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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1072号 判決 1961年3月16日

判決

神奈川県小田原市緑四丁目六五一番地

控訴人

箱根登山鉄道株式会社

右代表者代表取締役

柴 田 吟 三

右訴訟代理人弁護士

田 中 治 彦

鎌 田 英 次

宮 崎 保 興

環   昌 一

青 山 義 武

静岡県三島市大場三〇〇番地

被控訴人

伊豆箱根鉄道株式会社

右代表者代表取締役

大 場 金 太 郎

右訴訟代理人弁護士

工 藤 精 二

中 島 忠 三 郎

遠 藤 和 夫

丸 山 一 夫

右当事者間の昭和三四年(ネ)第一〇七二号一般乗合旅合自動車運行妨害禁止仮処分申請控訴事件につき、当裁判所は、昭和三五年七月一六日に終結した口頭弁論に基いて、次の通り判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は、その経営する小涌谷(神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地先)から、早雲山駅、大涌谷を経て、湖尻(同郡箱根町大字元箱根旧札場一一〇の三四番地先)に至る延長九.六粁の一般自動車道を、控訴人が被控訴人との間に昭和二五年四月一五日締結せられた協定に基き、運輸大臣より認可せられた事業計画において定められたところに従い、一般乗合旅客自動車を従来どおりの方法で運転することを許さなければならない。被控訴人は控訴人の右運転を妨害する一切の行為をしてはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方事実上の陳述は、左に記載する外、原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する。

(甲)控訴人の主張

控訴人の従来の主張を次の通り補足する。従来の主張のうち、以下の主張と牴触する部分は、以下の通り訂正する。

第一、控訴人の主張の骨子、

一、昭和二五年四月一五日本件当事者間に締結された乗入協定(以下本件協定という。)の協定書第一〇条の合意(以下協定第一〇条という。)は、民法第九三条但書により無効であり、本件協定は、無期限に存続すべきものであるか、少くとも期間の定めがないものである。

二、被控訴人が控訴会社の協定違反行為として指摘する事実は、粉飾と誇張に満ちて真実に副わず、たとえ、一部その事実があつても、それらはいずれもきわめて軽微な事項に過ぎないか、または、被控訴会社自らこれに原因を与え、もしくは、被控訴会社にも同様な行為があつたものであるから、独り控訴会社の当該行為のみを捉えて、協定破棄の事由とすることは、かえつて信義と衡平とに反して許されない。すなわち、被控訴会社は解除権を有しないか、仮りに有するとしても、これを行使することは権利の濫用である。

以下に、右の主張を分説する。

第二、協定第一〇条の合意が無効であることについて、

仮りに、協定第一〇条の合意が被控訴人主張のように、当事者に対し、何らの理由なく一年限りで協定を一方的に破棄する権利(正確にいえば更新拒絶権)を与えた趣旨と解釈されるとすれば、それは控訴会社が「其真意ニ非サルコトヲ知リテ」なした意思表示であつて、かつ、相手方たる被控訴会社が、「表意者ノ真意ヲ知リ又ハ之ヲ知ルコトヲ得ヘカリシ」ものであるから、民法第九三条但書の規定により無効である。

一、協定第一〇条は、運輸省当局の係官が作成した原案に基き、一、二、些細な用語の訂正がなされた点を除き、全く原案通り確定されたものである。被控訴人は、右条項は、(1)本件協定の有効期間は効力発生の日から一年であり、(2)当事者はいずれも右期間満了の日の一ケ月前までに何らの理由なく更新を拒絶する権利を有し、更に(3)当事者の一方に協定違反の事実があつた場合にも、相手方は協定を解約することができる。との趣旨である旨主張する。そして、協定第一〇条を文字通り読めば、右(1)、(2)の趣旨に解釈できることは疑いないが((3)の趣旨までも含むとする被控訴人の主張は承認できない。)、当時協定に当つた控訴会社の担当者(今井自動車部長及び小山営業課長)は、控訴会社が本件協定を僅か一年で打切る場合があろうなどと考えたことがないのはもちろん、被控訴会社から、右協定を僅か一年間で何の理由もなく一方的に破棄されることがあるとは、夢想さえもしなかつたのである。

そもそも、日通会館における協議に際し、期間の点につき、格別論議されなかつたことは、控訴人が従来くり返し主張した通りであつて、これと相反する被控訴人の主張は、全くの虚構でなければ、甚しい粉飾を加えたものに過ぎない。なるほど、常識的に見れば、乗入協定にとつて、期間は重要であり、しかも原案に協定の有効期間として一年という短期間が記載されていた以上、乗入を許される控訴人側としては、当然これを問題にして然るべきであつたといえよう。しかし、控訴会社は、本協定が無期限に存続する趣旨のものであつたことについては、当初から些かも疑念を抱かなかつたし、何分にも、右原案は、この種協定を多数手がけている筈の当局が作成したものであり、一般に、相当長期間存続する趣旨の契約でありながら、契約書には、一応一年とか二年とかの短期間を記載しておく例はよくあることなので、控訴会社は右条項をさして深く気に留めなかつた。のみならず、協議の席上当局側からも、被控訴会社側からも、協定第一〇条の内容については、格別の発言がなく、論議の焦点は、通行料及び小田原線の制限解除の問題に集中されたため、控訴会社側も、ついこれを不問に付して了つたのである。協定書の条項につき、全然審議されなかつたわけではないのに、右の点を安易に見逃したことは、今にして思えば確かにうかつであつたが、以上がその真相なのである。

被控訴人は、本件協定の協議の際、協定第一〇条前段の「一ケ年」の上に「満」の字が一旦挿入され、後にそれが削除されたとし、そのいきさつとして、右挿入は、控訴会社側の強い要請によつたものであるが、被控訴会社側では「一ケ年」は法律上「満一ケ年」の意味であるとの理由で反対したところ、運輸省関係官吏が、被控訴会社側の右意見を採用して、一旦挿入した「満」の字を削除したというのである。しかしながら、右は被控訴人の創作であつて真相ではない。「一ケ年」が「満一ケ年」と同義であつて、何ら実質的な差異のないことは、あえて、被控訴会社や運輸省関係官吏をまつまでもなく、十才の子供でも知つていることである。一年では短か過ぎるから五年にしてほしいとか、せめて三年にしてくれと要求したというのであれば話も判るが、「一ケ年」で短いから(又は不明確だから)「満」の字を加えよなどという無意味な「強い要請」を控訴会社がしたということは、常識上からとうてい考え難い。乙第五四号証の四の第一〇条前段の「一ケ年」の上に「満」の字が一旦挿入され、次いで削除された形跡があるが、推測するに、右は単なる用語の統一を図つたものに過ぎない。乙第五四号証の一ないし六の第一〇条には、いずれも前段と後段に「一ケ年」の語が一つずつ合計二ケ所あつて、同号証の一ないし三においては、前段の分は単に「一ケ年」とあるのに、後段の分には「満一ケ年」と「満」の字がついている。すなわち、当局作成の原案に、既に「満一ケ年」という語が用いられていたのであつて、少くとも、後段の「満」の字が控訴会社の発意に基いた挿入でないことは明白である。たゞ、右当局案が、同一条文の前段に「一ケ年」と表示しながら、後段に「満一ケ年」と表示したのは、明かに用語の不統一であつた。そこで、同号証の四の協議の際、列席者の誰かから右の点が指摘され、用語統一のため、前段の「一ケ年」の上に一旦「満」の字が挿入されたが、更に「満」の字は不要との意見が出て、結局後段の「満」(最初からあつた)と共に挿入分も削除したというのが真相であると思われる。

二、協定第一〇条が控訴会社の真意に出たものでないことは左の各事実に照らしても明かである。

(一)、本件協定は、控訴会社がかねてから抱いていた箱根全域に亘る一貫観光輸送ルートの完成という大理想の実現に一歩を進めるものとして、非常な期待と努力とを払つて獲得しようとした早雲山線の営業免許の代りに締結されたものである。

戦後観光地としての箱根の重要性が再認識され、その開発が急進展するに伴い、従来同地域の観光運輸事業を二分して独占していた控訴会社及び被控訴会社とも、従前の勢力分野のみに安住することを許されず、やがて激しい競争にまき込まれることは、むしろ必然の運命であつた。すでに昭和二四年一二月被控訴会社は、当局に猛運動の末控訴会社のドル箱路線ともいうべき小田原線えの乗入免許の獲得に成功した。その頃控訴会社も、強羅早雲山間のケーブル線の復旧を急いでいたが、その完成の暁には、自社のバス又は鉄道とケーブルとによつて、小田原方面から早雲山まで誘致した観光客を、同所から再び自社のバスにより芦の湖畔、湖尻方面え運ぶため、従来久しく被控訴会社のバスの独占路線であつた早雲山線えの乗入免許の獲得を切望した。そして、もしその免許を得られれば、前記一貫観光輸送ルート完成の理想に一歩を進めることになるし、反対に、右免許が得られなければ、控訴会社がせつかく早雲山まで誘致した観光客を悉く被控訴会社のバス客として提供しなければならないこととなり、戦後の資材不足の折から、多大の犠牲を払つたケーブル線の復旧も、画龍点晴を欠くうらみがあつた。控訴会社が昭和二五年三月、当局に対し早雲山線のバス営業免許を申請し、幾多の迂余曲折を経て、結局、被控訴会社との間に本件協定を結ぶに至つた背後には、実に以上のような事情があるのである。かゝる背景を考慮すれば、控訴会社が、右協定を僅か一年限りで無条件かつ一方的に破棄されることに甘んずるような、愚かしい条項を、真意に基いて合意する筈は全くあり得ない。ケーブルはもとより永久的施設であり、一貫観光輸送ルートを一年限りでやめてもよいなどと考える筈があり得ないことはいうまでもないからである。

