東京高等裁判所 昭和32年(ネ)557号 判決 1957年11月28日
控訴人 アルフレツド、ウイルリアム、ブルツクス
被控訴人 湯沢譲治
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一、第二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却するとの判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、控訴人が占領軍の関係を離脱したのは、昭和二十四年(千九百四十九年)一月六日であるが、被控訴人の母湯沢令子が姙娠したと想定されるのは昭和二十三年(千九百四十八年)一月初旬であり、被控訴人が出生したのは同年十一月六日である。しかして米国の軍人軍属に対する日本国の裁判所の民事裁判権が認められたのは日米行政協定第十八条第6項a号によるのであるが、同協定の効力が発生したのは昭和二十七年(千九百五十二年)四月二十八日である。従つて被控訴人の母湯沢令子が、姙娠し、被控訴人が出生したのは同協定の効力発生前であり、また控訴人が占領軍の関係を離脱しない前、即ち、軍属であつた期間中のことであつて、もし右協定の効力発生前であつたならば、本訴は却下されたものであるから、このような本訴については右協定の効力発生後であつても、日本国の裁判所は管轄権を有しない。よつて本訴は却下せられねばならないと述べ、被控訴代理人において、民事裁判権に関する日米行政協定第十八条第6項a号には、同条第3項の場合を除く外、日本国において発生した総ての事件につき、合衆国軍隊の構成員及び被用者は日本国の裁判所の民事裁判権に服すべき旨が規定されている。しかして本件は同条第3項の場合に当らないから、(同項は契約による請求権を除くの外、公務執行中の行為による傷害、死亡、財産上の損害を対象としている、)日本国の裁判所は本件につき管轄権を有するものである。即ち、(一)、湯沢令子の懐胎及び被控訴人の出生は控訴人が合衆国の軍属であつた期間中であり、且日米行政協定の効力発生前であつたとしても、右懐胎及び出生は、控訴人の軍属としての公務執行中の行為に基因するものではないから、右協定に関係なく、控訴人がシビリアンとなつた時から日本国の裁判所に管轄権のあることは右協定の全趣旨に徴しても明である。(二)、仮に、右協定の効力発生前に提訴すれば、その訴が却下されたとしても、同協定の効力発生後の昭和二十八年(千九百五十三年)七月八日に提起された本訴については日本国の裁判所に管轄権のあることは言をまたないと述べた外、原判決の事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。
証拠として、被控訴代理人は、甲第一乃至第三号証を提出し、原審証人田辺雅江、同ケイ、プリングスハイム( Kay Pringsheim )、同佐藤博信、同新井澄子、同松尾厚、当審証人湯沢勝子の各証言、原審並に当審における被控訴人法定代理人湯沢令子本人訊問の結果、並に原審鑑定人古畑種基の鑑定の結果を援用し、乙第二号証、同第四号証の成立を認める、その余の乙号各証の成立は不知と述べ、控訴代理人は、乙第一、第二号証、同第三号証の一、二、同第四号証を提出し、原審並に当審証人松浦とみ子、当審証人、ケイ、プリンクスハィムの各証言、当審における控訴人本人訊問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めると述べた。
理由
本訴につき、日本国の裁判所に管轄権のあることは後段説明のとおりである。
よつて、先づ、控訴人と被控訴人との間に父子の関係があるか否かにつき案ずるに、真正に成立したものと認めらる甲第一号証、原審並に当審おける被控訴人法定代理人湯沢令子の供述によれば、被控訴人は、昭和二十三年(千九百四十八年)十一月六日、日本国籍を有する湯沢令子(大正十五年二月四日生)を母として出生し、肩書地に本籍を有する日本国民であることが明である。しかして原審証人田辺雅江、同佐藤博信、同新井澄子、原審並に当審証人ケイ、プリングスハイム、同松浦とみ子、当審証人湯沢勝子、原審並に当審における被控訴人法定代理人湯沢令子の各供述を綜合すれば、湯沢令子は、かねて花柳美保に師事して日本舞踊を習得したが、昭和二十年(千九百四十五年)十一月頃、終戦により他の家族と共に朝鮮から引揚げた後、花柳美保が東京都渋谷区南平台で経営している料理店「花木屋」でその営業を手伝つている中に、当時東京裁判の弁護団の一員として活躍していた控訴人が、客として同料理店に出入していたので、湯沢令子は同所で控訴人と知り合い、その後昭和二十二年(千九百四十七年)九月三十日控訴人が湯沢令子をその止宿先の同区南平台四十四番地新井澄子方に訪ねた際、遂に控訴人と湯沢令子は肉体関係を結ぶに至つたこと、爾後控訴人は屡同所に湯沢令子を訪ねて、同人との間に右関係を継続していたが、同年十一月十日頃、控訴人は、湯沢令子をして控訴人の子女に日本舞踊を教授せしめることを名目として、東京都中央区木挽町の自宅に同人を住込ましめた上、同人をして舞踊教授の外に、いわゆるスペシアルメイドとして控訴人の身辺の世話をなさしめ、それと共に、引続き湯沢令子と肉体関係を結んでいたこと、しかるに、湯沢令子は昭和二十三年(千九百四十八年)一月頃、妊娠するに至つたが、同年六月頃には、その姿態が人目につくようになつたため、同所から新井澄子方に、次で東京都港区芝白金三光町のケイ・プリングスハイム方に移り、同年十一月初頃東京都渋谷区南平台の医師松尾厚方に入院し、同月六日被控訴人を分娩したこと、及び湯沢令子は右妊娠当時、控訴人以外の男性と肉体関係を結んだ事実はないことが認められる。