東京高等裁判所 昭和33年(ネ)2797号 判決 1960年3月22日
控訴人 被告 鈴木とり
訴訟代理人 安田進
被控訴人 原告 山興電機株式会社
訴訟代理人 広瀬松夫
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
被控訴人は控訴人に対して登録番号第四四三、三八〇号、名称ランプなる実用新案権につき代物弁済による移転登録申請手続をせよ。
訴訟費用は第一、二審と被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文通りの判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する、との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに提出、援用した証拠及び相手方提出の書証の成立の認否は、双方において
(一)、原判決中「実用新案特許権」とあるのを全部「実用新案権」と訂正する。
(二)、原審証人佐藤又三郎とあるのは通称であつて、本名は佐藤亦三郎である、
と述べ、
(三)、控訴代理人がさらに当審における証人宮下勉、成瀬信義の各証言及び被控訴会社代表者砂村英一の本人尋問の結果を援用したほか、
原判決事実摘示と同一である。
理由
一、控訴人を債権者、被控訴人を債務者として、控訴人は被控訴人に対し昭和三十一年十二月十九日に金四十万円を利息年一割八分、弁済期昭和三十二年三月十八日、但し被控訴人が他の債務につき仮差押、仮処分又は強制執行を受けたときは期限の利益を失い催告を要しないで直ちに元利金を皆済することの約で貸し渡し、被控訴人は右債務を担保するためその権利に属する登録番号第四四三、三八〇号、名称ランプなる実用新案権につき質権を設定し、かつ被控訴人が前記債務の弁済期が到来したのにかかわらず右債務を履行しないときは、控訴人の任意な選択により代物弁済として右実用新案権を控訴人に移転することを承諾すること、その他の約旨の記載がある、昭和三十一年十二月二十九日東京法務局所属公証人鶴比左志作成の同年第二、三〇六号金銭消費貸借契約公正証書が存在すること、及び控訴人は右公正証書の記載通りに金四十万円を被控訴人に貸与した旨主張し、昭和三十二年一月十六日、被控訴人に対し、前記公正証書の文言にしたがい、前記実用新案権を代物弁済により取得した旨通告してきたが、被控訴人は右実用新案権の控訴人に対する移転登録申請手続をしない事実については、当事者間に争がない。
二、被控訴人は、昭和三十一年十二月十九日に金四十万円の貸与を受ける前提のもとに前記公正証書に記載されてある各条項を約し、右公正証書の作成を承諾したが、結局貸与を受くべきはずの金四十万円を受領せず、したがつて消費貸借契約は不成立に終つた、と主張するので、この点について証拠を検討する。
前記当事者間に争のない事実に、成立に争のない乙第二号証(約束手形)、第三号証の二、三(実用新案権移転登録申請書及び譲渡証書)、第四号証の一、二(昭和三十一年十二月十七日振出金十八万円の小切手伝票及び右小切手の複写)、原本の存在及び成立に争のない甲第三号証の一、二、三(株式会社富士銀行新橋支店の送付書及び昭和三十一年十二月十九日振出の金四十万円の小切手)並びに原審及び当審における証人成瀬信義(原審の分は第一、二回)、原審証人宮野辰男、佐藤又三郎こと亦三郎(いずれも第一、二回)、当審証人宮下勉の各証言及び原審における原告(反訴被告、当審被控訴会社)代表者古賀義雄の本人尋問の結果の一部を併せ考えるときは、次のような事実を認めることができる。
