東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)10号 判決 1962年6月14日
原告 大阪音響株式会社
補助参加人 松下電器産業株式会社
被告 特許庁長官
主文
一、昭和三一年抗告審判第一、八〇〇号事件について、特許庁が昭和三三年二月一八日にした審決を取消す。
二、訴訟費用は、参加によつて生じた部分は参加人の負担とし、その余の部分は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の申立
原告訴訟代理人は主文第一項同旨並びに訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。
第二、請求の原因
一、原告は特許庁に昭和二七年二月一九日、原告の有する特許第一九一、四四八号「高声器繊維振動板の製造方法」に関する特許を原特許として、「拡声器用振動板製造方法」についての追加特許の出願(昭和二七年特許願第二、三六五号)をし、右出願は昭和二九年三月一日特許出願公告昭和二九年第一、〇五三号をもつて出願公告となつたが、松下電器産業株式会社から特許異議の申立があり、次いで三洋電機株式会社も特許異議に参加し、右異議が認められて昭和三一年七月二一日拒絶査定を受けた。原告は右拒絶査定に対し同年八月二五日抗告審判の請求(昭和三一年抗告審判第一、八〇〇号)をしたが、特許庁は昭和三三年二月一八日右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をし、該審決書の謄本は同年三月一三日原告に送達された。
二、原告の本件特許出願に係る発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された通り「抄造直後の含水状態下の成形振動板の外面(漉型に接していない外面)に、その小隆起部以外の平滑部に無数且つ均等に分布する後に減衰空洞となる微細空洞を殆んど圧潰しないように軽徴な圧力を加えて、前記の小隆起部を圧潰後乾燥することを特徴とする拡声器用振動板の製造方法」であつて、審決は原告の本願発明を右の通りと認定した上、本願は特許異議事件の証人島谷清一郎の証言の一部、即ち抄造直後の振動板の表面を軽く「ヘラ」でなでて「ミミズ」状の隆起部を平滑にするとの証言は信憑し得るものであるとし、本願はこの事実と本願の原発明である特許第一九一、四四八号明細書(特許出願公告昭和二六年第三九〇五号)記載の両公知事実から容易に推考実施できる程度のものであつて旧特許法(大正一〇年法律第九六号、以下単に旧特許法と記載)第二条にいう発明を構成するものとは認められないというのである。
三、しかし右審決は違法であつて取消を免れないものであり、その理由は次の通りである。
(一) まず原発明完成当時より本願の追加発明の完成によるノンプレスコーン発売に至る間の振動板の減衰性に関する智見の発達過程について説明する。
(1) 原告が原発明をした昭和二五年当時においては、高声器用振動板はこれを強く圧締することにより弾力を高めて周波数の高いいわゆる高振動の再生が行い易いと信ぜられていたのであつて、専ら振動板は強靱繊維を使用して強く圧締することに専念していたものである。
そしてその当時原告会社は振動板に関するこの従来の考え方が誤りであることを種々な実験研究の結果知るに至つたものであつて、「振動板面の中央のボイスコイルから出る音波動は、振動板面をいわゆる波面状に屈曲して伝播する横波動であるため、振動板の厚さを薄くすることは波動屈曲の撓曲に対する弾力を低下するものである」との見解に到達し、試みに抄造振動板を無圧締としたところ、その厚さは圧締せる従来のものに比し二倍以上の厚さとなり、波面状撓曲に抗する弾力を大としてその音響特性を著しく高め得ることを発見した。そこでひとまず原特許の出願をしたのであるが、これはその当時の振動板に関する常識(圧締しないため実質はフワフワで高音特性は極めて低いと信ぜられていた)とは正反対であつて、真に劃期的なものであつた。しかし当時としては振動板に関する智識は現今ほど詳細に解明せられておらず、原特許発明においても、その出願の昭和二五年の当時においては、振動板のヤング率を高めて高振動特性を大とすることに専心し、使用繊維は特に腰の強い硫酸塩パルプを使用し、更にその抄造において折損して腰の壊けるのを防止するため特に抄造直後の含水状態下の振動板に圧締力を加えないで繊維の損傷を防止するとともに、無圧締のために起きる厚さの大であることにより音波動の伝播に対する撓曲抗力を、前記の理由の通りにより大としたのであつて、振動板の減衰率に対しては、繊維損傷がなく従つて繊維は長形であるため、他繊維との交錯密度が大となつて繊維相互間の摩擦を大とし、伝播音波動のエネルギーを吸収して減衰率が大となるものと確信されていたのであり、特にその発明明細書中に「圧力を加えざるため繊維の損傷することなくヤング率大にして而も減衰率大なる成品を得る特徴を有するものである」と表現してある通りであつたのである。
