東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)49号 判決
一、特許庁における手続経過、本件発明の要旨及び審決理由等に関する原告主張の一から三までの事実は当事者間に争いはない。
二、右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一、第三号証及び乙第一号証とによれば次のことが認められる。
(一)、原告の本願発明の要旨は「被処理物に対向して吹出孔口をもつ少くとも一群の間隔をおいて設けたノズル素子を備え、各ノズル素子の壁とこれらを連設する接続体によつて区切られる空所を排気の通路とし、また瓦斯体を上記の孔口から吹出させる手段及び上記通路によつて瓦斯体を被処理物への作用後に排出させる手段を具備するものにおいて(以上を要旨の前段とする。)、一方においては被処理物と上記吹出孔口との距離を、吹出孔口の面積とこの孔口の長さとの比の一〇倍よりも大きくなく、他方ではノズル素子間にある上記通路の垂直断面積の総和がノズル素子の吹出孔口の面積の総和の二倍よりも小さくないようにしたこと(以上を要旨の後段とする。)を特徴とする生産物を瓦斯体で処理する装置」にあり、その作用及び効果とするところは「右要旨の前段のような装置のものにおいて、被処理物とノズル孔口との間の距離(α)及び各個のノズル素子間にある排気通路の垂直断面積(S)を要旨の後段のように定めることによつて、処理瓦斯体を被処理物に当てて所期の加工作用をするに当り、処理瓦斯体が被処理物の表面において渦流または褥状となつて滞溜することなく、また被処理物の巾の中央部分すなわち流出路の側方開口から内方に離れた部分において背圧を生じて瓦斯体の除去が困難になることがないようにして、処理瓦斯体が被処理物にノズルを離れた時と同一の状態(速度、温度)で当り、その作用後は速かに排気通路を経て排出されるようにし、もつて与えられた面積に亘つて被処理物に対向して延長する一群の吹出ノズル素子によつて、最低の処理瓦斯体消費率と最小の処理瓦斯体循環用動力をもつて最高の出力(生産物処理)を得させるにある」というものである。
(二)、他方審決に引用せられた米国特許第二、〇六〇、四三〇号明細書(この明細書が原告の本件特許出願の優先権主張日以前に既にわが国における公知文献となつていた事実については原告もこれを明らかに争わないところである。)には、「被処理物(薄片材料、例えば布或いは整経糸等の繊維材料)に対向して吹出孔口を持つ少くとも一群の間隔をおいて設けたノズル素子を備え、各ノズル素子の壁とこれらを連接する接続体とによつて区切られる空所を排気の通路とし、また瓦斯体を上記の吹出孔口から吹出させる手段及び上記の通路によつて瓦斯体を被処理物への作用後に排出させる手段を具備する生産物を瓦斯体で処理する装置」が記載せられており、その作用及び効果は、ノズル素子の吹出孔口から瓦斯体を被処理物に吹き当ててこれらを処理し、作用後の瓦斯体は前記の排気通路からこれを排出するというにあるものである。
(三)、審決は本願発明と右引用例とを対比して、両者は本願発明の要旨の前段の部分と引用例とが全く一致することを認めた上で、前者と後者とは前者の要旨の後段の部分で相違するが、「被処理物に作用する瓦斯体の状態を適切にし、排気の除去を容易にするため、被処理物と吹出孔口との距離及び排気の通路の大きさについて彼此選択することはいずれも設計的に当然要求される技術的常識であつて、本願発明の要旨後段のような数値的条件は実験的に容易に決定できる程度のことにすぎないので、この点に発明の存在を認めることはできない」ものと判断し、本願発明は引用例のものから当業者が必要に応じ容易に想到できる程度のものであつて、旧特許法上の発明を構成せず、同法第一条に規定する特許要件を具備しないものとした。
三、そこで右審決の適否を判断するわけであるが、本件発明と引用例とは本件発明の前段の点では全く相一致するものであること前記の認定事実から見て明らかであるから、審決の適否も、本件発明の要旨後段の部分が果して審決のいうように、単に実験的に決定できる程度のことで、当業者が引用例のものから必要に応じ容易に想到できる程度のものであるかどうかの点にしぼつてこれを検討してよいわけである。
そこで右の点を検討してみるのに、
(一)、まず布帛等の被処理物を瓦斯体で処理する本件発明の要旨前段のような装置において、この装置を設計するに当り、被処理物に作用する瓦斯体の状態を適切にし、排気の除去を容易にするため、被処理物と吹出孔口との距離α及び排気の通路の大きさSについて彼此適当に選択することは、当業者にとつて設計的に当然要求される技術常識であることは審決指摘のとおりであろう。