そればかりでなく原審鑑定人古畑種基の鑑定の結果によれば、控訴人と被控訴人との間には、血液型、指紋、掌紋、足紋の各検査の結果、並に人類学的検査の結果のいずれによるも、父子関係の存在することを妨げることなく、むしろこれ等の各検査を綜合すれば、控訴人と被控訴人との間に父子関係が存在することを推測せしめるに足る状況にあることが認められる。以上の認定に抵触する乙第一号証の記録は前記証拠と対比し採用することができない。尤も原審並に当審証人松浦とみ子、同ケイ、プリングスハイムの供述によれば、控訴人は、湯沢令子の右妊娠当時、その妻マーガレツト・ピー・ブルツクス(Margaret. P. Brooks)と同棲していたことが認められるけれども、右証人松浦とみ子の供述によれば、マーガレツト・ピー・ブルツクスは当時聖路加病院に勤務していたので、土曜日、日曜日を除いては早朝出勤し、夕刻帰宅していたことが認められるから、右同棲の事実によつては以上の認定を覆すことはできない。また、乙第三号証の一、二、同第四号証によつても以上の認定を左右するに足らないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。以上に認定した事実に徴すれば、湯沢令子は控訴人との間の性的関係により被控訴人を懐胎し、よつて被控訴人は控訴人を父として出生したものであつて控訴人と被控訴人との間には事実上父子関係が存するものと認めなければならない。
次に、被控訴人において認知の請求が許されるや否やにつき案ずるに、法例第十八条第二十七条第三項によれば、子の認知の要件は、各当事者の属する国、また地方により法律を異にする国の人民についてはその者の属する地方の法律によりこれを定める旨が規定されている。従つて右認知の要件は、上記のように、日本国民である被控訴人については、日本国の法律により定められると共に、被控訴人が父であると主張する控訴人については、控訴人がアメリカ合衆国ミズリー州で出生した同国国民であることは本件弁護の全趣旨に徴して認められるから、同国ミズリー州の法律によつて定められるべきである。(アメリカ合衆国の各州によりその法律を異にすることは顧著な事実である。)しかるに、同州の法律に、強制認知を許した規定、若くは、反致を認めた規定の存することはこれを認めるに足る何等の資料もない。(尤も原判決理由の説明のように同州の法律に嫡出でない子の父について遺棄及び扶養義務不履行に関する規定があることは記録中のジヨン・エム・ダルトン―John.M.Dolton―作成の回答書の記載により認められる。)しかしながら、わが国において嫡出でない子が事実上の父を明にし、その者との間に法律上の父子関係を生ぜしめるには、その認知を受ける以外にその方法がなく、このような関係が生じなければこれに伴う法律上の効果を受けることができないのであるから、嫡出でない子に認知を求めることを許さないで放置することは結局一般社会生活の組織秩序に不当な影響を及ぼすこととなり、法例第三十条にいわゆる公序良俗に反する場合に当るものというべきである。このような場合には、たとえ、右父の本国法に認知に関する規定がなくとも、右子の本国法にその規定がある限り、右子はその本国法により右父に対する認知の訴を起すことができるものと解するのが相当である。従つてわが国の法律に認知に関する規定がある以上、被控訴人が父と主張する控訴人の本国法(本件においては前示州法)において認知に関する規定がなくとも、なお、被控訴人は法例第三十条の規定の趣旨に則り控訴人に対し前記事実にもとずき認知の訴を起すことができるものと解すべきである。
しかるに、控訴人は、本件につき、日本国の裁判所は、管轄権を有しない旨を主張するを以て案ずるに、真正に成立したものと認められる甲第二号証乙第二号証によれば、控訴人は、昭和二十四年(千九百四十九年)一月六日まではアメリカ合衆国軍の軍属に就任していたことが認められ、また日米行政協定が昭和二十七年(千九百五十二年)四月二十八日その効力を発生したことは顕著な事実であるから、この事実と前記認定の事実を対照すれば、湯沢令子の懐胎、及び被控訴人の出生は控訴人が右軍属就任中、及び右協定の効力発生前に生じたものであることが明である。しかしながら、右懐胎、及び出生は、その事柄の性質上、控訴人の公務執行中の行為によつて生じたものとは到底認めることができない。しかも、右事実は控訴人の行為にもとずいて生じたものであり、それによつて被控訴人が控訴人に対する認知を請求しうる権利を有するに至つたことは前段説明のとおりであるから、この認知請求の権利が右協定の効力発生前に消滅したことにつき、首肯することのできる主張、並に措置するに足る立証のない本件においては、右請求権は右協定の効力発生後においても依然として存続しているものというべきである。しかして被控訴人の右請求が右協定第十八条第3項に掲げる請求に当らないことは上記説明によるも明であつて、他に右協定において右請求権の行使を禁止または制限する規定の存することが認められない限り、(仮に以前にこのような請求が禁止または制限されたことがあつたとしても、)遅くともその効力発生後においては被控訴人は右協定第十八条第6項a号により日本国の裁判所にその請求の訴を提起し、同裁判所においてこれを審理裁判することができるものと解するのが相当である。従つて控訴人のこの点の主張もこれを採用することができない。
しからば、わが国の民法の規定により控訴人に対する被控訴人の本件認知の請求を認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。
よつて民事訴訟法第三百八十四条第八十九条第九十五条を適用し主文のとおり判決をする。
(裁判官 牛山要 岡崎隆 石井文治)