東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)25号 判決 1961年10月16日
原告 佐々木正泰
被告 中央選挙管理会委員長
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告の請求の趣旨及原因は別紙訴状の通りであり、これに対する被告の答弁は別紙答弁書及び被告の準備書面の通りである。
(証拠省略)
理由
昭和三三年五月二二日最高裁判所裁判官高橋潔、垂水克己、河村大助、奥野健一及び下飯坂潤夫の五人に対する国民審査の投票が行はれ、審査の結果全員につき罷免を可とされないことに決定したこと、原告が右投票において審査人で投票したことは争のないところである。
原告は、右審査は訴状記載の理由によつて無効であるとして最高裁判所裁判官国民審査法(以下審査法と称する。)第三六条の規定に基き本訴を提起したのである。被告は、同法第三七条第一項の規定に照らし裁判所は審査法の規定が憲法に適合するか否かを判断したり、或は具体的な審査手続の合憲性を判断することは許されないのであるから、原告が主張する原因に基く本訴は本来裁判所の権限に属しない事項について裁判を求めるもので本訴はその内容に入る迄もなく却下せらるべきものであると主張する。しかしながら裁判所は審査法そのものの合憲性をも判断し得るのは憲法上当然のことであり、およそ審査の効力に異議のある審査人は同法第三六条の規定による訴を提起し得るのである。
同法第三七条は審査について法令違反がありそれが審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限つて裁判所は無効の判決をすべきものと定め、無効判決をすべき場合を限定するとともに、反面審査について法令違反があつてもそれが審査の結果に異動を及ぼす虞のないときは無効の判決をしてはならないと言うに過ぎない。審査法の規定の合憲性を判断してはならないとの趣旨は同条の規定からは全く認められず、又本来そのような趣旨の定めは憲法に認められた裁判所の所謂法令審査権を害するもので法律ではできない筈のものである。よつて被告の右抗弁は理由がない。
以上原告が本件審査を無効であると主張する理由(訴状請求原因六1乃至4記載)について順次検討する。
1の主張について
憲法第七九条第三項の規定によれば審査は裁判官を罷免すべきか否かについての審査であつて、裁判官を任命した行為の適否を審査する制度でないことは最高裁判所の判決及東京高等裁判所が数次に亘つて判決したところで当裁判所も亦同一の見解である。故に1の主張は採用できない。
2の主張について
本件審査施行のための投票所は審査法第一三条の定めに従つて設けられた結果、衆議院議員の選挙の投票所と審査の投票所の入口が一つで、審査人は先づ選挙の投票所に入つて投票を済ませ、引続いて設けられた審査の投票所に入つて審査の投票を行つた後に出口から退場すると云う施設で、その間に出口がなかつたので一度投票所に足を踏み入れた限り審査場を通らなければ外に出る途がない設備になつてゐたことは当事者間に争のない事実である。しかし審査人が選挙の投票をした後に審査の投票をなすことなく審査場を通過して外部に出ることを妨げる強制措置が採られた証拠は全くない。審査人が審査場で投票することを強制せられたことはない。又審査人が投票所で投票用紙の受領を強制せられる制度はなく事実上意に副はなければ受取らないことは自由で、現に強制的に受取らされた事実を認めるべき証拠は全くないのである。又審査人が受取つた投票用紙を投票函に投入することを余儀なくせられた事実は認められず審査人は投票用紙を一旦受取つたにしても現実にその場で破毀することを妨げるに何の障碍もなかつたのである。投票用紙を持ち帰ることが禁止せられてゐたことは原告の言う通りであるが、これは投票用紙の不正使用の虞をなくするためのものでこれが為め審査人の自由を妨げられたとは到底認められない。
以上の通りであるから2の主張も全く理由がない。
3の主張について、
この主張は一応もつともと思はれるものを持つてゐる。思うに審査人が、審査権を行使するか否かはその自由に任せられていることは憲法の所謂表現の自由の保障するところである。
