東京高等裁判所 昭和34年(う)242号 判決 1959年6月16日
控訴人 原審検察官 小西太郎
被告人 荻原孝行
弁護人 横山勝彦
検察官 粂進
主文
原判決を破棄する。
被告人を科料五百円に処する。
右科料を完納することができないときは金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意及びこれに対する答弁は松本区検察庁検察官事務取扱検察官検事小西太郎作成名義の控訴趣意書及び弁護人横山勝彦提出の答弁書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。
右検察官の控訴の趣意は原判決には法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、というのである。よつて、原判決並びに記録を調査すると、原判決は「被告人は自動車の運転者であるが、昭和三十三年七月九日午前十時二十五分頃松本市伊勢町二百九十七番地先道路において運転免許証を携帯しないで軽自動車長か九三一一号を運転したものである。」との公訴事実について、被告人が運転免許証を携帯しないで右のごとく軽自動車を運転したこと及び右運転免許証不携帯は被告人の過失に基くものであることが認められるとし、道路交通取締法には過失を処罰する特別の規定なく、またその趣旨も認められないから本件は罪とならないとして、被告人に対し無罪の言渡をしたことは所論のとおりである。そして、所論は、この点について、およそ道路交通取締法には、原判示のごとく、運転免許証不携帯の過失犯を処罰すべき明文はない。しかしながら、道路交通取締法のごときいわゆる行政刑罰法規においてはたとえ明文をもつて過失犯を処罰する旨を規定していない場合においても、その法規の趣旨、目的等を合理的に判断し、条理上当然過失をも処罰する趣旨を窺うに足る以上、刑法第三十八条第一項但書にいわゆる「特別の規定ある場合」に該当するものというべく、道路交通取締法における運転免許証不携帯の事犯については過失犯をも処罰すべき法意と解すべきである、と主張する。按ずるに本件被告人の所為が道路交通取締法第九条第三項に定められた運転免許証携帯義務の違反行為であることは疑のないところであつて、同法はこの義務違反の行為に対し罰則規定として第二十九条第一号の規定を置いたのであるが、刑法第八条、第三十八条第一項但書の規定によれば他の法令において刑を定めた場合においても刑法の総則が適用され、過失犯を罰するには特別の規定ある場合に限るものとされているところから、本件についてもこの点が問題となるのである。そこで、この点につき審究するに、道路交通取締法第九条第三項違反の所為について過失犯をも処罰すべき旨の明文の規定が存しないことは原判決の示すとおりであるが、いわゆる行政刑罰法規においては、所論のごとく、たとえ明文をもつて過失犯を処罰する旨を規定していない場合においても、その法規の趣旨、目的等を合理的に判断し、条理上当然過失犯をも処罰する趣旨を窺うに足りるときは刑法第三十八条第一項但書にいわゆる「特別の規定ある場合」に該当するものとして処罰すべきものであることは所論引用の大審院並びに最高裁判所の判例の示すとおりである。しこうして、道路交通取締法第九条第三項は「自動車の運転者は、運転中、運転免許証を携帯しなければならない。」と規定し、自動車運転者が現に自動車運転の業務に従事中は常に運転免許証を携帯すべきことを命じているのであり、この運転免許証携帯の義務は、所論のごとく、交通取締官が何時如何なる場所において運転中の自動車の検問をなし、運転免許証の呈示を求めても、その運転者をしてその場で直ちにこれを呈示させてその自動車の運転が公安委員会の運転免許を受けた正規の自動車運転者によるものであることを確認できるようにして無免許者による危険な運転を防止し、もつて自動車交通の安全を期図する道路交通取締の必要に基く趣旨に出たものと解せられ、また自動車運転者としては、自動車を運転するに当つては、常にその自動車の構造及び装置における重大な故障その他の事由により安全に操縦できないおそれがないか否かを細心の注意をもつて点検整備すべき業務上の注意義務を負うとともに、これに附随して車両検査証及び運転免許証の有無をも点検し、これを確認した上自動車の運転を開始すべき義務あるものというべきであるから、同項所定の趣旨、目的並びに義務の性質等を合理的に判断し、なおこれに対する制裁規定並びに同法第二十三条の二及び三等の規定を参酌し、その取り締まる事柄の本質にかんがみるときは、道路交通取締法第二十九条第一号で処罰する同法第九条第三項の規定に違反した者とは故意に運転免許証を携帯しない者ばかりでなく、過失によりこれを携帯しない者をも包含する法意と解するを相当とするものといわなければならない。