東京高等裁判所 昭和34年(う)257号 判決 1959年6月04日
控訴人 検察官副検事 園部早苗
被告人 開正雄
検察官 道前忠雄
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意については、検察官が差し出した控訴趣意書の記載を引用する。
所論は要するに、原判決が被告人から本件犯罪に係る貨物の価格に相当する金額を追徴しなかつたのは、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、と主張するのである。
ところで原判決は、本件被告人に対し追徴を科さなかつた理由の前提として、「一般に没収不能の場合、没収に代り追徴を科し得るのは、犯人がその没収すべき物の所有者であつた場合に限ると解さなければならない。」と立論しているが、それはその独自の見解に過ぎず、当裁判所のにわかにくみしがたいものといわなければならない。
なるほど、一般刑法上没収せらるべき物について没収不能の場合その価額を追徴することを定めた目的は、本来没収せらるべき物によつて生じた不法の利益が形を変えてそのまま犯人の手中に残らないようこれを犯人から剥奪し、もつて没収の趣旨を貫くことにあり、したがつて刑法は追徴を科することのできる場合を、「犯罪行為より生じ若しくはこれにより得た物又は犯罪行為の報酬として得た物」又は「右の物の対価として得た物」として本来没収が可能であつた場合に限り、没収の目的が実務上社会的に危険な物を除去するという保安処分的性質を有つといわれる「犯罪行為を組成した物」又は「犯罪行為に供し又は供せんとした物」である場合にまでは及ぼしていないのであつて、それはやがて必然的に、犯人がその物の価額に相当する利益、換言すれば所有者としての利益を不法に保持する場合に限ることになり、追徴はまさに、没収に代るべき処分たる性質を有し、没収以上の不利益を犯人に与えるものではない、と普通理解されているけれども(原判決が、追徴の目的について、「これにより犯人がその物を他に処分して不当に没収を免れることを防止するにある」と解し、「この場合その物の処分とその対価の取得という関係にあるのであるから犯人がその物の所有者であることを前提とすることはいうまでもない」と説き、あたかも物の処分により対価を取得した場合のみに目を向けて推論しているように見えるのは、措辞妥当を欠くか、又は事物の一面しか見ていないというそしりを免れないであろう。けだし、物を他に譲渡して対価を取得した場合に限らず、これを他に贈与し、又は毀滅する等少くとも犯人がその意思選択に基いて事実上ないし法律上没収不能の状態を生ぜしめたときは、犯人がなお不法の利益をその手中に残すものと見るべき点において、有償譲渡の場合と何ら異るところはないといわなければならないからである。)、刑法の特別法たる関税法の罰則においては、たとえば、密輸により取得した貨物にとどまらず、その運搬、保管、処分のあつせん等の犯罪を組成した貨物又は右犯罪行為の用に供した船舶等の類まで含めて、これが没収不能の場合にその価格に相当する金額を追徴する旨定めていると解しなければならないことは、追徴制度の本義にかんがみその合理性ないし立法上の当否についての疑問の存することは別として、明文上ほとんど疑をはさむ余地はないと考えられるので、関税法上の追徴は、一般刑法上のそれと異り、一概に犯人の手中から不法の利益を剥奪する性質のものであるとは言えず、むしろ密輸等関税法上の犯罪の取締を厳に励行し、その犯罪禁圧の徹底を期するため主刑にさらに付加された懲罰的性質を有するものとでも説明しなければ、その存在理由を解しがたいことになろう(最高裁昭和三二年七月一九日第二小法廷決定、判例集一一巻七号一九九八頁参照)。したがつてその意味においては必ずしも、追徴は没収に代るべきものであるから追徴が没収せらるべき物の価格に相当する金額を徴収するものである以上、犯人がその物の価格に相当する利益を保持すること、すなわち犯人が所有者であることを前提としなければならない、と言う必要は少しもない。けだし、関税法上の追徴が前述のように懲罰的性質のものであるとみるほかはないとすれば、単に、犯人がその手中に本来没収すべかりし物を存していたところそれが不可能になつたからその物に代るべきもの(没収に代るべきものでなくして)すなわち物の価格に相当する金額を徴収するのであると説明すれば足りる。したがつてこの場合、原判決のように「犯人が所持者たるにとどまる場合、犯人に対する没収は単にその所持の剥奪に過ぎず、物は第三者の所有物であるから犯人は財産的苦痛を感じないのにかかわらず、没収不能のゆえをもつて追徴を科せられることになれば、その物が処分されたという偶然の事情によりにわかに犯人に財産的苦痛を与えることになる。