大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)818号 判決

みぎ認定の事実によれば、控訴人の本件手形の振り出しは被控訴人の強迫によるものと解するのを相当とする。

しかして控訴人がその主張の日に、被控訴人にたいし、その主張のようなとりけしの意思表示を発し、みぎがその主張の日に被控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。

ところで、被控訴人は、みぎとりけしの意思表示のある前に控訴人の一部支払によつて追認がなされた旨主張し、控訴人はみぎ支払は強迫状態のけいぞく中になされたから追認にならないと抗争するので、この点について判断をすすめる。

いずれもその成立について争いのない甲第三号証、同第六号証の一、二、乙第二号証、同第四号証の一、二の各記載と原審証人佐藤庄市郎の証言の一部および原審ならびに当審における控訴本人の供述をあわせ考えると、控訴人は本件三通の手形を振り出したものの金策がつかないままに(一)の手形を不渡りとしたので被控訴人は弁護士佐藤庄市郎に前記三通の手形の取り立てを依頼した、控訴人は佐藤弁護士の連絡で昭和三十年一月八日同弁護士の事務所へおとずれ、同弁護士に本件手形振り出しのいきさつを説明し、本件手形が被控訴人の強迫によつて振り出されたことをのべて一切の問題を解決してもらうつもりでもつていつた金四十万円を手わたした。同弁護士はみぎ金員を、もとより一切の問題を解決するための示談金としてではなく、また前記手形の内金としてでもなく、たんにあずかるということで一応これをうけとつておいて、ただちに被控訴人の意向をただしたところ、現金百五十万円の支払をうければのこり五十万円は請求しないというので、控訴人にたいしその線で話しをすすめたところ、控訴人は三月末日までに金百五十万円をつくることに努力する旨を約したが、支払をしなかつた、そして、同年五月二十七日に控訴人はさきにあずけた四十万円を本件手形の内入弁済にあてることを承認するとともに、同年八月中に金百五十万円を支払うことにより一切解決ずみとしたい旨申し入れ、佐藤弁護士作成の債務確認書(甲第三号証)に署名し、かつ、つめ印を押し同弁護士は、その線にそつて被控訴人の承諾をえるよう努力する旨約したが、控訴人はついにこの支払をしなかつた。かように認定することができる。

甲第三号証、前記証人佐藤庄市郎の証言中みぎ認定に反する部分は当審における控訴本人の供述にてらし信用しない。他にこの認定をうごかすにたりる証拠はない。

前記のとおり控訴人が金四十万円を本件手形金の内入れ弁済にあてることを承諾したことは、まさに民法第百二十五条第一号にいう「一部の履行」にあたるとみられる。ところが、当審における控訴人本人尋問の結果によると、前記一部弁済の当時控訴人はなお被控訴人の強迫による畏怖状態にあつたものとみとめられる。すなわち、控訴人は連合国軍による占領統治時代以来米軍の施設内に理髪業をいとなみ、米国軍関係者との接触における経験から考えて米国軍関係者にたいする被控訴人のごとく同国人であるアメリカ人の発言は非常に有力であり、かようなアメリカ人の好意を得れば便益を得るかわりに、反対に、にくまれきらわれる場合には、不当な不利益をあたえられることのあることを信じていたので、さきに被控訴人に強迫されてやむなく手形を振り出したのであるが、いままた、その支払を断然こばむなどしたならば、被控訴人のため控訴人に不利益ななにをされるかわからないとのおそれをいだいておつたこともみとめるに十分である。

もつとも、この当時事件の処理はすでに被控訴人自身の手をはなれ、被控訴代理人佐藤弁護士のもとに移つていたことは控訴人のあきらかに争わないところであり、しかもみぎ佐藤弁護士の交渉態度はきわめて紳士的であつて、控訴人は尊敬と感謝の念をさえいだいていたということは当審における控訴本人の供述によつてこれをうかがうことができるが、これらの事実をもつてしても、前認定の米軍施設内という特別なふんいきと被控訴人の言動からかもし出されて、深く控訴人の心にしみこんでいた畏怖心をついに緩和する由なく、すなわち、強迫によつて本件手形を振り出して以来の控訴人は、あたかも、ヘビにみこまれたかえるにたとえられる心もちでいたとみとめられる。したがつて前記の「一部履行」は取消の原因である強迫が続いている間の行為であつて、民法第百二十五条本文に定める追認とみなす要件をみたさないということになるので、被控訴人の主張は採用することができない。また控訴人が債務確認書(甲第三号証)に署名つめ印したことも、これを追認の意思表示とみても前記一部履行と同時にしたものであるから、前記説示からわかるように「取消ノ原因タル状況ノ止ミタル後」にしたものではないからもとより無効である。

(藤江 谷口 満田)

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