東京高等裁判所 昭和34年(う)33号 判決
被告人 松井武雄
〔抄 録〕
所論は要するに、原判決は第一、昭和二十七年二月頃より同三十二年七月頃迄の間前後四十二回に亘り、別紙犯罪行為一覧表記載の通り、加藤久次郎外二十八名から、それぞれ株券の購入、売買、保管、名義書換等の依頼をうけ、これを右依頼者のため業務上預り保管中、現金五十二万七千三百六十七円、株券百十七万五千四百九十五円相当のものを、擅に自己の債務や毛糸、乾繭及び綿糸の取引の追徴金等に充当してこれを横領したとの事実を認定しているが、右各横領事実の認定には、一部に事実の誤認があり、また一部には認定の事実と証拠との間にくいちがいその他の理由不備があり、更に一部には審理を尽さない違法がありこれ等はいずれも判決に影響を及ぼすこと明らかである、と主張するのである。
よつて記録を精査し原判決及びその挙示する各証拠を検討すると、原判決には次のような理由不備、審理不尽及び事実誤認が認められる。
(一) 原判示刑部すが関係(犯罪行為一覧表番号二四)及び片山一男関係(同番号三二)においては、横領罪の構成要件事実である被告人が株券を占有するに至つた原因の委託関係が不明確で横領の客体が判明せず、記録上もこれを明らかになし得ない。即ち
(イ) 刑部すが関係において、原判決は、「静岡銀行株六百株の中三百株は擅に売却し、その代金と二百株とを永岡商店の乾繭取引の追徴金として充当して横領した」旨判示するのみで、右静岡銀行株を被告人がいかなる委託関係に基いて占有するに至つたものかを明確にせず、記録上もこの点が判明しない。刑部すがに対する証人尋問調書によれば、同人は右株式を被告人に引渡すとき、値が出たら売つて貰い度いと依頼したとも言う。若し売却を依頼した事実があれば、原判示のように、内三百株について、擅に売却して横領したと認定することはできない。刑部すがは、また司法警察員に対しては、(記録八冊二、二九三丁以下)右委託関係の点について、単に「他の株券の取立を依頼するため右株式を被告人に託した」趣旨の供述をしており、被告人は司法警察員に対しては、(記録六冊一、三八八丁以下)「刑部すがは、綿糸或は乾繭の取引を被告人に依頼し、その証拠金として右株式を被告人に委託した」趣旨の供述をしており、畢竟記録を通じ、右委託関係が判明せず、更に審理を尽さなければ、横領行為の実体を明確にすることができない。
(ロ) また片山一男関係においては、原判決は「味の素に乗替え保管中入正証券に売却し、その代金八万四千円を擅に費消して横領した」旨判示し、「被害株式味の素、四百株」と記載しており、判示の趣旨必ずしも明瞭ではないが、「他の株式より乗替えて保管していた味の素株四百株を、入正証券株式会社にて売却して、その代金八万四千円を擅に費消して横領した」という趣旨に解されるが、単に保管を委託されているものを擅に売却したのであれば、右株式四百株について売却横領罪が成立し、代金八万四千円の費消横領罪は成立しない訳である。原判示自体この点不明確であり、記録上もまたこれを明らかになし得ない。即ち片山一男に対する証人尋問調書によれば、同人は、その所有していた名古屋精糖株四百株とトヨダ自動車株四百株を売却して味の素株四百株に乗替えることを依頼し、被告人から右乗替えができたと聞き清算書も貰つたが味の素株の現物は見せて貰わず、勿論右味の素株の売却を被告人に依頼した事実はないと言うのである。ところが、この点被告人の司法警察員に対する供述調書(記録六冊、一、四二三丁以下)によれば、被告人は片山一男の依頼により右両銘柄を売却して味の素株四百株に乗替えるため、その買付申込をしたが、当時資金難のため、右両銘柄の売却代金十万四千円を差迫つた債務の支払いに充当してしまい、入正証券に頼んで、恰も右味の素四百株の買付ができたように売買報告書を作つてもらい、片山一男には味の素四百株の預り証を渡して、その場をとりつくろつたけれども、事実は、右株式を買付けた事実がない、と言うのである。若し被告人の言うようであれば、前記両銘柄の売却代金十万四千円の横領であつて、味の素株についての横領はあり得ない訳である。更に審理を尽さなければ、被告人の横領行為の実体を確認することはできない。
