東京高等裁判所 昭和32年(ネ)613号 判決 1959年6月11日
控訴人 市田龍次郎 外一名
訴訟代理人 川本権祐 外三名
被控訴人 笠原もん
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
控訴人市田の訴訟代理人ならびに控訴人国の指定代理人はそれぞれ主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は各控訴棄却の判決ならびに原判決中建物明渡を命ずる部分について仮執行の宣言を求める旨を申し立てた。
第二、被控訴人の主張事実
(一) 別紙目録記載の建物はもと山田喜多雄の所有であつたが、被控訴人は昭和三年これを同人から期間の定めなく賃借して居住し、昭和二十三年当時の賃料は一ケ月金十八円で毎月末日払の約であつた。
(二) ところが、右山田喜多雄は財産税物納許可により、右建物を控訴人国に納付し、昭和二十三年二月十七日所有権移転登記手続を経たから控訴人国は賃貸人たる地位を承継した。しかるに控訴人国は右建物のうち階下九坪の部分について被控訴人が賃借権を有することを争つているからこれが存在することの確認を求める。
(三) 被控訴人は昭和二十三年九月、控訴人市田に対し、同控訴人が当時第三者に賃貸中の他の自己所有家屋に転居するまでの一時的な居住用として、期間を十日間と定め、無償で本件建物のうち階下九坪の使用を許した。
被控訴人は右期間経過後控訴人市田に対し右使用貸借の解約を申し入れ、爾来再三にわたり明渡を求めてきたが、控訴人市田は言を左右にしてこれに応じない。
仮に右解約申入の事実が認められないとしても、被控訴人は本件訴状の送達を以て解約の申し入れをしたから、被控訴人と控訴人市田との間の使用貸借は既に終了した。よつて同控訴人に対し、本件建物の明渡を求める。
(四) 控訴人ら主張の日時に、本件建物のうち階下九坪の部分について控訴人国から控訴人市田に対して所有権移転登記のなされた事実は認めるが、本件家屋のような日本式木造建物にあつては、その構造上階下の部分のみについて区分所有権の成立を認めることはできないから控訴人らの間における本件建物のうち階下部分のみの所有権移転は無効であり、従つてこれに基く移転登記もまたなんの効力をも有しない。
第三、控訴人市田の答弁
被控訴人主張の(一)・(二)の事実に対し
別紙目録記載の建物がもと山田喜多雄の所有であつたこと、および被控訴人主張のようにこれが控訴人国に物納され所有権移転登記がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。昭和二十三年頃における右建物の賃借人は訴外浅井清太郎であつて、被控訴人ではない。
同(三)の事実に対し
控訴人市田が現在本件建物の階下の部分に居住していることは認めるが、その余の事実は総べて争う。控訴人市田が本件建物の階下の部分に居住しているのは次のような事由に基くものであるから被控訴人の主張は失当である。すなわち、昭和二十三年頃別紙目録記載の建物には被控訴人の娘婿である浅井清太郎がその家族とともに居住してこれを主宰していた。被控訴人も同居してはいたけれども老齢で生活力もないため右浅井清太郎に扶養されていたような状態で、家事は一切同人が処理していたから右建物の賃借人は浅井清太郎であつたと認めるのが相当である。控訴人市田は昭和二十三年八月頃右浅井清太郎から本件建物のうち階下の部分(九坪全部)を期間の定めなく賃借した。その時賃借料は明確には定めなかつたが、当時控訴人市田が浅井から受け取るべき畳仕事の代金債権があつたので後日これと精算することとし、控訴人市田は同年九月頃権利金一万円を同人に支払つて入居した。控訴人市田はその後も右浅井のために畳仕事をなし、その債権は昭和二十四年末までに合計金二万五千二百円に達したので、同人に対し家賃との精算を求めていた。ところが昭和二十五年暮にいたり、浅井から税金の支払に困つているから金を出してくれと要求されたので折衝の末、別紙目録記載の建物のうち従来控訴人市田が浅井から転借使用していた階下の部分に対する賃借権そのものを金二万円で譲り受けることになり、その頃同人に対し金二万円を支払つたから爾後控訴人市田は本件建物のうち階下の部分について賃借人たる地位を取得した。
