東京高等裁判所 昭和32年(ネ)783号 判決 1958年6月30日
事実
被控訴人(一審原告、勝訴)東邦殖産株式会社は請求原因として、被控訴人は昭和二十八年三月二十五日控訴人に対し金三十三万八千九百九十五円を弁済期同年四月三十日、利息は金百円につき日歩二十銭の約定で貸しつけ、弁済期まで三十七日分の利息金二万五千八十六円を前払として差引き、金三十一万三千九百九円を同日控訴人に交付した。然るに控訴人は弁済期に右貸金を返済しないので、右貸金中金三十一万七千九十一円(右金額は天引利息中、利息制限法の制限を超える部分金二万一千九百四円を貸付額より差引いた残額)及びこれに対する完済までの年一割の割合による遅延利息の支払を求めると主張した。
控訴人は答弁として、被控訴人主張の日その主張のような金額を被控訴人より受領したことは認めるが、これは被控訴人主張のような消費貸借に基くものではなく、手形割引によるものである。すなわち、右金員は控訴人が訴外日本印刷工業株式会社から紙類売掛代金支払のため振出交付を受けた金額三十三万八千九百九十五円の約束手形一通を被控訴人に裏書譲渡して割引を受けた結果受領した割引金であつて、被控訴人より借り受けたものではない。当時被控訴会社の代表者長谷川久治は右訴外会社の経営権を掌握しようとしていたため、その具に供する目的で右のように控訴人の右会社に対する手形債権を対価を支払つて被控訴会社に譲り受けたものであり、被控訴会社は右手形について支払の呈示をもしなかつたが、それも右の理由によるものである。その後長谷川久治は右訴外会社の経営権を掌握するという所期の目的を達しなかつたようであるが、控訴人の受領した前記金員が手形割引金であつて貸金でなかつたことには変りはないと抗争した。
理由
証拠を総合すれば、被控訴会社が貸金業を営む株式会社であつて、昭和二十八年三月二十五日控訴会社に対し金三十三万八千九百九十五円を弁済期は同年四月三十日利息は元金百円につき一日金二十銭の割合と定めて貸しつけることを契約し、弁済期までの利息として金二万五千八十六円を天引し、残金三十一万三千九百九円を控訴会社に交付したことを認めることができる。控訴人は、右金員は控訴会社が被控訴会社から手形の割引を受けたことによる割引金であつて借受金ではないと抗争するので按ずるに、右金員授受の当時控訴人主張の約束手形一通が控訴会社から被控訴会社に裏書譲渡され、その際手形割引という言葉も用いられたことは証拠によつてこれを認めることができるけれども、手形割引という言葉は必ずしも取引上手形売買の場合だけに用いられ金銭貸付の場合には用いられないものとはいい難く、手形割引がなされた場合にそれが右の何れに属するかは手形割引に関する当事者の契約によつて定まるものであるところ、証拠によれば、右手形は振出人の無資力のため振出人から支払を受ける見込は少ないものであつたことが認められ、かような手形を被控訴会社が控訴主張のような対価で買い受けるような特段の事情があつたことは控訴人の提出援用する全証拠によつてもこれを確認するに足りない。
これらの事実と各証拠を総合すると、被控訴会社と控訴会社との間には右手形割引という形で消費貸借がなされ、右手形の裏書譲渡はその消費貸借上の債務の支払を確保するためになされたものと認むべきであるから、右金員授受の当時控訴人主張の約束手形が控訴会社から被控訴会社に裏書譲渡され、その際手形割引という言葉が用いられたからといつて、これを以て被控訴会社と控訴会社との間に本件金員の貸借がなされたとの前記認定を覆すに足りない。
ところで、右貸借における前掲利息の特約は明らかに貸借当時施行されていた旧利息制限法所定の制限に牴触するものであるから、これを同法所定の制限内に引き直し、現実に交付された金員に正当に控除できる利息額を加算するときは金三十一万七千九十一円となり、被控訴会社と控訴会社との間には右金額を元金とする金銭消費貸借が有効に成立したものというべきである。
よつて控訴人に対し右金員及びこれに対する年一割の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人の請求は相当であるから本件控訴は理由なきに帰するとしてこれを棄却した。