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東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)26号 判決 1962年12月06日

原告 近藤幸三

被告 愛知機械工業株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告訴訟代理人は「昭和三二年抗告審判第二八六号事件につき、昭和三三年五月二八日に特許庁がした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。

第二、請求の原因

原告は請求の原因として次の通り述べた。

一、原告は昭和二四年一一月二六日特許庁に対し「オート三輪車発動機に装置する潤滑油の調節器」について特許出願をし、この出願はその後昭和二五年一二月一二日旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号、以下単に旧実用新案法という)第五条の規定によつて、これを実用新案出願に変更し、昭和二八年一一月一三日登録第四〇七、六七一号をもつてその登録を受けた。

被告は原告の右登録実用新案につき昭和二九年四月一日特許庁に対し登録無効審判の請求(昭和二九年審判第一二八号)をし、昭和三一年一二月一九日「審判請求人の申立は成り立たない」旨の審決を受け、更に昭和三二年二月二二日これに対する抗告審判を請求(昭和三二年抗告審判第二八六号)した結果、特許庁は昭和三三年五月二八日「原審決を破棄する。登録第四〇七、六七一号実用新案の登録を無効とする」との審決をし、その審決書の謄本は同年六月一七日に原告に送達された。

二、そして右抗告審決の要旨は、次の通りである。すなわち、原告の右実用新案と同一構造の潤滑油調節器は、既に昭和二四年一一月一七日被告会社から宮城県玉造郡鳴子町消防団に納車された三輪消防自動車に取付けられており、また同年一一月二二日被告から静岡県引佐郡三ケ日町消防団に納車された三輪消防自動車にも装置せられていて、原告の本件登録実用新案の出願日である昭和二四年一一月二六日以前に既に公然用いられていたものである。しかも、原告自身抗告審判事件の答弁書で、本件実用新案と同一構造の潤滑油調節器が実用新案出願日の前に公然知られた事実を認めている。もつともこの点については、原告は右実用新案を公知にした日から六ケ月以内に出願したものであるから旧特許法(大正一〇年法律第九六号、以下単に旧特許法という)第五条の規定で、本件実用新案は新規なものとみなすべきであると主張するが、本件は実用新案の出願であつて、旧実用新案法には旧特許法第五条を準用する規定はないから右主張は当を得ない。以上の理由により、本件登録実用新案の考案は旧実用新案法第三条第一号の規定に該当し、その登録は同法第一条の規定に違反して与えられたものであり、同法第一六条第一項第一号によつてこれを無効とすべきものであるというのである。

三、しかし右審決は次の理由によつて違法であり、取消さるべきである。

(一)  右審決が本件潤滑油と同一構造のものが本件出願前既に鳴子町及び三ケ日町の各消防団に納車された三輪消防自動車に装置せられていたと認定したのは事実誤認である。尤も昭和三三年一月六日の名古屋地方裁判所の検証当時鳴子町に存在した被告会社製造の三輪消防自動車並びに昭和三四年一二月二四日の当裁判所の証拠保全による検証当時三ケ日町に存在した被告会社製造の三輪消防自動車に各装置された潤滑油調節器が、原告の本件実用新案にかかる装置と同一構造のものであることはこれを認めるが、右鳴子町に存在した三輪消防自動車が昭和二四年一一月一七日に同町消防団に、三ケ日町に存在した同様自動車が同年一一月二二日同町消防団に納車せられたものか否かも分らないし、仮りに納車の日が右の通りであるとしても、右各自動車に装置された潤滑油調節器が右各納車の日の当時から装置せられていたことはこれを否認する。本件実用新案にかかる潤滑油調節器は原告が昭和二四年九月五日頃その考案を完成したものであつて、これを装置した車が発売せられたのは早くとも同年一二月以降であるから、右両町消防団への納車の日が右の通りであるとすれば、その納車の当時には右調節器の装置はなく、検証当時に現存した調節器はその後に、原告が右調節器についての特許出願をした同年一一月二六日より後に改装装置せられたものと見るの外はない。従つて右納車の当時既に右の装置がせられていたものとした審決は違法である。

