東京高等裁判所 昭和33年(う)435号 判決 1959年3月16日
被告人 少年 E
主文
本件控訴を棄却する。
理由
所論は、諸般の情状に照らし被告人は死刑に処するを相当とするにかかわらず、これを無期懲役に処した原判決の刑は軽過ぎる、というのである。よつて按ずるに、本件の罪質はA(当時十六年)に対する強姦、殺人、死体遺棄ならびに窃盗の罪とB(当時十五年)に対する傷害ならびに殺人未遂罪であるが、その犯行の動機は、映画見物の帰途、右A及びBの二人乗り自転車を追い越した際にわかに劣情を催し強姦を決意したもので、被害者たる両名には挑発的な言動やその他責められるべき事由は少しもなかつたこと、その犯行の経過をみると、闇中の橋の袂に待ち伏せして両名を呼び止め、恐怖に戦いている同人らを富士川の河原に強いて連行し、まず通報発覚を防ぐため、Bを気絶させようとして殴る蹴るの暴行を加えて同人をその場に殴り倒し、因つて原判示のような傷害を与えたが、同人が仮死を装うやAを脅迫して全裸にさせた上その着衣で眼かくし、猿ぐつわをかけ、両手を後手に緊縛するなどその自由を完全に奪つて姦淫の目的を遂げたが、その罪証を隠滅するために同女をその場で扼殺し、またさきに気絶させたと思つた前記Bを土中に埋めようとしたところ、同人がまだ生きているのを知り、その首を締め、かつ鼻口を圧したりして殺害しようとしたが、同人からあまりに泣訴哀願されたためこれをやめ、強く脅迫して同人を果怖させ、同人に手伝わせてAの死体を河原の砂中に埋没したが、同女が腕時計をしていたのを想起し、貪慾にも死体を堀り起して時計を奪取した上、再びこれを砂中に埋没遺棄したものであつて、その犯行の態様たるや検察官所論のとおりまことに執拗かつ残虐極まるものというべく、その犯跡隠蔽の手段も巧妙で冷静沈着に処理しているばかりでなく、本件犯行後も検挙されるまでは平然として日常の生活を営み、毫末も自責の念のなかつたことが、記録上明らかであるから、本件はその動機や犯罪の態様は勿論、犯罪後の情状においてもなんら酌量の余地はなく、最も悪質の部類に属するものと断定しても過言ではない。
また、本件の被害者はいずれも少年であるが、ことに殺害されたAは、昭和十五年七月十九日C、同Dの長女として生まれ、両親や祖母の愛撫を受けて成長し、昭和三十一年三月、中学校卒業後は家事の手伝いをしたり、印判加工の見習に通つたりしていた明朗、健康な少女であつて、なんら責められるべき事由もなかつたのに被告人から前叙のような辱かしめを受け、しかも貴重な生命まで奪われて河原の砂中に埋没されるに至つたものである。同女自身の苦しさや怨みはいうまでもないことであるが、心からAの成長を楽しみにしていた両親や祖母の悲歎を想うときその心情はまことに察するに余りがあり、同人らの被告人に対する被害感情が甚だ強烈であるのは決して故なしとはいえないのである。なお被告人の本件犯行が附近の住民に甚大な衝撃を与え、人々を深刻な恐怖の淵に陥れたことは想像に難くないが、これらの点も被告人の刑事責任を定める上において決して軽視することのできないところである。
敍上のように、被告人の犯した行為は本質的にも甚だ悪質であり、その被害者の遺族たちに蒙らせた被害感情はもとより社会に与えた影響も少くなかつたと認められるから、被告人の責任は甚だ重大であるといわなければならない。検察官が被告人を極刑に処すべしと主張するのは決して理由のないことではない。
しかしながらひるがえつて被告人の性格や生い立ち、境遇等をつぶさに検討してみると、被告人は昭和十三年四月三十日F、同Gの四男として出生したが、当時被告人の父は事業に失敗し、被告人の外に六人の子供をかかえて苦しい生活を続けながらよく努力を重ねた末、次第に経済的な基礎を築き数年前から貨物自動車三台を備えて運送業を営むようになり、現在では居町でも中流以上の生活を送るようになつたこと、けれどもその間において被告人の下にも相次いで四人の弟妹が生まれたので、被告人の両親は生活に追われて子女を十分に補導監督することができず、子供たちは放任されていた憾みがあり、ことに被告人の直ぐ下の弟が病身で長らく入院し母がその看護に専心したため、幼時における被告人の養育は主としてその姉たちに委ねられ母の手を煩わすことが少なかつたが、これは被告人の成長後も尾を引き、被告人と母との間の愛情には他の子供たちとの間におけるそれとはやや相違するものがあつたようであるが、これらのことは被告人の性格を形づくる上に微妙な影響があつたものと推認せられること、かような環境の下において被告人は昭和二十九年三月山梨県○○摩郡××中学校を卒業し、間もなく静岡県富士宮市の鍛治屋へ見習に住み込んだが、数ヶ月でこれをやめ、父の許で貨物自動車の助手として家業の手伝いに従事するに至つたものであるところ、被告人は幼時から口数が少なく、両親に対する親愛の情を表わすことも稀であつたので、その母からさえなんとなくうとまれていた上に父や兄たちの性格が粗暴で、何かにつけて乱暴を受けることが多かつたので、常に不必要な防禦姿勢をとり、次第に孤独に陥つていたことが認められる。換言すれば、被告人の本件犯行当時における環境は、家計も比較的豊かで、外見は幸福そうに見られるが、両親の仲は円満を欠き、兄たちは粗暴で罰金等の前科もあるという状況で、その家庭環境は決して良好であつたとはいえないのである。原審鑑定人菅又淳作成の鑑定書によれば、被告人は情性欠如の異常性格者であることが認められるが、それは被告人の先天的性格のほかに前敍のような生育の過程ならびに家庭環境によつて形成せられたものと推認されるから、被告人が本件犯行をあえてするに至つた責任の一半はその家庭環境にあるということは否定できない。
敍上の事実に被告人が本件犯行当時十八年六ヶ月余の少年で思慮分別も十分でなかつたということ、被告人にはこれまで前科その他警察沙汰になるような非行がなかつたこと、被告人は本件犯行後改悛の情が顕著で、心から被害者の冥福を祈り、しよく罪の生活を送つていること、被告人の実父から被害者Aの遺族に対し慰藉料十万円を贈つて謝罪の意を表し、被害者の父Cも現在においてはようやく被告人を宥恕する気分になつたこと、ならびに「犯行時十八年未満の少年には死刑を科さない。」と定めた少年法第五十一条の精神などを併せ考えると、被告人の所為自体はまことに万死に値するほどの悪質のものではあるが、なお極刑に処するのはこれを避けるのが相当であると認められる。従つて右と同趣旨に出で被告人を無期懲役に処した原判決の刑は相当であるから論旨は竟に理由がない。
よつて本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条に則りこれを棄却し、主文のように判決する。
(裁判長裁判官 三宅富士郎 裁判官 河原徳治 裁判官 下関忠義)