東京高等裁判所 昭和33年(う)654号 判決
被告人 高野教順
〔抄 録〕
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものなるところ、昭和三二年四月三日午前二時ごろ、小型乗用自動車を運転し、数寄屋橋方面より通称日比谷勝鬨橋線を築地方面に向け時速約四〇粁で進行し、東京都中央区銀座東四丁目二番地先交さ点にさしかかつたものであるが、同交さ点には黄色の点滅信号が表示されていたのであるから、かかる交さ点を通過するに際して運転者としては、左右に通ずる道路よりの他の交通に特に留意するは勿論、警音器を吹鳴して徐行する等の措置をとり、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、時速を約三五粁に減速したのみで、右側道路より進行して来る車馬のないのに気を許し、左側道路より交さ点に進入して来る車馬の有無を確認しないまま進行した過失により、折から左側道路より同交さ点に進入して来た徳田穰の運転する自動車左前方寸前に接近するまで気付かず、急遽把手を右に切り、急停車の措置をとつて避けようとしたが、間に合わず、自己の自動車の左側方を右自動車の前部に衝突させ、自己の自動車を横てんさせるに至り、因つて自己の自動車及び右徳田の運転する自動車に乗つていた左記の者に対し、左記のとおりの傷害を負わせたものである。
記
(氏名) (傷害の部位) (全治期間) (備考)
工藤光正 歯齦座創等 約三週間 被告人の自動車に乗車
勝又清一 右前額部挫創等 約一〇日間 同右
山崎真俊 左側頭部打撲等 約一週間 同右
梅津喜美恵 脳震盪症等 約三週間 徳田穰の自動車に乗車
岩下静江 同右 同右 同右
というにあるところ、原判決が、右公訴事実を証明するに足る証拠がないとして、刑事訴訟法第三三六条に則り、被告人に対し無罪の言渡をしていることは、所論のとおりであつて、論旨は、右は原判決が事実を誤認し、かつ適用法令の解釈を誤つたものであり、その誤認及び誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張する。
よつて案ずるに、原審で取り調べた証拠を総合すると、被告人が自動車運転の業務に従事する者であつて、昭和三二年四月三日午前二時ごろ、自己の運転するダツトサン五六年型事業用小型乗用自動四輪車(五き―二〇四〇)に工藤光正、勝又清一、山崎真俊の三名を乗せ、日比谷交さ点方向より銀座四丁目交さ点を経て勝鬨橋方向に向けほぼ東西に通ずる道路上を時速約四〇粁で進行し、東京都中央区銀座東四丁目二番地先三原橋交さ点に差しかかつた際、同交さ点の信号機が黄色の点滅信号であつたので、時速を約三五粁に減じて進行を続け、同交さ点中央附近を通過し終つたころ、当時前記道路を同交さ点において真角に交さする昭和通りを上野方向より新橋方向に向け時速約四五粁位の速度で進行して来た徳田穰の運転するトヨペツト五六年型自家用小型貨物自動車(四す-五五三七)を左前方約数米に発見し、急遽ハンドルを右に切り、衝突を避けようとしたが、遂に、右徳田の運転する自動車の車輛前部が被告人の運転する自動車の左側ドアー部に激突したため、その衝突に因り、被告人の自動車が横転するに至り、その結果、起訴状記載のような各自動車の乗客がそれぞれ傷害を受けた事実、並びに同交さ点は、車道幅員約二四米の前記日比谷-勝鬨橋間を通ずる舖装路(中央に都電軌条が設置されている)と車道幅員三三米の前記昭和通りとの交さする道路であつて、右昭和通りには、道路の中央部に、該交さ点を除き、ほぼ南北に通ずる幅員約一一米の中央式駐車場が設けられてあり、道路が二分されていて、該駐車場の西側の昭和通りは、新橋方向より上野方向に向う車馬の一方通行、同東側の昭和通りは、上野方向より新橋方向に向う車馬の一方通行と定められており、各その幅員が一一米であること、右交さ点及びその附近は平坦であるが、本件事故当時においては、該交さ点の北側にある中央駐車場の南端附近に、臨時の工事小屋が設けられてあつて、自動車運転者の視界を妨げる状況にあつたこと、同交さ点は、昼間はもち論、夜間も相当おそくまで、車馬の往来頻繁にして、交通量の多いところであるが、本件事故発生当時は深夜であつて、交通至つて閑散であつたこと等の事実が認め得られるのである。