(2) 次いで本願追加発明出願の昭和二七年二月当時においては原発明完成後二ケ年の経過により振動板に対する智識は著しく解明されるに至り、右(1)記載当時の見解は不十分であることが判断されるに至つた。即ち振動板の減衰率は、単にその使用繊維が他繊維と交錯する密度のみによつて左右されるものではないことが明確に判明し、振動板の減衰は、振動板の抄造に当り無数且つ均等にその実質中に介在する微細空洞内の空気が伝播する音波振動のエネルギーを吸収して減衰を強めるものであることが、原告会社によつて始めて明かにされその微細空洞の壊滅を避ける抄造方法が講ぜられるに至つたのである。そしてこの智見は原告会社の創見になるもので、業界人は誰人もこの追加特許出願当時である昭和二七年の当初頃にはこれを知らず、依然として圧締により緊締化せる振動板を以つて唯一のものとして従来の製造法を踏襲していたものである。
(3) 然るに原告が本追加特許を出願後、これによるいわゆるノンプレスコーン振動板を発売(原告は右の時期まで原特許による製品はこれを発売しなかつた)するや、その顕著な減衰性は極めて忠実に原音を再生するため漸く一般業界の注目をひき、業界人は原告発売のノンプレスコーンを種々な角度から実験研究し、昭和二七年終り頃には業界人及びこれにたずさわる技術人は共に常識として、振動板は無圧締にしてその実質中に無数に介在する微細空洞の圧潰を避けることにより振動板自体に高い減衰性を保持せしめて原音を忠実に再生し得るものであるとの明確な智識を有するに至つたのである。
(二) 原審決はまず原発明(甲第一号証)の解釈に当り重大な錯誤をしている。
原審決はその理由において、「この公報(甲第一号証、原発明明細書、特許公告昭和二六年第三、九〇五号公報)に記載された方法によつて減衰率が高い製品が得られたのは、主として抄造振動板に従来の方法とは異なつて圧力を加えなかつたことに基因するものであると認めることができる」と断定し、更に本件出願の発明と右公報記載の発明とを対比し、「前者(公報記載の発明)には後者(本願発明)のように微細空洞に関する記載はないが、後者においては……中略……これが後に減衰空洞となつて製品の減衰率を高めるのは抄造直後の含水状態の振動板を微細空洞に対しては実質的に圧力を加えないで乾燥することによるものと認められる……中略……一方前者は抄造直後の含水状態の振動板に圧力を加えないで乾燥することにより減衰率の高い製品を得ようとするものであるから、両者は振動板の減衰率を高めるための操作に関しては其の主要な構成要件及びそれに基く効果において実質的に一致するものであり……中略……小隆起部の圧潰の点を除いては……中略……両者は基本的な構想を等しくするものと認める」と結論している。しかしこの結論はまことに事理分明の観を呈するのではあるが、重大な錯誤をおかしているものである。蓋し、出願の新規性の判断はその出願当時の技術智識を以つてこれを判断すべきであつて、その出願後詳細に解明された智識を以つて該出願の新規性、発明力の存否等の判断をすることは許されないからである。本件追加特許の出願のされた昭和二七年二月当時においては、原告を除く一般人は悉く、圧締しない振動板はその実質がフワフワであつて、これに高振動の音響を発生し得べき特質があるとは全然予想していなかつたものであり、また振動板はこれを緊密に圧締して各繊維を密着しなければ弾力を高めることができず、高振動特性を大とすることができないものと認識していたのである。また振動板の減衰性に関しては、振動板の中央部分に設けたダンバーによつて振動板の自己振動を減衰し得るものであるとして、振動板自体に対する減衰性については顧慮されておらず、僅かに原告だけが原特許出願で多少言及している程度であつて、何人も認識していなかつたところである。そして本追加特許出願の発明完成により、原告は振動板の減衰性に関する正確な認識を前記の通り獲得したのであるが、原特許出願の際にはまだ正鵠を得ず、寧ろ誤つた認識をしていたものであつて、これが本追加特許出願前に公告されて公知状態となつていたものであり、本追加特許出願の発明完成によつて確知した認識は、右追加特許の出願当時においては原告を除いては何人も全然これを有しなかつたものである。
従つて原審決において、前記の通りの結論を導き出し得たことは、たとえその認識が正鵠を得たものであつても、これは原告がこの追加特許の出願によつて始めて明白にした智識、即ち前記載のような智識を基礎とするものであつて、本件出願当時の公知智識に基くものではないのであるから、その判断は錯誤によるものといわざるを得ない。
原審決のような判断をするためには、よろしく審決に用いた前提となる智識、即ち、抄造直後の含水振動板に圧力を加えないことにより減衰に重大な作用をする微細空洞を圧潰しないから減衰率を大となし得るものであるとの正確な智識が、本件出願当時に公知であるか否かを十分検討の上、その公知であることを確定の上でなければこれを為し得ないところである。然るに原審決は何等その検討確定をしていないのであり、しかも事実は前記載の通り、審決の前提とせられた智識は本件出願当時においては全然公知のものではなかつたのであるから、本審決はその前提とする事項に重大な誤りがある錯誤の判断であるのを免れない。
(三) 原審決は前記の通り特許異議事件における証人島谷清一郎の証言(甲第四号証)の一部を信用できるものとし、本願は、この証言によつて認められる事実と本願の原発明である特許第一九一、四四八号明細書記載の事実と、この両公知事実から容易に推考実施できる程度のものであると認めたのであるが、右島谷清一郎の証言は本件出願前の経験に基くものではなく、本件出願後に知り得た智識をまじえた真偽織りなせるものであり、到底信用できないものである。
