東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1168号 判決 1959年5月28日
控訴人 株式会社倉谷商店
被控訴人 林元治
主文
本件控訴を棄却する。
被控訴人は控訴人に対し金十二万八千百円を支払え。
控訴費用は被控訴人の負担とする。
この判決は控訴人において金四万円の担保を供するときは、控訴人勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金十三万七千七百七円及びこれに対する昭和三十年三月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、なお予備的請求として「被控訴人は控訴人に対し金十二万八千百円を支払え。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴人の予備的請求を棄却する。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は
第一、控訴代理人において、
仮に被控訴人が訴外久古正胤と共謀して、控訴会社の本件肥料に対する所有権を侵害した事実が認められないとすれば、控訴人は予備的に、被控訴人には故意又は過失に因り控訴会社の右訴外人に対する債権を侵害したという不法行為があるからよつて生じた損害の賠償を求める。その事由は次のとおりである。
(一) 控訴会社は、片倉肥料株式会社からの通知により、本件肥料が約旨と異り貨物引換証付でなく送荷され、昭和二十七年二月三日千葉県干潟駅に到着したことをその数日後において知つたので同月十五日、社員重松信枝を同駅に派遣し調査させたところ、被控訴人は買主たる訴外久古正胤に代つて本件肥料のうち二百叺を古城村十四番区農事実行組合(以下農事組合と略称する)に対し、代金一叺につき金六百四十円五十銭(合計金十二万八千百円)で、農事組合は数ケ月後に農業手形で金融を受けた上で代金の支払をする約束で売り渡し、また十五叺を実川亀之助に売り渡した事実が判明した。
(二) そこで右重松信枝は前記農事組合の役負である林政夫、岩佐一の両名に対し、控訴会社と訴外久古正胤との間の売買契約の内容を説明し、右組合から久古に支払うべき肥料代金は直接控訴会社に対して支払うようにするか、少くとも代金支払の際には控訴会社の社員を立ち合わせられたい旨を懇請したところ、同人らは、「農事組合では被控訴人を久古の代理人として本件肥料を買い入れたものであり、かつ被控訴人は古城村の有力者で、農産物の集荷機関もやつているから、被控訴人と交渉した方がよい。」という意見であつたので、重松信枝はその翌十六日被控訴人に面会し、控訴会社と右訴外久古正胤との間の売買契約成立の事情、その契約内容、ことに貨物引換証付の約束であつたのに問屋の手落により無為替の単純貨物として出荷されたこと、従つて現金引替渡の筈であつたのに代金未払のまゝ引き渡されてしまつたことなどを詳細に説明した上、前記農事組合から右訴外人に対して支払わるべき肥料代金は控訴会社に直接支払うよう取り計らわれたい旨の申し入れをしたところ、被控訴人は久古と相談して善処する旨を約した。
(三) 然るに、被控訴人はその直後である同月二十日、未だ支払期限前であるのに、右農事組合のために、前記肥料代金十二万八千百円をわざわざ立替えて訴外久古正胤に支払い、これがため控訴会社がその後になした右訴外人を債務者、前記組合を第三債務者とする右肥料代金債権の仮差押ならびに差押転付の諸手続を全部無効に帰せしめた。
(四) ところで、債務者たる訴外久古正胤は他に弁済の資力なく、債務を履行する誠意も認められないから、叙上のような被控訴人の行為は、故意又は過失により、控訴会社が右訴外人に対して有する債権を侵害したものといわなければならない。よつて被控訴人は控訴人に対しこれが損害金十二万八千百円を賠償する責任がある。
と述べ、
第二、被控訴代理人において
右(一)の事実中、被控訴人が農事組合や実川亀之助に対し控訴人主張にかかる肥料を売り渡した事実はない。その余は不知。
(二)の事実中、被控訴人が控訴会社の社員と称する者から本件肥料代金を直接控訴会社に支払われたき旨の申し入れを受けたことならびに控訴人が久古を連れてきたら被控訴人において善処する旨を答えた事実はあるが、その余は知らない。
(三)の事実中、被控訴人が控訴人主張の日時に、農事組合に代り、訴外久古正胤に対し本件肥料代金十二万八千百円の支払をしたことはあるが、その余の事実は(四)の事実とともに否認する。
要するに被控訴人は控訴人の肥料の所有権は勿論、その代金債権を侵害した事実はないから不法行為に基く本訴請求は失当である。
と述べたほか、原判決事実摘示と同一である(但し原判決二枚目表五行目に石炭とあるのを石灰と訂正する)からここにこれを引用する。
