大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)2002号 判決

被告人 伊橋康堂

〔抄 録〕

右過剰防衛の点に付所論は、本件は(一)被害者斎藤は被告人を難詰した上殴つて来たのだから被告人に対し急迫不正の侵害をした(二)被告人はこれに対し一つ脅してやれと小刀を出し殴るとこれで刺すぞと云つて刃を下にし小刀を出したのだから自己の身体を守るための防衛意思があつた(三)被告人は喧嘩したことがなく被告人の方から何等手出し等しなかつたのだから単なる喧嘩闘争ではない(四)被告人は歩行不完全で腕力にも自信がなく防衛行為をした場所もデッキという狭い危険な場所であるから被告人に取つては偶々持つていた小刀を以て被害者斎藤を刺す以外防ぎようがなかつたので被告人に右行為以外を期待するのは無理である(五)被告人は被害者斎藤の逃げるのを追いかけ刺したのではない鑑定書説明(一)(ヌ)創も小刀の刃を下にした持ち方の創痕で同上(ル)創も小刀を横型にした持ち方をした創痕であり其の他の痕も被害者斎藤の強力な暴力を防ぐため被害者斎藤と入れ乱れて小刀を斎藤より取られ又取戻してもんだ間に出来たものであると主張する。

仍て案ずるに原判決がその挙示した証拠により認定した事実は要するに被告人は昭和三十二年四月二日帰宅のため国鉄総武本線八日市場廻り銚子行第三二三条列車に乗車し同列車が同日午後七時二十分頃佐倉駅に停車した際後部より三輛目前部乗降口において越川由太郎と立話をしていたところ同列車が同日午後七時二十八分頃右佐倉駅を発車した直後被告人を以前殴つたことのある斎藤仁一(当時二十年)が酒気を帯びて被告人の傍に飛び乗つて来て列車進行中被告人に対しお前は何処だと問うたので横芝だと答へたところお前は横芝ではない八街だ嘘をつけと難詰した上手拳で顏面を一回殴つて来たので偶々所持していた大工用くり小刀(刃渡り三寸)を右手に握りこれ以上殴つたら刺すぞと身構えるや右斎藤がなおも殴りかかろうとしたのでこれに憤慨し右小刀を以て同人の左大腿部を突刺し更に怯んで逃げようとする同人の右臀部等を突刺し因つて同人の左大腿部、右臀部等に刺傷を加へ股動脈損傷による出血のため同日午後八時頃八街駅構内において同人を死亡するに至らしめたものであると謂ふにある。

原判決が挙示の証拠により認定した事実は右のとおり被告人は被害者斎藤より難詰された上顏面を一回殴ぐられたので大工用くり小刀を右手に握りこれ以上殴つたら刺すぞと身構えるや右斎藤はなをも殴りかかろうとしたので之に憤慨し右小刀を以て突刺したというのであるから右斎藤の殴つたこと殴りかからんとしたことは被告人の身体に対する急迫不正の侵害であると認められる、よつて被告人が右侵害を排除するためその防衛として巳むを得ず本件行為を為したものであるかどうかに付審究するに、原判決挙示の越川由太郎の検察官に対する供述調書、深堀安弘の検察官に対する供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、被告人の検察官に対する供述調書、被告人の原審公判廷に於ける供述等によれば本件犯行場所たるオハ六一一〇七号列車の乗降口(デッキ)は長約二・八〇米巾〇・八四米より中心部に向け狭くなり〇・七五米で客室入口、列車間の通路以外は孰れも壁状の板で囲まれ両側のデッキ入口の扉は閉まり居り被害者斎藤仁一は右デッキの客室側に被告人は之と向い合いて孰れも佇立しており外二、三名が附近にいたこと、被害者斎藤仁一が相当酒を飲み酒気を帯びて被告人を難詰した上手拳で顏面を一回殴つて来たので所持していた大工用くり小刀を握りこれ以上殴つたら刺すぞと身構えたこと、然るになおも殴りかかろうとしたので憤慨して右小刀を以て斎藤仁一の左大腿部を突刺し更に逃げようとする同人の右臀部を突刺したこと、被告人が斎藤仁一を突刺した際附近にいた越川由太郎が止めに入り斎藤仁一の手を押へ抱込んだこと、右越川由太郎が被告人にどうして刺したかと聞いたところ被告人は前にやられたので口惜しいからやつた短刀でやつたと言つたこと等が認められる。

以上の事実によれば被告人の本件行為は現に行われている侵害に対して丈けでなく前にも殴られたことがあるのでこれにも基因して憤慨の余敢て小刀を以て突刺したものと認めるのが相当である。即ちそれは被害者斎藤に対する攻撃であつて所論の如き自己の法益を防衛する意図に出たものではないと認むべきであり、尚所論被害者斎藤に対する鑑定書説明(一)(ヌ)創左大腿部創傷同上(ル)創右臀部創傷其の他の創傷も前掲挙示の証拠と原判決挙示の鑑定書を綜合すれば主たる創傷である前掲(ヌ)創は被告人が被害者斎藤と向い合つた際突刺した傷で前掲(ル)創は被告人が右斎藤が怯んで逃げようとした際突刺した傷であることは其の位置よりするも明らかである。

之を要するに被告人の本件行為は刑法第三十六条第一項に所謂防衛行為とは認められないので其の防衛行為が必要且つ相当の程度を超えたとする同条第二項の防衛行為に当らないから此点に関する所論の主張は採用の限りでない。

(中西 山田 鈴木良)

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