(二)、本件発明にあつては右α及びSにつき数値的限定を与えたものであるが、その明細書(甲第一号証)の全記載によつてもこの数値的限定に理論的根拠があるものとは必ずしもこれを認めることはできない。もつとも右明細書には「本願発明のような最高能率を得るためには、単に従来の如く被処理物上に作用瓦斯体を投射するための吹出ノズル素子に与えらるべき横断面を考慮に入れるだけでは不十分であつて、他の二つの因子を考えなければならないもので、一方では被処理物の平面と吹出孔口との間の距離を孔口の放出横断面(面積)に応じて算出する必要があり、他方では二つの相次ぐノズル素子間に供せらるべき流路の横断面(面積)をば瓦斯体が被処理物上に作用した後速かにこれを除却することを確実にするように算出しなければならない」旨の記載があるが、吹出孔口と被処理物との距離を孔口の面積に応じて算出することは、吹出瓦斯の量に応じて右の距離を考えようとするものであつて、この種装置にあつて処理瓦斯の高効率使用のためには当然考慮を要するところであるというべきであり、また排出通路の大きさを、処理瓦斯が作用後に速かに排出できるように考慮することもまた当然のことといわなければならない。従つて原告が本願発明において、右の点を考慮して前記のα及びSの数値的限定をしたというのも、結局この種装置において当然考慮を要する各種の要因についてこれを考慮したというまでのことであり、従つて右のような数値的限定は、この数値的限定により通常予想し得る程度を越えた格別の作用効果を奏するものであればまた別であるが、本願のものにそのような作用効果のあることはこれを認め得ないこと後記の通りであるから、引用例のものの存在下にあつては、当業者であれば誰でも反覆実験することにより容易に想到できる程度のものと認めざるを得ないところであつて、これを旧特許法第一条所定の発明を構成するものとは認められないとした審決は相当といわざるを得ない。
四、(一)、原告はまず引用例の存在によつて本件発明の新規性を阻却できるものではない旨主張するが、審決が引用例によつて本件発明の新規性を否定したものでないことは、前記審決の説明に徴して明らかなところであるから、原告の右主張は審決の違法不当を主張する本訴における主張としては、これを問題とすべき価値のないものといわなければならない。
(二)、原告はまた、引用例には本件発明の特徴とせられる要旨後段のことは毫末も記載せられておらず、本願発明における右要旨の点は全然考慮が払われていない趣旨の主張をする。そして引用例のものにおいて、そこに記載せられたことの限りにおいては、本件発明における前記要旨後段に関する部分について特に考慮が払われているものでないことは原告主張のとおりである。しかし処理瓦斯を被処理物に噴射して行う型式の乾燥装置において、作用後の処理瓦斯を速かに排出するためには、ノズルとノズルとの間隙によつて形成される通路の断面積Sは十分大きくとらなければならないことは技術常識の範囲内のこと(乙第二号証ノ一――英国特許第四三〇、九〇九号明細書、昭和一〇年一〇月二一日特許局陳列館受入――参照)であり、本件発明において、このSについて下限を限定することは、ただ実験を繰返すことだけで何人にも容易に到達せられる程度のことといわなければならない。また処理瓦斯を使用する乾燥操置においては、一般的にいえば、処理瓦斯の有効な使用、すなわち処理瓦斯の浪費を防ぐことは、当業技術者の常に心がけている事柄であり、かつまた処理用の瓦斯体を被処理物に接触させて停滞させることなく流動させることが、被処理物を処理する効果を高める所以であることは、乾燥条件の一つである風速を大きくすることに相当するものであつて、本件出願の優先権主張日前周知の事柄(乙第二号証の三及び四――いずれも本願の優先権主張日前出版発売の図書――参照)であり、本願発明のもののような装置においてαを小さくすれば、噴射瓦斯の速度を弱めることなくして噴射速度のままで被処理物に当てることができることは明らかなのであるからこれに前記の周知技術である排出通路の断面積を大きくすることとを組合せて噴射瓦斯による処理能率を増進することは、当業技術者ならば当然常識的に考え得られるところといわなければならない。そしてその数値的条件をどう定めるかは実験を繰返すことによつて何人にも容易にこれを決定できる程度のことと考えられるところであるから、前記の引用例に本願発明のような数値的限定の記載がないとしても、この数値的限定に発明があるものとはこれを認めることはできない。
(三)、原告はまた本願のものと引用例のものの間には、その構造及び作用効果等の点において種々の差がある旨主張するが、審決は決して右両者の間に差異がないとしているものではなく、その間の差異を認めつつ、右引用例の存在下にあつては、当業技術者ならば、本願発明の如きは実験を繰返すことによつて容易に想到できる程度のものと認めているものであるから、右差異に関する原告の主張をもつて前記の結論を左右し得るものでないことはいうをまたない。
(四)、原告はまた、本件発明のものには特別顕著な作用効果があり、引用例の装置のものとの工業的効果の優劣について何らの説示をもせずしてたやすく本願を拒否した本件審決には審理不尽、理由不備の違法があるものとも主張し、また数値的限定のものであつても、そこに特殊の作用効果が認められる以上、なお特許性を失わないものとも主張する。
