東京高等裁判所 昭和33年(う)1571号 判決 1958年11月12日
控訴人 被告人及び原審弁護人
被告人 石井春男 外二名
弁護人 石橋信 外四名
検察官 杉本覚一
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
被告人石井春男の弁護人石橋信の控訴理由、被告人富弥清の弁護人徳岡一男の控訴理由、同安藤国次の控訴理由、被告人榎本治雄の弁護人中島登喜治、神垣秀六の控訴理由は、いずれも、末尾に添附する各控訴趣意書と題する書面に記載するとおりである。
ところで、犯罪の被害者またはその法定代理人が、司法警察員または検察官に対し、犯罪事実を申告して、犯人に対する処罰を求める意思を表示したときは、これ明らかに告訴ありたるものというに妨げないのであるから、それが口頭によつてなされたものに、その旨を録取した書面が「供述調書」の形式をとつたものであつても、当然に、それは刑訴法第二四一条第二項にいう調書というべきである。本件事犯の被害者○○○○子の法定代理人である実母千脇いきの司法警察員苅込熊五郎に対する供述調書(昭和三二年八月二五日付)の内容を見るに、そこには本件事犯につき犯人に対する処罰を求める旨の意思が表示されていることが明らかであるのであるから、該調書はまさに告訴権者千脇いきの告訴を録取した有効な告訴調書といわなくてはならないし、また、被害者○○○○子の検察官に対する供述調書(同年九月一三日付)においても、明らかに右と同様の趣旨を観取し得られるのであるから、本件事犯につき告訴のあつたことは、一点疑うの余地はない。
だから、被告人富弥清に対する本件公訴の提起(同月一四日)の手続は法律上何等欠くる所はないのであつて、弁護人徳岡一男の論旨第一点にいうがごとく、公訴棄却の判決をなすべき筋合ではない。次に、本件は最初、強姦致傷の訴因をもつて公訴が提起されたのであるが、原審第九回公判において、強姦の訴因が予備的に追加されたのであつた。訴因の予備的追加は追起訴ではない。だから、訴因の予備的追加前に告訴の取消があつたとしても、その取消は法律上有効な取消ということはできない。しかも、告訴の取消は告訴と同様に、検察官または司法警察員に対する意思表示によつてなされなければならないのであつて、ただ、単に示談が成立したという事実を捉えて、これを告訴の取消と同一視しようとする所論のごときは、まつたく、独自の見解の域を脱せざる主張たるに過ぎない。本件公訴の提起前に有効な、告訴の取消のあつたことを認むべき跡の絶えてない以上、本件公訴を棄却する判決をなすべきいわれはない。よつて、弁護人徳岡一男の論旨第一点の所論は、すべて採用するに由なく、従つて、該論旨は理由ないものといわなくてはならない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道)
弁護人徳岡一男の控訴趣意
第一点原判決は「不法に公訴を受理し」たものである故これを破棄するを相当と考える。
一、原審検察官は昭和三二年九月一四日起訴状に強姦致傷の訴因、罰条を示して本件公訴を提起したのであつたが、その後昭和三三年五月三〇日の原審第九回公判期日において裁判長から「訴訟の経過に鑑み強姦の事実のみを予備的訴因として追加する意思はないか」と釈明された結果、強姦の訴因、罰条の追加を為したところ原審裁判所は、強姦致傷の主位的訴因を排して強姦の予備的訴因を採つて、被告人富弥に対し、懲役二年の有罪判決を下したものである。
二、然し乍ら、本件の事案では、原判決言渡の時に至る迄-強姦の予備的訴因の追加の前後を通じて-適法、有効な告訴が存在するに至らなかつたものと考えられるから、原審裁判所はすべからく刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り公訴棄却の判決を言渡すべきを相当と考えるのである。
三、告訴不存在の主張の根拠は次の如くである。
(一) 公訴の提起前に告訴なし。
