東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)1号 判決
一、原告が訴外小島麻太郎から原告主張の商標登録出願(昭和二十九年商標登録願第二、九四三号)により生じた登録を受ける権利を譲り受け、特許庁に対し出願名義変更の届出をしたところ、その主張の通り拒絶査定を受けたので、抗告審判の請求をしたが(同年抗告審判第一、四三〇号)右請求は成り立たないとの審決があり、その審決書謄本が原告主張の日に原告に送達されたこと、及び右審決の理由の要旨が、本件出願商標は「アイリス」の称呼観念を有し、「アイレス」の称呼を有する登録第四一七、三八三号の商標と紛らわしく、称呼上類似の商標であつて、指定商品においても互に牴触するから、旧商標法第二条第一項第九号に該当する、というにあることは、当事者間に争がない。
二、さて、本件出願商標及び審決が本願拒絶の理由に引用した登録第四一七、三八三号の商標がそれぞれ末尾表示の通りの構成を有することは、当事者間に争がなく、これによれば、本願商標は、羽根を拡げた蝶を象徴的に表わした図形に杵状の区劃(原告はこれを羽根枠とも称している。)を横に交叉して重合し該杵状区劃内に「IRIS」のローマ字を横書して成る、のに対して、引用登録商標はゴシツク体で「アイレス」の片仮名文字を左横書にして成るものである、ということができる。
そこで、両商標を対比してみるのに、両者が外観において全く相違していることには、いささかも疑問の余地がなく、またその包蔵する意義においても、本願商標は、羽根を拡げた蝶を表わしたものと認められる図形を有することは前認定のとおりであり、また、そのローマ文字の「IRIS」は、「虹」、「虹彩」又は「菖蒲」の意義を有する英語であるから、本願商標からは、これらの観念を生ずるものであるのに対し、引用登録商標の「アイレス」は一般の用例においては何ら特別の意義を表現せず、単なる称呼商標であると認めるのほかないものであるので、観念上も両者は相類似するものではない、と考えるのが相当である。しかし、両者は、その称呼の上において、前者がその蝶形図形を有することによつて、「蝶」印、その他これに類似する称呼を生ずるか否かの点はしばらくおき、中央に顕著に表示された「IRIS」のローマ文字のうち「I」は英語で「アイ」と発音されること、英語知識の普及した今日において、ほとんど常識であるといつてよいから、該ローマ文字は全体として呼称する場合において、「アイリス」と呼ばれ、したがつて、「アイレス」と呼称されること明らかな後者と混淆され易く、相類似するものと認めざるを得ない。本願商標中、右ローマ文字の部分は蝶形図形の附記的部分に過ぎないとの原告の主張は、別紙表示の本願商標の構成に照して、にわかにこれを首肯することができず、原告の主張する商標の全体的観察によつても、本願商標中、該文字部分を無視することは、かえつて不当である。
そして数個の商標を対比し、称呼の点のみ類似する場合にあつても、旧商標法第二条第一項第九号の適用において類似する商標と認めなくてはならないことは、例えば電信や電話による注文のごとく、単に称呼による取引の場合を想定し、右規定が取引の混淆を防止し、業者の信用を維持する趣旨に出でるものであることを考え合せれば、明瞭である。
引用商標が被告主張のとおり既登録のものであり、かつその指定商品も被告主張の各商品であることは、原告の明らかに争わないところであるので、本願商標は他人の登録商標と称呼の上において類似し、かつ指定商品も亦類似するので、旧商標法第二条第一項第九号に該当し、その登録は許すべからざるものである、といわなくてはならない。
三、原告は、審決引用の登録商標は、現在存続期間満了によつて失効している本願商標と同一構成の登録商標が有効に存続している間に、登録出願され、かつ登録されたものであるから、本願商標と引用登録商標とが類似するものでないことは、これによつても明らかである、と主張するが、商標の類否判断は必ずしも過去の審査の例に拘束されるものではなく、また前にされた査定が必ずしも過誤のないものであると断定することのできないことも、無効審判請求の制度のあることによつて、明白である。そして、仮に本件引用登録商標が、本来登録すべからざるものを誤つて登録された商標であつたとしても、無効審判によつてその無効の確定しない以上は、旧商標法第二条第一項第九号所定の、他人の登録商標たることを失わないものといわなくてはならない。
さらにまた、原告主張の過去における図形の類似による連合商標登録の事実及び登録異議申立事件の決定において当時の特許局審査官が本願商標と同一構成の商標と「アイリス」なる商号とは互に相違する、と判断した事実も亦、必ずしも前示認定をくつがえすに足るものではない。
四、更に、原告が本件抗告審判において、本願商標は永年使用によつてすでに原告の商標として周知されているから、引用の登録商標と取引上混淆されるおそれはない、と主張したのに対して、審決が原告提出の書証をもつては、右主張事実を認めることができない、と判断したことは、被告の明らかに争わないところである。
弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第九、第一〇、第一二ないし第一四号証の各一、二、三(各売上明細)、第一一号証の一ないし一二六(各証明書)、第一六ないし第一八号証(各納品書)、証人周東喜一郎の証言により原告会社の商品であることが明らかな検甲第一号証(双眼鏡)、証人山田寿勝の証言により原告の商品であることが明らかな同第二、三号証(顕微鏡)、証人宇田川四五郎の証言により原告会社の商品であることが明らかな同第四号証(顕微鏡)、証人伊藤一郎の証言により原告の商品であることが明らかな同第五号証(ルーペ)に、証人井戸武義、周東喜一郎、山田寿勝、宇田川四五郎、伊藤一郎の各証言を併せ考えれば、原告はその営業の前身である小島眼鏡店こと小島麻太郎の時代の昭和七年春頃から引き続いて、その商品である望遠鏡、顕微鏡、双眼鏡、拡大鏡等に、本願商標と同一の商標、或は単に「IRIS」なるローマ文字を横書して成る商標を使用している事実を認めることができる(従つて原告が商標法第三十二条(旧商標法第九条)に基き先使用による商標の使用をする権利を有するか否かは別個の問題である。)けれども、そのような事実だけでは、本願商標が引用の登録商標と称呼上相紛らわしいという前示認定を左右することができない。
〔編註〕 本件に関する商標は左のとおりである。
本件出願商標
<省略>
引用の登録第417383号商標
<省略>