しかし審決は、本願のものが引用例のものについての数値的限定をしたものと認め、この数値的限定は、当業者が実験を繰返すことにより容易に想到できる程度のものであるとして、その理由によつてこれを拒絶すべきものとしているのであるから、その表現の上においては、両者の作用効果の点につき特に明らかにこれに言及してはいないが、本願のものが引例のものに比して、仮りに或る程度優れた作用と効果を有するものとしても、これは本願のもののような数値的限定の結果当然生じ得べき程度のものにすぎず、更にこれを越えての特殊の作用効果があるものとは認められないものとして、これを前提として、その判断をしているものであることは審決の全趣旨から見て明らかである。
そしてまた、本願発明による数値的限定によつて通常予期できる程度以上に特殊の作用効果を生じ得るものとすれば、その数値的限定にも特許性を認めて然るべきであることは正に原告主張のとおりであろうが、本件にあつては、本願発明に右のような特殊な作用効果のあることは遂にこれを認めることはできない。原告は右のような作用効果の立証として甲第五から第七号証及び同第九号証を提出している。そして右甲第五ないし第七号証は、米国のある技術研究所において原告管理の下に原告の目前において撮影したものであると主張する。そしてこの事実を仮りに是認するとしてこれを考えて見れば、なるほど、原告のいう従来のものにあつては、処理瓦斯が処理物上で滞溜し、処理瓦斯の処理物への作用を相当程度に妨害しており、処理瓦斯中の一部は処理物への作用をしないで直接排出通路に向つていたり、また作用後の瓦斯の排出が排出路内の渦流のために相当程度に邪魔せられているに反し、本願のものというものにあつては、右のような欠点が大体において除去せられているものであることはこれを認め得るのであるが、右原告のいう従来のものというのは、ただ原告が自由にこれを選んだにすぎないものといわざるを得ず、そのいわゆる在来のものが皆かようなものであるとの保障は何らせられていないのであるから、右両者の比較によつて、在来のものと本願のものとの比較がせられたものとすること自体に既に無理があり、これによつて本願のものが在来のもののすべてに比して右のような差があるものとはとうていこれを認めることはできない。また成立に争いのない甲第九号証は仏国アルサス蒸気機械協会の試験報告書であつて、これにも甲第五号証及び同第六号証と大体同様な写真が添付せられているが、その写真のものが如何なるものであるかの説明は必ずしも明瞭ではなく、その報告書の記載からすれば恐らく依頼者から任意提出せられたものと推測するの外はないところであつて、試験の対象物自体において既に前記の甲第五ないし第七号証と同様の関係があるものと認められるだけでなく、その報告書の記載においても、本願のものと思われるものが通常のものに比して単にすぐれているとせられているだけであつて、特別顕著な作用効果上の差異の存することについては何ら記載せられていない。しかも原告は、成立に争いのない甲第二号証によれば、本件特許出願に当り、抗告審判の段階において、特許請求の範囲を訂正すべくその訂正書を提出しており、その訂正書によれば、その当初のものでは、前記αの距離が、吹出孔口の面積とこの孔口の長さとの比の「一〇倍よりも大きくなく」とだけせられているのを「一〇倍よりも大きくないように、二分の一よりも小さくないようにするが、一〇〇粍を越えないように」とし、また前記Sが、全ノズル素子の吹出孔口の横断面の和の「二倍よりも小さくない」とせられているのを「三倍よりも小さくない」と訂正しようとするものであつて、右αに従前なかつた下限を加え、更に上限を実数の一〇〇粍をもつて限定したり、またSの下限を右のように二から三に変更しようとしたものであることは明らかであつて、この訂正が許さるべきものであるかどうかはともかくとして、原告が本願発明の特許請求の範囲を右のように訂正せんとしていること自体から見て、果して前記の本願発明におけるα及びSの数値的限定に十分な臨界的な意義があるかどうかにも疑問を抱かざるを得ない。従つて、結局原告の本願発明における数値的限定に、通常予期できる程度を越えた特殊の作用効果があるものとは、原告の提出援用にかかる証拠だけをもつてしては、とうていこれを認めることができないものといわなければならない。
(五)、原告はまた本件発明は英米その他の国において既に特許がせられているという。しかし右の各国で特許がせられているからといつて、わが国でも当然その特許が許さるべきであるということのできないことは論をまたないところである。
(六)、原告はまた本件特許出願にあつては、昭和三三年一月九日附の訂正書による訂正申出がせられており、しかも右訂正は昭和三二年八月五日附の特許庁審判長からの訂正指令に基づくものであるのに、審決がこれを要旨の変更となるものとして採用しないとしたのは違法であるかの主張をする。しかし、右訂正部分中、αの距離を「一〇〇粍を越えないようにする」とする部分が要旨の変更となることは原告もこれを争わないところであり、その他の訂正部分は要旨を変更するものと見るべきでないことは原告主張のとおりであろうが、右による訂正をしたにしても、本願特許の許否に関する前記の結論はこれを何ら変更するの要はないものと認められるので、審決に右の点における判断に誤りがあるとしても、これがために審決にこれを取消すべきほどの瑕疵があるものとはこれを認めることはできない。
五、以上のとおりであるから、本件審決は結局相当であつて、その取消を求める原告の請求は失当である。