東京高等裁判所 昭和31年(ネ)663号 判決 1958年6月17日
控訴人 青山みす 外一名
被控訴人 伊藤達郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴審での訴訟費用は控訴人らの連帯負担とする。
事実
控訴人等訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の陳述した主張の要旨は、左記の外は原判決事実摘示と同一であるから、こゝに引用する。
被控訴代理人は、別紙記載の不動産が昭和十年中に訴外伊藤久文に贈与されたとの控訴人らの主張は否認する。
控訴代理人らは次のとおり述べた。
別紙記載の不動産を被控訴人が贈与を受けたとの点は否認する。右不動産は、昭和十年中に訴外伊藤いはほの亡夫で、当時の所有者である訴外伊藤真三が罹病の際、養子である伊藤久文にこれを贈与し、爾後同人の所有となつていたものである。右不動産の登記簿上の所有名義が伊藤いはほを経て被控訴人になつているのは、伊藤久文が、その経営に係る北海水産株式会社が倒産し、多額の負債を負つて、差押を受ける虞れがあつたため、それを免れる便宜上なしたに過ぎないものである。
仮りに、伊藤久文夫妻の控訴人青山みすへの前示不動産譲渡が代物弁済としてなされたものであり、利益相反の親権者の行為として無効であつたとしても、表面上は単純な売買契約を結び、これに基いて所有権移転登記をなしているので善意の第三者である控訴銀行に対しては、その無効を対抗し得ない。即ち、控訴人青山みすが、本件不動産の所有権取得登記をなした時は、代物弁済契約を締結して、これに基づいて、所有権移転登記をなしたものでなく、表面上は単純な不動産売買契約を結び、その売買契約を原因として所有権移転登記手続を了したものである。未成年者所有の不動産でも第三者への単純売買ならば、たとえ親権者が自己の負担する債務を弁済するためのもので、未成年者を代理してなしたとしても、これは利益相反する行為には該当しない。被控訴人の両親権者は、真実は契約の目的と異るけれども、性質上、未成年者を有効に代理し得る単純な売買契約を表面上締結し、その売買契約を原因として、本件不動産の所有権移転登記をなしたものである。したがつて表面上の売買契約が虚偽のものであることを知らず、その契約とその旨の登記を信じて、正常の銀行取引によつて、根抵当権の設定を受け、その登記手続を了した控訴銀行は、また、その売買契約のことを調査しても、それが虚偽であることを知り得ない関係にあるのであるから、善意の第三者であり、被控訴人は民法第八百二十六条による無効を主張し、控訴銀行の抵当権の無効を主張し得ないものである。
更に、被控訴人は次の事情にあるので、本件譲渡契約を民法第八百二十六条に藉口して無効を主張するのは著しく信義に反し、正常取引の安全を阻害し、正義衡平の観念に反するもので、権利の濫用として許されないものである。
即ち、本件不動産は代々被控訴人家に相続承継されてきたもので、伊藤いはほの次には伊藤久文が相続すべきものであり、同人が約三十年の長い期間これに居住し、修理や課税を負担していたもので、同人の所有同然のものであるが同人の事業上の失敗に基く債権者の追求を怖れて、被控訴人の名義となしたものである。伊藤久文は右の所有権移転登記を経由して、その直後にその権利証を控訴人青山みすに後記のような 借金の支払に当てるため、別紙目録記載の不動産を自由に処分してもらう趣旨で差入れたものである。したがつて、被控訴人は本件不動産を処分されても苦情を述べ得る筋合ではない。しかも、本件不動産の処分は伊藤文久夫妻が昭和二十六年事業に失敗し、家族の扶養に窮し、その窮状打開のため、控訴人青山みす夫妻に援助を求め、金六十万円の資金借受のため、なされたものである。控訴人青山みす夫妻の被控訴人一家への窮状更生への応援取引である。それを、相当の日時を経過した昭和二十九年十月下旬に至つて本訴を提起し、控訴人の損害を顧りみないのは信義に反するものである。
被控訴人は本件不動産の処分に至るまでの経過は、これを知悉しているものであり、且つ一時の軽卒、短慮によるものでもなく、又窮状に付け入られたものではなく、前后一年に亘つて熟慮した上、承諾をなした上のものである。
