東京高等裁判所 昭和31年(ネ)66号 判決 1956年9月29日
控訴人(原告) 右島利三郎 外一九名
被控訴人(被告) 岩崎鈑金工業株式会社
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人等の負担とする。
事実
控訴人等代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人等に対しそれぞれ別紙目録記載の金員を仮りに支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。(疎明省略)
理由
よつて按ずるに、仮処分の申請が理由ありとして認容せられるためには、仮処分によつて保全せらるべき権利(被保全権利)の存在することと仮処分をしなければならないという必要事由(仮処分の必要性)の存在することの二つの要件を具備しなければならないのであるから、仮に本件において控訴人等主張のような被保全権利があるとしても、控訴人等が現実的な満足を目的とする本件仮処分を得なければならないとする必要がなければ、本件仮処分申請は却下を免れない。よつて先ず本件仮処分の必要性の有無について判断を加える。
控訴人等を含む被控訴会社の従業員が岩崎鈑金労働組合を結成し、合資会社岩崎鈑金製作所との間に労働協約を結んでいたことは当事者間に争なく、成立に争ない甲第五号証、第四十三号証、乙第一、二号証、当審証人横塚三四、原審並びに当審証人福島七郎の各証言及び原審並びに当審における被控訴会社代表者岩崎亥之吉の尋問の結果を綜合すると、合資会社岩崎鈑金製作所は昭和二十二年八月一日鈑金類の加工販売並びに修理等を主たる目的として設立せられ僅か二、三十名の従業員を擁する小規模の会社であつたが、漸次従業員の数も増加し、その後労働攻勢の激化に際会して前記労働協約を結ぶに至つたところ、元来右労働協約は他の大会社のそれに範を取つて作られたもので、経済的基礎の強固でない右合資会社に取つてはなかなかの重荷で、そのままでは会社は経済的に破綻するとの計理士の勧告もあつて、昭和二十九年七月新に株式会社として被控訴会社を設立し前記合資会社の従業員をそのまま引継ぎ且その営業を承継し不振に陥つていた事業の挽回を図り、併せて前記労働協約を改訂しようとしたが、前記労働組合の組合員には会社側に同調するものと、会社と対立しこれと抗争しようとするものとあつて遂に組合は分裂するに至り会社側に対抗した組合幹部を含む控訴人等二十名の従業員は昭和三十年二、三月頃相次いで被控訴会社を任意退職し、前記労働協約に定むるところに従つて本件退職金の支払請求権ありとして会社にその支払を求めるに至つたところ、被控訴会社としては一時に大量の退職者を出すに至つたため控訴人等の要求する退職金を即時支払うことは会社の経営内容に照し困難であるためこれを拒絶したので控訴人等は本件仮処分申請に及んだものであることを一応認めることができるのであつて、右疏明を覆すべき資料は存しない。
右疏明事実に徴し考えてみると、組織を株式会社に改め再出発をしてなおいくばくも経過せずその営業状態の思わしくない被控訴会社にとつて、本案の判決確定前に本件仮処分を受けることは耐えられない苦痛で、その蒙るべき損害は極めて大であるといわなければならない。
一方控訴人等の側について考えてみると、控訴人等は従来勤労者として被控訴会社に雇われてきたものであるから、反対の疏明のない限り、他に特別の財産とてもなく、被控訴会社を退職して以後生活の楽でないことは容易に推測できないわけではないけれども、成立に争のない甲第二十一ないし第四十号証によれば、控訴人等は被控訴会社を退職後昭和三十年四月頃から昭和三十一年三月頃までの間に、それぞれ六ケ月分の失業保険法により保険金の分割支払を受けた事実が認められるので、ともかくもこれによつて控訴人等の生活上の困窮はそれだけ緩和されたであらうことを窺知するに難くない。また原審並びに当審における控訴本人右島利三郎の尋問の結果によれば、控訴人等の退職当時被控訴会社は控訴人等の要求する退職金額の半額に相当する金員を即時支払い、残額は被控訴会社が更生した後において支給する旨の申入をしたが、控訴人等においてこれを拒絶したことを認めることができる。なお成立に争ない甲第四十一、第四十二号証及び当審証人福島七郎の証言によれば、被控訴会社は控訴人等に対し退職当時退職慰労金として総額六万円を支払つたほか、昭和三十年五月から七月までの間三回に亘つて各控訴人宛に退職慰労金を支払うから受領せられたい旨通知したところ、控訴人島田常吉を除いたその余の控訴人等はこれを受取りに行かなかつたこと及び昭和三十一年一月頃本件について被控訴会社代理人福島七郎、横塚三四両名が控訴人等を代理する右島利三郎と示談折衝を行つた結果、右島は会社が即金で支払うならば控訴人等要求の退職金の二割を譲歩してよいと言明し会社側はこれを承諾することになつたが、控訴人等の側から右の話合は解消してほしいと申入れたため、右示談契約は遂に不成立に終つたことを認めることができる。右疏明された事実から判断すると、控訴人等は現在、その日常生活に困つているとはいえ、本案判決確定前に本件仮処分によつて退職金の現実の支払を受けなければ生活ができない程さし迫つた困窮状態にあるものとは認めがたく、他にこれを認めるに足る疏明資料は存在しない。
以上の事実関係に照して考えると、本件仮処分をしないことによつて蒙るべき控訴人等の損害よりも、本件仮処分を受けることによつて蒙る被控訴会社の損害の方が遙かに大であるといわなければならない。してみれば、本件においては、控訴人等主張のような仮処分を認容するに足るだけの必要性を欠くものと認めるのほかはない。
しからば、本件仮処分を必要とする理由については結局疏明がないことになり、また保証を立てさせて右疏明に代えることは本件において相当でないと認められるので、本件仮処分申請は、その余の争点について判断するまでもなく、理由のないこと明かである。従つて本件仮処分申請を却下した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浜田潔夫 仁井田秀穂 伊藤顕信)
(別紙省略)