(二) 馬渕勝士関係(前記番号八の中)、鈴木要一郎関係(同番号一八)及び桜木久関係(同番号三七)においては、原判決は、被告人において、名義書換え等のため株券を委託されて保管中これを売却した旨判示して、一応右株券の売却横領の事実を判示しながら、更に、右売却代金を費消または着服して横領した旨判示し、明らかに法律の解釈を誤つた事実認定をしている。
(三) また刑部すが関係(前提)及び石牧かずえ関係(前記番号二二)においては、被告人が保管したという株式数とその領得横領したという株式数とが一致せず、また、横領金額の計数にくいちがいがあり明らかに理由不備である。
(イ) 刑部すが関係においては、原判決は「三百株は擅に売却し、その代金と二百株とを永岡商店の乾繭取引の追徴金として充当して横領した」旨判示し、被害株式を「静岡銀行株六百株」と記載し、被告人が委託を受けた株式数とその領得した株式数との間に百株のくいちがいがある。記録によれば永岡商店の乾繭取引の追徴金に充当されたのは、二百株でなくて三百株のようである。(被告人の司法警察員に対する供述調書六冊一、三八九丁以下及び勝岡後仁作成の永岡商店株券受領一覧表、同取引状況一覧表)。併し他方入正証券に売却されたのは三百株でなく二百株のようである。(中村徹作成入正証券株式会社の自己売買明細表)この点更に審理を尽さなければ右くいちがいは判明しない。
(ロ) 石牧かずえ関係は、原判決は、「日本曹達三百株を売却しその代金二万一千五百円及び不足金三千七百円を受取り保管中着服して横領した」旨判示しながら被害金額を「二万五千六百円」と記載し右金額の加算にくいちがいがある。記録(六冊一、三八三丁)によれば右日本曹達株三百株の売却代金は原判示の如く二万一千五百円でなくて二万一千九百円である。
(四) 被告人が株券を保管占有するに至つた委託関係及び被告人の株券または現金の領得行為について、原判示事実と原判決挙示の証拠、或は記録上明らかな証拠とが符合せず、事実誤認、理由不備または審理不尽の違法があると認められるものは、概ね次のとおりである。
(1) 柴田光夫関係(番号三四)
原判決は「豊年製油株の買入れ方依頼を受け保管中の右買入代金八万九千七百十七円を永岡商店において着服して横領した」旨判示しているのであるが原判決挙示の証拠をもつてしては右代金八万九千七百十七円を横領した事実を認め得ない。被告人の司法警察員に対する供述証書(六冊一、四三六丁以下)によれば、被告人は柴田光夫より同人所有の日立製作所株千九百株を売却して、日華油株及び豊年製油株を買入れるよう依頼され、右日立製作所株を売却した代金十四万五千五百九十七円の中五万五千八百円にて日華油株五百株を買付け、残額八万九千七百九十七円を保管中これを自分の綿糸取引の損金等に充当するため、柴田光夫には、豊年製油株も七万二千四百十円にて買付けたと嘘を言つて、前記日立製作所株の売却代金十四万五千五百九十七円より、日華油株五百株の買付代金五万五千八百円と豊年製油株五百株の買付代金七万二千四百十円を差引いた残一万七千三百八十七円を柴田光夫に、同趣旨の清算書を添えて返還し、結局七万二千四百十円を自分の綿糸取引の損金に充当した旨供述しているのである。原判決は、前記日立製作所株の売却代金十四万五千五百九十七円より日華油株五百株の買付代金五万五千八百円を差引いた残額八万九千七百九十七円(原判決は、八万九千七百十七円)をそのまま被告人が横領したものと右供述の趣旨を誤認したものかどうか詳かでないが、被告人が自分の綿糸取引に流用したのは、右残額より前記清算残として返還した一万七千三百八十七円を控除した七万二千四百十円である。
(2) 小池一正関係(同番号四〇)