被控訴会社は訴外五光商事株式会社に対して約金八十万円の債務を負担しており、その弁済が滞つていたので、五光商事株式会社は右債権の回収に苦慮していたところ、昭和三十一年十二月ごろ、同会社の社員の佐藤亦三郎の紹介で、控訴人の代理人成瀬信義から被控訴会社に金四十万円を融資することの話しあいが成立した。そして、同月十九日、控訴人の代理人としての成瀬は、右金四十万円のうち、内金十八万円はすでに前々日の十七日に同額の金員を五光商事株式会社に時貸してあつたので、その返済をうけてこれに充てることにし、残金二十二万円を持参したので、両者を合せて五光商事株式会社の名で金額四十万円の株式会社富士銀行新橋支店長振出の同銀行支店宛の小切手(いわゆる預金小切手)を作らせたうえ、これを五光商事株式会社事務所において当時の被控訴会社代表者古賀義雄に提示したが、現金のほうがよいということになつて、五光商事株式会社の社員がさらに前記銀行支店におもむいて右小切手の支払を受けた。右金員授受についてかように煩雑な手続をとつたのは、もともと五光商事株式会社は控訴人から被控訴会社に対する右貸与金のうちで自己の被控訴会社に対する前記債権の一部を回収したいと考え、そのためにその社員の佐藤が右貸借のせわをもしたのであつて、始めから現金で被控訴会社代表者に手交したのでは、円滑にそのことが運ばないことを心配したことによるものと推測される。そして、当初は右金四十万円のうち半額程度を右債権の回収にあて、残額は被控訴会社に手交する予定であつたが、右預金小切手の支払を受けた五光商事株式会社の経理担当社員は金四十万円の全額をもつて、被控訴会社の債務の弁済があつたものとして処理してしまい、被控訴会社には全然これをわたさなかつた。
ところで、控訴人と被控訴会社との間の右消費貸借契約については、冒頭記載の約旨によつて公正証書を作成すべき約定があり、そのために成瀬は前記小切手と引換に、右金四十万円に利息及び公正証書作成費用を加算した金四十三万七千円を額面とする、被控訴会社及び古賀義雄共同振出、満期昭和三十二年三月十八日、支払地振出地共に東京都中央区、支払場所株式会社福岡銀行東京支店、振出日昭和三十一年十二月十九日、受取人及び裏書人五光商事株式会社、なる約束手形一通と共に、被控訴会社の公正証書作成のための委任状及びその代表者古賀義雄の印鑑をも預かつたのであるが、前記のいきさつで、現金が被控訴会社の手にわたらなかつたため、被控訴会社では右代表者の紛失届を提出して、公正証書の作成を阻止していたが、その後に控訴人からさらに金融を受ける話が成立し、同月二十九日金三十万円を借り受けた機会に、前に約束したとおりの金四十万円の貸借の公正証書を作成し、かつ右債権担保のため前記実用新案権の譲渡証書(乙第三号証の三)をも、被控訴会社の当時の代表者古賀から控訴人に対して交付したものである。
かように認めることができ、この認定事実によれば、昭和三十一年十二月十九日に控訴人と被控訴会社との間に前記公正証書記載の約旨による金四十万円の消費貸借が成立したと認めることが相当である。けだし、信用のある銀行の支店長が客の依頼に応じて当該支店宛に振出すいわゆる預金小切手は、依頼者より資金の供給を得て、支払の便宜な手段として用いる目的で発行するものであつて、その支払われることはきわめて確実なものであるから、これを現金と同視するに妨げなく(前記小切手の振出銀行がわが国における最も信用のある銀行の一であることは当裁判所に顕著なところであり、現在の安定せる経済情勢のもとにおいてかかる銀行の振出小切手は現金同様にみることが相当であるといわなくてはならない。)また前示認定の取引において、仮に被控訴会社代表者は右小切手に手を触れていなかつたとしても、これを手に取るばかりに目前に提示され、かつ五光商事株式会社の社員が被控訴会社のためにこれを現金化すべく持ち去ることを容認したものとみなくてはならないから、そのときに右小切手は控訴人から被控訴会社の支配に入り、金四十万円の授受があつたと認むべきである。