(二)、控訴会社の早雲山線に対する前記免許申請は、当時の諸般の情勢上免許される公算が非常に大きかつた。少くとも控訴会社はそう信じていたし、そう信ずるにつき相当の理由があつた。そして、もし免許されれば、控訴会社は早雲山線において、将来無期限にバス営業を行う権利を取得することができたのである。それにもかゝわらず、控訴会社は、当局の勧奨を無下に断りかね、被控訴会社との間に本件協定を結び、同時に免許申請を取り下げた。けれども、右協定がもし第一〇条の文言通り僅か一年限りで無条件かつ一方的に破棄される趣旨のものなら、どうして控訴会社がこれに応じ、免許申請の取下げまでする筈があろう。いかに当局の熱心な勧奨によるとはいえ、黄金を鉛に替えるに等しい愚かな取引をするわけは、断じてあり得なかつたのである。

三、本件協定の存続期間についての控訴会社の真意が、協定第一〇条の文言にかゝわらず、無期限とするにあつたことを、被控訴会社が「知リ又は知リ得ヘカリシ」ことは右二の(一)(二)の事実だけからも推認できるが、更に左記の各事実によれば一層明瞭である。

(一)、日通会館における協議に際し、被控訴会社は、本件協定に応ずることの反対給付として、実に多くの条件を提示し、当局と控訴会社とにその受諾を迫つた。すなわち(イ)控訴会社は被控訴会社に対し、通行料の外相当の権利金を支払うこと、(ロ)早雲山線の道路が災害等のため破損したときは、控訴会社は、その復旧に協力すること、(ハ)控訴会社は、被控訴会社に対する小田原線の免許に付された制限の解除に反対しないこと、当局は、(ニ)右小田原線の制限解除及び(ホ)被控訴会社の伊豆半島における定期バス事業の免許申請につき、被控訴会社のため十分考慮すること、(ヘ)当局は箱根観光船株式会社(芦の湖における観光船事業を目的として昭和二四年三月一〇日設立された控訴会社の姉妹会社で、同社のその後の活躍如何によつては、久しく同湖上の観光船事業を独占して来た被控訴会社に、重大な脅威を与えるものとみられていた。)の競争行為を抑制すること、ならびに(ト)前記早雲山線の道路が国に買上になるよう当局として努力すること、等というのであつた。

被控訴会社が、本件協定の反対給付として、かくも盛り沢山の条件を提示した事実は、取りも直さず、被控訴会社が本件協定の締結を極めて重大な譲歩と考えたことを証明するものである。けだし、被控訴会社が、もし、真に一年限りで無条件かつ一方的に本件協定を破棄できると考えたとすれば、これによつて被控訴会社の喪うところはほとんどいうに足りないのであるから、いくら被控訴会社が抜け目のない会社でも、これほど多くの対価を要求したはずがない。本件協定が無期限に存続すべきものと考えたればこそ、これを大なる犠牲と観じ、その犠牲の対価として前記諸条件を提示したのに相違ないのである。従つて、協定第一〇条の合意は、そもそも被控訴会社の真意ではなかつたのであり、少くとも控訴会社の真意ではないことを被控訴会社において熟知していたと見る外はないのである。

ちなみに、前記諸条件のうち、(イ)は物価庁の反対によつて実現せず、(ホ)及び(ヘ)は、本件協定と直接の関係がないとの理由で当局に拒否されたが、(ト)については当局の諒解を取り付けることに成功し、(ロ)ないし(ニ)は、本件協定の附属協定書に明文を以て確約された。小田原線の制限解除(前記(ハ)、(ニ))は、小田原線における被控訴会社の地位を控訴会社と全く対等にすることであり、控訴会社が当局の右の措置に好意的立場をとること(附属協定書第一項)は、小田原線が控訴会社のドル箱路線たることを控訴会社において放棄するということである。経済的価値の遙かに低い早雲山線に僅かに一年間乗入を許されることの反対給付としてはこれだけでも既に均衡を失する。また、道路が災害等のため破損した場合控訴会社がその復旧に協力するという条項(同上第三項)も、本件協定が無期限に存続すべきものなればこそであつて、僅かに一年の乗入のため、道路の復旧にまで協力させられるなどという馬鹿げたこと例えば、十ケ月、十一ケ月目に道路が破損した場合を考えて見よ。)はあり得ない。

二、被控訴会社は、昭和三一年三月一〇日及び同月一二日附内容証明郵便を以て控訴会社に対し、協定第一〇条により、同年六月三〇日限り本件協定を廃棄する旨を通告して来た。すなわち、本件協定は、昭和二五年七月一日にその効力を生じて以来五回にわたつて更新され、通計六年間存続した後第六年目の終りに始めて更新拒絶がなされたのである。ところで、本件当事者間には、右協定の成立後幾何もなく、前記箱根観光船株式会社(以下観光船会社という。)の事業活動を契機として深刻な紛争を生じたが、それがやがて本件協定の実施をめぐる争に発展し、ついには、被控訴会社は右協定の無効をさえ主張するに至つた。それにもかゝわらず、被控訴会社は本件協定の更新を拒絶することなく、数年を経過したのである。右紛争の裁判上争われたものを概略列記すれば次の如くである。

(1)、昭和二六年二月二一日、被控訴会社は観光船会社に対し、「元箱根棧橋設置禁止の仮処分」を申請した。

(2)右同日観光船会社は被控訴会社に対し、「元箱根棧橋設置妨害排除の仮処分」を申請した。

(3)、昭和二七年七月二九日、被控訴会社は、控訴会社が本件協定に基く運行回数を怠つた等の債務不履行があるとして、控訴会社に対し、「契約金並びに損害金請求の訴」を提起した。

(4)、昭和二七年八月一二日被控訴会社は観光船会社に両社間の協定違反の事実があるとして、同会社に対し「損害金等請求の訴」を提起した。

(5)、昭和二八年九月一二日被控訴会社は、本件協定締結の経緯につき、官憲及び控訴会社首脳に犯罪があるとして牛島元運輸次官、磯崎元運輸省課長、安藤小田急社長、河合元控訴会社社長等を「詐欺、職権濫用及び道路運送法違反」の罪名で東京地検に告訴した。

(6)、昭和二九年三月一一日被控訴会社は、控訴会社が運転系統外の運行を行つているとして、控訴会社に対し、「一般乗合旅客自動車運転系統外運行禁止仮処分」を申請した。

(7)、昭和二九年七月二七日、被控訴会社は、本件協定につき、運輸大臣を被告として、「乗入運輸協定認可処分無効確認の訴」を提起した。

以上のように、しつようなまでに訴訟行為をくり返し、何とかして控訴会社を叩き伏せようと躍起になつていたとしか見られない被控訴会社が、何故に、五年もの長い間協定第一〇条による更新拒絶をあえてしなかつたであろうか、もし協定第一〇条がその文言通り、而して被控訴人の主張通り、一年限りで、無条件かつ一方的に本件協定を破棄できるとの趣旨であるとすれば、右はおそらく何人もが抱かなければならない疑問であろう。この疑問に対する答は何か。それは、特段の事由なしに、一方的に本件協定を破棄できることは、被控訴会社においても考えていなかつたからであるという以外にはあり得ない。すなわち、本件協定は、無期限に存続すべき趣旨において結ばれたものであつて、協定第一〇条は、断じて控訴会社の真意ではないことを、協定当時以来被控訴会社も熟知していたことを、前記事実は、雄弁に物語つているのである。もしそうでないとしたら、どうして、被控訴会社ともあろうものが、本件協定を破棄するため、僅か内容証明郵便一本で事足りる方法をとらずに、面倒な、費用のかゝる、加うるに何時終るか判らない前掲「乗入運輸協定認可処分無効確認の訴」などを提起するなどということがあり得るであろうか。