すなわちこの場合には所有者の場合と異り没収と追徴とがいわゆる等価関係に立たないで犯人に対し没収可能なとき以上の不利益を与えることになり、かかる不合理はとうてい法の許容するところとは解せられない。」などと言うのは当らないことになるしさらに原判決のように、漁業法第一四〇条の追徴規定を引いて、同じ立言をとつていない関税法上の追徴に関する同法一一八条の規定の解釈にこれを類推すべきいわれもなければ、また強いて同規定をしかく制限的に解しなければならない根拠も見出しがたい。(原判決は、関税法第一一八条の規定が、第二項において第一項第一号により没収しない場合追徴を科していない点を指摘して、「犯人がいまだかつて犯罪貨物の所有者とならなかつたときは追徴を科さない旨を明かにしている」と断じているもののようであるが、右規定はその反面において、犯人がいまだかつて所有者とならなかつたときでも、所有者が悪意の場合没収すべき旨を定めるとともにそれが没収不能のときは犯人から追徴すべき旨を定めていることは明らかといわなければならない。)
以上説明したように、本件における追徴の可否について原判決の示した理由は、一般追徴制度本来の趣旨から考えると、推論の過程はともかく、必ずしも一理なしとしないのではあるが、現行関税法の解釈としては無理というほかはない。(制度の理論的立場から論ずるならば、むしろ進んで犯罪の組成物件、供用物件等没収によつて犯人から不法利益を剥奪する趣旨が認められないような物についてまで、それが没収不能の場合追徴を科すべき旨を規定した点が問題として考慮さるべきであろう。)
しかしながら、結論として本件における追徴の可否そのものを案ずるとき、さらに具体的事案について考察を進めなければならない。本件は被告人が、密輸にかかる外国製腕時計五個について、その情を知りながら、他人の依頼によりこれが売却処分のあつせんをしたという関税法第一一二条第一項所定の犯罪で、記録によれば右時計を買受けた松本信太郎は、これが密輸品なる情を知つていたものと認められるから、右物件は被告人の所有には属しないのであるが、その物の存在するかぎり、被告人に対する関係においてこれを没収すべきものであることは同法第一一八条の規定に徴し明らかである。しかるに記録編綴の昭和三四年四月一六日付川崎税関支署長岩橋安蔵の東京地方検察庁検事古谷菊次郎あての文書によれば、当該物件は、その後前記松本に対する関税法違反事件に対する税関長の通告処分履行により、すでに昭和三二年二月一五日所定の手続を経て税関に納付され国庫に帰属するにいたつた事情が認められるのである。そして、このようにして、本件犯罪にかかる物件は、他事件についての処分の結果にせよ、すでに国庫に帰属した以上本件被告人に対する関係においても事実上これを没収するに由ない事態にいたつたわけであるが、右のように、密輸貨物の処分のあつせんをした犯罪を組成する物件について、没収不能の原因が、犯人である被告人の任意的行為によつたものではなく他事件における税関長の通告処分という国家行為に基く場合には、当該物件を関税法第一一八条第二項にいわゆる「没収することができない場合」にあたるとして追徴することは許されないと解すべきである。けだし、前述したとおり、本件のような犯罪組成物件とみられるものについて法が追徴を科する理由は、犯罪の取締を厳に励行しその禁圧の徹底を期するため懲罰的にこれを加えるものにほかならないとするにしても、その没収不能の原因が右のような本人の責に基かない事情による場合、なおこれを科する必要を認めないし、またそうすることはかえつて当を得ないものと考えられるからである。(最高裁昭和三三年四月一六日大法廷判決、判例集一二巻六号九二三百参照。同判決の理由は必ずしも明らかでないが、上と同旨に出たものと推測されるのである。)
しからば、本件において被告人に追徴を科さなかつた原判決は、その理由はともあれ、結局相当に帰するから、本件検察官の控訴趣意はその理由がないといわなければならない。
よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 兼平慶之助 判事 足立進 判事 山岸薫一)
検察官副検事園部早苗の控訴趣意
原判決は、法令の解釈を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第三百八十条により破棄を免れない。
一、原判決は、「一般に没収不能の場合に没収に代り追徴を科し得るのは犯人がその没収すべき物の所有者であつた場合に限る」となし、関税法の解釈に於ても、「犯人が未だかつて犯罪貨物等の所有者とならなかつた時は追徴を科さない旨を明らかにしている」となし、「本件被告人は犯罪貨物の所有者にあらずして単なる所持者に過ぎないから前述した理由によりこれに追徴を科するのは不当である」と擅断しているのであるが、現行法の解釈としては到底これを容認することを得ない。