あるいは「国民審査は何等かの理由で裁判官を罷免しようと思う者が罷免の投票をするので、特に右のような理由を持たない者は総て(罷免した方がいゝか悪いかわからない者でも)内閣が全責任を以てする選定に信頼して白票を投ずればいいのであり、又そうすべきものである。これが国民審査の本質である。それ故法が連記の制度を採つたため、二三名の裁判官だけに×印の投票をしようと思う者が、他の裁判官については当然白票を投ずるの止むなきに至つたとしても、それは寧ろ国民審査制度の精神に合し憲法の趣旨に適するものである。」との見解があるけれども、当裁判所の賛同しえないところである。思うに審査は裁判官を罷免すべきか否かを定める制度であり、罷免に値するかどうかは罷免を可とする投票数と全投票数との比較によつて決定せられる建前であることは憲法第七九条第三項の定めるところである。従つて×印をつけない票は実質的に×印を附けた投票の効力を減殺する効力を持つ関係にある。罷免を可とする投票数が審査権者全員の数との対照において効力を決定せられる制度であれば格別、現在のように投票数との比較で事が決定せられる以上或る裁判官を罷免しようと思う審査人以外は内閣を信頼して白票を投ずればよいとか又白票を投ずるの止むなきに至つたことが国民審査の精神に合すると言う考え方は到底納得できない、連記投票の場合、ある審査人がその内一部のものについて棄権を希望するときその方法がないと言うのでは表現の自由を妨げるのみならず、前記の説によれば所謂白票を投じて結果的には他人の罷免投票の効力を減殺することになるのであつて決して国民審査制度の精神に合致するとは思えない。ことに審査せられる裁判官が一人の場合は棄権は自由であるのに偶然にもその裁判官が数人あつて連記投票が行はれる場合にはその内の一部の者に対して棄権もできないと言うのでは審査人の権利が偶然の出来事に支配せられて形態を異にすることになるのはどう説明するのであらうか。
もとより国民審査においても審査人の棄権は認めらるべきでありこれを認めない法制は憲法に違反すると考えざるを得ない。ところで現行審査法は原告の言うように棄権を認めない違憲のものであらうか。当裁判所はそうは考えない。当裁判所は連記の場合にもその一部の裁判官に対する棄権の方法はあると考える。この問題については東京高等裁判所が昭和二九年一一月九日にした同庁昭和二七年(行ナ)第三二号事件において判示した見解と同一の見解を採るものである。すなはち連記の裁判官の内一部の者に対する投票を棄権しようとする審査人は投票用紙中その裁判官に関する欄に棄権の趣旨を表示し(或はその氏名を抹消するものも一つの方法かも知れない。)て投票すればよいと考える。この解釈は「現行法の下では無理と思う」との批判があるであろう。たしかに審査法の立法方法はこの問題については適当でないものがあり、ことに同法第二二条との関連において疑問がないではない。同条が×の記号以外の事項を記載した投票を無効とするのは厖大な数に上る投票審査事務が明確迅速に行はれることを要請することと投票の秘密を保障することにその根拠があるものと思はれるところ、棄権の自由は憲法上の要請であるから、多少の事務上の不便を来しても棄権の趣旨の表示の効力を認めることは前記審査法第二二条立法の趣旨を破らないものと解するのが相当であらう。されば当裁判所は連記投票の場合にもその一部の者のみに対する棄権はその方法があると解するから前記3の論旨も結局は採用できない。
4の主張について。
国民審査はある裁判官を罷免すべきかどうかを決めるための投票であることは前記の通りである。故に罷免を可とする積極的な意見を有するものが多数かどうかを調べる制度であるから×の記号以外の投票は罷免を可とする投票でないものとして一括して取扱うことは制度の趣旨に反することではない。この取扱は投票者の意思を抂げて解釈し且つ本人の欲しない法律上の取扱をするものであるとの非難は国民審査の制度を理解しないことから出た理由のない非難であると言はねばならない。
次に審査は審査法第一五条によつて行はれるから投票の秘密を侵すとの主張について考えて見るに、投票場で何らの記載をもしないものは受取つた投票用紙をそのまゝ投函して退出するのが普通かも知れない。又投票用紙に何等かの記入をしようとする者は投票場に設けられた記入台で記載するのが普通であらうから投票者が記入台についたか或はそうしないで直ちに投函したかによつて一応投票の内容が推察せられないものでもない。しかし投票用紙への記入は必然的に記入台ですることに限られてゐるわけではなし、又記入台に立寄つたからと言つて必ず記入をしたものと断定することもできない。ことに数人の裁判官が審査を受ける場合などは投票者がどのような記載をしたか殆ど想像もつかない。一方記入台に立ち寄らなかつたからと言つて全部白票を投じたものと断じ難い。要するに原告が主張するような状況での投票方法を以て投票の秘密が害せられたとは断定できない。本件における証拠でも秘密が侵されたと認められるような事蹟は認められない。
右の通りであるから4の主張も採用できない。
以上説明した通り原告が本訴において本件審査を無効とする理由は立法論としては大いに傾聴に値する論点もあるが現行法の解釈としては結局認容できないのである。
されば原告の請求は棄却せらるべきであり、民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 角村克己 川喜多正時 村木達夫)
訴状
請求の趣旨
昭和三三年五月二二日執行の最高裁判所裁判官高橋潔、垂水克己、河村大助、奥野健一、下飯坂潤夫に対する国民審査は無効である。