立証として、控訴代理人は甲第一ないし第三号証、第四ないし第六号証の各一、二、を提出し、証人重松信枝の原審ならびに当審における各証言を援用し、乙号各証の成立を認め、
被控訴代理人は乙第一ないし第四号証を提出し、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、甲第三号証は不知、その余の甲号各証の成立を認め甲第一、二号証を援用する。と述べた。
理由
控訴人が肥料類の卸売を営む会社であり、訴外久古正胤が肥料等の売買仲介を営む商人であること、ならびに被控訴人が右訴外人の妻の父であることは当事者間に争がない。
そして成立に争のない甲第一、第二号証、同第五、第六号証の各一、二、乙第二、第三号証、原審証人重松信枝の証言により真正に成立したことを認め得る甲第三号証に証人重松信枝の原審ならびに当審における各証言及び当審における被控訴人本人尋問の結果を総合して考えると、控訴人は昭和二十六年十二月二十一日、右久古正胤に対し神島化学工業株式会社製造にかかる過燐酸石灰成分一七%のもの三百七十五叺を代金は一叺につき金六百四十円五十銭、千葉県干潟駅銚子通運株式会社干潟支店において代金と引替(貨物引換証付)にて引渡すべき約にて売り渡す契約を締結し、控訴人は訴外片倉肥料株式会社から右肥料を買受ける旨の契約を締結し、荷物は同会社から直接右訴外人に送付させることにしたこと、同会社は昭和二十七年一月三十一日岡山県笠岡駅から久古正胤を荷受人として前記肥料を発送し、右貨物は同年二月三日千葉県干潟駅に到着し、同駅の銚子通運株式会社干潟支店に保管されるに至つたが発送人たる前記片倉肥料株式会社の手落により貨物引換証が作成されなかつたこと、当時久古正胤は東京に在住していたので被控訴人は同人の依頼により同年二月五、六日頃右銚子通運株式会社干潟支店から、代金未払のまゝ本件肥料のうち二百十五叺の引渡を受け、うち二百叺を久古正胤の代理人として古城村十四番区農事実行組合(以下農事組合と略称する)に対し一叺金六百四十円五十銭の割合で売り渡し、また十五叺を実川亀之助に売り渡したことが認められる。右のような事実関係の下にあつては、荷物が目的駅に到着し銚子通運株式会社干潟支店に保管された当時その荷物は控訴会社の所有に属していたものであつて、久古正胤が代金を支払うまでは依然として控訴会社の所有に属するものであつたものと認めるのが相当である。
控訴人は、「被控訴人は本件肥料が控訴会社の所有に属し、代金引替でなければこれを受け取ることができないことを知りながら久古正胤と共謀して恰も正当の権利を有するもののように装つて銚子通運株式会社干潟支店の係員を欺きこれが引渡を受けた上、他に売却して控訴会社の所有権を侵害し因つて控訴会社に損害を蒙らせた。」と主張するけれども、甲第六号証の一、二その他控訴人の全立証によつても被控訴人が本件肥料を引き取り他へ売却した当時において、右物件が久古正胤以外の者の所有に属すること或は久古正胤が貨物引換証付の約束で送荷を受けたもので代金引替でなければこれを引き取ることができないものであることを知つていたことを認めるに足りないのは勿論、不注意によりこれを知らなかつたことをも認めるに足りないから、仮に控訴人主張のように、被控訴人において控訴人の右肥料に対する所有権を侵害した事実があるにしてもなお被控訴人に不法行為の責を帰することはできない。従つて控訴人の第一次請求は理由がない。
よつて進んで債権侵害を原因とする予備的請求の当否について審究する。控訴人が久古正胤に対し前記肥料代金(一叺につき金六百四十円五十銭、三百七十五叺につき合計金二十四万百八十七円五十銭)の債権を有し、その債権は貨物が干潟駅に到着した昭和二十七年二月三日に弁済期が到来したものと認むべきものであること及び久古正胤は古城村十四番区農事組合に対し同月五、六日頃の売買による代金(一叺につき金六百四十円五十銭、二百叺につき合計金十二万八千百円)の債権を有することは、前段認定の事実から明瞭であるところ、被控訴人が同月二十日右農事組合のために右代金を久古正胤に立替支払つたことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第号証、同第五、第六号証の各一、二、乙第一乃至第四号証に、証人重松信枝の原審ならびに当審における各証言および当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると、控訴人は昭和二十七年二月七日頃片倉肥料株式会社の通知により本件肥料が誤つて貨物引換証付でなく送荷された事実を知り、同月十五日頃社員たる重松信枝を千葉県干潟駅に派遣して事情を調査させたところ、前認定のように被控訴人が久古正胤に代り、代金未払のまま本件肥料の一部を引き取り、うち二百叺を農事組合に、また十五叺を実川亀之肋にそれぞれ売り渡した事実が判明したので、右重松信枝は前記組合の役員林政夫、同岩佐一の両名に対し、控訴会社と久古正胤との間の売買契約の内容を説明した上、右組合から久古に支払うべき買受代金は直接控訴会社に支払うか、少くともその支払の時には控訴会社の社員を立ち会わさせられたき旨を申し出たが、同人らは本件肥料は久古正胤の代理人である被控訴人から買い受けたものであり、かつ被控訴人は久古の妻の父でもあるから、被控訴人と懇談して解決するのが得策であろうと答えたので、重松信枝は翌十六日被控訴人方を訪れ、同人に対し前同様の事情を詳説し、代金回収について協力方を求めたところ、被控訴人は、「久古と相談の上善処する。」