本件発明が出願されたのは昭和二七年二月一九日であり、且つその出願公告は昭和二九年三月一日である。そして原告が本件発明を一般に発表して製品を販売したのは出願後一、二ケ月後であるから、事実上本件発明は昭和二七年三月頃には一般業界人に周知されたのである。然るに本願がまだ発表されなかつた当時は一般業界の誰人も前記の通り、振動板は強く圧締しなければ高音特性を良好化することは至難であると、常識として確信していたものである。そして島谷証人は、その証言によれば、昭和二六年頃には本願発明と同様方法をその工場内で公然実施していたこととなるのであるが、事実上無圧締振動板はその音響特性が圧締振動板に比し格段に優れているのであるから業界人として、しかも振動板製造を本業とする右証人主宰の会社において、その優れた性能について注意しない理由はなく、しかも証人会社は振動板に附属する部品につき実用新案権をも持つていたのであるから、右証人会社においても、本願出願後原告の本願方法による製品について十分その製造方法についての研究をしたものと見るべきである。(なお右証人は、秘密保持をしないで公開状態で操業の旨証言するのであるが、利潤追求を主眼とする証人主宰の会社として、このような事実は実際上あり得べからざるところと断じなければならない)。従つて右証言は本件出願後昭和二七年三月頃から周知状態となつた本件発明の内容を、証言当日即ち昭和三一年六月一三日に至る約四ケ年間に亘る間に、証人工場で実地研究し、その研究によつて獲得した智識を織りまぜて供述したものと見るべきである。従つてその証言において、操業上に生じた諸現象に対する説明が如何に詳細であつても、これは本件出願前の経験であるとの立証にはならないものであり、なおこの証言の信憑力については、単にその保障は宣誓の一事のみによつて保持されているに止まるのであつて、何等の物的証拠の裏付もない単なる証言にすぎないものである。
結局右島谷清一郎が原審決記載のように原告の本件特許出願前において、抄造直後のコーンの小隆起部をヘラ等でなでて振動板面を平滑にして音響特性を良好にする方法を実施していたこと及びこの作業を公開の状態で行つていたとの事実認定は、いずれも事実に反するものであつて、この誤つた事実認定を前提とする原審決は違法である。
(四) 仮りに島谷清一郎が右原審決認定のような方法を公然実施していた事実があつたとしても、島谷は同方法を実施するに当り七気圧程度の圧縮空気をコーンの上面に加えていたものであるから、かかる状態の下ではコーン紙内部の微細空洞は殆んどなくなるものであつて、本件発明の有する作用効果を発揮するものではない。
七気圧といえばコーンの表面積一平方糎につき実に七瓩の重量に相当するのである。かかる強力の圧力を穿孔漉型上の含水振動板に加えれば、含水状態下のコーンの微細空洞は到底この強圧にたえかねて右空洞は直ちに圧潰され、その含蔵水は即時に絞り出されて水切れを早め、これと同時にこの微細空洞は扁平近くの密着状態に圧潰されるのは火を見るよりも明かである。島谷証人の前記証言では「製造方法はすきタンクの中にすき型を入れ、上からすき水と原料水を入れ、下から水を排出するとすき型に繊維が附着する。これを早く乾燥さすため木型にフエルトを附着したもので水を絞り、云々」と証言し、更に右の改良方法であるエヤー紋りについて「これはエヤーで絞るもので、すきタンクにすき型を挿入し、水とすき水の原料を入れ、上部より圧搾空気(注、その圧力が前記の七気圧である)をかけると水分だけ下部より大半の水が絞り取られる。圧搾空気はエヤーコンプレツサーで作つた」と証言するのであつて、この圧搾空気の使用は、その改良前のフエルト裏張りの木型で圧締して含水状態の振動板からその含蔵水を早く絞出する目的と同一のものであるから、この圧搾空気は含水振動板に対し内面にフエルトを附着した木型圧搾機と同効の圧締作用をするものである。然るに含水振動板の含蔵水はその殆んど全部が微細空洞内に吸蔵されているのであるから、これを急速に絞出する場合には、右の微細空洞は必然的に大圧潰されなければ含蔵水は絞出しないのであるから、微細空洞の殆んどが圧潰されることは極めて明白である。
従つて右記載のような島谷の方法が本件出願前に公然実施せられていた事実があつたとしても、この方法から本願方法が容易に推考実施し得るものとすることはできないところであつてこの意味においても原審決は違法である。
四、なお原告は被告の主張に対して次の通り述べた。
被告は無圧締によつて減衰率を高めることの知見は既に本願の原特許発明の出願公告によつて本出願前公知となつたものと主張する。よつて被告引用の本願の原発明の特許公報(甲第一号証)を詳細に検討するに、その記載の前段における従来の製法に関し
(1) 「抄き上げたる繊維に圧力を加うることによりヤング率大となるも振動板としての重要なる減衰率小となり」
との記載と、更に後段における本発明(即ち原発明)の製法の効果に関する
(2) 「然るに本発明は抄き上ぐべき繊維に対し特に硫酸塩パルプを使用したるものにして該硫酸塩パルプ繊維は硬度高く且つ叩解により粘状叩解となり難き特性を有するを以つて他繊維に比し密度小となり、ために該資料を以つて抄き上げたる成品は軽量粗鬆にして腰強く抄き上げた儘にて整形し得られ且つ本発明においては抄き上げたものに対し圧力を加えざるため繊維の折損することなくヤング率大にして而も減衰率大なる成品を得るの特徴を有するものである」