訴訟費用は被告の負担とする。
という趣旨の判決を求める。
請求の原因
一、被告は中央選挙管理会(以下単に管理会という)の委員長であり、原告は、肩書地に居住し、昭和三二年一〇月三一日目黒選挙管理委員会で作成された基本選挙人名簿に登録され、衆議院議員選挙権および最高裁判所裁判官国民審査権を有するものであつて、昭和三三年五月二二日の投票日に東京都目黒区第二投票所で衆議院議員および最高裁判所裁判官国民審査(以下単に審査という)の投票を行つたものである。
二、被告は、昭和三三年五月二二日施行の衆議院議員総選挙(以下単に選挙という)と同時に行われた審査について、最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に審査法という)第二条第一項、同法第五条の定めに従つて昭和三三年四月三〇日の官報に中央選挙管理委員会告示第一号を以て投票期日同年五月二二日審査に付される高橋潔、垂水克己、河村大助、奥野健一、下飯坂潤夫の各裁判官の氏名を告示された。
三、右審査施行のために被告の設けられた投票所は、審査法第一三条の定めに従つて設けられた結果、選挙の投票所と審査の投票所の入口が一つであつて、先づ選挙の投票所に入つて投票を済ませ、引続いて設けられた審査の投票所に入つて審査の投票を行つた後に、出口から退場するという施設であつて、その間に出口がなかつたので、一度投票所に足を踏み入れた限り、審査場を通らなければ投票所の外に出る途がないこととされており、しかも審査の投票所に入つた限り本人の意思いかんにかかわりなく投票用紙が交付され、その投票用紙は持帰ることが許されず、そのまま投票函へ投入しなければならないこととされていたので、各審査人は投票管理人の指図どおりに投票を行つた。
四、その際、被告が各審査人に対して交付された投票用紙は、審査法第一四条の定めに従つて作成された結果、その投票用紙には高橋潔外四名の裁判官の氏名が連記され、その各裁判官の氏名の上に、罷めさせたい裁判官に×の記号をつけるところを一ケ所だけ設け、任命を可とする記号を記載する個所が設けて居らず且つ投票用紙に×の記号以外の事項を記入したものは、同法第二二条の規定で無効とされていた。
五、被告は、かくして行われた投票の結果を、各審査分会から報告を受け、昭和三三年五月三一日、東京都千代田区霞ケ関人事院ビルデイング自治庁において、審査会を開いてこれを調査し、審査法第三二条の定めに従つて無効投票以外の投票を、罷免を可とする投票と、罷免を可とする投票でない投票との二種類に分けて、審査の何ものであるか判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の、絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入して、全裁判官罷免を可とされないことに決定し、これを同年六月三日の官報に、中央選挙管理会告示第四号を以て告示された。
六、しかし右法条による施設と方法による審査は、左の理由によつて無効である。
1 憲法第七九条第二項の定める審査は、国民の意思によつて裁判官に対して罷免を求める、所謂裁判官に対する解職投票を行う制度でなく、同項の明文の示すが如く、天皇又は内閣の任命行為の適宜を審査決定する制度であつて、その投票は、つねに任命行為に対する信任投票を行うべきもである。少くともわが憲法の規定の上では「任命を可とするか、罷免を可とするか」の形式で行わるべきであつて、裁判官その個人に対する解職投票を行うべきでない。然るに現行審査法は、解職投票を規定し、この規定によつて今回の審査が行われたものであるが、これは明かに前記憲法の条規に反するものであつて、法律上その効力のないものである。
2 われら日本国民は、憲法第一三条の定めるところによつて、身体の自由を有し、投票所に出頭するの自由と、出頭しないことの自由、および投票すると、投票しないことの自由を有する。
審査法第一三条の定めに基いて設けられた今回の投票所の入口と出口とが一ケ所であつて、選挙の投票所へ足を踏み入れた者は、否応なしに審査の投票所を通過しなければ、場外に出られない施設になつていたので、各審査人は、全く審査の投票所に入らない自由が奪われた。のみならず、審査人が投票所に入つた限り、本人の意思いかんにかかわりなく、投票用紙が交付され、管理人監視のもとにその持帰りが許されずして、そのまま投票函え投入しなければならない仕組みになつていたので、各審査人は投票しないことの自由(棄権の自由)が奪われていた。
これからは、投票所え入りたくない審査人に対して、投票所への出頭を強制したことになり、また、投票を欲しない審査人(棄権したい審査人)に対し投票を強いたことになり、正に憲法第一三条で、最も尊重されなければならない身体の自由を侵したことの甚しいものであつて、この施設によつて行われた今回の審査は当然無効である。