しかも、右金四十万円は結局被控訴会社の五光商事株式会社に対する債務の弁済に充てられ、被控訴会社は現実にこれに相当する利益を得たものというべきであつて、それが被控訴会社の意に反するものであつたとしても、右金員が控訴人の支配をはなれた後のことに属し、被控訴会社と訴外会社との間の紛争であるに過ぎず、本件当事者間の消費貸借の成立に消長をきたすべきいわれがない。しかも、その後同月二十九日には被控訴会社代表者は、本件消費貸借契約公正証書の作成に同意したこと前認定のとおりであるから、おそくもその時までには右代表者において前記弁済充当の点をも諒承し、それだからこそ右公正証書の作成に同意したものと見なくてはならず、してみれば仮に前記十九日における消費貸借成立が認め得られないとしても、被控訴会社が現実に前記弁済による利益を享受した同月二十九日ごろには消費貸借が成立したものといわなくてはならない。
原審証人五十嵐達男、市来一郎は、上記認定に反し、前記消費貸借は五光商事株式会社と控訴人の代理人の成瀬とが仕組んだ芝居であつて、前記預金小切手を作るために振り込んだ金四十万円についても、五十嵐証人は全部五光商事から出ている金であると言い、市来証人は五光商事は内金十万円を他から借り入れ、手もとに十二万円ばかりあつたので、残りの十八万円は取引当日成瀬が現金で持つてきたと記憶するが、それを五光商事が成瀬から借りて結局四十万円を調達した、と証言するが、前掲各証拠、特に原審証人成瀬信義、宮野辰男、佐藤亦三郎(いずれも第二回)の各証言並びに前記乙第四号証の一、二に徴して明らかである、昭和三十一年十二月十七日振出の控訴人の金十八万円の小切手が同日五光商事株式会社に支払われている事実と対比して、前記両証人の証言は信用できず、さらに前認定の金四十万円は現在被控訴会社より五光商事に対する弁済として扱われていない旨の原審における被控訴会社代表者古賀義雄の供述も必ずしも真実に合するものとは言い難い。その他前示認定をくつがえすに足る証拠がない。
三、本件消費貸借契約には、被控訴会社が他の債務につき仮差押等を受けたときは期限の利益を失い直ちに元利金を皆済することの特約があつたことは、前示認定に徴し明らかであるところ、被控訴会社は昭和三十二年一月初頃五光商事株式会社より被控訴会社の有する実用新案権の仮差押を受けたことは、被控訴会社の争わないところであるから、前記特約に基き本件消費貸借債務についてはその弁済期が到来したものといわなくてはならぬ。しかるに、被控訴会社は右債務の弁済をしないことは、弁論の全趣旨に徴し明らかなところであり、かつ本件消費貸借契約には、かような場合には控訴人の一方的の意思表示により、代物弁済として前記実用新案権を取得すべき旨の特約もあつたこと、前に認定したとおりであつて、右特約は控訴人のために代物弁済一方の予約を定めたものというべく、冒頭に記載した、控訴人が昭和三十二年一月十六日ごろ右約旨にもとづき右実用新案権を取得した旨通告したという事実は、これをもつて控訴人が右予約完結の意思表示をしたものと解するのが相当である。
したがつて、控訴人は右代物弁済の予約完結の意思表示の到達によつて、適法に本件実用新案権を取得したものといわなくてはならない。
四、してみれば、その余の争点につき審究するまでもなく、被控訴会社は控訴人に対し控訴人主張の債務を負担し、控訴人はその代物弁済として本件実用新案権を取得したことは明らかであると言い得るから、被控訴会社は控訴人に対して代物弁済によるこれが移転登録手続をなすべき義務があり、控訴人の本訴請求はその理由があるものと認められる。
しかるに、本件当事者間には金四十万円の授受がなく、消費貸借は成立しなかつたものと認定した原判決は失当であつて、とうてい取消を免れない。
よつて民事訴訟法第三百八十六条、第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 内田護文 判事 多田貞治 判事 入山実)