そこで、右のような状況下における被告人の自動車運転者としての注意義務につき考察するに、一般に道路の交さ点に進入する車馬は、いずれも、道路交通取締法施行令(以下単に施行令と略称する。)第一一条第一項により、車道又は道路の左側を通行することになつているので、まず、左右に通ずる道路の右側から交さ点に進入して来る車馬、通行人等に注意し、次いで、左側から進入して来る車馬、通行人等に注意すべきものであり、このことは青色信号により進行する場合も同じであるが、「注意して進め」の黄色信号の点滅しているときは、前後左右に通ずる道路より同時に交さ点に進入する車馬、通行人もあり得る訳であるから、施行令第二条第二項第六号に規定するように、特に他の交通に注意して進行しなければならない義務があることは、所論のとおりである。故に、本件の場合において、被告人としては、交さ点の信号は、黄色の点滅信号であるし、左側駐車場南端附近には、前示のような工事小屋があつて、視界を妨げられていたことでもあるから、たとえ、深夜であつて、交通閑散な状況にあつたとしても、前示の工事小屋の陰から、いつ、どのような車馬等が現われないとも限らないことを予想し、衝突等の事故を未然に防ぐため、右側の昭和通りだけでなく、左側の昭和通りにも、十分な注意を払つて運転進行しなければならない義務があるものというべく、これがためには、所論のように、施行令第二九条の規定の趣旨に従い、昭和通りの左方から出現して来るかも知れない車馬、通行人等に対し、被告人の運転する自動車の存在を知らせるため、警音器を吹鳴したり、もし、車馬、通行人等が出現した場合に、これと衝突を避けるため、速力を減じ、いつでも急停車の措置をとり得る程度に徐行するか、又は、一旦停車して、交さ点に進入して来る車馬等のないことを確認した後運転を継続する等、事故を未然に防止すべく周到細心の注意を払うべき義務があることもまた所論の指摘するとおりである。しかるに、被告人の原審公廷における供述の一部、被告人の司法巡査、及び検察官に対する各供述調書、証人徳田穰の原審公廷における供述等によれば、被告人は、右業務上必要な注意義務に違反し、昭和通りの右方から進行して来る車馬等のないことに気を許し、左方から進行して来る車馬等には、十分な注意を払わず、単に、速度を時速三五粁位に減じたのみで、前示のような警音器吹鳴、徐行、一時停車等の措置に出なかつたものであることが認め得られるのであつて、被告人が右の注意義務を怠つた業務上の過失と前掲衝突事故との間には、因果関係があり、従つて、右の過失と本件傷害との間には、相当因果関係が存するものと認めるのが相当であると考えられるのである。原判決は、この点につき、「交さ点に進入の際には、被告人は一応前方並びに左右の交通状況に気を配つていることが窺われ、しかも、被告人は、時速を約三五粁に減じ車道の中央辺りを進行したのであるから、交通閑散、視界良好にして、かつ広かつとした本件交さ点附近の運転方法としては、特に警音器を吹鳴しなかつたとしても、自動車運転者としては、相当の注意を払つて進行していたものといえるのであつて、しかも、被告人が交さ点に進入したときは、未だ昭和通りから同交さ点に進入した車はなく、又道路の幅員の点から言つても、被告人の進行せる道路の方が昭和通りよりも幅員が大であり、いずれの点からいつても、道路交通取締法にいわゆる交さ点における交通の優先順位は、被告人の側にあつたとみるべきであるのに対し、相手方徳田穰は、自己の最高速度は三二粁と定められているにもかかわらず、六〇粁の高速度をもつて昭和通りを上野方向より新橋方向に向け進行し、狭い道路である昭和通りより広い道路に出るべき本件交さ点路上に至つても、何ら前記優先順位の点に顧慮を払うこともなく、一旦停車はおろか、減速の措置もとらずして進行を続けた結果、十数米の右前方に被告人の車輛を発見したにもかかわらず、急停車の措置もとることができず、衝突を避けようとして急転回して逃れようとする被告人の車輛にほとんど追躡するようにして激突して、これを横転せしめたものであつて、本件事故発生の原因は、一に相手方徳田穰の側にあり、被告人には、業務上の過失ありと認めるべきものがない。