3 審査法第一四条の定めに基いて投票用紙を作成し、高橋潔外四名の裁判官の氏名を連記して各裁判官についてその任命を可とする記号をつける個所を設けず、ただ各裁判官の氏名の上に、罷めさせたい裁判官に×の記号をつけるところ一ケ所だけを設け、同法第二二条の定めを設けて、投票用紙に「×の記号以外の事項」を記入したものを無効として取扱つたのでは一人の裁判官に対し罷免投票を行い他の四人の裁判官に対して棄権したい審査人は、一人の裁判官に対する「罷免の投票」を断念するか、他の四人に対する「罷免を可とする投票でない投票」を甘んずるか二者何れかを行うの外なくこれは投票の自由を奪つたことの甚しいものであつて、これ亦憲法第一三条で保障された身体の自由と同法第一九条、第二一条で保障された思想および良心の表現の自由を奪つたものであつて、このような規定に基いて行われた、今回の審査はこの点でも憲法上当然無効のものである。
4 日本国民は憲法第一九条第二一条の定めるところによつて、思想および良心の自由が保障され、各個人は自己の思想を抱くがままに発表するの自由を有し、又感情の許さない思想、良心の発表は、これを拒むの自由が与えられ、又各人の思想および良心はこれを曲げて取上げられ又はその希望に添わない法律上の取扱いを受けないということが保障されているのである。
審査法第三二条の定めによつて、無効投票以外の全投票を、×の記号ある投票と、無記入の投票との二つに別けて、×の記号のある投票を罷免を可とする投票とし、審査の何ものであるか判らない者、裁判官の氏名をすら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の無記入投票を全部「罷免を可とする投票でない投票」として取扱うことは、これら投票者の意思を枉げて解釈し且つ本人の欲しない法律上の取扱いをするものであつて、この点でも前記憲法の条規に反する無効のものである。
審査法の前記各条規に従つて行われた今回の審査は投票の秘密を侵すものである。
審査の投票にあたり、罷免を可とするものは「当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し」、罷免を可としないものは「当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないでこれを投票箱に入れなければならない」(国民審査法第十五条)。この審査法第一五条にもとずいて本件国民審査は行われた、従つて投票場で何らの記載をしないものは、投票用紙を受けとると同時にそのまま投函して出て行く。これに対して記載をするものは記入台の処に行き、そこで記載して投票箱に投ずることは一目瞭然である。
今回の審査を受ける裁判官は、高橋潔外四名であつて、何等かの記載をする限り罷免その他の記載をすることが一目瞭然であつて投票の秘密が侵されていたばかりでなく、自由意思に基く投票が保障されたといい得ない、この点でも今回の審査は無効であるといわなければならない。
以上の理由によつて今回の審査は無効であるから裁判所におかれては速やかにこれが無効を宣言され、憲法に適合した審査法の制定に端を与えられ真に意義ある審査の行われるよう判決せられんことを求める次第である。
答弁書
請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
以上の趣旨の判決を仰ぐ。
請求の原因に対する答弁
第一訴状記載の事実の認否
一 請求原因第一項及び第二項記載の事実は争わない。
二 請求原因第三項記載の事実中「審査の投票所に入つた限り、本人の意思如何にかかわりなく投票用紙が交付され、その投票用紙は持ち帰ることが許されず、そのまま投票函え投入しなければならないこととされていたので、各審査人は投票管理者の指図通りに投票を行つた」という事実は認めない。その他の事実は争わない。
三 請求原因第四項記載の事実は争わない。
四 請求原因第五項記載の事実中「審査の何物であるかの判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免事由の有無の判らない者等の絶対多数の無記入投票」とある部分の事実は認めないが、その他の事実は争わない。
第二抗弁
一 最高裁判所裁判官に対する国民審査が本来裁判官の任命行為に対する信任投票であるか、或は裁判官たる者に対する解職投票の性質のものであるかは、屡々論議せられているところであるが、
(一) 被告人は、次の如き理由により、これを解職投票と解する。
(1) 国民審査が解職投票の本質のものであることは、憲法七九条の文面において明白である。
(2) 裁判官の任命行為は、国民審査以前において既に完了しているものと解すべきである(憲法六第、七九条、八〇条、裁判所法三九条、四〇条)。
(3) 裁判官の地位の保障と民主主義とを調和せしめて考えるも、国民審査はこれを解職投票と解釈することが妥当である。
