東京高等裁判所 昭和34年(う)1075号 判決 1959年10月30日
被告人 内田健蔵
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
訴訟費用は第一、二審共被告人の負担とする。
理由
しかしながら、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示事実はその証明ありとするに十分であり、記録を精査し且つ当審における事実取調の結果に徴しても、原判決には判決に影響を及ばすことの明らかな事実の誤認は存在しないものと認められる。もつとも、刑法第百七十七条にいわゆる暴行又は脅迫とは、被害者の抗拒を不能にし又はそれを著しく困難ならしめる程度のものであれば足りると解すべきところ(最高裁判所昭和二十四年五月十日第三小法廷判決、最高裁判所判例集第三巻第六号、最高裁判所昭和三十三年六月六日第二小法廷判決、最高裁判所裁判集第百二十六号参照)、本件における被告人の被害者に対する暴行、脅迫の程度が被害者の抗拒を不能にする程度のものであつたことは、被害者の原審及び当審における証言、同人の検察官に対する供述調書の記載等に徴しても必ずしも肯認するに足りないが、しかしながら年歯弱少、思慮分別未熟の被害者にとつては、被告人の暴行、脅迫はその抗拒を著しく困難ならしめる程度のものであつたことは、十分これを肯認し得るから、被告人の所為が強姦罪を構成するものであることは疑なく、それ故、原判決が被告人は被害者の反抗を抑圧した上強いて姦淫した旨認定したのは、いささか事実に副わない認定であるかの観があるけれども、被告人の所為が刑法第百七十七条(第百八十一条)の強姦罪を構成するものとする点においては差異がないから、かかる些細の認定の相違は因より判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるとはいい得ず、従つて前記結論にも何ら影響を及ぼさないのである。
論旨は、本件は、被告人と被害者との間における合意に基く情交、いわゆる和姦であり、被告人には何ら欺罔、脅迫、暴行等不法な所為はなかつたと主張し、関係証拠を引用して説くこと詳細であるが、ひつきよう事実審の専権に属する証拠の取捨選択に対する独自の立場からする論難、攻撃であるというに帰し採用の限ではなく、原判決には論理、経験の法則に違反した廉はなく、なおまた、原審の審理の経過を検討しても、審理不尽と認むべき点を発見し得ないから、論旨は結局理由がない。
しかしながら、職権を以て本件記録並びに当審における事実取調の結果窺い得られる本件の情状関係について審按するに、本件の被害者が如何に年歯弱少、(当時十六才)思慮分別未熟であるといつても、今迄交際もなく、面識すらなかつたのに、最初被告人の誘いを拒絶せず結局夜間で人気のない原判示小学校の校庭まで連行されたことといい、また、その間意に反してではあるが街上で接吻をされたようなことがあつたに拘らず、断固たる態度に出ることがなかつたため、被告人をつけあがらせ、遂に原判示の如き脅迫、暴行を用いても被害者を姦淫しようという気を起させたことといい、被害者側にも相当責められるべき点があることはこれを容認せざるを得ない筋合であるといわなければならないことはもちろんである。なお、その上に本件においては、犯行後被告人において被害者と示談をし、一応その宥恕を得ていることも認められるので、これら諸般の事情を参酌するときは、原審が本件所為について、強姦致傷罪の所定刑中有期懲役刑を選択し情状憫諒すべきものありとして酌量減軽を行い処断すべきものとしたことは固より当然とすべきであるが、結局右処断刑期の範囲内で懲役二年に処すべきものとしたことについては、刑の量定がやや重きに過ぎる嫌いがあると認めざるを得ないから、原判決はこの点において破棄を免れない。
(裁判官 三宅富士郎 渡辺好人 井波七郎)