東京高等裁判所 昭和32年(う)559号 判決
被告人 山崎れい子
〔抄 録〕
よつて考察をするのに、犯行の動機の一部ないしは量刑の資料となるべき情状たる事実の一班を特段の補強証拠の伴わない被告人の自供だけで認定することは、補強証拠ないしは被告人の自供以外の信用力ある客観的証拠によつて認められる当該犯行自体の態様やその他爾余諸般の事情とも比照総合して事理経験の法則上首肯し得るものがあるかぎり決して許されないことではない。なるほど、原判決が、本件犯行の動機、縁由等諸般の事情を認定するについて所論にいうような点において、大部分被告人の自供だけによつたもののあることは、これを否み得ないにしても、それかと言つて、これが認定は、事の真相としてなお尽さないもののある憾みなしとはしないが、右に述べた観点からいつて、記録上決して首肯し得られないところではないし、また、敢てこれが認定を覆がえさなければならないほどの特段のよすがもない。しかしながら、それにしても、本件犯行の原判示動機、縁由や被告人が年少であること等の原判示事情を考慮に容れるにしても、原判示に見る犯行の手段、方法ないしはその結果において、犯情まことに重いもののあることに照らし、これらの事情をもつて敢て情状憫諒すべきものとして酌量減軽すべき事由とはなし難く、况んや、記録ないし証拠及び当審事実取調の結果を具さに総合検討して考察するときは、夫亡き後、被告人ほか幼い三人の子供を擁し、貧困のうちに、理髪の出張稼業により漸く一家の生計を立て、ひたすら子供達の幸福な成育に日夜余念のなかつたことの充分に窺がい得られる母の心情に思いを致すときは、できるだけ母の意に副いこれと協力して一家生計の途を立てる等お互いに苦しい肉身同志の親身の理解をもつて母の労苦に応うべく、而も、決してそのことの特段に困難なことでなかつた筈の被告人が、母においても、その交情や軈ての結婚生活に決して反対ではなく、勿論、幼い三人の子供を擁する貧困な右のような家庭の事情上母の反対する場合もあつてその気儘な交情は許されないものがあつたにしても、寧ろ母の可能なかぎりの理解の下にあつたにかかわらず、母や弟達という被告人に纒わる煩累のため、下田正雄との完全な夫婦同棲の肉慾的交情の意の儘にならないこと(下田は、被告人との結婚を必ずしも心から期待せず、被告人に幼い弟達の多いことが婚姻生活の妨げである旨常に洩らしていたことが窺われる。)に不満を覚えていた利己的心情にもまた決して本件犯行の深い根本的な原由のあることを否定し得ない本件においては、寧ろ、その幸福な永遠の生存をすら願まほしき母の生命のみならず、ついに断ち難い見えざる愛の絆に結ばるべき而も何等特段に責むべき罪科もない幼い弟三人の命をすら、陰惨極まる青酸加里毒殺の手段をもつて葬るに至つた罪責の重大さは、人倫正義の理念に照らし、到底これを敢て特段に軽く看過し得るの筋合ではない。刑法は、普通殺人の罪にすら死刑を定めて人命の最大な尊重を受くべきことを明らかにしており、原審が、死刑又は無期懲役の法定刑中後者の刑を選択しながら、更にまた、酌量減軽の措置に出でたことは、明らかに量刑軽きにすぎるの譏を免かれず、原判決はこの点において到底その破棄を免かれない。論旨は究極において理由がある。
(三宅 河原 遠藤)