四、以上のように、もし協定第一〇条が無効であるとすれば、本件協定の存続期間は幾何か。控訴人は、右協定成立の際における当事者間の暗黙の合意により、本件協定は無期限に存続すべきものであることを主張するものであるが、仮りに右合意の事実が認められないとするも、少くとも、本件協定は期間の定めがないものと解すべきである。また、協定は一の契約である以上、著しい事情の変更又は当事者の一方に重大な協定違反その他の著しい不信行為があるときは、相手方は、これを破棄することが許されて然るべきことは、むしろ当然であろう。そして、被控訴人は、控訴会社に幾多重大な協定違反の事実があることを主張するが。控訴人はこれを争い、控訴人側には本件協定を破棄されるに足るべき協定違反その他不信行為は存在しないことを主張するものである。その点は次項に述べる。

第三、控訴人に協定違反行為があつたことを理由とする被控訴人の主張が失当であることについて、

一、被控訴人は、本件協定の締結後、控訴会社が幾多の協定違反行為をあえてしたので、被控訴会社の解除(協定の廃棄)の意思表示は、その理由によつても有効である旨主張する。しかしながら、控訴会社には、被控訴人主張のような協定違反の事実がなく、仮りに一部その事実があつても、それらはすべて極めて軽微な事項に過ぎないか、または、被控訴会社自ら、これに原因を与え、もしくは、被控訴会社にも同様の行為があつたものである。それ故、被控訴会社は、いまだ解除権を取得しないか、仮りに取得したとしても、これを行使することは権利の濫用たるを免れないから、被控訴会社の前記解除の意思表示は無効である。以下これを詳述する。

二、いわゆる控訴会社の協定違反について、

(一) 運転回数の不遵守

被控訴人は、控訴会社が協定書、覚書及び事業計画に定められた運転回数を守らなかつたとし、これを以て協定違反なりと主張する。ところで、協定書自体には運転回数に関する規定は何もないが、協定書附属の覚書並びにこれらと同時に認可された事業計画書には、運転回数の定めがあること、及び控訴会社が必ずしもその所定の回数を運転せず、時には全く運転を取り止めたこともあつたことは争わない(尤もその理由については後述する。)しかし、右事実は、何ら本件協定の違反とならない。けだし、

(1)、覚書所定の運転回数は、単に控訴会社の運転し得べき回数の最高限度を定めたものであつて、控訴会社に対し、右回数の運転をなすべきことを義務づけた趣旨のものではない。そのことは、覚書における右回数を限度とする旨の記載及び「但し必要と認めたる場合は、甲乙協議の上回数を増加することを得」の文言等に照して一点疑いを容れる余地がない。更に事柄の実体に即して考えても、本件協定は、従来被控訴会社バスの独占であつた路線に控訴会社バスの乗入を認める趣旨のものであつて、その実施により被控訴会社の運賃収入はそれだけ減少を免れないから、被控訴会社としては、右運転回数のできるだけ少いことをこそ望め、その多いことを欲しないのが当然である(現に被控訴会社は覚書の協議に当り、極力運転回数の圧縮に努めたのである。)。この点から見ても、覚書における運転回数の定めが右控訴人主張の趣旨においてなされたものであることは明瞭である。従つて、控訴会社が、もし、右所定の回数を超えて運転したとすれば、覚書違反になることは疑いがないが、被控訴人は、控訴会社が右回数の運転をしなかつた事実を以て協定違反と主張するものであつて、その誤つていることは明かである。

(2)、次に、本件協定書とともに認可された控訴会社の事業計画書には、右覚書所定の運転回数が一部は不定期その他は確定回数として記載されている。ところで、道路運送法(昭和二六年六月一日現行法に改正され、同年七月一日施行。本件の事実関係は、現行法と旧法とにまたがるので、以下の記述には現行法の法条を「現第何条」旧法のそれを「旧第何条」と表示する。)の規定によれば、自動車運送事業を経営しようとする者は、事業計画を定め、主務大臣の免許を受けることを要し(旧第一一条)、また、自動車運送事業者が、他の運送事業者と運輸に関する協定をするには、主務大臣の認可を受けなければならない(旧第二三条)。これは、自動車運送事業の高度の公共性に鑑み、当該事業の運営が、適正妥当に行われることを確保せんとする趣旨に出たものである。本件協定は、法形式上は、右旧第二三条の「運輸に関する協定」であつて、これに対する認可は、それ自体旧第一一条による事業の免許ではないが、当時の行政慣行上後者に代る効力があるものとされ、従つて、協定の認可申請書には、事業免許の申請の場合に準じ、事業計画書の添付が必要とされていたのである。控訴会社が本件協定の認可申請書に前記事業計画書を添付し、協定書とともに、これに対して認可が与えられたのは、以上の理由によるものである。されば、控訴会社が、もし右事業計画書の定に違反すれば、運輸大臣は、右定に従つて業務を行うべきことを命ずることができるし(現第一九条)、この命令に違反すれば、処罰されることもあり得る(現第一三〇条第二号)。しかし、右事業計画が、本件協定の結果に基いて作成され、協定書と共に認可されたからといつて、その事業計画の違反が、直ちに協定の相手方たる被控訴会社の関係において協定違反(債務不履行)の責任を生ずるものでないことは、事業計画書の作成、認可申請及び認可の上述の性格上自明であつて、控訴会社が前記事業計画書所定の運転回数を守らなかつたことを以て被控訴会社に対する協定違反なるかの如くいう被控訴人の主張は不当である。

(3)、のみならず、控訴会社が事業計画書所定の運転回数を守らず、その一部の運転を取止めたのは、被控訴会社の妨害等により、控訴会社のバスの乗客が少く、甚だしく採算がとれなかつたために外ならないのである(なお、運転休止の中には、天候不良、車体の故障その他やむを得ない事由によつたものもある。)。すなわち、控訴会社は、当初、本件協定に相当の期待を寄せていたが、現実に運転を始めて見ると、被控訴会社は様々の妨害を加えて来た。例えば、湖尻行バスの起点であるケーブル線早雲山駅前の広場に被控訴会社は圧倒的多数のバスを配車し、その運転手車掌らは、ケーブルから降りて来る遊覧客を駅改札口で待ち受け同所から人垣を作つてこれを巧みに自社のバスに誘導し甚だしきは、遊覧客に対し「あちらの車(控訴会社のバスを指す。)は湖尻えは行きませんよ。」といつわりの呼びかけをする等、その陰険な妨害は、枚挙にいとまがないほどであつた。そのため控訴会社のバスは被控訴会社のバスがゴツソリと運び去つた遊覧客の僅かなオコボレを頂戴することに甘んじなければならない有様だつたのである。

そればかりでなく、被控訴会社自身もその事業計画書に定めた運転回数を守らず、夏期観光客の多い時には所定の回数を超えて運転し、冬期観光客の少い時には所定回数の運転をしなかつた事例が無数にあるのである。

この点は、使用車輛についても全く同様で、被控訴会社は一方的に控訴会社を責めることはできない。

(二) 湖尻における無停車、桃源台までのいわゆる路線外運転及び湖尻、桃源台間サービスカーの運転

被控訴人は、本件協定書及び事業計画書において、控訴会社バスの終点を湖尻(元箱根村旧札場一一〇の三四番地先)とする旨明定されているにもかゝわらず、控訴会社は、同所に無停車のまゝ桃源台までバスを運転し、更に右路線外運転禁止の仮処分がなされるや、控訴会社は、観光船会社をそゝのかして、湖尻・桃源台間にサービス・カーを運転させ、右仮処分の効果を抹殺するの挙に出たとし、控訴会社の右一連の行為もまた協定違反であると主張する。そして、協定書及び事業計画書に控訴会社のバスの終点として被控訴人主張の場所が表示されていること、控訴会社のバスが昭和二五年八月から同二九年二月までの間湖尻から桃源台に至る延長運転を行つていたこと(湖尻における無停車の事実は否認する。)及び観光船会社が被控訴人主張のようにサービス・カーの運転をしていたことはいずれもこれを認める。しかし、右延長運転は、道路運送法違反になるか否かは別論とし(同法違反にならないと信ずるが、仮りに然らずとしても)、何ら本件協定の違反とはならず、また、観光船会社のサービス・カーの運転は、同会社の正当な業務行為であつて、もとより控訴会社の協定違反となるべき筋合ではない。