二、関税法第百十八条には、原判決が引用している漁業法第百四十条の「但し犯人が所有していたこれらの全部又は一部を没収することができない時はその価額を追徴することができる」旨の規定に相当する文言がないのみならず、かえつて、第一項に「但し犯罪貨物等が犯人以外の所有にかかり且つその者が左の各号の一に該当する場合はこの限りでない」として、その第二項に、第一項該当以外の物即ち犯人以外の者の所有にかかる犯罪貨物等で没収することができないもの又は没収しないものについて、「犯人」から価額を追徴する旨規定しており、犯罪貨物等が犯人以外の第三者の所有にかかる場合にも追徴することを十分予想しているのである。しかも、右価額を追徴すべき「犯人」については、何等の制限がなく、同条第一項の犯人全部を網羅し、従つて関税法第百十二条の犯罪貨物等の運搬、保管等をなしたに過ぎない犯罪貨物等の占有者をも包含することは明白である。
三、現行関税法第百十八条に相当する旧関税法第八十三条(昭和二十三年法律第百七号)は、
第七十四号、第七十五条又ハ第七十六条ノ犯罪ニ係ル貨物又ハ其ノ犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶ニシテ犯人ノ所有又ハ占有ニ係ルモノハ之ヲ没収スル
犯人以外ノモノ犯罪ノ後前項ノ物ヲ取得シタル場合ニ於テ其ノ取得ノ当時善意ナリシコトヲ認ムル能ハサルトキハ其ノ物ヲ没収スル
前二項ノ規定ニヨリ没収スヘキ物ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハサルトキハ其ノ没収スルコト能ハサル物ノ原価(犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶ナルトキハ其ノ価額)ニ相当スル金額ヲ犯人ヨリ追徴ス
と規定され、現行関税法百十二条に該当する第七十六条ノ二を除外していた為、問題があつたが、その後の改正(昭和二十五年法律第百十七号)により、右第八十三条第一項が
第七十四条、第七十五条若ハ第七十六条ノ犯罪ニ係ル貨物、其ノ犯罪行為ノ用ニ供シタル船舶又ハ第七十六条ノ二ノ犯罪ニ係ル貨物ニシテ犯人ノ所有又ハ占有ニ係ルモノハ之ヲ没収ス
と規定され、犯罪貨物等の運搬、保管等をなした犯罪の貨物についても、没収の対象とされ、従つてこれが没収不能の場合は、これらの犯人からその価額を追徴し得ることとされたものであり、現行関税法は、この規定をうけついだものであるから、その立法の沿革からみても、現行関税法が犯罪貨物等の所有者でなく占有者に過ぎない犯人からも価額を追徴し得るものと解すべきである。
四、原判決は、「犯人が未だかつて犯罪貨物等の所有者とならなかつた時は追徴を科さない旨を明らかにしている」となし、その理由として関税法第百十八条第一項第一号即ち第三者が犯罪が行われることを予め知らないで、その犯罪が行われた時から引き続き犯罪貨物等を所有していると認められる時は没収できない旨の規定があることをあげているが、右の第一項第一号は、同第二号の犯罪後の善意取得者と区別して犯罪当時の善意所有者がその侭犯罪貨物等を所有している場合を規定し、この場合にはその所有者から没収又は追徴せず、犯罪によつて利益を得る結果となつた課税物品につき、関税を徴収するに止めた趣旨の例外規定(同条第三項)で、これを以て直ちに全面的に「犯人が未だかつて犯罪貨物の所有者とならなかつた時は、追徴を科さない旨を明らかにし」たものと断ずることはできない。
五、関税法第八十三条第三項の規定(旧法)による追徴は同法第七十六等の密輸出の幇助をしたものに対しても犯罪に係る貨物又はその犯罪行為の用に供したる船舶の原価又は価額に相当する金額の全額につき言渡すことができる旨の判例(昭和二十八年(あ)第四七二一号同三十二年一月三十一日第一小法廷判決最高裁判所判例集第十一巻第一号第六一七頁)も以上の見解に立つものとして初めて理解し得るものである。
六、関税法の没収、追徴の規定は、任意的なものでなく所定の条件の存在する限り、必ず没収又は追徴の言渡をしなければならない所謂必要的没収の規定である(東京高等裁判所昭和二十九年(う)第六七九号同年七月二十八日第十一刑事部判決高裁判例集第七巻第七号二一〇頁)から、原判決の法令違背は判決に影響を及ぼすこと明らかである。
七、原判決は、「犯人が所持者たるに止まる場合に犯人に対する没収は単にその所持の剥奪に過ぎず物は第三者の所有物であるから犯人は財産的苦痛を感じたいのに拘らず、没収不能の故を以て追徴を科せられることになれば偶然の事情により、にわかに犯人に財産的苦痛を与えることになる」との感傷的同情論に立つもので、関税法の没収、追徴の規定が単に附加刑としての意味を有するだけでなく、多分に保安処分的政策的配慮に基いていることを忘却した独自の見解であつて到底これを採ることはできない。
判決に影響を及ぼすことの明らかな原判決は破棄さるべきである。