東京高等裁判所 昭和32年(う)1689号 判決
被告人 石戸三郎
〔抄 録〕
検察官論旨第一について。
原判決理由の第四事実には、被告人が飯島つるに裏切られたものとし飯島方に放火し、同家を焼殺し恨をはらそうと決意し、原判示日時場所に於て裏山から持ち運んだ枯萱をこたつに押し込み、マッチで点火して放火したが、間もなく附近の恩田義一らに発見され消火につとめたので、六畳間のこたつやぐら、布団、たたみなどを焼失せしめ、更になげし及び壁板の一部を燻焼したが住宅焼毀の目的を遂げなかつたものとして刑法第百八条の未遂罪として処断している。ところで所論はそれが事実の誤認であつて、なげし上部の壁代用のベニヤ板及びなげしの木部は明らかに炭化していて単なる燻焼の域を越えているから放火罪の既遂として処断すべきことを主張するのである。なるほど本件で検察官から証拠物として提出されたベニヤ板(昭和三二年押第七二五号の八)の右下部に於て巾六寸位が黒く焦げ、その中僅少ながら炭化した部分の存することは認め得ないわけではない。しかし司法警察員作成の実況見分調書、当審並びに原審検証調書その他原判決第四事実挙示の各証拠を綜合すると、被告人が原判示の如くマッチをもつて枯萱に点火し萱がパッと燃え上るや、火は同所附近に垂れ下つたカーテンに移り、更に六畳間西北隅ベビーダンスの上方にかけてあつたカレンダーに燃えうつつたところ、カレンダー台紙が全部燃え切らず、ただ薄い紙が短時間燃えたぐらいの火力では、なげしなど材木に燃えうつるだけの勢がなく、その中に焔は自然に消えてしまい、(前記実況見分調書添付の写真一一によると、カレンダーの下半分は完全に炭化していても、上半分にはなお燃え残つた部分が存する点を特に参照のこと)その後なお暫くカレンダー台紙の余じんが残つていたため、カレンダーに接着していた壁代用ベニヤ板下部が黒焦げとなり、その一部に炭化の現象を生ぜしめたものと認められる。従つてベニヤ板に一部炭化した部分が認められたからといつて、右ベニヤ板が媒介物を離れ独立して燃焼し得る状況に達した事実を立証するとはいえないし、それと同一の理由により、所論のようにベニヤ板が独立して燃焼し初めたのを火災発見者たる恩田義一らの消火活動によつて鎮火したと認むべきでもない。いうまでもなく、刑法第百八条の既遂たるには、畳、建具類が焼失したのみでは足らず、建造物の一部又は構造上これと一体を為す物件が焼毀されることを必要とするし、焼毀とは媒介物を離れて独立して燃焼する状況に達したことをいうのである。本件に於ては原判示の如くこたつ櫓布団或いは畳などの建具類が焼失した外はなげし、壁代用のベニヤ板の一部をこがした程度であり、その少部が僅かに炭化したというだけで到底それが独立して燃焼したとは認め得ないこと上記説明のとおりである。それ故住家たる建造物放火の既遂罪が成立すると主張する論旨は採用できない。
(加納 山岸 鈴木重)