大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和32年(う)2189号 判決

被告人 秋沢太壱

〔抄 録〕

原判決は、被告人が昭和三十一年七月一日午後三時頃、秋沢忠陽、神永安治、金子常忠、神永英司と共謀の上、栃木県鹿沼市藤江町八百二十五番の二の水田に植え付けてあつた藤江久芳所有の水稲苗約七十株を引き抜き損壊したことを認めたが、右藤江久芳の水稲植付行為は被告人の水利権を侵害するものであるから、被告人の前記所為は水利権に対する現在の危難を避けるため、やむことをえざるに出でた行為であり、違法性を阻却するものであるとして、無罪の言渡をしたことは所論のとおりである。

所論は、被告人の所為は緊急避難は勿論、正当防衛にも該当しない、と主張するから考えてみると、土地登記簿謄本(記録二七八丁以下)、鹿沼市南部地区農業委員会書記小島虎吉作成にかかる耕地調査表写(同一六七丁)の各記載、原審における証人秋沢昇作、同藤江健一郎、同中荒井進、同大橋憲市、原審ならびに当審における証人橋本直一郎、同藤江久芳、同鈴木ナヲ、同藤江一郎の各証言と、原審における被告人本人の供述の一部及び原審ならびに当審における検証の結果を総合すると、

(一) 栃木県鹿沼市藤江町七百八十八番の土地一反五畝及び同町七百九十一番の一の土地一反八畝は、以前藤江安吉(前記被害者藤江久芳の祖父)が所有し、自ら耕作していたが、同人は大正四年四月六日、これを橋本直一郎に売り渡した上、これを同人から借り受けて引き続き耕作していたところ、大正十三年に被告人の先代秋沢金四郎がその小作権を譲り受け、その後被告人がこれを相続したが、終戦後のいわゆる農地解放に伴い、被告人は昭和二十一年八月十日前記橋本直一郎から右二筆の土地を買い受け、その所有権を取得して同年十二月二日その旨の登記をしたこと、右二筆の土地は公簿上は明治以来畑になつていたが、前記藤江安吉は、当時その附近に多くの田畑を所有し、比較的水利にも恵まれていたので、自己の所有地であつた同所八百二十五番の二(本件係争地)、八百二十四番の二、八百二十四番の四の土地西側に、道路に沿つて溝をつくり、旧村道の下には土管を埋め、また用水堀の上には樋を渡すような設備をした上、水量の豊富な年にはこれに水を通して、旧村道の北方から引水し、前記二筆の土地を水田として耕作したことがあり、また大正十三年頃、被告人の先代秋沢金四郎がその小作権を取得した以後においても、豊水の年にはこれを水田として耕作したこともあつたようであるが、少なくとも昭和十四、五年以降は、つねに畑として利用されており、一度も水田として耕作された事実のなかつたこと。

(二) 被告人は昭和三十一年に至り、前記の土地を水田にしようと思い立ち、同年三月頃、被告人所有の畑地内に井戸を掘り、発動機による揚水設備をすると共に、かつて藤江安吉や被告人の先代秋沢金四郎が利用していた水路により旧村道の北方から引水しようと図つたこと、しかして本件土地である同所八百二十五番の二の水田は藤江久芳の所有であるところ、同人は昭和二十五年に、その祖父藤江安吉の作つた前記水路である溝を潰して稲を植え、以来毎年引き続き耕作を続けていたこと、被告人は昭和三十一年四月に至り、はじめて被告人自身もしくは秋沢昇作を介して数回にわたり、右藤江久芳に対し、旧水路にあたる地点に溝を掘り、水路をつくることの諒解を求めたのであるが、同人はこれを承諾せず、同年も例年のとおり、同所に稲苗の植え付をしたところ、被告人は前記のように昭和三十一年七月一日他四名の者と共にこれを引き抜き損壊したこと

が認められる。

しかしながら、被告人の先代もしくは被告人が本件係争の土地を水路に利用していた権原のいかなるものであるのか記録上確認し難いのみならず、叙上のように、被告人は、少なくとも十数年間以上も引き続いて右水路を利用せずに放置していたのであるから、本件事実の発生した当時、被告人において、果してその主張するような水利権を有していたかどうかは必ずしも明らかであるとはいい難く、結局は民事訴訟の裁判の確定をまつほかはないのであるが、仮に被告人にその主張にかかる水利権があると仮定しても、直ちに以て被告人の本件所為の違法性が阻却せられると即断することは許されない。けだし、濫りに自力救済を許容するときは社会の秩序は破壊され、国民生活の安全を脅かす結果を招来するにいたるから、仮令不法な侵害を受けた場合でも、それを排除するには国家機関の保護救済を求めるべきものであつて、自力による救済が許されるのは、法がとくに許容した場合、もしくはこれに準ずる場合にのみ限られるものと解するのを相当とする。(最高裁昭和二十七年三月四日判決・刑集六巻三号三四五頁参照)

よつて、被告人の本件所為が、果して法の自力救済を許容した場合に該当するかどうかについて考えてみると、前認定のように、藤江久芳は昭和二十五年以来引き続き本件の土地(即ち以前水路であつたところ)を耕作していたこと、ならびに被告人は毎日のようにこれを現認しながら、その間なんらの手段も講じないで、昭和三十一年四月に及んだことが認められるから、被告人には国家機関の保護を求めるについて十分な時間的余裕が存したものといわなければならない。従つて、被告人としては、その間に国家機関の適切妥当な保護を求めるべきであつたにかかわらず、これをなさずして漫然長年月を徒過したばかりでなく、数回の交渉によつて、自分の意のようにならなかつたからとて、擅に他人の植え付けた稲苗を引き抜き損壊する如き被告人の本件所為は正当防衛もしくは緊急避難たるの要件を具備していないものと認めざるをえないのである。而して記録を精査検討し、かつ当裁判所で行つた証拠調の結果に徴しても、被告人に期待可能性の欠缺、その他被告人に本件のような自救行為を認めなければならないような特段の事情の存したことはこれを発見することができないから、結局被告人の所為は違法性を具有するものといわざるをえないのである。果して然らば、右と趣旨を異にし、被告人の本件所為を以て、違法性を阻却するものとなし、無罪の言渡をした原判決は事実を誤認し、延いて法令の解釈適用を誤つた違法があるから、破棄を免れない。

(三宅 河原 下関)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!