と述べたこと、右農事組合が久古に対して支払うべき肥料代金の弁済期は農業手形が現金化された後である二、三ケ月後の約束であつたところ、同月二十日、被控訴人は久古正胤及び右組合員らとの話合いにより、控訴会社に連絡せずに、前記組合の久古に対する肥料代金債務金十二万八千百円を、同組合に代り久古に支払つたこと(この支払の事実は前記の通り当事者間に争がない)、その後同月二十五日に至り、控訴人の申立により東京地方裁判所から久古正胤の農事組合理事長古橋英雄に対する前記肥料代金債権について仮差押決定が発せられ、右は同月二十七日債務者ならびに第三債務者にそれぞれ送達されたこと、ついで同年七月二十八日、控訴人のため同地方裁判所から右債権の差押ならびに転付命令が発せられ、右は同月三十一日第三債務者に送達されたが、前記のように右仮差押命令の送達前既に差押の目的たる債権は被控訴人のなした弁済により消滅していたので右差押、転付の手続はいずれもなんの効果をも収めることができなかつたこと、控訴人は久古正胤に対し前記肥料代金請求の訴訟を提起し、勝訴の確定判決をえているが、同人は無資力で昭和二十七年頃は勿論、現在においてもその履行をしないことが認められる。
そこで被控訴人に控訴人主張のような不法行為の責あるかどうかについて上叙凡ての事実から考察する。控訴会社の社員重松信枝が昭和二十七年二月十六日被控訴人に対し、控訴人と久古正胤との間の売買の事情を詳説し、その代金の回収について協力方を請うたことにより、被控訴人は、右売買が貨物引換証付の約束であつたのは荷物発送人の手落により貨物引換証無しで送荷せられ、久古正胤は未だ控訴人に代金を支払つていない事実を知つたものと認められる。被控訴人は久古の妻の父であるから、久古が無資力であることも被控訴人に判つていたものと云える。従つて久古の農事組合に対する前記代金債権は控訴人の久古に対する代金債権の唯一の担保であることも被控訴人は知つていたものと認める。被控訴人が控訴会社の社員から控訴人の久古に対する代金債権の取立に協力せられんことの要請を受けて、「久古と相談の上善処する。」と返答しながら、その後数日にして、久古及び農事組合と話合いの上、控訴会社に連絡せずに、本来被控訴人の義務に属しないそして期限の到来しない農事組合の代金債務を敢て立替支払つたことの目的は、久古と農事組合との間の代金決済を早くすることにより久古の農事組合に対する代金債権が控訴人の久古に対する代金債権の弁済の資とされることを妨げようとすること、換言すれば控訴会社が久古の債権を差押えることを妨げるためいち早くその債権を消滅せしめんとする所に重点があつたものと認定する。民法第三百十一条第三百二十二条第三百四条の規定によれば、控訴人はその久古に対する代金債権につき久古の農事組合に対する代金債権の上に先取特権を有するが、昭和二十七年二月二十七日になした仮差押はすでにそれ以前に仮差押の目的たる債権が被控訴人のなした弁済により消滅していたので右仮差押とその後の手続は何の効果をも収めることができなかつた。たとえ被控訴人に先取特権というような法律知識がなかつたとしても、被控訴人は控訴人の債権の満足を妨げる目的で農事組合のために立替支払をしたのであり、そのために被控訴人所期の結果が発生した(久古正胤は無資力者であるから同人が弁済として受領した金員が尚執行し得べき状態において同人の財産として存続するとは考えられない)のであるから、被控訴人は故意に控訴人の債権を侵害したものであり、よつて生じた損害を賠償する責に任ぜねばならぬ。そしてその損害の額は控訴人の久古に対する債権が久古の農事組合に対する債権を以て満足せしめることができなかつた部分即ち金十二万八千百円である。
控訴人の第一次請求を棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条の規定により本件控訴は棄却すべきものであるが、控訴人が当審において申立てた予備的請求は理由があるからこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき同法第九十五条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文の通り判決する。
(裁判官 奥田嘉治 岸上康夫 下関忠義)