(4) 国民審査を裁判官の任命行為に対する信任投票と解することは、広く一般国民をして積極的に各裁判官につきその適格性の有無を判断せしむることとなり、そのようなことは実行不可能に近い困難を伴うものといわねばならぬ(罷免投票であれば、比較的に実行容易である)。
(5) 国民審査を以て任命の可否を諮るものとすれば、同一裁判官に対する第二回以後の国民審査を理解し得ないこととなる。
(6) 国民審査を解職投票と解しても、それは裁判官に対する弾劾制度とは趣旨を異にし、又その適用の範囲も異るでああつて、両者の間に何らの矛盾はない。
(二) 国民審査を以て解職投票の制度と解すべきことについては、既に御庁屡次の判決(昭二四、一二、五、昭二九、一一、九、昭和三二、一一、七の各判決)により明示せられているところであり、又昭二七、二、二〇の最高裁判所判決により更に確認せられているところである。
二 本件国民審査が憲法一三条の規定に違反し、それは「投票所に出頭の自由と出頭しないことの自由」及び投票するとしないことの自由を破るものであるとする原告の主張は、理由のないものである。
(一) 本件の場合、投票所の設備において選挙場と審査場との出入口が一つにせられていたことは事実である。しかしながら、そのことは
(1) 主として投票者の投票の便宜を計るためと又特にこの審査制度の本質にも鑑み、なるべく棄権を少なからしめるための必要措置であつて、これを以て「各審査人は全く審査の投票所に入らない自由が奪われていた」とか「審査人が投票所に入つた限り、本人の意思如何にかかわりなく、投票用紙が交付され、管理人監視の下にその持ち帰りが許されずして、そのまま投票函に投入しなければならない仕組になつていた」とかいうことは、甚だしく事実に反するものであり、又、多くの誇張を伴うものである。
(2) 又、憲法七九条二項が国民審査は必らず「衆議院議員総選挙の際」に行うべきことを定め、更に審査法一三条においては「審査の投票は、衆議院議員総選挙の投票所において、その投票と同時にこれを行う」と規定しているのであつて、この設備はその実行に外ならない。更に又上述の如く国民審査については特に棄権を少からしむる必要もあつて、公職選挙法一条六条等の精神を励行したものにすぎない。
(3) 以上のような次第であるから、このような設備方法のもとに審査の投票が行われたとしても、それを以て直に投票の強制といい得ないことは当然であり、又有権者は投票所に入つてから出るまでの間、何ら法律上事実上投票の自由を奪われているものではない。各審査人は或いは審査の投票を棄権し、又無効投票をすることも充分できたのである。殊に、各投票所の入口には、棄権を望む等は投票用紙を受け取らなくてもよい旨の張り紙もしてあつたのであつて(別紙参照)、単に出入口が一つであつたということだけで、投票の強制を云々するようなことは全く理由のないことである。況んやこの点に関して、憲法一三条の規定する身体の自由の侵害などを云々するようなことは、余りにも仰山すぎる主張である。
(4) 実際の結果について見ても、本件国民審査の場合の投票者総数は三九、八六〇、三〇九人であつたが、同時に行われた衆議院議員総選挙の投票者総数は四〇、〇四五、一一一人であつて、その間には一八四、八〇二人の相異がある。この事実は、明かに投票の強制の如きもののなかつたことを裏書しているものである。
(二) 投票用紙の持ち帰えりの禁止は、その持ち帰えりを認めることに因り生ずる数多くの弊害の防止のため絶対に必要な措置である。而してこのような投票用紙の持ち帰えりの禁止は、一般選挙の場合においても常に励行せられているところであつて、独り国民審査の場合のみのことではない。
三 原告は、投票用紙が審査法一四条の定めに従つて作成された結果、その投票用紙には高橋潔外四名の裁判官の氏名が連記され、その各裁判官についてその任命を可とする記号を記載する箇所が設けてなく、各裁判官の氏名の上にやめさせたい裁判官に×の記号をつけるところ一ケ所だけを設け、且投票用紙に×の記号以外の事項を記入したものは無効とされていたことを不当とし、又このようなことでは「一人の裁判官に対し罷免投票を行い、他の四人の裁判官に対して棄権したい審査人は、一裁判官に対する「罷免の投票」を断念するか、他の四人に対する「罷免を可とする投票でない投票」を甘んずるか、二者何れかを行うの外なく、これは投票の自由を奪つたことの甚だしいものであつて」、これは憲法の違反(一三条、一九条、二一条違反)であると主張する。しかしながら
(一) 「各裁判官についてその任命を可とする記号をつける個所が設けていない」ことは、国民審査の本質が信任投票でないこと(上述)の当然の結果であつて、要するに、それは立論の根柢において所見を異にするものがあるためである。
