東京高等裁判所 昭和31年(行ナ)2号 判決 1957年7月23日
原告 奥村文治
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨
原告は、「昭和二十九年抗告審判第六五四号事件について、特許庁が昭和三十年十二月十七日になした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。
第二、請求の原因
原告は請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は昭和二十五年六月十五日その発明にかゝる「高速度編物機械」について特許を出願したが(昭和二十五年特許願第七八四三号事件)、拒絶査定を受けたので、これに対し抗告審判を請求した(昭和二十六年抗告審判第五六三号事件)しかしながら原告は、同事件の係属中である昭和二十八年十二月五日特許法第九条第一項によりこれを分割し、「家庭用編機に於ける糸供給装置」について特許を出願したところ(昭和二十八年特許願第二二三五八号事件)、更に拒絶査定を受けたので、昭和二十九年四月八日抗告審判を請求したが(昭和二十九年抗告審判第六五四号事件)、特許庁は昭和三十年十二月十七日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、審決書謄本は昭和三十一年一月八日原告に送達された。
二、原告の右明細書に記載した特許請求の範囲は、「糸導口(ヤーンフヰーダー)に切目を作り、糸の取替を容易にし、ヤーンガイドを設け、糸供給時ヤーンフヰーダー(糸導口)の位置はくの字形の頂点に在らしめる如くなし、且テークアツパー(天バネ)を設け、糸の張力を適当に調整せしめて完全に糸の外れを防止するとともに、高速運転に適したる如くになせるを特徴とする糸供給装置」である。
しかるに審決は、昭和十三年実用新案出願公告第八八六一号公報(以下第一引用例という。)及び特許第八〇六三五号明細書(以下第二引用例という。)を引用して、本件発明と比較し、テークアツパーの存在は第二引用例、糸導口は第一引用例にあるといゝ、他は当業者が容易に考えられるところであるとして、昭和八年実用新案出願公告第一八四八七号公報(以下第三引用例という。)を引き、「本件発明は、従来のメリヤス機械で公知の各部分を、家庭用編物機に採用したものに相当するが、その作用及び効果においても、従来公知のものに比し、格別顕著な差異が認められず、結局このような公知事実を取捨選択して利用することは、当業者の必要に応じ容易になし得る程度のことであつて、特許法にいう発明を構成するものとは認められない。また。テークアツパーと先端を彎曲させたプレツサーとを設けたことによつて両者が相関連して、メリヤス編機としてはじめて連続運転を可能にしたというような特に格別の効果があるものとは認められない。」とし、結局本件発明は特許法第一条の特許要件を具備していないものとするとしている。
三、しかしながら審決は、原告の発明の内容を把握し得ず、引用実用新案出願公告及び特許明細書記載のものは、実施不可能な空想的発明、考案にかゝるもので、原告の発明とは、その目的、構造、作用、効果等すべての点において相違し、両者は何等の関係もないのに、これについて不当な解釈を下し、原告の出願を拒絶すべきものとなしたのは違法であつて、審決は取り消されるべきものである。
これを詳説するに、
(一) そもそも同一発明考案に係る登録は、一あつて二なきものであるから、一つの出願に対し五例を以て拒絶することは不自然不合理のことである。時計にはゼンマイ、歯車、ハズミ車、文字板、指針があつてこそ一つの発明として時計が生れるが、これを分解して個々のものをバラバラにすれば皆公知のもので、各部分は何等新規のものでないのであつて、審決のいうように発明を構成する部分部分を捉えて公知だといえば、発明はあり得ないことになる。発明は公知公用の既に知り得た自然物を組み合せ、一定の目的を以て新規の技術を創造することにある。
本件発明は、原願中に詳記し、かつ分割願に記載したように、(イ)テークアツパー、(ロ)ヤーンガイド、(ハ)糸導口の構造、(ニ)プレツサーの先端部を彎曲せしめる等一連の組合せによつて、編物機(手編機)の連続的高速運転を可能ならしめた点にあり、上記(イ)(ロ)(ハ)の各部分は、形状において差異があるとしても、各個別々の形式において公知事実として存在したことは認めるが、(ニ)の部分は従来の編物機にその例を見ず、原告の苦心したところであり、(イ)(ロ)(ハ)(ニ)と総合された形式の前例は絶対に無かつた。従つて本件発明は、特許法第一条の工業的発明の観念に合致し、一点の疑念をも容れないものである。