との記載をとらえて公知云々というものと推定される。
しかしこの帰結は思わざるも甚しい曲解であるといわなければならない。何となれば、前段(1)の記載はただ単純に「抄造繊維に圧力を加えることにより減衰率が小となつた事実」を説明するに止まり、如何なる理由の下に斯る結果となつたとの明確な説明がないから、この記載から直ちに反対解釈して如何なる繊維に対しても圧力を加えなかつたならば減衰率は小とはならぬとの一般化せる智識は引き出し得ない。何となれば加圧により加圧状態においては圧迫されているが、圧力を去れば暫時の後には復元する特性の繊維もあるから、加圧の影響は復元後の繊維に対してなお寄与するものであるとの当然の帰結は得られないからである。
また後段の(2)の記載を吟味するに、この記載は「硫酸塩パルプが他繊維に比し硬度高く且つ叩解により繊維が粘着し合ういわゆる粘状叩解となり難き特性を有するため、他繊維製のものに比し抄き上げた製品の繊維は軽量且つ粗鬆の低密度となること」を明白にし、且つかく腰強き繊維が粗鬆で低密度ということは、(密度は見掛け上の容積に対する重量の比で計測する関係上、低密度のものは高密度のものに比し厚さが著しく厚く、従つて繊維は起立ないし浮上状態にあることを意味する。)繊維が起立ないし浮上状態であるからこれに圧力を加えれば繊維は折損して腰砕けとなつてヤング率を低下すると解すべきが至当である。他方硫酸塩パルプを加圧することによる効果を吟味するに、硫酸塩パルプは他繊維に比し腰強くまた粘状叩解をしないで粘着し難いから、繊維は起立ないし浮上状態であつて、その圧力を去ればまた元の浮上状態に復元するものである。(但し堅硬のものを得る目的で特に粘着性のサイス料を加えて繊維を密着状態にする場合を除外する)。従つて抄造繊維は加圧下においてはその厚さが減じて高密度となるが、圧力を去ればその繊維の特性により自然に再び旧の状態に復元してその粗鬆性を恢復するものであるから、抄造硫酸塩パルプに圧力を加えるとか又は加えないとかはその粗鬆性に殆んど関与しないのである。従つて前記公報記載において「圧力を加えざるため繊維の折損することなく、ヤング率大にして而も減衰率大なる成品云々」との記載は、「圧力を加えない」という字句は「ヤング率を低下しないこと」に掛る用語であつて、「減衰率大なる成品を得たこと」は硫酸塩パルプを使用した直接の結果であると解すべきが正当である。右の意味において被告の解釈は曲解である。
第三、答弁
一、原告の請求原因一及び二の事実はこれを認めるが、三の事実は後に認める部分を除いてその余は全部これを争う。
二、被告は本件追加特許の出願は、原特許発明の改良の点に発明の存在を認められず、本件出願は旧特許法第二条に規定する追加特許の要件を具備しないものであると主張する。
本件出願の方法と原特許発明の方法とを比較すれば、両者は抄造直後の振動板に実質的に圧力を加えない状態で乾燥することにより製品の減衰率を大きくし弾力を大きくするという基本的な構想においては同一であり、両者の差異点は、本願の方法で小隆起部を圧潰することにより組織を均一化し、音響特性を良好にするようにした点である。即ち、本願の明細書の記載によれば、原特許発明の方法によつて拡声器用の振動板を製造するときは、多量製産に当つては抄造振動板の外面に小隆起部が発生することは避けられないのであつて、この小隆起部が残存すると組織の相違する部分が偏在して音響特性を悪化させるので、本願の方法では小隆起部は圧潰するがこれ以外の平滑部に分布する微細空洞を殆んど圧潰しないような軽微な圧潰を加えていわゆる減衰空洞を残存せしめ、組織が均一で且つ減衰率及び弾力の大きい製品を得るようにしたものであることが認められる。故に減衰率を大きくするためには、抄造工程で小隆起部が発生しなければ原特許発明の如くそのまま乾燥してよいのであるが、実際の抄造に当つては期待通りに行かず小隆起部が発生するので、これを潰すために本願の方法では軽微な圧力を加える必要が生じたのであつて、本願の方法で小隆起部を圧潰するために加える軽微な圧力は、本願の明細書でいう微細空洞に対しては影響を与えない方が望ましく、ただ小隆起部のみを圧潰して組織の相違する部分の偏在を防ぐために必要であり、従つて本願の方法で「軽微な圧力を加える」ということは微細空洞に対しては実質的に圧力を加えないことに等しいものと認められる。且つ本願の方法でいわゆる微細空洞が発生するのは特別の工業的操作を施したためではなく、単に抄造工程に伴つて必然的に発生するものであることが認められる。
そこでこの本願の方法と原特許発明との差異点、即ち抄造工程で必然的に発生する小隆起部を圧潰する点に発明の存在が認められるかどうかを検討するに、審決で引用した島谷清一郎の証言(甲第四号証)によれば、同証人は本願出願前である昭和二六年に同証人のいうエヤー絞りの方法を実施する際に抄造工程で発生するミミズ状の隆起部をヘラ等でなでて振動板面を平らにする工程を実施し、またその目的は繊維を均一にするにあつたことが認められる。してみればこの証言の方法におけるミミズ状の隆起部を平らにするという操作は本願の方法における小隆起部の圧潰の操作と同一であり、またその目的も両者同一であることが認められる。
