千ドルを受取り、損害額算定の資料の提供、約款第十三項に定める請求権行使の条件である後記の告訴手続等訴提起前の保険金請求のための法律事務をなしたが、控訴人が支払わなかつたので本件訴訟において被控訴人の訴訟代理人として訴訟の進行にあたつている。この認定を動かすことのできる証拠はない。右のように弁護士に支払つた費用は会計係の金員の窃取又は横領行為によつて直接発生した損害ではないから、もし、本件の場合でも告訴手続などとることなく、被控訴人が請求し資料の提供に協力するだけで、訴訟を提起するまでもなく保険金の支払を受けられたならば、右費用は保険事故と相当因果関係のあるものとは認められない。しかし、本件の場合は告訴手続は後記認定のように約款第十三条によつて、保険金請求権を行使するための要件であり、控訴人は前記認定の会計士の会計監査だけでは、なお、十分でないというので控訴人は弁護士に依頼して交渉したが、なお、これに応じないので本件訴訟の提起を依頼したものであるから、被控訴人がこれらの手続一切を弁護士に依頼したのは必要であつたと認めるを相当とする。他方本件損害保険の趣旨は、グインの金員の窃取又は横領によつて被控訴人の受けた損害について、保険金額二万五千ドルの限度内では、被控訴人に十分に填補する趣旨であることを合せ考えれば、被控訴人が弁護士に支払つた手数料はグインの金員の窃取又は横領と相当因果関係のある損害と認めるを相当とする。よつて、この点に関する控訴人の主張は理由がなく、控訴人は被控訴人に対し弁護士に支払つた右金千ドルを支払う義務があるものといわなければならない。しかしながら、原審は右金額の半額のみの請求を認容し、その余はこれを失当として棄却しているのに、被控訴人は右棄却した部分について、控訴又は附帯控訴の申立をなしていないから、右棄却された半額については、当裁判所は原判決を変更することはできない。なお、少くとも原審の認容した右千ドルの半額については弁護士の右手数料として相当であると認める。

控訴人は、被控訴人が本件保険約款第十三項で定められた告訴手続をしないから、本件請求に応ずる義務はないと主張するので、次に判断する。同項は、保険契約者は保険者から要求があれば、雇用者を相当官署に対し告訴することを要すると定め、本件保険証券の前文において右義務の履行を保険金請求権行使の条件としていること、及び、被控訴人は昭和二十七年十二月二十六日警視総監に告訴状を提出したが、グインはこれより前である同月十日離日帰国していたことは、いずれも当事者間に争がない。右相当官署とは犯罪事実について捜査権限ある機関をいうものと解するを相当とするから、グインの離日後であつたとはいえ、犯罪地を管轄し、右グインの犯罪について捜査権を有する日本の警視総監に対してなされた右告訴の手続によつて、被控訴人は右第十三項の義務を履行したものといわなければならない。

よつて、控訴人は被控訴人に対しグインが窃取又は横領した被控訴人の使途不明の一万三千四百三ドル十三セント、鉄鉱石分析費用の名目で支出した三百三十六ドル七十セント、会計士の手数料のうち六百二十五ドル、弁護士の手数料のうち五百ドル以上合計一万四千八百六十四ドル八十三セント及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明かな昭和二十八年九月九日から商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。よつて、原判決中被控訴人の請求を認容した部分は右の限度で理由があり、この部分に対する控訴人の本件控訴は理由がないので、民事訴訟法第三八四条第一項によつてこれを棄却し、右の限度をこえて認容した部分は失当で、この部分に対する本件控訴は理由があるから民事訴訟法第三八六条によつて原判決を取消し、本訴請求中右の部分に該当する部分を棄却し、訴訟費用の負担について同法第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 土肥厚光圀)

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