もつとも、この点につき、道路交通取締法の施行に伴い廃止された旧自動車取締令(昭和八年内務省令第二十三号)によれば、同令第四十四条により「運転者ハ運転中運転免許証又ハ仮運転免許証ヲ携帯スベシ」と規定し、これに対する罰則として同令第八十二条第一号に「故意又ハ過失ニヨリ(前略)第四十四条(後略)ノ規定ニ違反シタル者」と規定して、明文をもつて過失犯をも処罰すべき旨を定めていたのに対し、これに代わる道路交通取締法には過失犯を処罰すべき明文を欠いているので、あるいは同法においては、過失犯はこれを処罰しない法意であるとの疑を生ずるおそれなしとしないのであるが、右は立法技術の問題であつて、これがため同法においては全面的に過失犯を処罰しない法意であるとは解しえないところであり、かつ単に明文をもつて過失による場合を処罰する旨の規定を欠いたからといつてこれを処罰しない法意であるとなしえないことはすでに説示したとおりである。(弁護人援用の判例はいずれも本件に適切ではない。)されば、原判決が道路交通取締法第二十九条第一号で処罰する同法第九条第三項の規定に違反した者には過失によりこれを携帯しない者を包含しないものとして被告人に対し無罪の言渡をしたのは、まさに法令の解釈適用を誤つたものというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかなところであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り当裁判所において直ちに判決すべきものとする。
(罪となるべき事実)
被告人は自動車の運転者であるが、昭和三十三年七月九日午前十時二十五分頃長野県松本市伊勢町二百九十七番地先道路において運転免許証を携帯しないで軽自動車長か九三一一号を運転したものである。
(証拠の標目)
右の事実は
一、被告人の原審公判廷における供述
一、松本警察署司法巡査中沢善次朗作成の犯罪事実現認報告書
一、被告人の司法警察員並びに検察官事務取扱検察事務官に対する各供述調書
によりこれを認める。
法律に照すと、被告人の判示所為は道路交通取締法第九条第三項に違反し、同法第二十九条第一号、罰金等臨時措置法第二条に該当するので、所定刑中科料刑を選択し、その金額の範囲内において被告人を科料五百円に処し、右科料を完納することができないときは、刑法第十八条に則り金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべきものとする。なお、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に則り全部これを被告人に負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 坂井改造 判事 山本長治 判事 荒川省三)
検察官小西太郎の控訴趣意
原判決には法令の適用に誤があり、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第三八〇条、第三九七条、第四〇〇条但書に則り、原判決を破棄して有罪の判決をせられたく、以下にその理由を開陳する。
一 本件公訴事実は、被告人は、自動車の運転者であるが、昭和三三年七月九日午前一〇時二五分頃、松本市伊勢町二九七番地先道路において運転免許証を携帯しないで、軽自動車長か九三一一号を運転したものである。というにあつて、運転免許証不携帯罪、すなわち、道路交通取締法第九条第三項の規定に違反し、第二九条第一号の罰条に該当する事案である。
二 しかるに、原裁判所は、右運転免許証不携帯の本件公訴事実はこれを認めたが、右所為は過失によるものであるとし、その法律解釈として、「道路交通取締法には、過失を処罰する特別の規定なく、また、その趣旨も認められないから、本件は罪とならない。」とし、「取締上からは過失も処罰の対象とする必要のあることは肯認できるが、これがためには立法措置によるべきであつて、現行法上にては消極に解するの止むなきもの」とし、「検察側の本法第九条第三項の規定は、道路交通の安全を期する上から主として過失犯を処罰する法意であるとの解釈は、独自の見解で到底賛同し得ない。」と判示して、無罪の判決を言い渡した。
三 しかしながら、原判決には道路交通取締法第九条第三項の解釈を誤つた違法ありと信ずる。およそ道路交通取締法には原審所論の如く運転免許証不携帯の過失犯を処罰すべき明文はない。然しながら道路交通取締法の如き所謂行政刑罰法規に於ては仮令明文を以つて過失犯を処罰する旨を規定していない場合においてもその法規の趣旨、目的等を合理的に判断し条理上当然過失をも処罰する趣旨を窺うに足る以上刑法第三十八条一項但書に所謂「特別の規定ある場合」として処罰すべきものであることは大正二年十一月五日飲食物用具取締規則違反被告事件に於て大審院が認めて以来下記のごとく多くの判例が見られ学説も又これを支持する処である。
新聞紙法違反 大正一一・六・二四 大判
要塞地帯法違反 昭和一二・三・三 大判