仮に本件建物の賃借人が被控訴人であつたとしても、浅井は被控訴人の娘婿であり、被控訴人は控訴人市田が浅井から本件家屋の階下を賃借して入居した昭和二十三年九月頃以前から引き続き現在まで本件家屋の二階に同居してその事実を目撃しておりながら、控訴人市田が本件建物に居住していることについて、昭和三十年頃までなんら苦情を申し入れた事実がないから、被控訴人は浅井のなした賃貸ないし賃借権譲渡の行為を承認していたものである。
しかのみならず、控訴人市田は昭和二十六年十二月五日(契約書は昭和二十七年二月十五日作成)本件建物のうち階下九坪を代金三万三百七十二円で国から払い下げを受け、昭和三十二年五月十四日その所有権移転登記を経た。控訴人市田は所有権に基いて本件建物の階下に居住しているのであるからその占有は適法である。
右いずれの理由によつても被控訴人の本訴請求は失当であるから応じられない。と述べた。
第四、控訴人国の答弁
別紙目録記載の建物がもと山田喜多雄の所有であつたこと、被控訴人主張のように控訴人国がその所有権を取得し、所有権移転登記を経由したこと、および当時被控訴人が右建物にその主張のような賃借権を有し居住していたことは認めるがその余の事実は争う。
控訴人国は昭和二十七年二月十五日右建物のうち階下九坪の部分を控訴人市田に払い下げ昭和三十二年五月十四日、控訴人国から控訴人市田に対し所有権移転登記を了したので本件建物のうち右の部分については被控訴人と控訴人国との間にはもはや賃貸借契約は存在しないから被控訴人の請求は理由がない。と述べた。
第五、証拠の提出、援用認否
被控訴代理人は甲第一ないし第三号証を提出し、原審証人山口浩平、原審ならびに当審証人浅井清太郎、当審証人田中伝勇(一、二回とも)の各証言を援用し、乙第一、同第五号証および丙第一号証はいずれも不知、その余の乙号各証ならびに丙号各証の成立を認め、丙第三号証の一ないし六が本件建物の写真であることは認めると述べ、
控訴人市田の訴訟代理人は乙第一ないし第七号証を提出し、当審証人山田喜多雄、同中村蝶子、同市田とめの各証言ならびに当審における控訴人市田龍次郎本人尋問の結果を援用し、甲第一、二号証の成立を認め、同第三号証は不知と述べ、
控訴人国指定代理人は丙第一ないし第四号証(但し丙第三号証は一ないし六)を提出し、丙第三号証の一ないし六は大蔵事務官木村信太郎が昭和三十二年六月二十六日撮影した本件建物の写真であると述べ、甲第一、二号証の成立を認め、同第三号証は不知と答えた。
理由
一、別紙目録記載の建物がもと山田喜多雄の所有であつたが、財産税物納許可により控訴人国の所有に帰し昭和二十三年二月十七日控訴人国に所有権移転登記がなされたこと、ならびにそのうち階下九坪の部分について、昭和三十二年五月十四日控訴人国から控訴人市田に対し所有権移転登記のなされた事実は当事者間に争がない。
二、控訴人市田に対する請求について
控訴人市田が本件建物のうち、階下九坪に居住しこれを占有していることは当事者間に争がない。被控訴人は、被控訴人が昭和三年当時の所有者である山田喜多雄から別紙目録記載の建物を賃借し、昭和二十三年九月控訴人市田との間に右建物の階下九坪につき期間を十日と定めた使用貸借が成立した旨を主張し、その終了を原因として右階下の明渡を求めている。そこで調べてみると、甲第一、三号証には右被控訴人の主張とほぼ符合する記載があり、また原審並びに当審証人浅井清太郎、原審証人山口浩平、当審証人田中伝勇(第一、二回)は右被控訴人の主張とほぼ同趣旨の供述をしているが、右各記載と各供述は後記証拠に徴したやすく信用し難く、却て成立に争のない乙第四号証に当審証人山田喜多雄、同中村蝶子、原審証人浅井清太郎(但し後記措信しない部分を除く)当審証人市田とめの各証言、当審における控訴人市田龍次郎本人尋問の結果及び当審証人浅井清太郎、同田中伝勇(第二回)の、本件家屋は最初は被控訴人の夫笠原清次郎が賃借人であつた旨の証言を総合すると、別紙目録記載の建物は昭和の初年頃被控訴人の夫たる笠原清次郎が所有者である山田喜多雄から賃借し、被控訴人と共に居住していたものであるところ、笠原清次郎は昭和二十年中に死亡し被控訴人はその頃から本件家屋の二階に住むようになつたこと、当時被控訴人は老齢であり、その娘婿である浅井清太郎が被控訴人の面倒を見ていた関係から本件の家屋の利用方法も浅井の一存にまかせられていたこと、控訴人市田は昭和二十三年九月頃当時居住していた借家から立退をせまられていたが、かねて知り合であつた右浅井清太郎から右家屋の階下の部分を賃借することになり、家賃ははつきりときめなかつたが同人から受取るべき畳仕事の代金があつたので後日それと精算することとし、その頃浅井に金一万円の権利金を支払つて本件家屋に入居したこと、その後昭和二十五年十二月二十八日に至り更に造作代金の名義を以て金二万円を浅井に支払つたことが認められる。