東京高等裁判所 昭和33年(う)1989号 判決
被告人 飯島竜明
〔抄 録〕
所論はいずれも原判決の量刑が不当であると主張するものである。
よつて本件記録を調査すると、本件は殺人事件として起訴されたものであるが、原審はこれを嘱託殺人と認定したのである。そして記録によれば、被害者は当日判示つたや方二階客室において致命傷を受けた後、客室より階段降り口まで逃げ出し、助けてくれと云つたこと、被害者の両親は被害者が被告人と結婚することを賛成していなかつたこと、被害者は前に被告人が自殺さわぎを起したとき「死ぬなんて馬鹿らしい」等といつていたこともあり、また家出の前「被告人に貸しがあるからとりに行く」と母親に話していたこともあるので、以上の点から見ると、被害者が既に死亡した今日果して被害者が本心から被告人に殺してくれと頼んだかどうかを確認する方法もなく、あるいは本件はいわゆる無理心中ではなかつたかと疑われるふしもないではないが、押収にかかるナイフ(昭和三三年押第七三一号の一)は刃渡五センチメートルに満たない、普通何人でも所持しているようなナイフであり、被害者の創傷は前頸部右方に深さ六センチメートルに達する本件の致命傷と認められる刺傷がある外、その附近に浅い切創一個右肘関節部に皮下出血一個所があるのみで、被害者が抵抗した跡は全く認められず、本人が死を覚悟していない限り右のような兇器で一刺をもつて被害者を死に致すことは至難と考えられること、被害者の実母の提出にかかる便箋吸取紙(同号の三)には、被害者の筆蹟で、二三日帰らなくてもさわがないで下さいとの記載があり、本人の家出は自己の意思による覚悟の家出と認められること、本件当日被告人も前頸部中央右寄りに深さ約三センチメートルの刺創を受けており、出血も多く、その部位程度から見て非常に危険な状態であつたことが認められるので、以上の点から考えると被害者の嘱託によつて、心中するつもりで同人を刺したと云う被告人の供述は一応措信するに足るものと認められるから、原審がこれを嘱託殺人と認定したことは相当と云うべきである。しかし、被害者から心中を迫られたとは云え、被害者の両親が当時の状況の下における被告人と被害者との結婚に賛成でないことは被告人も熟知していたのであり、一方被告人は当時職を離れ生活に窮し、先に自殺を図つたこともあつたが、被害者自身としては自殺をしなければならぬ事情があつたことは記録上何ら認められないのであるから、被告人としては被害者から心中を迫られたとしてもこれを思いとどまらせるよう説得し、実家に帰らせ、被告人自ら自活の途を講じた上正式に同女を妻に迎えるよう一段の努力をすべきであつたのに、軽々にその願に応じ自己の生命のみならず他の生命をも失うような暴挙に出たことは深く非難に値するところであつて、被告人の本件行為によつて年若い一人の生命が奪われると云う結果を生じたことについて被告人としては十分にその責任を感じ、その責に任ずべきものと云わなければならない。
被告人が現在に至り老齢の母の身上を思い刑の軽いことを望む気持は判らないではないが、これと共に、被告人のため愛する娘を失つた被害者の両親の心情にも思いを致すべきであつて、被告人としては一日も早く刑責を果した上、被告人自身並びに被告人と被害者の親のため、更生の途を励むという堅い決意を抱くことが現在最も必要な心構えであると考えられる。
以上各般の事情を総合し並びに記録に表われた被告人の年齢経歴家庭状況等の諸般の事情に徴するときは、原審の事実の認定並びに刑の量定はいずれも相当であつて本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却すべく、刑法第二十一条により当審における未決勾留日数の一部を原判決の本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により被告人にこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(坂井 山本長 荒川)