旨を判示して、これを無罪の理由としているのであるが、なるほど、記録全体を通じて本件を観察するときは、衝突の相手方である徳田穰の側にも業務上の過失が認められるばかりでなく、むしろ、その過失の程度が被告人に比べて一層重いものがあつたと認められるのであるけれども、しかし、右徳田の過失のみが本件事故の原因であり、被告人には、全然過失がなかつたと断ずる原判決の認定は、決して正鵠を得たものとは考えられないのであつて、もし、被告人において、前示の注意義務に従い、警音器を吹鳴していたならば、徳田穰の側においても、これによつて被告人の自動車の存在に気付いてこれに留意し、あるいは自らも警音器を吹鳴してその車の存在を被告人に知らせ、又は速度を減じ、あるいは一時停車する等の措置に出ることも期待し得られるのであり、かくして、互いに注意して適宜の措置をとるにおいては、本件事故を回避することができたであろうと考えられるのであるから、被告人の側にも、また前示のような過失があり、その過失が本件事故の一因をなしていることは明らかであるといわなければならない。又原判決は、前示のように、被告人側に優先通行の順位があつたことをもつて、被告人に過失がなかつたことの一根拠としているようであるが、(この優先通行順位の法的根拠につき、原判決の判示と検察官の論旨との間に見解の相違がみられるようであるけれども、結局、被告人側に優先順位があつたとする点については、両者がその揆を一にするのであるから、右見解の分かれる点に対する判断はこれを省く。)しかし、およそ自動車運転者たるものは、いかなる場合においても、他との衝突を避けるにつき、そのなし得べき最善の措置を講ずべき業務上の義務があるものであつて、(昭和九年七月一二日大審院第一刑事部判決参照)道路交通取締法が、安全交通の建前上、その第一七条、第一八条等において、車馬又は軌道車の通行順位を一応定めているからといつて、これがため、先行順位の運転者に対し、運転上必要な注意義務を免除し、警音器吹鳴一時停車、徐行等をなすべき義務がないとしたものと解すべきではなく、先行順位にある者であつても、右の法規を無視して進行路上に侵入して来た車馬に対しては、衝突させてもよいという道理はない訳であつて、もし、このような交通法規を守らない車馬等があつた場合には、これとの衝突を避けるためにも、警音器吹鳴、徐行ないしは一時停車等の措置をとり得るよう注意すべき義務があるものと解するのが相当であるから、被告人が先行順位にあつたからといつて、ただ、それだけで、被告人に過失がなかつたと断ずることはできないものといわなければならない。又、原判決が、「特に左方道路に対する注意を怠つたということは、衝突の直前右にハンドルを切つて事故を避けようとした事実に徴してもこれを認めることができない。」と判示していることは、所論のとおりであるが、すでに、衝突を避けることのできないような事態に立ち至らせた過程において過失のあつたことが認められる以上、かかる事態に立ち至つてからは、右のような衝突を避けようとした行為をとつたとしても、これがため、前の過失が消えるいわれのないことも、また所論のとおりであるから、原判決の右の判断は誤であるといわなければならない。
これを要するに、原審において取り調べた証拠を総合して考察するときは、本件の衝突事故は、相手方である徳田穰の業務上必要な注意義務を怠つた過失と、被告人の犯した前掲業務上過失とが競合し、これが原因となつて発生した不祥事であると認めるのが相当であり、被告人にも、所論のような業務上過失のあつたことは、これを否定しがたく、かつ、その過失と本件傷害との間には、相当因果関係の存することが肯認し得られるのであつて、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討考察してみても、右の認定が誤つているとは到底考えられないから、原判決は、ひつきよう、刑法第二一一条にいわゆる業務上必要な注意の内容を誤解し、かつ、証拠の取捨判断を誤つた結果、事実を誤認し、ひいて法令の適用を誤つたものというべく、右の誤認及び誤が判決に影響を及ぼすべきことは明らかであるから、原判決は、この点において到底破棄を免れない。論旨は理由がある。
(中西 山田 鈴木)