(二) 更に前記各引用例についてみるに、第二引用例は、本件発明とその目的構造、効果とも何等関係なく、只単にテークアツパーが存在するに過ぎず、テークアツパーは公知公用のものであつて、かゝる公知公用物(自然物)の存在で新規な創造すなわち発明を拒絶できるならば、第二引用例そのものも発明としての登録はなさるべきではないはずである。しかもその内容を検討すれば、これは横式メリヤス機の自働停止装置で、空想的発明であり、実施不可能のものである。
また第三引用例は、横式メリヤス機における糸導装置であり、専門的にいえば、インターロツクフラツトマシンにおいて、両面特殊編生地を得る目的を持つ考案であり、通常この両面横機は糸導を複数(二個)とするものであるが、この考案においては、一個を追加して三個とし、一個を独立させて取り付けた点にその新規性があるわけであつて、本件発明の目的、構造、効果と何等関係がないのみならず、該実用新案のヤーンガイドそのものは、同考案要旨と何等関係のないものである。要するに公知公用のものを何気なく図示しているのに過ぎず、ただ単にヤーンガイドと糸導との関連においても、引例と本件発明とは相違するものである。
第一引用例においては、本件発明は、(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の組合せによつて、所期の目的を達成した発明であるという原告の主張に対して、前述の二例と同様誤つた引用例であつて、この実用新案において、糸導口に切目を付してある(ハ)の存在を例証しているに過ぎない。もちろんこの実用新案は、糸導口にかゝる目的を持つ考案ではなく、手編機そのものの型式にかゝる考案で、実用不能、現在も過去においても実施されたことはない。
これを要するに審決が引用した特許、実用新案は、第三引用例を除いては総て空想的、実施不可能のもので、第三引用例のものといえども一般的に利用されるべき考案ではなく、極めて限られた範囲の者だけが用いるものであり、その考案の着想は別として、あまり感心した構造ではなく、このように複雑性を要せず、簡単に実施され得るものであるから、実用上の価値は存しない考案である。かゝる特許明細書及び実用新案出願公告を引用して、原告の出願を拒絶すべきものとした審決は違法である。
第三、被告の答弁
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように答えた。
一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は、これを認める。
二、同三の主張は、これを否認する。
原告の本件出願発明を構成する要素、すなわち導糸口に切目を作つた導糸杆、糸導杆の上方にテークアツパーを設けることは、それぞれ審決記載の引用例に記載されておつて新規性はなく、またこれらを組み合せた作用、効果についても、明細書には(1)糸供給時にくの字型頂点に切目のある糸導口(ヤーンフヰーダー)があるようにして糸の取替を容易にし、(2)テークアツパーを設けることによつて糸の張力を調整し、糸外れを防止することが記載されているが、この(1)は切目のある糸導口を糸供給時にくの字型頂点にあるようにしただけの効果であり、(2)はテークアツパーを設けただけの効果であり、(1)と(2)とが互に関連して生ずる効果があるとは認められない。また本件発明における導糸杆にヤーンガイドを設けた点は、前記第一、二引用例には記載がないが、このような導糸杆は、メリヤス機械の糸導装置として、本願出願前周知であることを例示したのであつて、これが前記両引用例と関連した結合関係にないことは、前記と同様である。すなわち本件出願の発明は、前記(1)と(2)とを一つの機械に単に寄せ集めてできただけのものであつて、このようなことは当業者すなわちメリヤス技術者が必要に応じ容易に推考実施し得る程度のものであつて、到底特許法上にいう工業的発明を構成するものとは認められない。
第四、(証拠省略)
理由
一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は当事者間に争がない。
二、右当事者間に争のない事実と、その成立に争のない甲第一号証(分割特許願其五の明細書)とを総合すると、原告の本件出願発明の要旨は、糸導口(ヤーンフヰーダー)に切り目を作つて糸の取替を容易にし、これを糸の供給時に糸のくの字形の頂点に在らしめ、その途中にヤーンガイドを設け、かつテークアツパー(天バネ)を設けて、糸の張力を適当に調整し、糸の外れを防止した高速度運転用の家庭用編物機であることが認められる。
