東京高等裁判所 昭和33年(う)1147号 判決
被告人 陳国珍
〔抄 録〕
所論は、原審は被告人に対する情状認定の資料として、被告人が前に麻薬を売却すべく所持していた事実を明らかにするため、その旨の裁判所の判断を判決理由中に記載している被告人に対する別件の無罪判決書の謄本を刑事訴訟法三二三条三号の書面として証拠調をしているが、かような場合よろしく右裁判所の判断の根拠となつた証言等そのものに関しあらためて証人尋問等の証拠調を行うべきであるにかかわらずこれをなさず、単にその結果たる判断を記載したに過ぎない間接証拠である判決謄本をそのまま事実認定の資料に供した点において、証拠はすべて直接証拠によるべきことを定めた憲法三七条二項の趣旨に違反するのみならず、判決書において無罪の理由として説明したに過ぎないものを他の事件の裁判に際して有罪の情状の証拠として採用した点において採証の法則を誤つた違法があり、右法令の違反はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
しかし、情状たる事実換言すれば有罪判決における単なる量刑の資料たるにとどまる事実は、罪となるべき事実(累犯加重の要件たる前科の事実のように罪となるべき事実に準じて考えらるべきものを含む)と異なり、講学上いわゆる厳格な証明を必要とせず自由な証明で足り、(この点は従来判例の示すところである。近時実務上往々反対の見解を聞くが、刑事訴訟の目的からみて犯罪事実と単なる情状に過ぎない事実との間における意義および性質の相違犯罪についてはその証明がなければ無罪の言渡をしなければならずかつそれをすれば足りるが、量刑についてはそれが裁判所の自由裁量事項であるとともに反面有罪の認定をした以上当事者の立証の有無にかかわらず裁判所が職権をもつて必ず妥当な刑を量定処断しなければならないこと、また訴訟の迅速化などの諸点から考え、自由に広く価値ある証拠を資料とすることができるように、情状たる事実についてはやはり自由な証明をもつて足ると解するを妥当とすべきであろう)。これが証拠とすべき資料について法律上何らの制限がなく、いやしくも何らかの証拠価値ありと認められるかぎり、伝聞証拠であれ、どのような意見証拠(この用語の意義は必ずしも統一されていないかも知れない。しかし裁判所の事実に関する判断を記載した所論の判決書謄本は一種の意見証拠ということができるであろう。しかもそれは、単なる裁判所の臆測的意見ではなくして適法な証拠調の結果に基いたものである。その意味において事実判断を記載した他事件の判決書は、刑事訴訟法四三五条四号、三二三条三号の趣旨に徴してもうかがうことができるように、むしろ厳格な証明の対象たる事実認定の資料にも供し得るのではないかと考えられるが、それはしばらくおく)であれ、その他すべてこれを証拠に供し得べきものと解する。しかして憲法三七条二項はいわゆる厳格な証明の伝聞対象たる事実認定の場合にのみその適用を見る趣意であることは明らかであるから、本件の情状たる事実認定について原審が同条項に違反した旨の論旨はその当を得ないばかりか、そもそも右規定は所論のような判決謄本を証拠とすることができるかどうかの問題にかかりあいを持たないといわなければならないし、その他たとい原審が被告人に対する情状認定の資料として所論の無罪判決書の謄本中理由の記載を証拠にしたからといつて採証の法則を誤つた違法はもとより何らの法令違反も存しない。
(加納 足立 山岸)