従つて本願の方法において小隆起部を圧潰する点は、減衰率を大きくすることに関して特に寄与するものではなく、この点は組織を均一化するためにのみ必要なのであり、一方これと同様な工程が同一の目的で拡声器用振動板製造のための方法に本願出願前公然と実施されていたのであるから、本願の方法と原特許発明との差異点、即ち原特許発明を改良したと原告が主張する点には発明の存在を認め難く、本願の方法は追加特許の要件を具備したものとはこれを認めることはできないものである。
三(一) 原告はその請求原因三の(二)の主張において、原審決はまず原発明の解釈に当り重大な錯誤をしていると主張するのであるが審決は、本願明細書における微細空洞に関する理論的説明が本願出願前に公知であると認定したのではなく、審決(甲第三号証)二枚目表五行ないし三枚目表六行に記載した理由により、振動板の減衰率を大きくするための操作に関しては、本願の方法は原特許発明の方法とその要件及び工業的効果において実質的に一致するものであり、本願明細書における微細空洞に関する記載は、単にこの操作に伴つて発生する現象の理論的な説明を加えたにすぎないものであると認定したのであつて、審決の判断に錯誤はないものと信ずる。このことは微細空洞の圧潰に関する理論的説明の有無によつて、両者は振動板の減衰率を大きくする点に関して工業的発明としてもまた相違するという見解が成立し得ないことからみても明かである。
また原告がその請求原因三の(一)の主張で述べている、振動板の減衰率に関する知見の発達過程に関しては、以前に振動板を圧締して弾力を高めることが通常の技法であつたことについては争わないが、無圧締によつて減衰率を高めることの知見が本願発明によつて始めて得られたとする原告の主張はこれを争う。何故ならばこの着想は既に本願の原特許発明の出願公告によつて本願出願前の昭和二六年七月当時に既に公知になつたものと認められるからである。この点に関して原告が「振動板の減衰率に対しては繊維損傷がなく、従つて繊維は長形であるため他繊維との交錯密度が大となつて繊維相互間の摩擦を大となし伝播音波動のエネルギーを吸収して減衰率が大となる」と述べているのは、結局原告も、原特許発明の方法で減衰率の大きな製品が得られるのは抄造振動板に圧力を加えないことに起因することを認めているものと思われる。
なお原告は本願の原特許明細書の記載を「圧力を加えないからヤング率が低下しない、硫酸塩パルプを使用したから減衰率が大となる」という趣旨に解するのが正当と主張するが、もしこの解釈が正当とすれば、これは同明細書に記載の従来の方法(被告注、振動板の材料としては普通みつまた、こうぞ等和紙原料を使用する)で繊維に圧力を加えることによりヤング率大となるという事実と明かに矛盾し、また本願の方法で振動板を実質的に無圧締で仕上げて減衰率が大きい製品が得られるという結論とも矛盾する。
要するに本願発明と原特許発明明細書に記載された発明とは抄造工程に伴つて必然的に発生する小隆起部を圧潰する点を除いては、理論的説明に差異はあつても、工業的発明の見地からみればその基本的構想は一致するものである。
(二) 原告は審決で引用した証人島谷清一郎の証言は真偽織りまぜたもので信用できないと主張するが、昭和三二年一二月一一日付拒絶理由通知書(乙第一号証)で指摘し、且つ審決で引用した証人のいわゆるエヤー紋りの方法の一工程として抄造直後の振動板に発生する小隆起部をヘラ等でなでて振動板面を平らにして音響特性を良好にする方法を昭和二六年頃実施したこと及びこの作業は秘密裡に行われたものでないことに関する証人の証言は十分信憑できるものと認められ、またその信憑性は、原告が前記拒絶理由通知書に対する意見書(乙第二号証の二)で証言の方法は「湿潤振動板はその表面にミミズ状の隆起皺を軽くなでて平滑となした後成型器においてフエルトを介入して絞つてエヤー絞りの際絞り出し得なかつた繊維間の湿潤水分を絞り出すと共に成品整形をするものである」ことが十分に看取し得ると主張したところからも裏付けられるところである。
(三) 原告は島谷の方法においては七気圧程度の圧縮空気をコーン上面に加えたのであるから、かかる状態の下においては微細空洞は殆んどなくなり、本件発明の作用効果を奏しないものであると主張する。しかし審決は島谷証人の方法が本件出願の方法と全面的に一致すると認定したのではなく、審決に記載したように、同証人の方法は本願の方法の特徴点の一つと認められる小隆起部の圧潰という操作を含んでおり、そして本願の方法において微細空洞を圧潰しないようにして振動板の減衰率を高くする点は、原特許明細書に記載された振動板に圧力を加えることなく乾燥する方法と実質的に差異がないものであり、そして本願の方法で小隆起部を圧潰するのは組織を均一化するために必要なのであつて、しかもこの組織を均一化するという効果は同証人の方法におけるミミズ状隆起皺を潰す工程の効果と同一のものと認められるから、結局本願の方法は原特許公報に記載された製造方法を実施するに当り、抄造工程において小隆起部が発生する場合に前記証言の方法を適用して当業者の容易に推考実施できる程度のもので、発明を構成しないと認定したのである。従つて被告はこの理由により、たとえ証人が、原告が主張する通りの圧力の圧縮空気をコーンに加えていたとしても、本件出願の方法は原特許公報に記載された公知事実並びに右証言による公知事実の存在する以上発明的進歩性が認められないものであると主張する。