(二)  また審決は、原告が抗告審判事件で提出した答弁書に「結果は良好のため昭和二四年九月七、八日頃最初の一〇〇ケ程が外注にされ、それが入り次第そのたまつたエンジンにつけた。すると見る見るうちに車体につまれ販売された。そしてその後も更に外注し、停滞エンジン全部につけてことごとく出払つてしまつたのです。その様子はあたかも大水が引いたようになくなり、ほつと一息した」と記載したのをとらえて、本件実用新案と同一構造の潤滑油調節器が本件実用新案の出願日前公然知られた事実を原告自身認めていると認定した。そして原告が右答弁書に右の通りの記載をしたことは事実であるが、この記載は真実と著しく相違し、誤解を招くおそれがあるから全面的にこれを撤回する。そもそも本件調節器は、当時の被告会社の実情からして、純然たる原告の考案であることが明らかであるにも拘らず、被告は抗告審判において乙第九、一〇、一一号証を提出し、原告の考案前に既に本件調節器を実施していたと虚構の主張をするの暴挙に出たので、原告は憤激のあまり、本件調節器が自己の考案であることを強調せんがため、些さか誇張粉飾して右の記載をするに至つたもので、この記載の趣旨は、本件調節器が原告の考案に基いて被告会社の幹部が諒承の上、試作実験の行われた実情を述べんとしたものに外ならず、その年月日もそれほどはつきりしたものではなく、又販売事実等については、工場内の単なるエンジン検査係員にすぎない原告には判ろう筈もないことで、右記載は事実と相違するものである。

(三)  なお本件考案は、前記の通り原告が昭和二四年九月五日頃その考案を完成したものであつて、これを試験のため被告会社にみせたにすぎないものである。然るに被告会社はこれを原告の意に反して製作の上、その製造にかかる自動三輪車に装備してこれを販売するに至つたものである。そして原告は右考案を被告会社に見せた日より六ケ月以内である同年一一月二六日に右考案についての特許出願をしているのであり、この出願は後に実用新案出願に変更したが、その出願日は前記特許出願の日と同一にみなされるところである。従つて、仮りに原告が本件考案を被告会社に見せたことによりこれが公知となり、また被告会社が本件考案にかかる調節器を装備した三輪自動車を他に販売したことによりこれが公用となつたものであり、しかもこの公用となつた日が右出願日より前であるとしても、旧特許法第五条第一、二項の規定によつて原告の右考案の新規性はなお失われないものというべきである。

本件実用新案は旧実用新案法第五条の規定によつて特許出願を実用新案出願に変更したものである。そして旧実用新案法には旧特許法第五条を準用する旨の規定はないのであるが、本件のような特許出願を実用新案出願に変更した場合にあつては、なお右旧特許法第五条の適用があるものと解するのが相当である。

(四)  また仮りに審決認定のように鳴子及び三ケ日に納車された三輪消防自動車に本件実用新案と同一構造の潤滑油調節器が装置せられていたとしても、単にその三輪消防自動車が公然使用されているということだけでは、本件調節器が公知公用のものとなつたということはできない。けだし、本件の調節器はチエンケースの裏側から取付けられて、その上ギヤー及びチエンが蔽いかむさつており、更にその上をチエンケースカバーで完全に蔽われているものであつて、通常の三輪車使用状態では全然外部からのぞき見ることの出来ないものである。従つてたとえ三輪消防自動車が公然使用されたとしても、これを分解して公開しない限り本件調節器が公知の状態となつたものということはできないからである。

そしてこの部分を分解して公用した事実については被告の側で何等の主張も立証もしていないのであるから、右三輪消防自動車の販売納入の事実だけから本件調節器が出願前公知の状態になつたものとは到底いい得ないものである。然るに審決は右販売納入の事実だけで本件調節器が公知公用となつたものと認定しており、審決はこの点においても違法たるを免れない。

四、以上の理由によつて審決の取消を求めるため本訴に及ぶ。

第三、答弁

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として次の通り述べた。

一、原告主張の一及び二の事実はこれを認めるが、三の点はこれを争う。

二、(一) 被告会社は本件実用新案の出願日以前である昭和二四年一一月一七日に宮城県玉造郡鳴子町消防団に、同年同月二二日静岡県引佐郡三ケ日町消防団に、それぞれ被告会社製造にかかる三輪消防自動車を販売納付したが、右三輪消防自動車にはいずれも当初より本件実用新案と同一構造の潤滑油調節器が装備せられていたものであつて、これと同趣旨の認定をした審決には何等の事実誤認はない。