道路交通取締法違反 昭和二五・九・二九 福岡高裁
外国人登録令違反 昭和二六・一〇・一一 福岡高裁
外国人登録令違反 昭和二八・三・五 最高裁
而して最近に於ては昭和三十年六月二十一日広島高裁岡山支部も道路交通取締法に於ける運転免許証不携帯の事犯については過失犯をも処罰する法意である旨判示しているのである。
四 道路交通取締法に於ける運転免許証の不携帯は過失犯をも処罰する法意と解すべきを相当と思料する。以下その理由を述べる。
(一) 道路交通取締法は、その第一条において、道路における危険防止及びその他の交通の安全を図ることが同法の目的である旨を明記し、この目的を達成せんがために種々の条項を設け、その一つとして第九条第三項において、「自動車の運転者は、運転中、運転免許証を携帯していなければならない。」と規定して、運転免許証の携帯義務を命じ、これが違反に対する制裁として第二九条第一号の罰則をもつて臨んでいるのである。すなわち、この第九条第三項に定める運転免許証携帯義務の規定は、交通取締官が何時如何なる場所においても運転中の自動車の検問をなし、運転免許証の呈示を求めても、その運転者をしてその場で直ちにこれを呈示させ、その運転者が公安委員会の運転免許を受けた正規の自動車運転者であることを確認できるようにして、無免許者による危険な運転を防止し、もつて交通の安全を企図する道路交通取締の必要に基いて定められたものであるといわなければならない(前記広島高裁岡山支部判決参照)。而して、さらに遡れば、自動車の運転免許制度は、道路交通の障害となる如き不適格の運転者による自動車運転行為を禁止して、道路交通の安全を確保することを目的とするものであり、運転免許は、この意味において、行政法にいわゆる「警察許可」の一種である。すなわち、自動車の運転なるものは、本来、一般人には禁止されている行為であり、運転免許は、公的機関たる公安委員会が特定の要件を具備する特定の人に対して右の一般的禁止を解除した場合に外ならないのであつて、運転免許証は、公安委員会がこの一般的禁止の解除という例外的事実を証明するために交付する文書なのである。従つて、一般的に禁止されている行為を特に例外的に許されて行う以上、その行為を行うに際し、行為者において、自己がその例外的な場合に該当する者であることを証明すべき義務を負うことは、免許証制度のもとにおいては、理論上極めて当然なことであるといわなければならない。而して、道路交通取締法は、この証明義務履践の方法を、運転中における免許証の携帯義務という形に限定統一したに過ぎないのであるから、携帯義務の本質は、実は右の如き免許証制度に由来する証明義務に外ならないものなのである。ゆえに、叙上の本質を考えることなく、単に「携帯」という物理的・外形的な面にのみとらわれて、故意過失を論ずるのは、正に本末顕倒の謬論というべきであつて、携帯義務に内在する証明義務に思を致すときは、道路交通取締法の精神の那辺に存するやは、おのずから釈然たるべく、すなわち、免許証不携帯に関して故意たると過失たると問うべきでないことが了解される処である。
(二) 次に、この免許証携帯義務履践の難易について具体的に考察してみよう。自動車運転者にとつては本義務履践は極めて容易で運転開始に先立ち免許証携帯の有無を確め、その存在を確認した後、運転に従事すれば即ち事足りるのである。のみならず、自動車運転者は、高速度交通機関の操縦に携わる者の常として、制限速度遵守の義務・安全操縦の義務・前方注視の義務等々、通常人に比し遥に複雑・高度な各種の注意義務を負わされており、また、これらの注意義務の遵守に習熟しているのであるから、免許証携帯義務遵守の如きは、まことに易々たるものというべく義務を果すというよりもむしろ、各自の身についた日常茶飯事ないし反射的行動ともいうべく、また、そうあらねばならぬものなのである。
(三) 次に、実務上起り得る免許証不携帯の種々の態様を検討してみよう。その態様は、おおむね、次の三つの場合に分けられると思う。(イ) 運転開始時の当初から携帯していないことを認識しながら、敢えて不携帯のまま運転した場合。(ロ) 運転開始時には携帯していないことに気付かず漫然運転を開始したが、運転の途中において、不携帯の事実を認識しながら敢えて運転を継続した場合。(ハ) 運転開始時は勿論、運転中に警察官から呈示を求められるまでの間、終始一貫、携帯していないことに気付かず、呈示を求められて始めて不携帯の事実を認識した場合。(イ)は故意犯、(ロ)は前半は過失、後半は故意犯、(ハ)は過失ということになる。この場合、(イ)及び(ロ)のみが故意犯として処罰の対象となること、(イ)が最も悪質であることは、説明の要を見ないが、免許証制度に基く証明義務ないし携帯義務、従つて、確認義務の観点から考えるならば、(ロ)は運転開始時に確認を怠つた点につき運転者として非難に値するけれども、兎も角も運転の途中において一応は確認義務を果したのであるが、これに反し、(ハ)は終始一貫全然確認義務を果していないのであるから、(ロ)の場合よりもより一層非難に値するものといわざるを得ない。