(二) 而して国民審査を以て解職投票であると解する限り、その投票の種別としては積極的に罷免を欲する裁判官に対する罷免の投票(すなわち「罷免を可とする投票」)と、そのような積極的罷免の意思を伴わない投票(すなわち「罷免を可とする投票でない投票」)と、その二者だけを区別すればそれで充分であつて、それ以上に亘りアレコレと投票人の意思を穿さくしたり又それに伴い細かい投票の種別を明かにする必要は毛頭ないのである。この意味において、現行審査法の定むるような投票の方法を規定し、又その投票の取扱いをしても、それが憲法一九条や二一条に違反するものというべきことではない。
(三) 更に、原告は同時に二人以上の裁判官が審査に付された場合、審査人がその中の一人だけについて棄権したいと思うときに棄権する方法がないのは不都合であると主張するが、この主張は当らないものである。何となれば
(1) この主張は根本において重大なる過誤があるのであつて、それは、二人以上の裁判官が同時に審査に付された場合には各審査人は各裁判官につき、それぞれ一票あての投票をするものと考えていることである。そうではないのであつて、このような場合においても、各審査人の有する投票権は一票であり、審査の投票は常に一票の投票であつて、各裁判官に対してそれぞれ別個の投票をするものではない。この場合の投票の内容は勿論連記であるけれども、それは連記式の投票であるというだけであつて、その場合でも矢張り投票は一つである。少くとも現行審査法がそう定めていることは疑を容れない。連記だからといつて直にこれを数個の投票と解することは明かに間違いといわねばならない。而してこのことは広く連記投票の場合に通ずるところの普遍的原理といえることであつて、審査法がそのように規定したからといつて、それは何ら一般的原理に反するものでもなければ、又憲法の何れの規定に違反するものでもない。
(2) したがつて、一個の投票を分割して、その一部分のみを行使し、他の部分は棄権するというようなことは、ことの性質上到底許されるものではないのである。
(3) 更に、昭二七、二、二〇の最高裁判所判決によれば「法が連記の制度をとつたため二、三名の裁判官だけに×印の投票をしようと思うものが、他の裁判官については当然白票を投ずるの止むなきに至つたとしても、それはむしろ前にかいたような国民審査の制度の精神に合し、憲法の趣旨に適するものである。決して憲法の保障する自由を不当に侵害するなどというべきものではない」とせられており、この意味においても原告の主張は理由のないものである。
(四) 右の如き次第であるから、原告が「審査の何物であるかわからない者、裁判官をしらない者、各裁判官について罷免の事由の有無をしらない者等の無記入投票を全部「罷免を可とする投票でない投票」として取扱うことは、これら投票者の意思をまげて解釈し、且、本人の欲しない法律上の取扱いをするものである」と主張することは、理由のないものであることは明らかである。又仮りに原告のいうように細かな投票の区別をしようとしても、いうまでもなく、×印の記入のない投票中には充分にその投票の意味を理解し、罷免を欲する裁判官のない旨を表示した投票も存することは勿論であるから、多くの投票を原告のいうようなそれぞれの場合に分類し且それぞれがどれだけの数となるかというような具体的調査は、投票の秘密保護の関係もあり、審査人数の甚だ多数である関係などより考慮すれば、到底実行し得られることではない。
更に又たとえ法規を改正しても(立法論としても)国民大衆の現状においては、厳密に原告主張のような投票の取扱いをすることは、恐らく投票に関する非常な混乱を招来するおそれがあつて、事実問題として容易に実行し得られるものではないと信ずる。
四 原告は、本件国民審査の場合「投票場で何ら記載しないものは投票用紙を受けとると同時にそのまま投函して出て行く。これに対して記載をするものは記入台の処に行き、そこで記載して投票箱に投ずることは一目瞭然である」ときわめて概括的な、独善的な断定をしている。しかしながら
(一) 本件国民審査の場合、或いは原告の主張するところに多少類似するような状態の投票の場合もあつたかも知れないが、全国の投票所においてすべてがそのような状態であつたことは到底信ぜられないし、又固より断定できないことである。そのようなことは余程様子の違つた場合も勿論少くなかつたことと信ぜられる。
(二) 更に又個々の審査人についていえば、投票記載所に立ちよつた審査人であつても、必ずしも原告のいうように「何らかの記載をする限り罷免その他の記載をすることが一目瞭然」であつたとは決していい得ないことである。すなわち、記載所に立ち寄つても、結局、記載しないこともあろうし、他事を記載することもあろうし、又固よりどの裁判官に×印を記載したかも別らないことであり(今回審査を受けた裁判官は高橋潔外四名である)又、投票所に立ちよらない恰好の審査人でも、ひそかに記号を記載するとか他事を記載するとかすることは、あながち不可能でもないことであつて、この点についても余り断定的な概括的な推測を下すことは不当である。