当事者双方の証拠の提出、援用、認否は左記の外は原判決事実摘示と同一である。こゝに引用する。
被控訴代理人は当審証人伊藤久文(第一、二回)、同伊藤いはほの各証言を援用し、乙第二十九号証、第三十一号証の成立を認め、乙第三十号証の成立は不知と述べた。
控訴人等代理人は、乙第二十九ないし第三十一号証を提出し、当審証人青山真治(第一、二回)、同渡辺正松、同石岡一郎、同小菅達太の各証言並びに控訴人青山みす本人尋問の結果を援用した。
理由
被控訴人が昭和十年一月十五日生れであり、別紙目録記載の本件不動産について、昭和二十七年八月二日付で、被控訴人が昭和二十七年三月二十七日伊藤いはほから贈与によつて、所有権を取得した旨の登記が存すること、控訴人青山みすが右不動産について、被控訴人の当時の親権者伊藤久文、伊藤美和を法定代理人として被控訴人主張の所有権取得登記をなしたこと、及び控訴銀行が本件不動産について、被控訴人主張の根抵当権設定登記を了していることはいずれも、当事者間に争のないところである。
各その成立に争のない甲第一号証の一、二、同第二十一号証当審証人伊藤いはほ、同伊藤久文(第一回)の証言によれば、本件不動産は元、伊藤いはほの亡夫真三の所有であつたところ、同人が昭和十年五月十一日死亡し、伊藤真一郎が家督相続により同日、これを相続取得し、昭和二十七年二月二十九日伊藤真一郎の死亡により伊藤いはほがこれを相続取得し、更に同年三月二十日伊藤いはほよりの贈与によつて、被控訴人が本件不動産の所有権を取得したことが認められる。右認定を左右して、控訴人主張の本件不動産の所有者が伊藤久文であるとの事実を認めることのできるなんの証拠もない。
各その成立に争のない甲第二ないし第五号証の各一、二、同第六ないし第十号証、同第十三号証の一、二、同第十四号証の二、三、同第十六ないし第十八号証、同第十九号証の一、二、乙第十五、第十六号証、第三者の作成に係りその様式形態から真正な成立を認められる甲第十四号証の一、同第十五号証の一ないし三、原審証人伊藤美和、竹村孝太郎、武部久雄、高島岩治郎、松岡良広、原審並びに当審(第一、二回)証人伊藤久文、原審並びに当審(第一、二回)証人青山真治(但し後記信用できない部分を除く)、当審証人小菅達太の各証言、原審並びに当審での控訴人青山みす本人尋問の結果(後記信用できない部分を除く)を綜合すると次の事実を認めることができる。
被控訴人の父伊藤久文は、その経営する北海水産株式会社が倒産したので、再起を企てゝいたところ、昭和二十七年五月頃、控訴人青山みす夫妻との話合いによつて、青山夫妻が資金を提供し、伊藤久文が北海道で買付け送付する鯑等を青山夫妻において売捌き、利益は、買付水産物の価格の五分を伊藤久文が配分を受け、残部は控訴人夫妻へ配当とすることゝなつた。その資金は約六十万円であつたが、事業の失敗の場合その損失は控訴人青山夫妻が一手に蒙るので、伊藤久文はその損失補填の担保の趣旨で、同月頃、本件不動産の権利書を右両名に渡した。伊藤久文は約旨に従つて、北海道で鯑又は昆布を買付け、青山真治に送付していたが、同年七月末頃より更に塩鮭、塩ふぐ等の魚類をも購入することゝなり、伊藤久文は青山真治にこれらの買付けた水産物を直送又は地元魚市場等に青山真治又は藤山商会の名で送り、その売却代金は青山真治が領収をしていた。ところが右事業は伊藤久文の買付の手違いや、魚価の下落等のため、昭和二十八年一月頃までの間に、その損失が約九十万円に達した。
右諸認定に反する原審証人柳沢昇一、丸山秀一、原審並びに当審(第一、二回)証人青山真治、原審並びに当審(第一、二回)証人伊藤久文の各証言、原審並びに当審での控訴人青山みす本人尋問の結果は、上掲各証拠に照し合わせて信用できない。もつとも、乙第十九号証によれば、伊藤久文が青山真治から塩魚代金を受領していることが認められるけれども、これを証人伊藤久文の当審(第二回)での証言並びに成立に争のない乙第二十二号証に対比してみれば、右金員はそのまゝ訴外木村孔明に魚代金として、伊藤久文より支払われている事実を推認できるから、右乙号証の存在は直ちに上記認定の支障とはならないし外に上記認定の諸事実を動かして、控訴人等主張の貸借の事実を認め得る証拠はない。