原告は、前記テークアツパー、ヤーンガイド及び糸導口の構造の外に、プレツサーの先端部を彎曲せしめ、これら一連の組合せによつて、編物機の連続的高速運転を可能ならしめた点が、本件発明の要旨であると主張し、本件明細書(甲第一号証)に、「発明の性質、目的の要領」の項に「(前略)尚此特徴を決定的ならしむる為プレツサーの先端部を彎曲せしめ(後略)」と、また「発明の詳細なる説明」の項に、「(前略)プレツサー13先端部は彎曲せしめ、編地両耳部ループの弛みを防止すると同時に、其弛みに依る目外れを防止して完全なる編目と機械の速度を向上せしめる。即ち13の如く彎曲せざるプレツサーを用うる時は、糸26が点線に示せる如き位置にあり、プレツサーの先端部と交叉し、糸を押込む現象が生起し、ループの弛みを生ぜしめ、両耳部の編目は大きく緩むために、ウエートの効力に斑を生じ、目外れの原因を為し、機械の円滑なる運動を妨げる。従つてテークアツパーの効果も十分其機能を発揮せず、俗悪なる機械の如く一操作毎に糸の張力を手にて加減して運動せねばならない。(下略)」と記載され、また図一には先端を彎曲したプレツサーが図示してあることが認められるが、右明細書における「特許請求の範囲」の記載並びに右明細書及び図面の全体の記載、殊に原告が本件発明の名称を「家庭用編機における糸供給装置」と記載した点を総合観察して、これらプレツサーに関する部分は、本件出願発明の要旨の一部をなすものとは認められない。
次にその成立に争いのない乙第一号証(昭和十三年実用新案出願公告第八八六一号公報)、乙第二号証(特許第八〇六三五号明細書)及び乙第三号証(昭和八年実用新案出願公告第一八四八七号公報)によれば、次の事実が認められる。
(一) すなわち、審決に引用された第一引用例には、基台上に多数の編針を横方向に並列し、これを摺動板にそれぞれ掛合せて、編針の先端の位置に掛針の杆部を位置せしめるように、掛針の多数を一端面に固植した操作片を着脱自由に配して構成された手編機において、摺動板に操糸杆を締着したものを記載し、かつその第一図には、糸導口の先端に切れ目を作つたものを設けたものであること及びその第三図によつては、この糸導口が糸の供給時には、糸のくの字形の頂点にあるようにしてあること。
(二) 審決に引用された第二引用例には、メリヤス横編機において、その糸供装置に弾線からなるテークアツパー(天バネ)を設けて、その先端糸路を通じて糸を導き、糸供給中は、このテークアツパー弾線先端の糸路を通じて糸を供給し、この糸の切断したとき自動的に編機の作動を停止させることを目的とするものであるが、図示のものは、この断糸のない折は、テークアツパー弾線の作用によつて糸の張力を適宜調整して糸の外れを防止していることを示していること。
(三) 更に審決が周知例として引用した第三引用例には、その図面中に横式メリヤス編成機の導糸杆の上部に金属線製のヤーンガイドが螺子で取り付けられたこと。
よつて以上認定にかゝる本件出願発明の要旨と、引用例によつて認められるところとを比較すると、前者において「糸導口(ヤーンフヰーダー)に切目を作つて糸の取替を容易にし、これを糸の供給時に糸のくの字形の頂点に在らしめる点」は、前記第一引用例に記載され、また前者における「テークアツパー(天バネ)を設けて、糸の張力を適当に調整する点」は、前記第二引用例に記載され、いずれも本件出願前公知であり、更に前者における「途中にヤーンガイドを設け、糸の外れを防止した点」は、前記第三引用例によつて、本件出願前編物機において一般に慣用されたものであることが認められる。してみれば、本件出願発明の要旨を構成する前記各部分は、いずれも新規性を有しないものといわなければならない。そして本件出願発明は、これら各部分を一個の編物機に適用して、高速度編物機を構成するものであるが、これら各部は、それぞれその部分としての効果をそのままに発揮するに止まり、これらを一つに総合したために、互に関連して特殊の効果を奏するものとは解されない。すなわち本件出願発明は、それぞれ新規性を有しない各部分の単なる寄せ集めに過ぎないもので、特許法第一条にいわゆる発明を構成しないものといわざるを得ない。
三、原告は、なお審決が本件出願発明を拒絶するために、多数の登録例を引用したのは不当であるばかりでなく、右引用例は、空想的実施不可能のものであるか、実用上の価値のない考案であるとして審決を非難しているが、本件出願発明のように、多数の事項の組合せに係るものである場合には、先ず各事項について新規性の有無を判断するために、各事項に応じ多数の刊行物を引用するのは、あえて異とするに足りず、また審決は引用例に記載された手編機、自動停止装置及び糸導装置の全体を引いて、原告の発明と比較したものではなく、これら刊行物のうち前に認定比較したと同一の部分に、原告の本件出願発明の要旨を構成する各部分が、容易に実施することを得べき程度において記載せられ、または慣行されているとなしたものであることは、当事者間に争いのない審決の記載内容に徴し明白であり、この限りにおいては、引用刊行物に記載されたところが実施不能で、いたずらに空想的なものとは認められず、またこれが実用上の価値の有無は、前記新規性の有無についての判断を左右するものではない。
四、以上の理由により、審決には原告主張のような違法な点は認められないから、これが取消を求める原告の本訴請求は、理由がなく棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。
(裁判官 内田護文 原増司 伊藤顕信)