原判示によれば、浜松オート株の買入金として一万円及び日本ゲルマニユーム株の買入金として一万円を、それぞれ保管中、被告人の自宅において着服して横領したというのであるが原判決挙示の証拠によつてはこれを認めることはできない。小池一正に対する証人尋問調書及び被告人の捜査官に対する供述調書(五冊一、三二一丁以下六冊、一、五二八丁以下)によれば、小池一正は丸中商店内にある貴志商店において、被告人の取次によつて、綿糸の相場取引を行い、右取引証拠金代用として、特殊製鋼株百株、東北パルプ株二百株、日魯漁業株千株及び中部電力株二百株を差入れ、右取引において当初相当の利益を上げたので、被告人の勧めにより、原判示浜松オート株及び日本ゲルマニユーム株を買うため各一万円の代金を被告人に託したところ、右浜松オートは会社設立に至らず、また日本ゲルマニユーム会社は内容不良の会社であることが判つたので、右各株式を買入れず、浜松オート株の代金一万円は丸中証券に権利金として寄託し、日本ゲルマニユーム株の代金一万円は前記小池一正の綿糸取引において次第に損失を生じ前記証拠金代用の株式を順次これに充当したが尚及ばず、右損失補填のためこれを利用した、というのであり、小池一正は被告人より七万円相当の借財のあることも認めており、被告人と同人との関係は、ひとり本件浜松オート株、日本ゲルマニユーム株の買入委託の関係だけでなく前記のような相当大規模な綿糸取引の取次委託関係があつて、その損益清算の面において両者の言い分にもくいちがいがあり、これを民事的に解決することも困難と考えられるところ、本件二万円もこれと不可分の関係において解明することを要するものであり今直ちに原判示の事実を確認することはできない。
(3) 山下喜太郎関係(同番号四一)
原判示によれば、山下喜太郎口座より無断で、昭和三十年五月三十一日被告人の永岡商店との乾繭取引の追徴金に充当した、というのであるが、記録(宮田喜代一提出の加藤元商店における被告人松井武雄名義及び山下喜太郎名義の各委託者別先物取引勘定元帖、山下喜太郎に対する証人尋問調書及び被告人の司法警察員に対する供述調書六冊一、四六三丁以下)によれば、加藤元商店における山下喜太郎名義の毛糸先物取引勘定の益金から六万円が、同松井武雄名義の毛糸先物取引勘定に入金として繰り入れられた事実は認められるが、原判示の如く右六万円を永岡商店における乾繭取引の追徴金に充当された事実はこれを認むべき証拠がない。右六万円繰り入れの時期も昭和三十一年五月三十一日であつて原判示昭和三十年五月三十一日当時は未だ山下喜太郎名義の取引口座は存在していない。
(4) 武田良行関係(同番号一〇)
日立造船二百株及び日本油脂二百株を五万円で売却し、その代金を着服したという原判示事実を認むべき証拠がない。記録(武田良行の原審における証言、被告人の司法警察員に対する供述調書五冊一、二六一丁以下)によれば、武田良行は被告人に対し日立造船二百株及び日本油脂二百株を五万円にて買入れることを依頼し、被告人において右両銘柄を買付けたところ、武田より直ちに、これを日東製鋼株に乗替えるよう依頼があつたので、被告人は右日東製鋼株二百株を買付けたが、その引渡をしないでいたところ、同株式の株価が暴落してしまつたので、武田良行は被告人に対し前記日立造船及び日本油脂両銘柄の買入代金五万円を弁償として請求した事実が認められる。原判示の如く右両銘柄の売却代金五万円を着服した事実を認めることはできない。
(5) 其の他、笹瀬安吉関係(同番号三)において、帝国製麻千株の売却代金四万八千三百円を加藤元商店浜松出張所において着服した点について、
馬渕脂士関係(同番号八の中)において、日本郵船株二百株を永岡商店に対する乾繭取引の追徴金に充当した点について鈴木要一郎関係(同番号の一八、一九)において、川崎航空株三百株を入正証券に売却した点について、また、太田自動車二〇株の購入代金(千円と推定される)を着服した点について、
竹上米市関係(同番号二八)において平和不動産株千株を昭和三十一年十一月三十日永岡商店の乾繭取引の証拠金に充当した点について、
原判決挙示の証拠により、また記録によつてもこれを確認することができない。
以上原判決には事実の誤認、理由不備及び審理不尽あり、いずれも右違法は判決に影響を及ぼすことが明瞭であるからその他の控訴趣意に対する判断をすべて省略して刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条本文によつて本件を静岡地方裁判所浜松支部に差し戻すべきものとして主文のとおり判決した。
(兼平 足立 関谷)