(1)、本件協定は、被控訴会社所有の一般自動車道で、かつ、これまで被控訴会社のバスの独占路線であつた早雲山線に控訴会社のバスの乗入を承認する趣旨の協定であるから、その乗入区間すなわち起点と終点とを表示すべきは当然であり(旧規制第二六条第一項第三号参照)、これを地番を以て表示したのは、協定書の当該文言を一読して明らかである。協定書に終点の地番が表示されているからといつて、控訴会社は必ず同所を運転の終点とすべく、これより先えの運転は許さないとの趣旨を含むものではない。控訴会社のバスが、右路線以外の、被控訴会社のバス路線でもなく、もとよりその所有でもない路線(湖尻・桃源台間の道路は公道である。)を運転するかしないかは、本来被控訴会社とは何のかゝわりもないことだからである。この点につき、被控訴人は、控訴会社が協定に違反して桃源台までの延長運転を行つたため、その乗客中、もし延長運転をしなかつたとすれば湖尻において被控訴会社経営の観光船に乗船したであろう客がすべて観光船会社(桃源台に棧橋をもつている。)に奪われ、被控訴会社はその運賃収入に相当する損害を被つた旨主張するが、仮りに控訴会社のバスの延長運転により、被控訴会社が若干の乗船客を失い損害を被つたとしても、延長運転そのものが協定違反ではないこと前記の如くである以上、右損害を以て、控訴会社の協定違反の結果であるとするのは、当らない。被控訴会社が、もし、真に控訴会社のバス客を自己の船客として確保することを欲したとすれば、協定中にその旨の特約を加えるべきであつた。その配慮を怠りながら、事後に至つて、協定の結果が、自己の期待に反したからといつて、いたずらに控訴会社の協定違反をいうのは、責任の転嫁に過ぎない。そもそも観光船会社は、被控訴会社が多年芦の湖上の観光船事業を独占し、その営業方針がとかく専横に流れていたことに不満をいだいていた地元民の要望にこたえ、被控訴会社の独占を排除する目的で、昭和二五年三月一〇日設立された会社であつて、資本金五〇〇万円(現在は三、〇〇〇万円)、控訴会社は、その約二割の株式を引受けた有力な株主であつた。したがつて、控訴会社が、本件協定当時自社のバス客をできるだけ多く観光船会社の船に乗船させることを希望していたことはむしろ当然であり、反対に、控訴会社がせつかく自社のバス等により湖畔まて誘致した観光客を、被控会社と特約もないのに、観光船会社をさしおいて、悉く被控訴会社の船客として提供するようなことは、全く期待不可能な状況であつた。そして以上の事実は、本件協定当時、被控訴会社もこれを知つていたか、少くとも知り得べき事情に在つたものである。以上の事実関係にかんがみれば、被控訴人の前記主張は、むしろ単なる言いがかりに過ぎない。

(2)、湖尻における控訴会社経営の観光船の発着所は、バス早雲山線の終点湖尻駅の前方数十歩の距離にある。これに反して観光船会社の発着所は、右バスの終点から東北方約四七〇米を隔てた地点に在り、しかも右終点からは、障害物にさえぎられてこれを望視し得ない。従つて、湖尻終点でバスを降りた観光客で観光船会社の船に乗ろうとするものは勢いわざわざ遠い観光船会社の発着所まで歩いて行かなければならない。

ところで観光船会社ははじめ自社の湖尻側発着所を、被控訴会社の湖尻発着所附近に設けることを希望したが、被控訴会社の妨害に会うことが眼に見えていたので、やむを得ず前記場所に設けたのである。もし、被控訴会社の発着所附近に設けることができたとすれば、湖尻終点でバスを降りた観光客は、各自の好むところに従つて、どちらかの船を自由に選んで乗船することを期待し得たであろうから、控訴会社のバスの延長運転の如きは、もとよりその必要を生じなかつたであろう。

されば、たとえ延長運転が好ましいからぬ行為であつて、競争の行過ぎであると認められるとしても、一概に控訴会社を非難することは、決して当を得たものではない。

(3)、事業計画書に控訴会社のバスの終点が湖尻と記載されているからといつて、これの違反が直ちに控訴会社の本件協定違反(被控訴会社に対する債務不履行)の責任を生ずるものでないことは、運転回数の不遵守の場合に関する前掲(一)の(2)におけると同一である。

(4)、観光船サービス・カーを運転したのは、乗船客確保のための余儀ない手段であつた。両社の船の発着所が前記のような不利益な位置にあつて、放つておけば観光船会社の船に乗る客も多くを期待されないことが明かだとすれば、幾分でも多く乗客を確保するためには、多少の出費を覚悟の上で無料で客を自社の発着所まで運ぶ位のサービスをせざるを得ないのは当然だし、そうしたからといつて第三者から非難されるいわれは全くない。ましてや、サービス・カーの運転は、観光船会社の行為であつて控訴会社の行為ではなく、仮りに控訴会社がこれに協力した事実があつたとしても、控訴会社が被控訴会社に対し、湖尻まで運んだバス客を全部被控訴会社の乗船客として提供する趣旨の特約もないこと前記の通りである以上、被控訴会社に対し債務不履行の責任を負う道理はないのである。

(三)、契約金の不払

被控訴人が控訴会社の不払を主張する契約金とは、恐らく、被控訴会社経営の一般自動車道たる早雲山線道路の使用料をいうものと解されるが、右使用料は全部支払済である。これ以上の答弁は、被控訴人の主張が甚だしく明確を欠くため不可能である。

以上のように、いわゆる控訴会社の協定違反行為は、その事実がなく、仮りに一部その事実があつても、それらは極めて軽微な事項に過ぎないか、又は被控訴会社自らこれに原因を与えているものであるから、これを以て本件協定解除の事由とすることはできない。

一般に契約当事者の一方に契約条項の違反があつても、相手方は常に必ずしもこれを事由として契約を解除できるわけではなく、例えばその違反の程度が極めて軽微であるか、又は相手方自身にも同様な違反行為が認められる等の場合には、相手方は解除権を取得し得ないか、又はたとえ取得してもこれを行使することが権利濫用として許されないことは、信義則の適用上いうまでもないところである。そしてこのことは、賃貸借のような継続的契約において、特に然りであつて、周知の如く、近時の判例通説が民法第六一二条第二項による賃貸借の解除を制限するに至つたのも、賃貸借が継続的契約であることにかんがみ、高度に信義則を適用すべきことを理由とするものに外ならないのである。ところで、本件協定は、本件当事者間に一の継続的契約関係を設定したものであるから、たとえ控訴会社に軽微な協定条項の違反があつても、また仮りに控訴会社の協定条項の違反が軽微とはいえないとしても、或いは被控訴会社自らこれに原因を与え、或いは被控訴会社にも同様な違反行為があつた以上、被控訴会社がこれを理由として本件協定を解除できないことは、疑いをいれない。

三、被控訴人は、そのいわゆる協定違反を理由とする解除の主張を尤もらしく見せるために、次の如くいう。すなわち①控訴会社は本件協定の成立及び実施の各過程において、営利のために手段を選ばず、官憲と結託して悪質な協定違反法令違反を重ねた。②これに反して被控訴会社はきわめて善良、公正かつ紳士的でさえあつた。そして官憲の横暴と控訴会社の無法とに泣きながら、ひたすら隠忍自重して来たが、控訴会社が少しもその態度を改めないので、ついにやむを得ず本件協定を廃棄した。③したがつて本件協定の廃棄は正当の理由があり、適法かつ有効であるという。しかし、かくの如きは事実をしいることの甚だしきものである。営利のために手段を選ばずとは、むしろ被控訴会社の身上であつて、これを証すべき幾多の事例が存する。被控訴会社と宿命的競争関係に立たされている控訴会社が、いかにこれに対抗し自らの生存を維持すべきかに日夜腐心して来たことは、多くの説明をまたないのである。

それゆえ、控訴会社の従来の行動には、多少の批判さるべきもの(違法ではないにせよ)も或いは絶無ではなかつたかも知れない。しかし、それらは被控訴会社の不当な競争行為によつて誘発されたやむを得ない自衛手段であり、むしろその間における被控訴会社の行動にこそ、より強く非難されるべき多くのものがあつたのである。かような実情の下において、独り控訴会社の行動のみを声を大にして難詰し、これを理由として本件協定を破棄することを被控訴会社に許すことは、断じて、信義と衡平とに合致する所以ではない。

(乙)被控訴人の主張

第一、

一、控訴人被控訴人間の本件乗入協定の概要は次の通りである。すなわち

(一) 被控訴会社は、控訴会社が被控訴会社の免許略線中、小涌谷―早雲山駅―湖尻間九・六粁に、控訴会社の車輛を乗入れ、一般乗合旅客自動車運送事業を営むことを承認する。

(二) 前条乗入運転区間の運送料金は、被控訴会社が普通運賃率に山間及び道路使用料金の割増を加算して認可を受けた運賃料金と同額とする。

(三) 控訴会社は、乗入運転区間の停留所の位置について、被控訴会社と協議の上決定する。

(四) 乗入運転区間に対する控訴会社の車輛運行に要する経費はすべて控訴会社の負担とする。

(五) 乗入運転区間における控訴会社の車輛による運賃料金収入は、控訴会社の取得とする。

(六) 本協定の実施に必要な事項は、被控訴会社控訴会社協議の上別途にこれを定める。

(七) 本協定の効力発生期日は、控訴会社経営の強羅、早雲山駅間の鋼索鉄道の営業の開始を実施した日とする。

(八) 本協定の有効期間は効力発生の日から一ケ年とし、期間満了の一ケ月前までに、被控訴会社、控訴会社の一方から何等の意思表示をしないときは、更に一ケ年間継続するものとし、その後はこの例による。(協定第一〇条)