(三) 凡そ審査法一五条、一六条の定むるところの設備が充分なされてあり、又その規定する如き方法に準拠して投票が行われていたならば、法は固よりそれを以て満足しているものといわねばならぬのであつて、それでも尚、且、投票の秘密が侵されているというようなことは、容易にいうべきことではないと信ずる。而してこのことは、既に御庁の判例(昭和二九、一一、九、東京高裁判決)においても充分明瞭にせられているところである。本件国民審査の場合いづれの投票所においても、投票所の設備乃至投票の方法が法定の限界を超えたとか、これを紊したとかいうような事実は全くないのである。
(四) 元来投票の秘密の保持ということは、きわめて大切なことではあるけれども、しかしながらそれとてもそれが絶対的に無制限である筈はないのであつて、又たとえそのようなことを制度的に保障しようとしても、そのようなことは、事実上不可能なことでもある。すなわち、そのようなことについても自ら或る限度の存することは当然であるといわねばならぬ。本来法が投票の秘密の保持を保障する所以のものは、その沿革的(起縁的)、政治的、社会的理由に鑑み、要するに、投票(審査)する者が自己の投票(審査)意思を強制的に(その意に反して)暴露させられるようなことがなく、各投票人において外部に対し容易にこれを秘匿するに足るだけの(秘匿し得る)保障(方法)が講ぜられていれば、それで一応足るものとしなければならぬ。何となれば、それで各人の自由意思に基く投票は充分に保障されるからである。而してこの場合投票をする者の側に或る程度の(容易に実行し得る程度の)協力を求めることは、決して不当なことではない。換言すれば、投票の秘密の保障にも、亦、自らなる或る限度又は限界はあるのであつて、而してその妥当なる限界は凡そ以上のように解すべきものである。而して従来の多くの投票の秘密の保護に関する判例の趣旨も、凡そ以上のように今日略確立せられているものと思う。要するに、投票の秘密の保持ということも各場合におけるいろいろの条件によることであるから、これをあまりに概括的に、観念的に又抽象的に、無制限なものに誇張して考えることは、実情に即せず、はなはだ適当でないものである。
被告準備書面
一、原告の主張は、本件国民審査は最高裁判所国民審査法(以下単に審査法という。)に従つて行われたものであるけれども審査法に定める国民審査の方法が憲法違反であると同時に、国民審査の手続が憲法の保障する国民の基本的人権を侵害したから、無効であるというのであつて、原告自身の具体的権利が侵害されたと主張するものではない。本件訴訟は、審査法第三十六条の規定により提起されたもので、いわゆる民衆的訴訟に属することは、明らかである。
二、裁判所は、一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有するが(裁判所法三条)、「一切の法律上の争訟」とは、無制限な法律上の争訟を意味するものではない。争訟は、特定の者の具体的な権利が侵害され、あるいは具体的な法律関係について紛争がある場合に限つて、審理の対称とされ、しからざるものは訴の利益を欠くとして却下されることは、戦前から堅持された民事訴訟の根本原則である。新憲法の下において裁判所の違憲立法審査権の範囲いかんという問題に関連して再び論題としてとり上げられたが、最高裁判所は「裁判所が具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するものとの見解には憲法上法令上何等の根拠も存しない」(昭和二七、一〇、八判決例集六巻九号七八三頁)と判示して、同様な見解をとることを明らかにした。
この法理は、行政訴訟においても、そのまま適用される。「行政庁の違法な処分の取消又は変更に係る訴訟」においても、「その他公法上の権利関係に関する訴訟」においても、訴の利益を欠く訴訟は、不適法たるを免れない。しかして、このような意味における訴の利益を有する訴訟(以下民衆的訴訟に対して一般的訴訟と呼ぶ。)については、裁判所は広範囲の法令審査権を有するものであつて、法令の合憲なりや否やを審査し、事案の判断にあたつて、違憲の法令の適用を排除することができる。
これに対して、民衆的訴訟は、いわゆる訴の利益を欠くけれども、行政法規の違法な適用に対し、これを是正するために、一般国民が公共的、監的督立場から提起するものであつて、法律の特別の規定をまつて、はじめて提起することができるものである。従つて、民衆的訴訟について、裁判所の有する法令審査権は、一般的訴訟におけるものとは性質を異にして、制限を受けるのが通例である。その制限は、法律の規定に基くこともあり、民衆的訴訟制度の性質、目的に由来するものもある。
