東京高等裁判所 昭和32年(う)929号 判決 1957年9月30日
控訴人 原審弁護人 稲本錠之助
被告人 金容檜
弁護人 上田誠吉 外一名
検察官 小西太郎
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人上田誠吉、同中田直人共同作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを、ここに引用する。
第二点の(2) 原審が本件を簡易公判手続によつて審理したのものであることは、記録に徴し明らかである。しかしながら刑事訴訟法に規定するいわゆる簡易公判手続は、同法第二百九十一条の二及び刑事訴訟規則第百九十七条の二に明定されているとおり、死刑又は無期若しくは短期一年以上の懲役又は禁錮にあたる事件以外の事件についての公判審理において、被告人が公訴事実を認め、起訴状に記載された訴因について有罪である旨を陳述したときに認められる訴訟手続であつて、この場合裁判長はこの手続の趣旨を説明し、かつ被告人の陳述がその自由な意思に基くかどうか確めた後更に訴訟関係人の意見をもきいた上この手続によることが相当であると認めた場合にのみなし得るのであり、又一旦この手続によつて審判する旨の決定をして、その審理の過程において、或は被告人が公訴事実と異る陳述をなし或は無罪を主張した場合その他裁判所がこの手続によることが相当でないものであると認めたときは、その決定を取り消し(刑事訴訟法第二百九十一条の三)、爾後は通常の公判審理手続によつて審判しなければならないのである。即ち簡易公判手続は、比較的軽微な罪の事件についてのみ、その訴訟の合理的運営を図るため特に許された簡易な方法による公判審理手続であつて、法はこの手続によるも被告人の権利保護のためには何等欠けるところのないまでの考慮を尽しているものというべきである。しかして被告人は、公判廷における自白のみで、又は起訴された犯罪について有罪であることを自認したのみで有罪となされることはない(憲法第三十八条第三項、刑事訴訟法第三百十九条第二項、第三項)のであるから、仮りに簡易公判手続によつて審判するとしても、被告人の自白を補強すべき証拠を公判廷に顕出しなければならないことは言を俟たないところであるが、いわゆる簡易な訴訟手続である関係上法はたたその証拠の取調方法について(刑事訴訟法第三百七条の二、刑事訴訟規則第二百三条の二)、又伝聞禁止の原則(刑事訴訟法第三百二十条第二項)に対し、それぞれその特例を認めたのである。蓋し簡易公判手続においても、訴訟関係人は証拠調の対象特に証拠書類については互にその内容を知悉することができるのであり(刑事訴訟法第二百九十九条第一項、刑事訴訟規則第百七十八条の三第一項、第二項)、又証拠調を終えた証拠書類等はこれを裁判所に提出しなければならない(刑事訴訟法第三百十条)のであるから、証拠を公判廷(簡易公判手続においても公判廷における事件の対審は原則として一般傍聴人の面前で行われることは言うまでもない。)に顕出しさえすれば、その取調方法について法の規定する厳格な方式によらないとしても、これを以て直ちに、被告人の権利保護に欠けるものがあるとか或は公判廷における対審を公開しないものであるということはできないし、又伝聞禁止の原則の例外を認めたとしても、訴訟関係人においてこれを証拠とすることに異議を述べたものについてはその例外は認められない(法第三百二十条第二項但書)のであるから、これを以て簡易公判手続においては、所論の如く被告人をしてその証人尋問権を包括的に放棄せしめたものであるということもできないからである。
以上の理由により簡易公判手続は、刑事被告人に裁判所の公開裁判を受ける権利を保障する憲法第三十七条第一項に違反するものではなく、又同法第三十七条第二項所定の証人を求めこれを審問する権利を害するものでもなく、又もとより自白のみでは有罪とされないことを保障する同法第三十八条第三項に触れるものでもない。故に刑事訴訟法に前記の如く憲法上の権利の行使を何等妨げるものでない簡易公判手続制度を設けたからといつて毫も憲法に違反するものではない。しかも同手続は、昭和二十八年法律第百七十二号刑事訴訟法の一部を改正する法律により制定施行された制度であるから、これが法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられないことを保障する憲法第三十一条の規定に違反するものでないことは勿論である。しからば簡易公判手続制度の違憲を論拠とする各所論は以上いずれの点においても失当である。又記録を精査するも本件を簡易公判手続によつて審判した原審の訴訟手続が、同制度本来の趣旨に反して施行せられたと認むべき事跡はこれを窺うに由がないから、よつてなされた原判決にも訴訟手続上の法令違反の瑕疵はないものと言わなければならない。
(その余の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)
弁護人上田誠吉、中田直人の控訴趣意
第二点の(2) 原審は簡易公判手続によつて審理しているが、右手続を定めた刑事訴訟法の規定は憲法第三七条、第三八条、第三一条に違反するから、原審訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな違法がある。
(イ) 簡易公判手続の決定があつたときは、証拠調は「公判期日において適当と認める方法でこれを行うことができる」(刑訴法第三〇七条の二)。右規定は刑事訴訟法第三〇四条乃至第三〇六条の規定を排除するものであつて、証拠の内容は法廷に公開されることなく、結局書面審理が行われることになる。裁判の公開とは単に法廷の入口が万人に開放されているということに止らず、審理の内容もまた法廷に公開されることを要求しているのであるから、簡易公判手締は憲法第三七条第一項に違反する。
(ロ) 簡易公判手続の決定があつたときは、原則として刑事訴訟法第三二〇条第一項の伝聞禁止の法則は解除され、とくに当事者が異議をのべない限り、すべての伝聞証拠に証拠能力が与えられる(同法第三二〇条第二項)。憲法第三七条第二項の権利は、仮に当事者にその放棄が認められるものであるとしても、その放棄は個々の証拠に対する個々の放棄(刑訴法第三二六条)をもつて、その限度となすべきものであり、包括的に事前の放棄をみとめることは、憲法第三七条第二項の権利を著しく軽んずるものであつて、違憲である。
また、反対尋問権の包括的放棄をみとめた規定は、憲法第三七条第二項の精神からみて適正かつ合理的なものではない。かかる規定は適正手続を保障した憲法第三一条に反する。
(その余の控訴趣意は省略する。)