前掲甲第一号証の一、二、成立に争のない甲第十一号証、同第十二号証、乙第六号証、公務員の作成部分及び伊藤美和の印影の成立に争がなく、伊藤久文の作成部分については原審並びに当審(第一、二回)証人青山真治の証言によりその成立の認められる乙第七号証、原審証人伊藤美和、同竹本袈裟吉、原審並びに当審(第一、二回)証人伊藤久文、原審並びに当審(第一、二回)証人青山真治、(後記信用しない部分を除く)当審証人小菅達太の各証言、原審及び当審での控訴人青山みす本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く)を綜合して、前記認定の諸事実とを合せ考えると次の諸事実を認めることができる。
伊藤久文は前示共同事業の損失補填の担保として本件不動産に関する権利書を控訴人青山みす夫妻に交付したが、昭和二十七年八月初頃、事業不振となつたため、青山真治は伊藤久文に対して、本件不動産を処分しなければ資金がない旨を連絡したので、伊藤久文は、妻美和に本件不動産処分に必要な、久文夫妻名義の白紙委任状、印鑑証明書等の書類を青山夫妻に交付させた。青山らは、その後本件不動産の処分をせず、事業を継続したが、昭和二十八年一月に至つて、遂に右事業を中止したがその損失は約九十万円に上つた。伊藤久文はその損失を補填するために青山方の雇人として勤務したが同年四月、青山真治の経営する食料品店青山商店の会計整理のため、訴外小菅達太が、その会計調査をなした際、控訴人青山みす夫妻と協議の上、同商店の伊藤久文に対する仮勘定の貸金となつていた前記損失金九十万円の回取のため、前示出資金を控訴人青山みすの伊藤久文への貸金とし、本件不動産をその代物弁済として控訴人青山みすが取得することゝし、被控訴人の親権者としての伊藤久文同美和の承諾を得て先に交付を受けた書類を利用し、表面上は昭和二十七年十一月三十日本件不動産を金六十六万六百円をもつて控訴人青山みすが買受けた旨の書面を作成して昭和二十八年四月八日その旨所有権取得登記を経由したことが認められる。
右認定に反する原審証人高島岩次郎、柳沢昇一、竹本袈裟吉、原審並びに当審(第一、二回)証人青山真治の各証言、原審並びに当審での控訴人青山みす本人尋問の結果は上掲各証拠に照し合わせて、信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
そうすれば本件不動産の譲渡は、伊藤久文の控訴人青山みすに対する債務の弁済に代えて、伊藤久文、同美和が被控訴人の親権者としてなしたものであつて、右の行為は親権者伊藤久文と、被控訴人との利益が相反する行為といわなければならない。
控訴人らは、伊藤久文等が本件不動産を処分したのは、鯑の取引資金を得るためであり、右の取引は被控訴人を含めた伊藤一家の生計を安定させるためであり、被控訴人との間に利益相反はないと主張するけれども、この点についての当裁判所の認定判断は原判決理由摘示(九枚目-記録第三六二丁-表十一行目下より三字目から同裏十一行目まで)のとおりであるから、こゝに引用する。
次に控訴人らは、本件不動産譲渡は、仮りに伊藤久文と被控訴人間においては利益が相反して、親権行使をなし得ないとしても、他の親権者たる母美和は被控訴人と利益が相反しないので、右譲渡は親権者美和の親権行使として有効であると主張するのでこの点について判断する。
民法第八百二十六条は単に「親権を行う父又は母とその子と利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。」と規定するのみで、一方の親権者のみが、その子と利益が相反する場合にも本条の適用があるかどうかについて疑問の存しないわけではない。しかし、本条が専ら子の保護を目的としている点と、後述のように、両親権者間の情愛と子の利益を代表するとの関係は微妙なもので、他の一人のみによつては必ずしも子の利益が十分に保護されないおそれがないと断定できない現状とを考慮して、条文の立言を考えれば本条は、親権者の一方がその子と利益相反し、他の親権者が利益相反関係にない場合にもその適用があり、利益相反の関係にある親権者は特別代理人の選任を求め、特別代理人と、利益相反の関係にない親権者と共同して、代理行為をなすべきものと解するを相当とする。