三、審査法第三六条は、「審査の効力に関し異議があるときは、審査人又は罷免を可とされた裁判官は、中央選挙管理会の委員長を被告として、第三十二条第二項の規定による告示のあつた日から三十日以内に東京高等裁判所に訴を提起することができる」と規定している。その文言を形式的に解釈すれば、「審査の効力に関し異議あるとき」においては、審査人は理由のいかんを問わず、訴を提起することができるかの如くである。しかしながら、同法第三十七条第一項の前条の規定による訴訟においては、審査についてこの法律又はこれに基いて発する命令に違反するときは、審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、裁判所は、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならないという規定と、同法第三十六条の規定とを併せて考えれば、国民審査の無効の確認を求める訴訟の提起が許されるのは、審査手続が審査法又は同法に基く命令の規定に違反することを理由とする場合に限られることは明らかである。
審査法第三十六条に基く訴訟が提起された場合に、裁判所は審査法の規定と具体的審査手続とが合致しているか否かの判断と、両者が合致していないと認める場合(すなわち審査手続が違法な場合)において違法が審査の結果に異動を及ぼす虞があるか否かの判断の二つの判断が許されるのみであつて、審査法の規定の合憲性を判断し、あるいは具体的な審査手続の合憲性を判断することは許されないと解すべきである。何となれば、裁判所が審査の無効の判決をすることができるのは、審査法第三十七条第一項に該当する場合に限られるのであるから、審査法が違憲であるとか、あるいは具体的な審査手続が違憲であると判断しても、裁判所は、そのような判断に基いて審査の無効の判決をすることことはできないからである。さようなことが許されるとする考え方は、冒頭に述べた民事訴訟の根本原則に違背し、最高裁判所の判決により確立された原則を破壊するものである。このことは、民衆的訴訟が国民の公共的、行政監督的立場から行政法規の違法な適用を是正するために認められたものであるという民衆的訴訟制度の本質から考えても、また審査法第三十七条第一項の規定(この規定は裁判所法第三条に対する特別法であり、裁判所の権限の範囲に関する規定である。)から判断しても、容易に納得されるであろう。
四、右の如き観点に立つて考えれば、原告は裁判所の権限に属しない事項について、裁判を求めているのであるから、不適法な訴として却下を免れないものであり、かりにしからずとするも、爾余の判断を要せずして直ちに棄却の判決がなさるべきである。
(一) 原告の主張は、審査法に定める審査方法が憲法違反であること(請求の原因第六項1参照)及び本件国民審査手続は審査法の規定に従つてなされたものであるけれども(審査法の手続規定が違憲であるために)、具体的な本件審査手続が憲法の保障する基本的人権を侵害したことという二を請求の原因として、本件国民審査の無効の判決を決めているのである。このような請求は、具体的審査手続を訴訟物とするかの如く立論しながら、実は抽象的に審査法の条文の合憲性の判断を求めるものであること及び審査法に規定する裁判所の権限を超えた裁判を求めるものであるとの二の理由から、不適法であつて、却下を免れないものである。すなわち、原告の主張を詳細に検討すると次のとおりである。
(二) 請求の原因第六項1の主張は、憲法第九十七条第二項は、国民審査を裁判官の任命行為に対する信任投票として規定しているにもかかわらず、現行の審査法は解職投票として規定しているから、審査法全体が違憲立法で無効であり、かかる無効な法律に基いて行われた本件国民審査手続は当然無効であるというのである。このような理由に基いて審査の無効の判決を許す法条は存在しないのみならず、かりに原告主張の如く審査法が無効であるならば、解職投票を前提として設けられた審査法第三十六条乃至第三十八条の規定も無効であるから、本件訴訟は存在の根拠を欠くこととなる。
(三) 請求の原因第六項2乃至4の主張は、要するに本件国民審査手続は審査法第十三、十四、十五、三十二の各条の規定に従つて行われたものであるけれども、この審査手続が憲法第十三条、第十九条乃至は第二十一条に違反するが故に無効であるというのである。裁判所が無効の判決をすることができるのは、審査法の規定と具体的審査手続とが合致しない場合に限られるのであるから、裁判所の判断も規定と本件審査手続とが合致するか否かに限定されるものである。審査法の規定に従つてなされた審査手続が、かりに憲法に違反するとしても、民衆的訴訟制度の本質及び審査法第三十七条第一項の規定から考えて、そのような理由で審査の無効の判決をする権限は裁判所にはないのであるから、原告の主張は結局裁判所の権限に属しない事項について判決を求めるものであつて、不適法である。
かりに、却下の主張が認められないとしても、本件国民審査手続が審査法に従つて行われたことは、原告の自白するところであり、他に何らの争点がないのであるから、直ちに請求棄却の判決を求める次第である。