(九) 運転区間及び運転回数は、夏期(四月一日一―一月一五日)小涌谷―湖尻間一日二往復、早雲山駅―湖尻間一日八往復、冬期(一一月一六日―三月三一日)は小涌谷―湖尻間一日一往復、早雲山駅―湖尻間一日四往復とする。

(一〇) 終点は湖尻という地点で、そこは地番まで表示して特定されて被控訴会社所有の一般自動車道の終点、換言すれば、被控訴会社湖尻営業所の地点であり、この地点が被控訴会社既免許路線の終点であつて、同所から更に延長して運転することは許されない。

なお、乗入協定と同時に、右(八)の約定に関連し、控訴会社との間に、もし、当事者間に債務不履行等の不信行為があった場合には、その相手方は、何ら催告を要せず、解約し得る旨の口頭による合意をもたらしたのである。

二、本件協定締結の経緯につき、次の如く事実を補充訂正する。

(一) 原判決第一四枚裏第八行目「提案したところ」から同第一一行目「承認していたが」までを削り、その代りに「提案した。これに対し、牛島自動車局長は右(ロ)の小田原線の制限解除は純然たる行政事項だから協定に際し云々すべきではない。(ホ)の道路買上げの点は建設省の所管でどうなるか判らないが努力しようと述べ(実際は後に反対していた)、更に協定内容となる(イ)(ハ)(ニ)の点、すなわち、被控訴会社の自動車専用道路業者としての権益ならびに財産権の主張ないし協定効力期間の一ケ年はよろしいと承認し、とくに、磯崎課長の公約中にあつた期間を一ケ年とする点は当時充分これを承認しており」を加える。

(二) 協定書の成案を得るまでの経過(原判決第一六枚表第一一行目から第一七枚表第一四行目までに記載の事実)を詳述すれば次の通りである。

本件協定の第一原案から第六原案に至るまでの間各原案条項がいかに加除修正されるに至つたかを、乙第五四号証の一ないし六によつて通観するに、その協定前文から本文各条にわたる殆んどすべての条項は、ことごとく当時綿密周到な注意を払つた跡をとどめている。以下その経過を述べる。

(A) 協定前文について、

第一に、協定の前文に大幅の修正がなされている。第一原案(乙第五四号証の一)及び第二原案(同号証の二)では、きわめて簡単な前文が記載されているにすぎなかつたが、第三原案(同号証の三)になると、次の三点に関する増文がなされている。すなわち、

(イ) 前文の前段中、徒来の案では、単に小涌谷と湖尻とされていたものを、これに地番を附して、乗入区間の両端を明確に特定指示したこと。

(ロ) 乗入区間の粁程を表示したこと。

(ハ) 従来の案では、たんに「乙の乗入に付て」とあつたものを、「乙の一般乗合旅客自動車運送事業経営について」改めたこと。

さらに、第四原案(同号証の四)では第三原案を左の三点で改めている。

(イ) 「九六粁に対する」とあつたのを「九、六粁に対し」とした。

(ロ) 「乙の一般乗合旅客自動車運送事業経営」とあつたのを「乙の車輛を乗入れ一般乗合旅客自動車運送事業を経営する」云々とした。

(ハ) 「小涌谷(・・・)より」とあつたのを「小涌谷(・・・)から」に訂正した。

以上のように、協定前文末段の修正された主な理由は、乗入方式に関する定形を明確化したものである。なお、前文の前段中、地名表示に所番地を附したのは、控訴会社の本件乗入路線における起点、終点の所在を厳密に特定表示し、殊にはその終点湖尻を被控訴会社の船舶発着所前である被控訴会社定期バス終点と同一地点とする旨を明確ならしめるためのものであつたのである。

(B) 本文第一条について、

第一ないし第三原案には何らの変更がないが、第四原案において、左の三点に関する修正がなされている。すなわち、

(イ) 従来、冒頭に、「甲は乙がその車輛」云々とあつたのを「甲は乙が甲の免許路線中」云々とした。

(ロ) 中段において、「小涌谷―早雲山―湖尻間」とあつたのを、「小涌谷―早雲山駅―大涌谷―湖尻間」とした。

(ハ) 末段に「乗入れ運転を行う」云々とあつたのを、「乗入れ一般乗合旅客自動車運送事業の経営を行う。」と訂正した。

(C) 本文第二条について、

第一及び第二原案には変化がないが、第三原案になると、従来の「甲の認可運賃料金と同額とし」云々とあつたのを、「甲が普通運賃率に山間及び道路使用料金等の割増を加算して認可を受けたる運賃と同額とする。」というふうに、全文的修正を加えている。さらに、第四ないし第六原案では、右第三原案求文に「運賃と同額とする。」とあつたのを「運賃料金と同額とする。」に改めている。

(D) 本文第三条ないし第七条について、

第三条ないし第七条についても、その各条毎に多かれ、少かれ必ず何らかの修正もしくは技術的用語の訂正を加えている。かくして、毎次原案が一字一句の用い方についても、用意周到な検討を経た事実は争うべくもなく、かつ、その背後には、各関係当事者の慎重に事を処理した姿を回想せしめるものが少くない。

(E) 本文第八条について、

第八条は、法律命令又はこれに基く監督官庁の指示等によつて、本協定又はそれに附随する覚書事項の全部又は一部が無効に帰し、もしくはその条項の変更を余儀なくされる場合があつても、それを原因として、相互に損害賠償その他何らの要求をすることができないとする一種の免責約款であるが、第一原案では、その前段に「法律命令或いは監督官庁の指示により」云々とあつたのを、第二原案では「法律、命令或は監督官庁の指示等により」云々と改め、さらに、第三原案では、「法律、命令に基く監督官庁の指示等により」云々とし、更に第四原案では「法律、命令又は之を基く監督官庁」云々と改めた。けだし、第一及び第二原案の如くであれば、監督官庁は、法律命令に基くことなく、単独の処分によつて事を非民主的に取扱いうるかの如き危惧の念を抱かしめるものであり、第三原案の如くであれば、法律命令の規定それ自体は独立の免責事項として意義を失い、法律命令に基く監督官庁の指示のみが免責事項となる惧がある。

なお、又第一原案では、第八条前段に「本協定に附随する覚書事項」云々とあつたのを、第二原案では「本協定又は本協定に附随する云々」に改め、第四原案では「本協定乃至本協定に附随する」云々と改め、さらに第八条中段において、第一ないし第三原案において「余儀なくする場合」云々とあつたのを、第四原案では「余儀なくされる場合」云々と改めている。

(F) 本文第九条について、

第一ないし第三原案においては、「本協定の効力は法定手続を経て乗入れ運転を実施した日より発生する。」とあつたのを、第四原案に至つて、「本協定の効力発生期日は、強羅駅―早雲山駅間鋼索鉄道の営業開始を実施した日とする。但し、その日までに本協定に対する主務大臣の認可がなかつたときは、その認可のあつた日とする。」と修正を加えている。

(G) 本文第一〇条について、

(イ) 本文第一〇条の原案修正は、本件協定の有効期間の限定を主題とするもので、その一点は、協定の効力発生の日から一ケ年と定めることにつき、もう一点は爾後更新された場合において、更に一ケ年継続すると定めることについて、その正確を期するため、「満」一ケ年と表示するかどうかの検討の跡を示すものである。「満」を入れるべきであるというのは控訴会社側からの強い要請であつたのに対し、必ずしもそこまで神経質の表示をなすに及ばない、一年と定めれば法律上満一ケ年であるというのが、被控訴会社側の意見であつたのである。運輸省関係官の側においても結局被控訴会社の意見を容れて、「満」の字は不要であるとの注意があり、控訴会社側もついに了承したので、現に見る如き協定正文となつたものである。すなわち、第一ないし第三原案において、本条前段に「効力発生の日から一ケ年」とあつたのを第四原案で一旦「満」の字を挿入したがこの挿入字を抹消したのは、右経緯によるものである。なお、第一ないし第三原案において本条末段に「更に満一ケ年」とあつたのを第四原案で「満」の字を抹消して「更に一ケ年」としたのも、右と同一の経緯によるものである。そして、爾後第五原案、第六原案では本条前段及び末段の「一ケ年」とも「満」の字は除かれている。

(ロ) 本条について、第一原案では、「意志表示を為さざるとき」云々とあったのを、第二原案では「・・・為さないとき」に改め、第三原案では「・・・為さない時は」云々と改めた。

(ハ) 協定正文との対照では、第一ないし第六原案がすべて本条の結びを「・・・による」としていたものを、正文では「・・・に依る」とした点を除けば、前記修正の結果を受容している。

(ニ) 本条修正の重点は、前記のように、有効期間の表示に「満」をもってするかどうかにかかつており、しかもそのことは、終始、控訴会社側の深い関心と強い要請に基因するもので、この一事よりして、控訴会社が本件協定第一〇条の本旨がその表示通りのもので、「一ケ月前迄に甲乙の一方より何等の意志表示を為さない時」にのみ、更に一ケ年間継続し得るに過ぎないことを十二分に意識し、その有効期間の算定に一日をも喪うところのないよう努めて警戒した心意のほどを遺憾なく表明しつくしているのである。