なるほど、同法第八百十八条第三項は、父母の一方が親権を行使し得ないときは、他の一方のみでこれを行い得る旨を規定しているが、この規定の予想する場合は通常当該親権者の親権行使に際しての判断に他の親権者の影響は考慮する必要がなく、子のために自由に判断し得るような場合である。それなのに利益の相反する場合においては、当該親権者の一方に重大な利害関係が存するのであるから、他の一方の親権者は利益相反する親権者とその生活を共同する関係にあるため、純粋に子の為にのみの判断をなし難く、他の親権者の利得行為に反対し難い事情にある。現に、本件の場合でも、上記認定のような経過でなされたので、特に親権者において被控訴人個人の利益を考慮した事情はなにも認められないし、このような特殊な実情にある場合をも、その危険性のない通常の場合と一律に、右八百十二条第三項の適用があると解することは、子の利益を保護しようとする第八百二十六条の立法趣旨を殆ど没却することになる。したがつて、本件の場合において特別代理人の選任を要さないとする控訴人らの主張は採用できない。
そうすると、右不動産の代物弁済について、伊藤久文が特別代理人の選任を求めなかつたことは、上段認定のとおりであるから、右代物弁済による譲渡は無効のものといわなければならない。
控訴銀行は本件不動産については既に登記官吏が控訴人青山みすの所有権取得を登記簿に登載したのであるから、その登記を信じた控訴銀行の根抵当権設定契約は有効であると主張するけれども、前記説示のとおり、右譲渡が無効である以上登記官吏の登記面記載によつて、実体的権利の発生するいわれはないから、控訴銀行の右主張は理由がない。
控訴銀行は、更に本件譲渡が実体上は伊藤久文の債務の弁済に代えたものであるとしても、被控訴人の親権者と控訴人青山みすとの間においては単純な不動産売買として表示せられ、控訴銀行は右表示行為を信じて、本件根抵当権の設定契約を結んだものであるから、被控訴人は善意の控訴銀行に対して右譲渡の無効を主張し得ないものであると抗争する。本件不動産の控訴人青山みすへの譲渡の形式が控訴銀行主張のとおりであることは上段認定のとおりであり、右売買契約は通謀虚偽表示であると認めることはできるが、右通謀虚偽表示をなしたものは被控訴人を代理する権限のないものが代理してなしたことも上段認定のとおりであるから、全く無効なものであつて、善意の第三者でもこれを有効と主張し得ないものであるから、この点に関する控訴銀行の右主張は理由がない。
控訴人らは、本件不動産は本来伊藤久文の所有すべきもので同人がその保存管理に当つていたものであり、被控訴人は伊藤久文のなした本件譲渡に苦情を述べる筋合ではなく、本件不動産の処分は控訴人青山みす夫妻が被控訴人一家の生計援助のためになした取引であり、相当日時経過後に本訴を提起するのは信義に反するものである、しかも被控訴人は本件不動産処分までの事情を知悉しているもので、一時の浅慮や窮迫に乗じてなされたものでないから、今更その行為の無効を主張するのは信義則に反し、権利の濫用であると主張する。しかしながら、本件不動産の譲渡について、被控訴人又はその親権者が、控訴人青山みす夫妻をいつわつたり、又は強迫して行わせたものと認め得る証拠はなく、右主張のみによつては、まだ被控訴人の本件請求が、信義に反し、又は権利の濫用であると認めることはできないから、控訴人らの右主張も理由がない。
そうすると、本件不動産はいづれも被控訴人の所有に属するものであるから、控訴人らに対してそれぞれ、上段認定の登記の抹消登記手続を求める被控訴人の請求は理由があり、これと同趣旨の原判決は相当で、控訴人らの本件控訴は失当である。
そこで民事訴訟法第三百八十四条第一項により、本件控訴を棄却し、控訴審での訴訟費用の負担については同法第九十五条、第八十九条、第九十三条第一項によつて主文のとおり判決する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 小河八十次)
目録
直江津市大字直江津字寄町六十七番乙
一、宅地 百四坪二合
直江津市大字直江津字寄町六十七番
家屋番号 寄区五十三番
一、木造瓦葺二階建居宅 一棟
建坪 四十七坪九合
外二階 十四坪八合
附属
木造瓦葺平家建納屋 一棟
建坪 六坪