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東京高等裁判所 昭和34年(く)71号 決定 1959年9月09日

少年 H(昭一六・一・一八生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、抗告申立人両名名義の抗告申立書及び上申書に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用する。

取寄にかかる少年保護事件記録四冊及び少年調査記録によれば、少年は昭和三十二年九月中自転車等を窃取した事件で、昭和三十三年一月二十八日東京家庭裁判所において東京保護観察所の保護観察に付する旨の処分を受け、その後大森、浅草等の肉屋につとめたがいずれも永続きせず、その間又自転車等を窃取して同年七月三十一日在宅の試験観察に付されたこと、その後少年の叔父○井○人がクリスチャンであり、少年の更正に熱意を有し、旁々少年を悪友から引きはなすためにもと、少年を青森市の同家に引き取つたのであるが、少年は○井の営業である洋品店を手伝うのをきらつたので、同人の紹介により、これ亦熱心なクリスチャンである○村木工所の主人方に住み込み、同人の親切な指導を受けるようになつたが、結局少年は、○井、○村になじめず、反抗的態度をとるようになり、果ては親許に帰りたがつたので、青森家庭裁判所調査官の意見に従い、昭和三十四年一月東京の実父の許に帰つて来たこと、しかして少年は、二月には普通自動車の運転免許を得て、同月二十六日練馬区の○○産業株式会社に雇われ真面目に働いていたが、三月十五日に至り、会社の引きとめるのを振り切つて突然やめてしまい、その後数ヶ所の勤先で五、六日位宛転転とつとめたがいずれも永続きせず、最後に五月一日には豊島区の○○鉄工所に運転係助手としてつとめたが、これも九日間勤務したのみで同月十五日にはやめてしまつたこと、その間少年は亦又悪友との交際を始め、原決定の非行事実欄に記載の(2)(3)(4)の如き窃盗、恐喝の非行をくりかえすに至つたことが認められる。しかして少年の父は自動車運転者を業としており家におることが尠く、母は常に口やかましいばかりで、いずれも少年の指導保護能力に十分なものがあるとは記録上認められず、その他記録に窺える諸般の情状を総合すると、少年を保護能力の十分でない家庭におくより、一定期間収容施設に収容して規律ある環境の下に矯正教育を受けしめ、その性格的欠陥を矯正する必要があるものと認められる。

抗告理由中には、原審裁判官が少年の情操を考慮せず、誠意ある態度に欠け、不親切な取扱、処置をしたとの如き趣旨の主張をしているが、記録によるもその主張の如き事実があつたとは認められない。

以上の理由により、少年を中等少年院に送致する旨の原裁判所の決定は洵に相当であつて、本件抗告はその理由がないから、少年法第三十三条第一項により、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 猪俣幸一 判事 井波七郎)

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