(二) 原告は本件抗告審判の当時その答弁書において、原告の請求原因三の(二)の通りの記載をし、明らかに右被告の主張の真実であることを自認しているものである。

(三) 旧実用新案法第五条による出願変更の効果は、特許出願は消滅し、実用新案出願の出願日について特許出願の出願日まで遡及することの利益を受けることにあり、これにつきるとすること、学説上何ら争いのないところである。従つて、旧実用新案法には旧特許法第五条の規定が準用されておらず、また旧特許法第五条と同旨の規定を欠いている以上、本件実用新案が旧実用新案法第五条により特許出願を実用新案出願に変更したものであるにしても、旧特許法第五条による新規性喪失の除外事由について、何ら考慮をはらう余地は存しない。

(四) 原告は本件調節器はチエンケースの裏側に取付けられているから公知の状態とはいえないと主張するが、黙秘義務を有しない不特定多数の人の知り得べき状態に、本件潤滑油調節器がおかれたことに変りはないのであるから、右原告の主張も失当である。

三、以上の通りであつて、本件審決には何等の違法もなく、その取消を求める原告の本訴請求は失当である。

第四、証拠<省略>

理由

一、原告主張の一及び二の事実は当事者間に争いがない。

二、そこでまず本件登録実用新案にかかる潤滑油調節器と同一構造のものが、右実用新案登録出願に変更された当初の特許出願(昭和二四年一一月二六日)前に公然使用せられたか否かについて検討する。

(一)  昭和三三年一月六日の名古屋地方裁判所の検証当時宮城県玉造郡鳴子町に存在した被告会社製造の三輪消防自動車並びに昭和三四年一二月二四日の当裁判所の証拠保全による検証当時静岡県引佐郡三ケ日町に存在した被告会社製造の三輪消防自動車に各装置された潤滑油調節器が、原告の本件実用新案にかかる装置と同一構造のものであることは当事者間に争いがない。

(二)  そして成立に争いのない乙第二号証の一ないし七、第三、第六号証、第七号証の一ないし六、第一四号証、成立に争いのない乙第一九号証の三に弁論の全趣旨を総合してその成立の認められる乙第四号証の一、二、証人成田錦代の証言により成立を認める同第五号証、前示乙第二号証の四、五に弁論の全趣旨を総合して成立を認める同第一二、第一三号証に証人成田錦代、名倉弘司、大野実男の各証言を総合すれば、右鳴子町に存在した三輪消防自動車は被告会社より昭和二四年一一月九日宮城小型自動車商会に発送され、合資会社古川ポンプ製作所を経て同月一七日鳴子町消防団に納車され、以後同町における消防活動のため使用されて来たものであり、右三ケ日町に存在した三輪消防自動車も、被告会社より昭和二四年一一月一七日万邦自動車株式会社に発送され、同会社を経て同月二二日三ケ日町(当時東浜名村、昭和三〇年三月三一日町村合併により三ケ日町となる)消防団に納車され、以後同村及び同町における消防活動のため使用されて来たものであることが認められる。

(三)  そこで問題は、右各三輪消防自動車に前記の検証当時に存在した潤滑油調節器が、右の納車当時から装置せられていたか否かである。原告はこの点について強い疑問を投げかけ、被告提出の証拠について各種の矛盾を指摘する。しかし右各三輪消防自動車について、その納車の後に右の潤滑油調節器を改めて装備した事実の記憶はないとは、右各納車先側の各証人の一致して証言(前示乙第二号証の四証人氏家大助の証言、同号証の六証人三梨三治郎の証言、証人名倉弘司、大野実男の各証言)するところであるとともに、右名倉及び大野の各証人は、三ケ日町に納車せられた三輪消防自動車について、納車後約一年半経過の昭和二六年三、四月頃に至るまで右自動車につき漏油の点で修理の必要を感じたことはない旨を証言するのである。そして成立に争いのない甲第三、四号証に弁論の全趣旨を総合すれば、本件のような潤滑油調節器は、被告会社において昭和二四年七月頃自動三輪車に装備するダイナモを三菱製のものから日立製のものに取替えてからその必要を生じたものであり、本件潤滑油調節器はこの必要に応ずべく原告が考案して、同年九月五日頃その考案を完成したものであることが認められる。そしてまた原告は、本件抗告審判事件の答弁書において「結果は良好のため昭和二四年九月七、八日頃最初の一〇〇ケ程が外注にされ、それが入り次第そのたまつたエンジンにつけた。すると見る見るうちに車体につまれ販売された。そしてその後も更に外注し停滞エンジン全部につけてことごとく出払つてしまつたのです。その様子はあたかも大水が引いたようになくなりほつと一息した」と記載し、右事件の答弁としたことは原告の自認するところである。(原告は本訴に至つて右陳述はこれを全面的に撤回するといい、また右は事実と著しく相違するという。しかし原告がこれを撤回するといつても、本件抗告審判事件で原告が右のような記載をした答弁書を以つてその答弁とした事実自体はこれを抹殺するに由がないところであるとともに、右の記載が事実と著しく相違するとの点も後に説明する甲第三号証の証言記載を除いては何等これを認めるに足る資料はない。)そして以上の諸点を総合して考察すれば、前記鳴子町及び三ケ日町に販売納入せられた三輪消防車には、その納入の当初より検証当時に存在した潤滑油調節器が装備せられていたものと判断せざるを得ないところであつて、なるほど原告指摘のように本件における被告の立証態度には、乙第九ないし第一一号証等において相当の疑問を感ぜざるを得ないものがないではないが、さればとて右の立証態度自体を以つて前記の判断を覆すべき資料とするに足るものとは考え得ないところであり、また前示甲第三号証(後藤壬一郎の証言調書)には本件調節器を実際に使用したのは五十一年型の車からである旨の記載があるが前記の事実認定のための判断の用に供した各資料から考え、右証言はそれほど十分な根拠をもつていわれたものとは解し得ないところであつて、右証言によつて右の判断を覆すことはできないとともに他に右判断を左右すべき資料はこれを見出すことはできない。