公訴の提起前に被害者側から有効な告訴状の提出が無かつた事は記録上明白である。然らば「口頭による告訴」が有効に為されているかどうかの点について考えるに、元来検察官又は司法警察員が口頭による告訴を受けたときは、刑事訴訟法第二百四十一条第二項に基いて、「告訴調書」を作成しなければならないのである。
然るに、本件では(被害者○○○○子及びその親権者たる実母千脇いきが当時告訴の意思を表示したものではなく単に被害を申告したにすぎなかつたのではないかとの疑問は暫く措き)作成された調書は、いづれもその形式が告訴権者の口頭の告訴を記載するための「告訴調書」ではなく、単なる「供述調書」にすぎなかつたばかりでなく、同調書作成の根拠条文も前掲第二百四十一条第二項ではなく、第三者の任意出頭、取調に関する同法第二百二十三条に基くものである。このことは証人苅込熊五郎の次に掲げる証言で明らかである。(原審第七回公判、記録二四五頁以下)
神垣弁護人の質問に対する答
問「千脇いきより供述調書をとつたのは、刑事訴訟法第何条に基いて呼出して取つたのか、第二百二十三条に基いてか」答「刑事訴訟法第二百二十三条に基くものであります」問「それでは、事件の第三者として調べたのか」答「そうです、事案については、第三者として調べたのですが、更に千脇秀治が被害者の親であるかどうかも調べました」問「千脇いきを取調べたのは、刑事訴訟法第二百四十一条第二項に基いて取調べたのではないな」答「この条文に基いたものではありません」
中島弁護人の質問に対する答
問「右の調書は、被害者宅で作成しているが、その時は、刑事訴訟法第二百四十一条第二項による書面として作成したのではないな」答「口頭による告訴の告訴調書として作成したものではないと思つています」問「証人として、当時千脇秀治より告訴状が出ているが、その告訴状だけで事件を処理しても良いと思つていたのか、告訴として十分だと思つていたのか」答「告訴として十分であると思つていました」
(二) 公訴提起後、予備的訴因(強姦)の追加迄にも有効な告訴なし。
却つて反対に、告訴権者には、犯人の処罰を求める意思が無い旨の明確な表示があるのである。
即ち被害者○○○○子の親権者である千脇いきは昭和三三年二月一二日の公判廷において次の如く証言するのである。
(記録二二〇頁以下)
検察官の質問に対する答
問「悪い事をした人の方から示談の申込があつたか」答「事件直後からありました」問「どうゆう人からあつたか」答「私の親戚の人が仲に入りそつちから話がありました」問「証人の方は示談に応じたか」答「応じました」問「何時頃か」答「十一月十三日(昭和三十二年)に示談が出来ました」
安藤弁護人の質問に対する答
問「今、被害者の親として、どう思つているか」答「寛大な処分にしていただきたいと思つています」
(三) 予備的訴因追加後原判決言渡の時迄に告訴がないことも記録上疑う余地はない。
四、右に論証する如く本件に於ては終始有効な告訴が存在しないと認むべきが正当と考える、然り而して本件事案で有効な告訴の存在する事が、訴訟条件の一として、重要な意味を帯びるに至つたのは強姦罪の予備的訴因の追加が為された昭和三三年五月三〇日以後のことと言わなければならない。蓋し、その時以前には、唯「非親告罪」としての起訴があつたに止るからである。
原判決は或いは最高裁の判例(昭和二十六年七月十二日、第一小法廷、集第五巻第八号)に従い告訴ありとするには、被害者から、司法警察員又は検察官に対し、犯罪事実につき犯人の処罰を求める旨の意思表示あるを以て足りる、との解釈を採用されたるやに推察されるのである。
然り而して前掲千脇いきまたは○○○○子の司法警察員あるいは検察官に対する供述を以つて追起訴の強姦罪の告訴ありたるものと判断されしと考えるのであるが同判例の事案は最初から親告罪である犯罪(強制猥褻罪)が問題にされていた場合である。これに反して本件は前段説明の如く最初は親告罪でない。而して仮りに右千脇いき等の供述を以つて告訴の意思表示と解しても右意思表示は強姦罪の予備的訴因追加前に「示談」によつて、完全に撤回されていた(前掲証人千脇いきの証言によれば示談は本件の第一回公判前に成立しているのである)と認められる故前示判例の場合と同様に解釈することは不合理であると信ずる。
(その他の控訴趣意は省略する。)