(ホ) そもそも、本件協定の期間に間する事項は、昭和一五年四月三日の協議以前磯崎課長から先ず期間一年ということを提案され、被控訴会社はそれによつて一方乗入に応ずることを承諾し、控訴会社においてもそれを了承して四月三日以降の日通会館の協議が開始されるに至つたことは、前にも述べた通りである。四月三日の日通会館での協議第一日においても、その点は両会社間に合意され、翌四日運輸省関係官から全国における一方乗入の方式に関する資料が説明され、乗入期間の点に言及された際も期間に関することが話題になり、控訴会社は期間を二年か三年にして貰いたいという希望をもしたのであるが、被控訴会社は、期間一年は双方了承した不動のものであるから、それは当初からの約束と違うといつて、控訴会社の希望をしりぞけ、期間は一年とすること、その後は何れか一方から反対の意思表示のない限り更新されるという定めをなすべき旨合意されるに至り、第一原案の作成を見るに至つたのであるが、その後第一ないし第六原案について、前記のような検討がなされたものである。

(ヘ) 従つて、本条の定めが、東京都及びその周辺で行われていたものを敷写しに表示した例文規定に過ぎないとか、或いは、本条の約定について、何等の協議ないし検討も行われなかつたとする控訴人の主張は事実に反するものである。

右協定第一〇条の定めは、かくも慎重に、全国の事例を調査分析した結果に基き(乙第五四号証の一ないし六ならびに第五六号証の一ないし三参照)、当事者会社関係者の充分な認識と検討と協議を経て文字通りの合意に達したものである。

三、本件協定と事業計画との関係について、

本件協定とその事業計画とは、不可分一体のものであつて、事業計画は協定の内容となつているものである。すなわち、本件協定は、その大綱を協定書によつて規定し、具体的事項の大要を協定書附属の覚書によつて規定し、更に具体的事項の詳細を事業計画書によつて規定したのである。事業計画に掲げるべき事項は道路運送法施行規則第六条によつて定められているが、定期バス業者が乗入協定をするに際し、事業計画に掲げるべき事項の内、最も重点とするところは、乗入区間、運行系統、運行回数、運行時刻、停留所の位置、車輛の種別等であつて、本件協定においても、これらの事項について十分検討協議されたことは、既に述べた通りである。そして、右の内運行時刻は別であるが、その他の事項については、協定書ならびに覚書によつて明記され、事業計画の内、軽微というか、余りに明白な事項、例えば主たる事務所及び営業所の名称位置等の事項については、協定書ならびに覚書には明記せず事業計画(書)に譲つたのである。

なお、運行系統については、本件協定の主眼が一方的に、すなわち、控訴会社の定期バスを早雲山駅―湖尻に乗入れさせるということであつたので、それに重点を置き、小涌谷―早雲山駅間は、控訴会社の車両を早雲山駅に廻送する便宜のためであり、更に控訴会社の車庫が箱根宮の下にあつた関係上、右宮の下から早雲山駅までの自動車廻送用に空車のまま走らせるのも無意味のことだというので、営業化し、朝の始発用と夕方の車庫への入庫用に限つて運行系統を宮の下まで延長することを認容し、早雲山駅―湖尻という主たる運行系統の外、宮の下湖尻という運行系統も設定されたもので、以上の点は、協定書、覚書、事業計画によつて明瞭なことである。

以上の次第で、本件協定の詳細は、協定書、覚書及び事業計画から成つており、その変更は、控訴会社被控訴会社の合意がなければできないことである。さればこそ、昭和二八年九月二一日控訴会社は、昭和二五年四月一五日附運輸協定に基く覚書第二項の事業計画中のバス発着時刻及び運行最小時分を変更せんとして、事業計画改訂書に、被控訴会社の同意を求めて来たのであり、その実施のための運輸協定一部変更認可申請書に被控訴会社の連署の捺印を求めて来たのである。

しかるに、その後控訴会社は協定に背き、湖尻―桃源台間の延長運転を企図し、被控訴会社の同意がないのにかかわらず、早雲山駅―湖尻間の運行系統を桃源台まで延長すべく事業計画変更認可申請をしようとしたが、被控訴会社の同意がないため、その目的を達しられなかつたという事実がある。

四  本件協定には、控訴会社の定期バスは、湖尻を越えて他に延長運転してはならないという契約が含まれていることについて、

定期バス業者間の乗入協定において、その終点を定める場合においては、相手方の同意がない限り、その終点を越えて他の地点には運行しないという前提のもとに、終点という表現がなされるものである。故に、本件のように、終点を湖尻、正確にいえば箱根町旧札場一一〇番の三四地先と明記してあるのであるから、その地点を越えて、他の地点にまで運行してはならないという契約をしているものである。従つて、控訴会社の定期バスは、右終点において、乗客全部を下車させて終点の取扱いをし、その上で復路の運行を開始すべきものであつたのである。

五  事業計画不遵守の悪結果について、

本件のように、同一路線に控訴会社と被控訴会社との二つの定期バスが運行している場合に、控訴会社が、既に述べたような、発着時刻はもちろん、所定回数どおりに運行しないと、箱根観光に来た客その他バス乗客は、待ち呆けをくわされたり、まごつかされたりして観光予定を狂わされること甚だしく、その結果は、同路線全体が信用できないものと一般観光客に思わせ、その信用の失墜は甚大なものがある。そのようにして、バス乗客の不満は高まり、定期バスの乗客の数は減少することとなり、被控訴会社は、有形無形の損失を受け、収入減は莫大となるのである。これらの損失収入減は全て控訴会社の事業計画違反に起因するものである。控訴人は、自分の方のバスが運休しても、その乗客の殆んどが被控訴会社バスを利用するから、収入減などはなく、却つて利益になると主張するものの如くであるが、これは定期バス本来の事業計画や乗客の気持を知らない不当な主張である。

六  契約不履行と契約解除の関係について、

被控訴会社は、昭和三一年三月一〇日、同月一三日の各内容証明郵便を以て、同年六月三〇日限り、本件協定を廃棄したのであるが、右内容証明郵便による通告は、協定第一〇条に基くものであるとともに、本件協定違反による廃棄通告と、民法第五四一条による廃棄通告とを包含するものであつて、何れの点からも、本件協定は、同年六月三〇日限り廃棄解約されたものである。

乗入協定は、相互乗入たると一方乗入たるとを問わず、相互の信頼関係に基いて締結されるものであり、乗入区間、運行回数、運行系統は最も重要視されるところであつて、乗入運輸協定ならびにそれに基く事業計画書は、当事者の連署を以て運輸大臣に申請してその認可を受けることを要することになつているものである。そして、爾後の事業計画の変更も、当事者の合意に基かねばならない。乗入会社が独断で乗入協定に基く運行系統の終点を変更し延長ないし縮少することは、絶対に許されないことで、これに違反した場合は、交通秩序の破壊者として、乗入協定を解約されるべきは当然である。運行回数遵守義務についても右と同様である。道路運送法上、これらの行為が処罰規定を設けて監督されることになっているのも、交通秩序維持のためである。

控訴会社は、右のような当然のことを弁えず、既に述べたように、運行回数を守らず、かつ、協定の終点湖尻を越えて四七〇米先にある控訴会社姉妹会社の船舶会社発着所前まで不法運転をし、被控訴会社の告訴による係検事の注意ないし、不法運転禁止の仮処分等で路線外運転ができなくなると協定通りの終点取扱の措置も僅かの期間で、脱法的にサービス・カーなるバスを姉妹会社をして使用せしめ悪辣な方法で同一目的を達成し、被控訴会社の業務を妨害するという方法に出たもので、控訴会社の如き悪質な協定違反は全国にもその例を見ないのである。

のみならず、控訴会社は、本件協定によつて、一方乗入という恩恵を受けておりながら、被控訴会社の苦心建設にかかる被控訴会社私有民営の小涌谷―湖尻間の本件自動車道において、しかも、それが被控訴会社の免許路線でもあるのに、被控訴会社には何らの了解もなく、バス事業の免許を申請するという背信的行為にも出たのである。

被控訴会社は、以上のような悪質な協定違反や信義則無視の行為をする控訴会社とは到底本件協定を継続することができないので、協定第一〇条に基いて、前記のように協定を廃棄したものである。

なお、被控訴会社は、控訴会社の債務不履行に対しては、その履行を催告した。すなわち、控訴会社は、昭和三〇年六月以降同三一年一月までに六五八回の不履行をし、そのために、昭和三一年一月頃被控訴会社の代理人中島忠三郎は、口頭で、期間は別に定めなかつたが、即刻契約通り運行して貰いたい旨催告したのに、控訴会社は、依然として違反状態を継続し、昭和三一年二月には、運行すべき回数が二九〇回であるところ、履行回数は二一一回であり、三月は三一〇回のところを二五八回という状況であつたので、その後民法上の相当期間を徒過したので、正式に内容証明郵便により解除したものであるから、債務不履行に基く解除としても、充分、法定の要件を具備しているものである。