(四)  以上の通りとすれば、本件実用新案にかかる潤滑油調節器と同一構造のものは、右実用新案の出願の時とせられる特許出願前に既に前記の三輪消防自動車に装置せられて使用せられていたものと認められる。そして原告は右潤滑油調節器はチエンケースの裏側から取付けられており、ギヤー及びチエン並びにチエンケースカバーで蔽われていて、外部からのぞき見ることのできないものであるから、これを装備した三輪消防自動車が公然使用されただけでは右調節器が公然使用せられたこととはならない旨主張するのであるが、旧実用新案法第三条第一号にいう公知公用とは、一般公衆が現実にこれを知つたと否とはこれを問わず、一般公衆の知り得べき状態におかれたこと及びその状態において使用せられることを指称するものと解するのが相当であり、右潤滑油調節器を装置した三輪消防自動車が公然使用せられた以上、右潤滑油調節器も一般公衆の知り得べき状態においてこれを使用せられたものと解すべきであるから、右原告の主張は失当である。従つて本件実用新案にかかる潤滑油調節器と同一構造のものは既に右特許出願前公然使用せられていたものといわなければならない。

三、なお原告は本件考案は原告が考案したものを試験のために被告に見せたにすぎないものであり、これを被告が原告の意に反して製作販売して公知公用のものとしたのであつて、原告は右考案を被告に見せた日以後六ケ月以内に特許出願をし、その後旧実用新案法第五条による出願変更をしているものであるから、旧特許法第五条によつて原告の考案はその新規性を喪失しないと主張する。しかし旧実用新案法第五条によつて特許出願を実用新案出願に変更した場合であると否とを問わず(同条による出願の変更は、後になされた実用新案登録の出願について、これが出願日を前になされた特許等出願の時まで遡らせる趣旨であつて、先の特許等の出願がその同一性を保有しつゝ実用新案出願に変更されるものとは解されない。)、実用新案には旧特許法第五条の適用ないし準用はないものと解せられるだけでなく、前記の各認定事実及び本件口頭弁論の全趣旨からすれば、本件潤滑油調節器は原告が考案したものではあるが、当初から被告会社の製造販売する自動三輪車のエンジンの漏油防止のためにこれを考案したものであり、原告がこれを被告会社に見せたのも、ただ試験のためというだけではなく更にその製作使用とその販売を目的としたものであり、被告会社がこれを製作使用し、またこれを販売したことは何等原告の意に反するものではなかつたものであつて、ただその製作使用についての何等かの対価を被告より原告に支払うべきか否かの問題だけが残されていたにすぎないものであることが認められるところであるから、右いずれの理由からしても右原告の主張はこれを採用することはできない。

四、以上の通りであるから、本件実用新案にかかる考案は旧実用新案法第三条第一号に該当し、その登録は同法第一条の規定に違反して与えられたものとして、同法第一六条第一項第一号の規定によつてこれを無効とした本件審決は相当であつて、その取消を求める原告の本訴請求は失当である。

よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)

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