審決で引用した右島谷が実施したエヤープレスの方法は、抄き上げた振動板をエヤーで絞り、その後に乾燥仕上げるものであるが、その際エヤーで絞り水分を排出するだけでは表面にミミズがはつたような隆起しわがよるので、このしわをヘラ等でなでて平らにするようにしたものである。そしてこのエヤー絞りの方法の目的は、ミミズ状のしわがよつている処は繊維が透いており、このままで乾燥したのでは音響的性能が悪いので、繊維を均一にするためにヘラ等でなでたものであり、またこの方法によれば、圧力を調節できるので強いプレスが全くかからないから性能面からいつても厚くて軽い品質の一定したものができるという長所がある。従つてこの方法は本願の発明の方法と作用効果上均等と認められるものであり、特に隆起しわの圧潰の点並びにそれに基く繊維組織及び品質の均一化という効果において一致するものである。なおこの際の圧縮空気の圧力はコンプレツサーから三尺位のところにつけた圧力計の指示が七気圧になる程度のものであつて、この圧縮空気はゴム管、パイプ及び栓を通つて脱水のためのタンクに入るものであり、このタンクは容積が大きいのでこのタンク内で振動板面にかかる圧力は右の七気圧よりずつと低下するものである。
右記載のように本願出願前に島谷が公然と実施していたエヤープレスによる拡声器振動板の製造方法においては、抄造振動板を圧搾空気で脱水させた状態においてやはり振動板面に本願の方法における小隆起部と同等な隆起しわが発生するので、これをヘラ等でなでて平らにするという工程を採用して本願の発明とその原特許発明との相違点である前記の小隆起部を圧潰するという手段は、本願の方法と作用効果上均等と認められる右のエヤープレスの方法において本願の出願前から公然と実施されていたものであるから、右の小隆起部圧潰の手段はこの公知技術を適用することにより当業者の容易に実施し得るものと認められるばかりでなく、このように振動板の抄造に際して発生する小隆起部を圧潰して手直しをするという手段は、右の原特許発明に開示された出願前公知の思想を具体化するに当り当業者が製作上の必要に応じて任意に実施し得るものと認められる従つて本願の発明はその出願前公知である原特許発明との相違点に発明の存在を認められないものであつて、旧特許法第二条の追加特許の要件を具備しないものである。
第四、証拠<省略>
理由
一、特許庁における手続並びに審決要旨についての原告主張の一及び二の事実は当事者間に争いがない。
二、原告の本件特許出願は、当事者間に争いのない通り、原告の有する特許第一九一、四四八号「高声器繊維振動板の製造方法」に関する特許を原特許として、「拡声器用振動板製造方法」についての追加特許としてその出願がせられたものであつて、成立に争いのない甲第二号証(本願の特許公報)によれば、本願発明の明細書において、その発明の詳細なる説明の項には、本発明は特許第一九一、四四八号の改良の発明に係るものであるとの記載に始まり、従来法の欠点、原特許発明の考案された経緯、これを実施して多量生産をする場合の短所、これについての本発明の特徴、実施例の順に記載して、「本発明は叙上の通り抄造直後の含水状態下の成形振動板の外面に生起し易い顆粒状の小隆起の直下近傍の大容積の空洞を圧潰するに当り残部の平滑部に均等に分布する微細空洞を圧潰しないように軽微な圧力を加えたから振動板には減衰空洞が均等に分布する均質組織となると共に少しもその粗鬆性を損ずることなく克く粗鬆組織を維持して自己振動の減衰を高め且つ弾力を大となして音響特性を原発明のものに比し著しく向上せしめ得る等の諸多の卓効を奏するものである」と結び、発明相互の関係の項には「原特許第一九一、四四八号の発明は、紙料に硫酸塩パルプを使用すること及び抄造直後の含水状態下の成形振動板には全然圧力を加えないでそのまま乾燥することを特徴としたのであるが、この方法によるときは量産の場合には抄造直後の成形振動板の外面には不可避的に大空洞部を直下に内蔵する顆粒状の小隆起部を不平等的生起するため本発明においては上記の小隆起部以外の平滑部に均等に分布する微細空洞を殆んど圧潰しないように前記の小隆起部を圧潰して減衰空洞を全面均等の分布となすと共に原発明同様に弾力を大となして原発明を改良した点で原発明の追加の発明に該当するものである」と原発明の改良の態様を記載し、特許請求の範囲の項には「本文所載の目的において本文に詳記する通り抄造直後の含水状態下の成形振動板の外面(漉型に接しない面)にその小隆起部以外の平滑部に無数且つ均等に分布する、後に減衰空洞となる微細空洞を殆んど圧潰しないように軽微な圧力を加えて前起の小隆起部を圧潰後乾燥することを特微とする拡声器用振動板製造方法」と記載されていることが認められ、右記載からすれば、本願発明の要旨は右特許請求の範囲の項に記載された通りの拡声器用振動板の製造方法にあるものと認められる。そしてまた成立に争いのない甲第一号証によれば、本願の原特許である特許第一九一、四四八号特許の特許請求の範囲は「本文所載の目的の如く硫酸塩パルプを以て円錐形に抄き上げたるものに圧力を加うることなくして其のまま乾燥し整形仕上ぐることを特徴とせる高声器繊維振動板の製造方法」とせられていることが認められる。
