東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1386号 判決
控訴人と被控訴人とは、訴外佃田武昭夫婦が仲人となつて見合をし、互いの人柄、性格等を知るのに十分な交際の期間もないまま、昭和二十一年五月結婚式を挙げ、昭和二十二年七月九日婚姻を届け出たが、その間同年三月二十五日に長女葉子が生れた(婚姻後同年七月十一日被控訴人からその出生届をした結果、葉子は、準正の規定により嫡出子の身分を取得した)。
控訴人と被控訴人とは、結婚式を挙げると同時に杉並区荻窪の控訴人主張の建物に新居を構え、被控訴人の両親及び当時その膝下にあつた被控訴人の妹等と同居していたが、もともと被控訴人は気性が弱く何事にも消極的であるのに対し、控訴人は気性が強くて自らを譲るというところがなく女高師卒業という比較的高い教育を受けながら女性としてのやさしさ、情操に欠けるところがあり、この二人の性格の相違に基く夫婦間の精神的な違和に加えて、同居していた被控訴人の母基子もどちらかというと勝気な性質であり、控訴人と基子とは互に我を張り、そのことはすでに結婚式直後当時同家に居た女中に対し花嫁である控訴人からこれに引出物を与えるかどうかについての相互の意見の相違にその片鱗を表わし日を経るに従つていわゆる嫁姑の不仲となつたが、その間にあつて、被控訴人は、ただ心をいためるだけで時に控訴人の実家の親達や仲人佃田武昭及び稲葉ナミ等に対し不満を訴え控訴人の反省を促すよう説得方をたのんだことはあつたけれども、それ以上に解決をはかるための積極的な方策を講ずるということもなかつたため、控訴人と被控訴人との家庭生活は、風波が絶えない状態となつた。時がたつにしたがつて両者の間の溝は深くなるばかりで、昭和二十三年四月被控訴人の父若林金五郎が病死した際その数日前から病気静養のため実家に帰つていた控訴人が被控訴人方に戻らないで通夜にも告別式にも出なかつたことが被控訴人及びその近親者等の感情を一層悪化せしめることとなり夫婦間の折合はますます悪くなつた。その後、夫婦は、基子とともに、住居を荻窪から五反田に移したが、昭和二十五年はじめ控訴人は気分転換をはかるため被控訴人の同意を得て女学校の教員として勤めに出たけれども、かえつて自己本位の考え方を助長し一層我を押し通すようになつた。このようにして夫婦の愛情は失われ、控訴人は家事をおろそかにする反面被控訴人に対し命令的な態度をとり、被控訴人において解決のため話し合おうとしても互に譲らず必ず喧嘩となる始末で、口論が絶えず手出しをするいさかいも重なつた。
性格の弱い被控訴人は、以上のような出来事が積み重なつてすさみきつた家庭生活にいたたまれなくなり、昭和二十五年五月ころ単身家を出て他に下宿したが、その後控訴人においてその止宿先を知り両者の間に話合が進められたけれども解決を見るに至らず、被控訴人は間もなくその居を幡ケ谷に居住する叔母の可知十七方に移し、ここに、夫婦は完全に別居するに至つた。残された控訴人は、葉子とともに姑の基子と暮すようになつたが、偶々控訴人がその出勤不在中葉子の監護にあたつている母基子の平素の労に報いるつもりで同人に対し金三千円を渡そうとしたところ、同女からその受領を拒絶されたためくやしさのあまりその面前で紙幣を破り捨てるなどのこともあつて、その後も折合のまずい嫁姑だけの生活が続いていた。
その後、昭和二十七年二月基子と葉子とは被控訴人の新築した藤沢市辻堂の居宅に移つたため、控訴人は実家へ帰り、一方、被控訴人は、基子が病気になつたので昭和三十年四、五月ころ右辻堂の居宅に移り同女が昭和三十一年十二月死亡した後は一時妹達に世話をみてもらつていたが昭和三十二年九月から訴外斎藤千鶴子に来てもらつて家事の面倒をみさせるに至つた。ところで、右千鶴子は、それまで被控訴人の勤め先である日本電気株式会社に勤務していた者であつて、もともと被控訴人が控訴人と結婚する前から同じ職場の同僚として被控訴人と交際がありその交際は右結婚後も続けられていたけれども、それ以上の深い交渉は格別なかつたものであるところ、被控訴人は母基子の死亡後家事手伝や葉子の世話をする人を必要としていた折柄、昭和三十二年六月被控訴人勝訴の本訴第一審判決の言渡があつたので、会社の同僚幸松某の口添により、本訴離婚が確定した暁には控訴人とちがつて従順で女らしい千鶴子と婚姻するということをも一応考慮に入れたうえ、同女に住込み家政婦という名目で被控訴人の家に来てもらつたものである。その後、被控訴人と千鶴子との間には次第に愛情が芽ばえ、同棲生活にはいり現在に至つている。
以上のようにして、控訴人と被控訴人との別居生活は十年以上も続いており、被控訴人においてはもはや控訴人との婚姻生活を維持する気持をまつたく喪失してしまつているのに対し、控訴人は離婚する意思は全然なく婚姻関係の継続に強い執着を示している。(中略)
以上に認定した各事実に基いて判断するに、控訴人において被控訴人との婚姻関係に対する執着を捨てきれないところはあるけれども、被控訴人が控訴人のもとへ復帰しても前記の事情に照すと両者の性格は到底融和することができず客観的には正常な婚姻関係を継続することは極めて困難な状況にあるものといわなければならない。
控訴人は、かかる事態は主として被控訴人が招来したものであり控訴人にはなんら責められるところがないから離婚事由に当らないと主張する。なるほど、被控訴人において控訴人と基子とのいわゆる嫁姑の関係の融和をはかるための配慮も十分でなく妻子を置いて単身家を出て別居するなど婚姻関係を維持する努力に積極性が足りなかつたこと及び事実上はともかく法律上は未だ控訴人と婚姻継続中でありながら斎藤千鶴子と同棲していることは、前記に認定したとおりである。しかしながら、婚姻は相互の深い愛情と理解とによつてこれを維持して行かなければならないことはいうまでもないところ、控訴人は、前記に認定したように、譲り合つて婚姻生活を改善しようとするところがなく自己を押し通すことにのみ急であり控訴人の常軌を失した言動によつてすさみきつた家庭生活にいたたまれなくなつた被控訴人をしてついに別居するのやむなきに至らしめたものであつて、被控訴人との婚姻関係は、このときすでに深刻なまでに破綻に瀕していたものというべきである。被控訴人の別居は、右の結果にほかならないのであり妻たる控訴人以外の女性との交渉を求める等の非難すべき目的があつて別居したのでないから、これを悪意の遺棄と断定するのはむずかしく、また、斎藤千鶴子との同棲は、すでに控訴人との婚姻関係が有名無実となつてしまつてから七年以上を経過して後始まつたものである。したがつて、婚姻を破綻に導くに至つた責任については、被控訴人の側のみを非難するのは失当で控訴人においても被控訴人と同等またはそれ以上の責を負うべきであるから、この点に関する控訴人の主張は、採用しない。してみると、本件においては被控訴人につき民法第七百七十条第一項第五号の婚姻を継続し難い重大な事由があるものというべきである。
(川喜多 小沢 賀集)