原審ならびに当審証人浅井清太郎、当審証人田中伝勇(一、二回とも)の各証言中右認定に反する部分は当裁判所の信用しないところであつて、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。すなわち、控訴人市田が本件家屋に入居した事情は叙上のように浅井清太郎から賃借したことによるものであつて、被控訴人主張のように被控訴人との間の使用貸借に基くものではないことが明白である。してみれば、前記笠原清次郎の死後別紙目録記載の建物の賃借権者が被控訴人であるか右浅井清太郎であるかはしばらくおき、少くとも被控訴人と控訴人市田との間に被控訴人主張のような使用貸借の成立した事実は認められないから右契約の成立を前提とし、その解約を原因とする被控訴人の控訴人市田に対する本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
三、控訴人国に対する請求について
被控訴人が昭和三年別紙目録記載の建物をその所有者である訴外山田喜多雄から期間の定めなく賃借して居住し家賃は昭和二十三年当時一ケ月十八円であつたこと、右建物は財産税物納により控訴人国の所有となり、昭和二十三年二月十七日控訴人国に対し所有権移転登記のなされたことは被控訴人と控訴人国との間において争がないから、右賃貸借は控訴人国に対してその効力を生じたものである。
しかるに真正に成立したものと認める乙第一号証(丙第一号証も同じ)、成立に争のない乙第二号証(丙第二号証)及び当審証人市田とめの証言を総合すると、控訴人国は昭和二十七年二月十五日右建物のうち階下九坪を控訴人市田に対し三万三百七十二円にて売り渡し、控訴人市田は昭和二十八年八月四日右代金を支払つたことを認めるに足り、昭和三十二年五月十四日控訴人市田のために所有権移転登記をしたことは冒頭記載の通りであるから、右所有権の移転された部分については新所有者たる控訴人市田が賃貸人たる地位を承継したものと認むべく、その反射的効果として右の部分に関する限り控訴人国は賃貸人たる地位を喪失したものと認めるのを相当とする。
被控訴人は、「本件建物のような日本式構造の建物については二階と階下とを分かち、それぞれ独立した区分所有権を認めることはできないから、控訴人国と控訴人市田との間における所有権移転は無効である。」と主張する。昭和三十二年六月二十六日の撮影にかかる本件建物の写真であること争のない丙第三号証の一ないし六に当審証人田中伝勇の第一回証言を総合すると、本件建物の二階には便所や炊事場の設備がなく、二階に通ずる階段も屋内に存するだけであるから、二階は階下と切り離して独立して住居に使用することができないようにみえるけれども、裏口から入つた所の土間を上ればすぐ二階に通ずる階段があることは前掲各証拠によつて明白であるばかりでなく、現に十数年にわたり被控訴人は二階に、控訴人市田は階下に、それぞれ独立して居住生活してきた事実(この点は弁論の全趣旨に徴し、当事者間に争がない)にかんがみると、二階と階下とを区分しても事実上も法律上も紛らわしいことを生ずる虞はないものと認められる。従つて控訴人国が本件建物のうち階下だけを区分して控訴人市田に譲渡した行為は有効であつて、控訴人国は階下の部分については既に賃貸人たる地位を失つたことは前説明の通りである。よつて被控訴人がその部分について控訴人国との間に賃借権を有する旨の確認を求める本訴請求は理由がない。
被控訴人の本訴請求を認容した原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用し主文のように判決する。
(裁判官 奥田嘉治 岸上康夫 下関忠義)
目録
東京都中野区西町十四番地
家屋番号 同町三三九番
一、木造瓦葺二階建店舗一棟
建坪 三十六坪
二階 二十四坪
のうち南側(向つて左側)から二戸目の
建坪 九坪
二階 六坪