三、成立に争いのない甲第三号証(審決書)及び同第四号証(証人尋問調書)によれば、本件原審決が原告の本件追加特許の出願を拒絶すべきものと判断した理由は、その要旨は前記の通り当事者間に争いのないところであるが、更に多少これを詳しくいえば、原審決は特許異議事件における証人島谷清一郎の証言を信用してこれを採用すべきものとし、同証人の証言によれば同証人の主宰するリズム電響株式会社において拡声器用振動板を製造するに当り、いわゆるエヤー絞りの方法を昭和二六年頃から採用し、このエヤー絞りの際に生ずるミミズ状のしわをヘラ等でなでて振動板面を平滑にして音響特性を良好にする方法を公然実施していたものである事実が認められるものとし、本願の方法は、原特許公報に記載された公知の方法並びに右証言によつて認められる公知の方法よりして当業者が必要に応じて容易に推考実施できる程度のものであつて、旧特許法第二条にいう発明を構成するものとは認めることはできないというにあることが認められる。
四、そこでまず右島谷清一郎主宰のリズム電響株式会社において果して右の当時に右審決認定のような作業をしていたものであるか否かについて検討する。
成立に争いのない甲第四号証(特許異議事件における証人尋問調書)における島谷清一郎の供述記載、証人島谷清一郎の第一、二回証言及び証人阪本楢次の証言はいずれも右原審決の認定事実に合致するものであり、右各証言等に証人島谷清一郎の第二回証言によつて成立を認める丙第一号証の一ないし七、証人阪本楢次の証言により成立を認める同第四号証の一、二を総合すれば、島谷清一郎の主宰するリズム電響株式会社(以下リズムと略称)が参加人松下電器産業株式会社(以下松下と略称)の下請工場となつたのは昭和二六年八月頃のことであり、リズムから松下にコーン紙、矢紙等を製作納入していたものであるが、昭和二七年二月頃に至るまでの取引はそれほど大きなものではなく、殊にコーン紙の取引は同年三月頃に至るまでは一ケ月数百枚ないし千枚程度のものであり、同年四月以降において急速にその取引高を増大したものであること、またこの間においてリズムは松下において研究した橢円コルゲーシヨン入りのコーン紙の試作に従事し、当初はこの試作品を新型として、後にはこれを10F71型コーン紙として、昭和二六年九月頃以降松下に納めていたものであるが、その数量は昭和二七年五月頃に至るまでの間はごく少量であつたこと右新型コーン紙の試作は、当初は木型でフエルト絞りの方法でこれをしていたが、その後(その時期が何時からであるかは問題であり、それは後に判断する。)に至つていわゆるエヤー絞りの方法を採用するようになり、その際コーン紙に生ずるミミズ状のしわをエンパイヤーチユーブ等で撫でてこれを潰す方法を採つていた事実のあることを、いずれも認めることができる。
そこで問題は右エヤー絞り及びその際生ずるミミズ状のしわをエンパイヤーチユーブ等で撫でてこれを潰す方法が何時から採られたか、その時期如何である。島谷清一郎がこれを昭和二六年中からといい、原審決がこれを認めたことは前記の通りであるが、成立に争いのない甲第九、一〇号証の各一ないし三によれば、リズムの納入先である松下においては、そのいわゆるエヤー絞りの方法について昭和二八年六月一日発行の無線と実験誌上にその広告をしているのであるが、昭和二七年五月一日発行の同誌上における広告では松下が前記の10F71型コーンに採用したというコルゲーシヨンについては「絶対に変型を来たさぬ特殊コリユーゲーシヨンダンバー使用」とこれに言及しながら、エヤー絞りについては全然これに言及せず、却つてこの点については「オイルプレス成型」としてその広告をしているものであることが認められるところであつて、右事実に成立に争いのない甲第八号証の一、二及び証人後藤文子、宮下勝義、中辻修の各証言を総合すれば、リズムにおいて前記のエヤー絞り等の方法を採用実施したのは早くとも同会社工場の火災のあつた昭和二七年一〇月一五日の前後頃のことと認めるのが相当である。証人島谷清一郎の第二回証言により成立を認める丙第三号証の一(納品通知票)によれば、昭和二七年一月三〇日附を以つてリズムより松下技術部宛10F71押直し一一枚単価一〇円の納品がせられている事実が認められ、これについて証人島谷清一郎(第二回)は「単価一〇円のことから考えて、ミミズ状の皺が多く外観上見苦しいからやり直せといわれて手加工で皺を延ばして潰し、更にプレス加工で押し直したものと思う。………右はノンプレスコーンのもので」ある旨証言し、右証言の趣旨からすれば、リズムにおいては前記の昭和二七年一月三〇日の当時において既にミミズ状の皺を手加工で延ばして潰す作業をしていたかに見える。しかし右証言からしても右作業は明かにエヤー絞りにより絞り上げた直後のコーンについてせられたものではなく、一応製品となつて乾燥したものについてせられたところであり、また「更にプレス加工で押し直した」というところから見ても、これはプレスコーンについてせられたものと解するの外はないとともに、右丙第三号証の一にはただ「押し直し」の記載があるだけであつて、この「押し直し」について「ミミズ状の皺が多くて見苦しいからやり直せといわれて手加工で皺を延ばして潰し」たとの右証言自体も「プレス加工で押し直した」との後の証言部分と対比し疑問を感ぜざるを得ないところであつて右丙号証及びこれについての右証言は未だ以つて前示の認定を左右するに足るものと認めることはできない。