然るに、非難度のより低かるべき(ロ)は、故意犯のゆえをもつて処罰の対象となり、非難度のより高かるべき(ハ)は、過失に基くもので明文なきゆえをもつて処罰の対象とならないとするならば、これこそ正に、免許証制度の根本理念に背馳することとなり、道路交通取締法の精神を没却するに至るであろう。而して、(イ)の事例は、例えば、列車の発車時刻が迫つているとか、急病患者を入院させるとか、火急の用件を果す場合などに僅に見られるのであつて、なんら正当の理由がないのに最初から横着を極め込みわざわざ免許証を携帯しないで運転に携わるというが如き場合は、極めて稀有の事に属すべく、畢竟、(イ)の場合は、実務上、むしろ稀に見る事例であると称して差支えない。これに反し、実務上取り扱われる多くの事例は、おおむね、(ロ)及び(ハ)の場合であつて、(ロ)、(ハ)両者の比率を今ここに正確に開陳すべき資料を得られないのが遺憾であるが、従来の経験に徴し、大体において、両々相半すといつて差支えないと考える。然るに原判決の見解に従うときは、(ロ)は処罰せられ、(ハ)は罪とならないこととなり、甚だしく不合理な結果を見るに至るのである。
(四) 最後に、不携帯罪の罰則である第二九条について考察してみよう。本条を読んで真先に目立つことは、規定されている法定刑が「三千円以下の罰金又は科料」という至つて軽微な財産刑のみであつて、自由刑はもとより高度の罰金刑も一切除外されていること一般の過失犯の立法例の場合と同様である。これを要するに、そもそも道路交通取締法第九条第三項第二九条第一号の違反に過失犯を含むか否かの判断は、罪刑法定主義の要請にもとずく違反者の人権の保護と公益上の必要にもとずく道路交通秩序維持の必要性との矛盾を憲法の精神に照していかなる点で調和させるかによつて定まるものであるが、以上の所論に明らかなように本件の免許証の過失による不携帯処罰の公益上の要請はまことに痛烈なものがある。反面運転者個人にとつて免許証携帯義務の履行は極めて当然且つ容易な事項であり、しかもその法定刑が他の過失犯処罰の場合における立法例に顕著なように、科料を含む軽い程度のものであつて、この違反を処罰する場合においても違反者の人権侵害は実体的に妥当且つ軽微である。従つて本件において過失による免許証不携帯を本件の程度に処罰すべきものと解することは新憲法下における社会通念上もまことに相当な法律解釈と言うべきところである。なお附言すれば前掲昭二八・三・五最高裁第一小法廷が外国人登録令違反被告事件について同令第一〇条第一三条に定める登録証明書携帯義務の違反について、過失犯を含む決意であると断じたことは、まさしく本件の立論に照応する判例と解しうるものと思料する。この点に関し注目すべきは、小野清一郎博士が、「刑法第三八条第一項但書の特別の規定とは、必ずしも直接の明文規定とのみ解すべきではなく、法令における規定の全体から推して過失犯をも罰す趣旨を見出し得る場合があり、勿論個々の法令の規定について論じなければならないが、概していえば、構成要件が形式的な行為を捉えており、保護法益に対する危険性が間接的・抽象的である場合には、故意と過失とを区別する理由が乏しくなるし、また、法定刑として勾留・科料のみが規定されている場合、罰金のみが規定されている場合の如きは、過失による違反をも罰する趣旨と推測される」との見解を発表していることである(刑事判例評釈集第三巻昭和十五年度一三〇頁)。而してこの見解は、多くの法学者の支持する処となつたのみならず、昭和二十九年五月十二日法曹会公法調査委員会は、運転免許証不携帯につき「免許証携帯の義務は、本人の注意力によつて容易にこれを守ることができるのであつて、自動車運転者にそのような注意義務を認めることは、社会の通念からいつても決して無理のかかつたことではなく、従つて、その義務違反に対する制裁には、単に故意犯に対する場合のみならず過失犯に対する場合をも含むことは、この規定の趣旨から当然うかがわれることであり、このように解したからといつて、不当に罪刑法定主義をふみにじるということにはならないであろう。」と決議しておるのであつて前記の解釈は決して牽強附会の説ではないのである。かくて、道路交通取締法第九条第三項の規定は、過失による不携帯の場合をも包含する法意であり、従つてまた、過失による不携帯の所為は、同法第二九条第一号によつて処罰の対象となることを明らかにし得たと思料するのである。然るに原判決が本件は罪とならないとし、刑事訴訟法第三三六条前段に則り被告人に対し無罪の言渡をしたのは、これ正に、法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかな場合であるから、原判決を破棄して有罪の判決をなされたく、控訴に及んだ次第である。