東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1535号 判決 1957年11月30日
控訴人 原告 慎占文
訴訟代理人 大内亀太郎
被控訴人 被告 李順祚
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。本件を長野地方裁判所に差し戻す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、原判決添附訴状記載のとおり請求の原因事実を陳述したので、原判決の右記載をここに引用する。
理由
まず、本件に対する我が国裁判所の裁判権の有無について考えるに、訴状添附の檀紀四二八九年(昭和三十一年)十一月十九日附韓国慶尚南道居昌郡熊陽面長鄭雲相作成の控訴人の戸籍謄本によれば、現在控訴人と被控訴人とは、ともに韓国籍を有し、かつ夫婦たる関係にあることが明らかである。しかして控訴人の主張によれば、控訴人は、三十年前から長野県に居住し現在我が国に生活の本拠を有するものであるが、被控訴人は、控訴人との婚姻後本籍地に居住し、曽つて内地に渡来したことがなく、現在においては、その住所も不明となつているというのである。いつたい外国人に対する離婚訴訟の裁判権については、我が国の法例その他の成文法に規定がないのであるから、裁判所は、条理に従つて裁判権の有無を決するの外はないのである。そこで参考のため外国人間の離婚訴訟についての裁判権に対する我が国の裁判例を調べて見ると、我が国に住所を有する外国人たる原告が我が国に渡来したことのない被告に対する離婚訴訟について裁判権を認めた判決例(東京地方裁判所昭和三一年(タ)第七二号、同年五月二六日判決、下級裁判所民事裁判例集第七巻第五号、一三六六頁)もあり、又被告が我が国に最後の住所を有していた場合に、我が国の裁判所の裁判権を認めた判決例(京都地方裁判所昭和二七年(タ)第一八号、昭和三一年七月七日判決、前記裁判例集第七巻第七号、一七八四頁、名古屋地方裁判所昭和三一年(タ)第二二号、同年一〇月三〇日判決、前記裁判例集第七巻第一〇号、三〇七一頁)もある。又原告が日本人である場合に、我が国に渡来したことのない外国人である被告との間の離婚請求事件について我が国の裁判所の裁判権を認めた判決例もあるが(長崎地方裁判所昭和三〇年(タ)第二〇号、昭和三一年二月九日判決、前記裁判例集第七巻第二号、三〇〇頁)、他の多くは、日本人である原告から外国人たる被告に対する離婚請求で、被告が我が国に住所を有したことのある離婚請求事件につき我が国の裁判権を認めたものである。(東京地方裁判所昭和二五年(タ)第一三二号、昭和二六年三月二八日判決、前記裁判例集第二巻第三号四三三頁、横浜地方裁判所昭和三〇年(タ)第四七号昭和三一年二月一五日判決、同裁判例集第七巻第二号三四九頁、名古屋地方裁判所昭和三一年(タ)第一一号、同年一一月二八日判決、同裁判例集第七巻第一一号三四一六頁、東京地方裁判所昭和二九年(タ)第二一九号、昭和三一年一二月二〇日判決、同裁判例集第七巻第一二号三七一二頁、京都地方裁判所昭和三〇年(タ)第八号、昭和三一年一二月二八日判決、同裁判例集第七巻第一二号三九一一頁)。
このような従来の裁判例並びにハーグ離婚条約の規定するところの、離婚訴訟は、第一に夫婦の本国法による管轄裁判所、第二に夫婦が住所を有する場所の管轄裁判所に提起しうるものとし、夫婦が住所を異にするときは被告の住所地の裁判所に管轄権があるとする規定(同条約第五条)を合わせ考えれば、外国人間の離婚訴訟については、原告が我が国に住所を有する場合でも、少くとも被告が我が国に最後の住所を有したことをもつて我が国の裁判所に裁判権を認める要件となすことが、もつとも条理に適するものというべきである。もし、外国人が我が国に住所を設定した後、その本国の妻に対する離婚訴訟を我が国の裁判所に提起することができるものとすれば、右は本国の妻に対して事実上防禦の手段を奪うにひとしく、かかることは条理上許容し得ないものというべきである。このことはたとい悪意の遺棄を離婚原因とし、遺棄者が現在所在不明であるとしても、何ら変ることなく、これをもつて右原則に対する例外となすことはできない。
それ故本件においては、控訴人の主張自体によつて、被控訴人が我が国に住所を有したことがないというのであるから、本件離婚訴訟につき我が国の裁判所に裁判権ありとなし難い。
もつとも控訴人の主張によれば、被控訴人が所在不明になつた時の住所は、当時の我が国の領土であつたのであるけれども本件訴訟提起の時には、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)の発効により我が国がすべての権利、権原及び請求権を放棄して、その独立を承認した韓国の領土となつていたのであるから、本訴提起の時の、状況において被控訴人が我が国の領土に住所を有したか否かを決定するのが相当である。
そうすれば、我が国の裁判所は本訴については裁判権を有しないと認めるの外なく、原審が、本件訴は不適法であつてその欠缺を補正することができないものと認めて、民事訴訟法第二百二条に則り口頭弁論を経ずにこれを却下したのは相当であつて、本件控訴は理由がないものとして、これを棄却すべきものである。
よつて控訴費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 大江保直 判事 猪俣幸一 判事 古原勇雄)