第二、控訴人の主張に対する主張

一、被控訴人の主張はすべて否認するものであるが、以下に反論を述べる。

二、本件協定そのものは私契約であることはいうまでもないから、当事者が、契約締結に当つて、契約の存続期間ないし、契約終了の方法を定めることは当然である。そして、協定第一〇条のような当事者の一方に更新拒絶権すなわち解約権を留保した条項を設けた場合、これを行使し得ることは当然で、また、協定当事者の一方に債務不履行がある場合に、相手方が、民法第五四一条によつて、解除し得ることも当然である。乗入運輸協定は、一般乗客の利便に資する為に認められた制度であるという観点から、更新拒絶権ないし解約権の行使は、慎重であらねばならないことは当然で、被控訴会社においてもこれを充分に認識していたればこそ、事態の円満解決を図るために、忍び難きを忍んで監督官庁に対して協定履行の監督是正方を幾度となく上申し、併せて控訴会社に対しても、協定の履行方を請求したのに、協定は履行されなかつたのである。

本件協定の結締に当つて、控訴会社へ偏向の行政を行つた牛島自動車局長、磯崎監理課長は退官後間もなく控訴会社と同系統の会社に就職している事実もある。かくの如き事実を無視し、かつ、被控訴人が前段でも指摘した幾多の協定違反行為を繰返している控訴会社が、被控訴人の主張をもつて、民法第一条に違反していると主張するが如きは、不当も甚だしいものといわなければならない。

三  控訴人の、協定第一〇条は民法第九三条但書に該当して無効であるとの抗弁もまた不当である。控訴会社の自動車関係に明るい幹部三名が出席し、しかも監督官庁の係官多数の指導を受けつつ協議し、その原案を会社重役会で十分検討の上決定し、以て代表者が署名押印し協定した条項を、「その真意に非ざることを知りて」なした意思表示であるから無効であるというが如き控訴人の主張は、不当も甚しいものであるばかりでなく、相手方たる被控訴会社において、「表意者の真意を知り又はこれを知り又はこれを知り得べかりし」ものであつたというが如き事情は全く存在しない。このことは既に述べた本件協定成立の経緯に照らしても明かである。協定第一〇条の案文につき「満」の字を加除した理由は、単に用語の統一を図つただけのものではない。

乗入協定における期間の定めは、その協定につき、運輸大臣の認可を受けるために必要不可欠の事項であることは前にも述べた。されば、本件協定書の作成に当つても、運輸省の係官も当事者両会社の代表も、これを必要と信じ十分に吟味の上これを協定したものである。

四、控訴人は協定第一〇条の合意が、控訴会社の真意に出たものではなかつたことを知り得る事実として、本件協定が、早雲山線の営業免許の代りに締結されたものであると主張しているが、これまた不当な主張である。

営業免許は、運輸省の専管事項で、かつ、運輸省の慣行上、利害関係会社の反対のある定期バスの免許申請事案は、申請後一年半ないし二年を経過しなければ免許の可否が決まらないのであり、控訴会社の早雲山線の免許は、本件協定当時は、申請直後のことであるから、通常の事態から考える限り、免許になるかならないかは不明であるわけである。しかも、早雲山線、すなわち、小涌谷―湖尻間の道路は、被控訴会社の建設経営にかかる一般自動車道であつて、公道における定期バス路線の免許と同様に解することはできないものである。公道においてすら、他社が定期バスを営業している場合、その営業路線に重ねて別会社が免許を得るには余程の合理性と必要性とがなければ免許されないのであるから、被控訴会社の建設経営にかかる一般自動車道に対して、本件協定締結の直前である昭和二五年三月一三日に右早雲山線の免許を申請し、翌四月三日から協定締結の折衝をするに際して、本件協定が早雲山線の営業免許の代りに締結されたものであるというが如きは、到底あり得ないことである。

なお、控訴人は、控訴会社の早雲山線に対する免許申請は、当時諸般の情勢から、免許される公算が大であつたと主張するが、これまた独断に過ぎない。それは次の事実によつても明らかである。すなわち、控訴会社は、昭和二七年七月二九日重ねて早雲山線の定期バス路線免許を申請したが、五年余に亘る審理の結果、昭和三二年六月末頃運輸審議会から右申請は却下すべきであるとの答申がなされ、その答申にもとづき、運輸大臣が却下しようとしたところ、同年七月上旬、控訴会社は、右事情を察知して申請を取下げたのである。このように、昭和二五年頃よりも状勢のよくなつた昭和二七年七月の申請すら免許にならなかつたことから見て、昭和二五年四月頃において、右免許の公算が大であつたということはできないことである。

五  控訴会社の真意は、協定第一〇条の文言にもかかわらず、本件協定を無期限とするにあつたということを、被控訴会社が知り又は知り得べかりしものであつたことの状況として控訴人が主張する各事実については、次の如く反論する。

(イ) 相当の権利金を支払うこと云々の点。本件協定交渉の当初、控訴会社は被控訴会社に対し、相当の権利金を支払うべきであるということが運輸省自動車局監理課長から提案されて話題になつた事実はあるが、その後物価庁係官の、権利金は許されるべきでないとの指示によつて、何の折衝もなされなかつたのである。

一方乗入に当り、路線権を有する業者が、乗入をする業者から権利金を受領するとか、何らかの反対給付を受けることは通例のことで、業者は、家屋や部屋の賃貸借契約の場合と同様に考えるのを通例とし、一年期間の間借契約に権利金が伴うことが世上多くあるのと何ら差異がないものと思料されているものである。しかし、本件協定締結に際し、権利金のことは、一寸話題に出たが、当時統制の厳しい時であり、かつ、公務員が関与して締結する協定に権利金の如きものはよろしくないということで、すぐ取止めになつたものであり、かつ、被控訴会社は、当初から権利金の主張などはしなかつたのである。

(ロ) 早雲山線の道路が、災害等のため破損したときは、控訴会社はその復旧に協力するという申合せのあつたことは事実である。しかし、これも期限の定めとは関係のないことである。道路が破損して営業ができなかつたからといつて、控訴会社から損害賠償の請求をされては困るので、右のような申合せをしたに過ぎない。

(ハ) 控訴人は、被控訴会社に対する小田原線免許に附された制限の解除に反対しないことという条項を引用してその主張を理由づけようとしている。しかし、この申合せのできた事情は、被控訴会社としては、控訴会社が業者間の競争をフェアプレイによつてせず、社長が運輸省出身のためか、運輸省係官に請託して偏向行政をなさしめ、すなわち、控訴会社に有利なようになさしめていたと思料していたので、控訴会社の不正な反対を避けるために、このような申合わせをしたものである。

右小田原線は国道一号線であり、交通上重要路線でありながら、控訴会社の該路線における営業は不熱心で、回数も少いため需要供給のバランスがとれず、一般大衆の不便目に余るものがあり、地元の要望が切実であつたので、被控訴会社は、右路線の免訴申請をなしたところ、運輸審議会(当時道路運送審議会という。)の免許可の答申に対し当時の運輸省係官は十五粁余の区間無停車という制限(いずれ解除するという内示はあつた。)を付したので、被控訴会社は、その非常識を責めその解除方を上申していたのである。本件協定に際し、控訴会社に対し、バス事業競争の関係上制限解除に反対してもよい、しかし、不正な方法すなわち悪らつな請託方法によつて制限解除に反対しないで貰いたいということを申出で、当事者間で、それは当然のことである、制限の解除は運輸省に任せる。という申合せをしたに過ぎず、控訴人主張のように控訴会社が制限の解除に反対しないなどという約束は、被控訴会社控訴会社間にははなされていないのである。

(ニ) 控訴人は、本件協定締結に際し、被控訴会社が運輸省係官に対し、小田原線制限解除ならびに被控訴会社の伊豆半島における定期バス事業の免許申請につき十分考慮されたいという条件を呈示し、その受諾を迫つたと主張しているが、この点は牛島局長等から、協定締結方を迫られた際、その点にふれ、控訴会社偏向でなく、公平な行政と妥当な所為を求める趣旨で述べたに過ぎないものである。又、日通会館の会合中被控訴会社側から磯崎課長に対し「小田原線についての制限は、随分ひどい制限ですね、地元民は箱根登山のバスは満員で乗切れないのに駿豆すなわち伊豆箱根のバスはお客が十分乗れるのに停らないで行つてしまうのは非常に不便だといつており、その事情を知つている者は運輸省を批判しており、知らない者は不思議がつていますよ、あまり箱根登山偏向の行政をしないで公平にやつて下さい。制限解除は当然でしよう。」という趣旨のことをいつたことはある。しかし、それも運輸省の行政事項故、ここで云々すべきではないと断られた次第であり、従つて、協定の際控訴人主張のような事は採り上げられなかつたのである。