また参加人はリズムにおいてエヤー絞り用の絞り器、すきタンク等を購入した代金の領収証であるとして丙第五号証の一ないし三(その日附は昭和二六年一〇月から一二月のもの)を提出するのであるが、右の内丙第五号証の一は明らかにエヤー絞り用機械のものではなく、リズムにおいて当時製造していたガスランプの材料代に関するものであること同号証及びこれについての証人島谷清一郎(第二回)の証言を総合してこれを認めるに十分であり、同号証の二、三も右証人はこれをエヤー絞り用機械のものであると証言するのではあるが、右領収証自体にはその領収の趣旨について何等の記載もせられておらず、同号証の一が前記のようにガスランプに関するものであることから考え、これまた同様趣旨のものであるかの疑問もあつて、右書証及びこれに関する右証言またこれを採用して前示の認定を覆すの資料とすることはできない。そして前示甲第四号証の供述記載、証人島谷清一郎の第一、二回証言及び証人阪本楢次の証言中前示認定に反する部分はこれを信用し難いところであり、他に右認定を左右すべき資料はない。
五、以上の通りであつて、リズムにおいて昭和二六年中より原審決認定のような作業を公然実施していたものとする原審決の認定はこれを失当とするの外はないところであるが、仮りに原審決認定通りの作業が本願追加特許の出願前公然実施せられていた事実があつたとしても、証人島谷清一郎の第一、二回証言によれば、その作業はいわゆるエヤー絞りの方法においてせられたものでありそのエヤー絞りは約七気圧の圧力をかけて抄いた直後の含水状態下のコーン紙を絞るものであつて、その絞り上つたコーン紙上にできたミミズ状の皺をエンパイヤーチユーブ等で撫でてこれを潰していたものであるが、この皺を潰すのは、製作者であるリズムの方としても外観上見苦しいし、また松下の方からも潰して来いといわれたからというのであつて、どの程度の力で潰して来いというような指示は、当時松下の阪本といろいろ話していたので、ミミズ状のないところに近い面(つら)までということではなかつたかと思うという程度のものであつたことが認められる。従つて右リズムの行つていたミミズ状隆起の圧潰は、エヤー絞りの方法において絞られたコーン紙についてせられたところでありしかも右エヤー絞りは七気圧程度の圧力によつてこれをせられたものであるから、仮りに右七気圧の圧力が抄きタンクの膨大部に入る場合は相当その圧力が低下しているとしても、コーン紙の水分排出のための圧迫であるその目的自体から考えコーン紙に相当の圧力のかかることは到底否み難いところであつて、かかる圧力によつて水分を絞り取られたコーン紙と、原告の本願方法によるもののような全然圧力をかけられないコーン紙とでは、原告のいわゆる微細空洞(減衰空洞)の存在において相当の差異があるものと考えざるを得ないとともに、右のような相当な圧力によつて水分を絞り取られたコーン紙に生じたミミズ状の皺と、本願のもののような全然圧力をかけない状態のコーン紙にできた小隆起とこれを均等のものと見るべきか否かについても相当の疑問がある。しかも右リズムのように、音響特性の良好化に重大な影響のあるコーン紙の微細空洞の存在とその全面均等の分布のためにする前記ミミズ状隆起の圧潰の意義とを全然意識することなくして、ただコーン紙の外観美化のため程度意識下でしたミミズ状隆起の圧潰から、本願のもののような意義を持つ小隆起部の圧潰のことを、たとえ当業者としても、容易に推考実施し得る程度のものとは到底これを解することはできない。
六、被告は本願における微細空洞に関する記載は、単に理論的説明を加えたにすぎないもので、このことが発明を左右するものではない趣旨の主張をするが、これは、その出願が微細空洞の理論を解明したとして、ただ「微細空洞を全面に均等に存置せしめるために圧力を加えないで乾燥する方法」としてその特許を請求したにすぎないような場合には当てはまる議論であろうが、本願のように公知方法の理論を解明し、これに基いて他の手段を加えて原方法の効果をより大きくした場合にあつては、その加えられた手段が一見些細なものであつても、理論の解明と効果の増大とによつてその特許性を認めるのが相当と認められるところであり、また被告は、振動板の抄造に際して発生する小隆起部を圧潰して手直しをするという手段は、原特許発明に開示された出願前公知の思想を具体化するに当り当業者が製作上の必要に応じて任意に実施し得る程度のものにすぎない旨主張するのであるが、本願における右小隆起部の圧潰は、微細空洞(減衰空洞)に関する理論を解明の上で、その音響特性上の特徴を意識してその妨害となる小隆起部の圧潰を志向したものであるから、ただ原特許のものの手直し程度のものと見るのは失当であり、右原特許から当業者が必要に応じて任意に実施し得る程度のものとは到底これを認めることはできない。
七、以上の通りであるから、本願の方法は原特許公報記載の公知事実と前示甲第四号証の島谷清一郎の証言によつて認められるエヤー絞りの際の小隆起部圧潰の公知事実とから当業者が容易に推考実施できる程度のものであつて、旧特許法第二条の要件を具備しないものとした原審決は、その余の争点についての判断をするまでもなく失当たるを免れない。
よつて原審決を取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九四条後段を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)