(ホ) 本件協定に際し、箱根観光船株式会社の競争行為を抑制すること、ならびに早雲山線の道路を国において買上げるよう当局が努力することの条件を被控訴会社が出したという事実もない。

本件協定締結当時被控訴会社としては、箱根芦の湖上で定期航路事業を経営したのは、自社だけと信じており、控訴会社の姉妹会社に箱根観光船株式会社があるなどということは全く知らず、僅かに知り得たことは、木材運搬用としての会社が発足しかけているという程度に過ぎなかつたのであり、そのことは、箱根観光船株式会社が同年八月一日以降運行開始したことからも明瞭に知られるであろう。又本件協定に際し、運輸省係官から、本件協定締結の上は、控訴会社バスにより乗客の大部分も被控訴会社船舶に乗船し、その船賃収入毎月三〇万円余が挙げられるのであるから、あまり協定に反対しないでもよいではないかという話すら出た程である。

(ヘ) 道路の国家買上げの点も同様で、日通会館における本件協定に際し、被控訴会社は、運輸省係官に対し、道路買上につき、その努力を要請した事は全然ない。被控訴会社がその要請をしたのは、協定折衝の際ではなく、昭和二五年三月中牛島局長磯崎課長から乗入協定締結方を迫られた際であり、しかもそれは、乗入協定が不法不当なので、拒む手段として述べたのに過ぎないのであつて、被控訴会社が本件乗入協定の反対給付として要請したということは全くない。

六、控訴人は、被控訴会社のした更新拒絶が協定実施から六年目であることについて云々しているが、これまた理由がない。

控訴会社には、悪質極りない債務不履行があつたのであるから、交通業者としての使命を考えることなく、会社の利益本位のみの考方からすれば、もつと早く更新拒絶ないし解約の挙に出るべきであつたろう。しかし、被控訴会社は、重ね重ねの注意や反省を求めることによつて、控訴会社が交通業者としての使命を自覚するであろうと思つているうちに遷延日を過すに至つたのである。控訴会社に協定違反があつたのにかかわらず、被控訴会社の切実に望んでいたことは、公正な競争は為しつつも、各々交通業者たることを自覚し、国際観光地たる箱根の交通使命を達成したかつたのである。

ここで一言すべきは、「乗入運輸協定認可処分無効確認の訴」のことである。被控訴会社が該訴訟を起したのは、一に控訴会社のためにする運輸省係官の偏向行政につき、反省と矯正を求めようとしたことに存するのである。従つて、右の訴の提起と、協定を何時終了せしめるべきかということは別問題であつたのである。

第三、控訴人は、被控訴人の、控訴会社に協定違反行為があつたとする主張に対し、種々反論しているがいずれも理由がない。

一、控訴人は、本件協定には、運行回数の定めはなく、協定書附属の書覚に定めた夏期一〇往復、冬期五往復の定めは、最高限度を定めたに過ぎず、覚書の回数を事業計画に記載したが、事業計画は控訴会社の事業計画でその違反は協定違反にはならないと主張するが、この主張は、定期バス業者の常識をわきまえない暴論である。本件協定において、運行回数が最大限を定めたものではなく、確定したのであることは文言上からも、条理上からも明確なことである。又乗入協定における事業計画の内容事項を協定しないというようなことは、業者間においてあり得ないことである。本件協定は、協定書、同附属覚書ならびに事業計画が一連の関連性をもち、一体として約束づけられたもの、すなわち協定されたものである。本件事業計画には明瞭に回数を一〇往復(冬期五往復)とし、発着時刻表まで明示されている次第であつて、覚書の回数も事業計画のそれと同じく確定した回数を定めたものである。控訴人の主張は、覚書中の「限度」なる文字を曲解するものである。右「限度」という文字は、限定された度数すなわち限り定められた度数、換言すれば確定された度数を協定したものであつて、一般業者間においては何ら議論のない事柄である。更に事業計画そのものは、協定当事者間の特約によつて成立したものである。さればこそ、協定書も事業計画書も、協定当事者の連署を以てなされ、その認可を受けることになつているもので、事業計画を以て、協定と分離した独立のものと解すべきではない。これを独立したものと解することは、道路運送法の規定にも反し、当事者の意思にも適合しない。

右の次第で、「事業計画違反はあつても協定違反はない。」との控訴人の主張は不当である。

二、控訴人は、控訴会社が運行回数を守らなかつたこと、すなわち一部の運転を取止めたことは、被控訴会社の妨害等により、控訴会社のバス乗客が少く、甚だしく採算がとれなかつたからであると述べているが、被控訴会社が控訴会社のバス運行を妨害したことはもちろん、訴訟提起前には、控訴会社からも、そうゆうことを聞かなかつたのである。却つて、本件協定の最も重要な停留所が、控訴会社の鋼索鉄道の終点早雲山駅構内にあつたという一事によつても、右控訴人主張の如き事実のあり得なかつたことを看取し得るものと思料する。

三、控訴会社バスの湖尻における無停車、桃源台までのいわゆる路線外運転及び湖尻―桃源台間のサービスカーの運転の不当なる所以は、前に述べたが、控訴会社のこれらの行為が不当であることは、その協定違反すなわち道路運送法違反の所為が、起訴にまで進展したことに徴して明かであると思料する。

四、控訴人は、発着時刻不遵守の事実はないと主張するがそれは虚構の主張である。

五、控訴人は契約金不払の事実はないと主張するが、使用料全部が支払済であるという事実は否認する。

疎明関係(省略)

理由

一、控訴会社が箱根地帯を中心として鉄道及び自動車による旅客運送事業を経営する会社で、被控訴会社が箱根及び伊豆地帯で、鉄道、軌道、自動車及び船舶による旅客運送事業を経営する会社であること、原判決添付図面に赤線で表示する延長九.六粁の一般自動車道(以下本件自動車道又は本件路線という。)は被控訴会社の経営するものであつて、かつ、同会社は、従前から、右路線において、一般乗合旅客自動車運送事業(以下バス事業という。)の免許を受けてこれを経営していたこと、昭和二五年四月一五日、控訴会社と被控訴会社との間に、控訴会社が本件自動車道において、その車輛を乗入れ、自己の計算においてバス事業を経営することを被控訴会社が許容する旨の一般乗合旅客自動車運送事業運輸乗入協定、すなわち、いわゆる一方乗入協定(以下本件協定という。)を締結したこと。右協定は、所定の手続を経て、同年六月二七日運輸大臣の認可を受け、同年七月一日からその効力を発生し、爾来控訴会社は、本件自動車道に一般乗合旅客自動車(以下バスという。)を乗入れ運転してバス事業を経営して来たこと、以上はいずれも当事者間に争いがない。そうだとすれば、本件協定がなお存続する限り、控訴会社は、本件自動車道において、本件協定に基き、運輸大臣から認可を受けた事業計画に定めたところに従つて、バスを乗入れ運転する権利を有し、被控訴会社は、これを妨害してはならない義務を有するものといわなければならない。

しかるに、本件協定には、その第一〇条として、「本協定の有効期間は、効力発生の日から一ヶ年とし、期間満了一ヶ月前までに、当事者の一方から何等の意思表示を為さない時は、更に一ヶ年継続するものとし、その後はこの例による。」との条項があること、被控訴会社は、昭和三一年三月一〇日内容証明郵便を以て控訴会社に対し、右本件協定第一〇条(以下協定第一〇条という。)を援用して、本件協定及びこれに関連する一切の取決めは、昭和三一年四月一四日限り将来に向つてこれを廃棄する旨通告し、次いで、同年三月一三日、内容証明郵便を以て、右三月一〇日の通告中「昭和三一年四月一四日限り」とあつたのを、「昭和三一年六月三〇日限り」と訂正する旨通告したことは、いずれも当事者間に争いがない。

そうだとすれば、協定第一〇条が、その文言通りの趣旨のものとして有効なものである限り、本件協定は昭和三一年六月三〇日を以てその効力を失い、従つて、控訴会社の前記権利もまた、同日限り消滅に帰したものといわなければならない。

二、しかるに、控訴人は、協定第一〇条は、控訴会社の真意に非ず、しかも控訴会社がその真意に非ざることを知つてなした意思表示で、かつ、相手方たる被控訴会社において、表意者たる控訴会社の真意を知りまたは知ることを得べかりしものであつたのであるから、協定第一〇条は民法第九三条但書によつて無効であり、本件協定は、無期限に存続すべき旨の暗黙の合意があつたものであり、仮りにこの合意が認められないとしても、少くとも期間の定めがなかつたものと解すべきである旨るる主張するので、以下順次これを判断する。

(一)  本件協定締結の経過に関する事実中、次に掲げる部分は当事者間に争いがない。すなわち控訴会社は、昭和二五年三月(その日について控訴人は一〇日といい、被控訴人は一三日というが、この点の差異は結論に影響がないので判断を加えない。)、運輸大臣に対し、本件路線においてバス事業を経営することの免許を申請し、被控訴会社は当初これに反対したが、運輸省自動車局当局(自動車局長牛島辰弥、同局監理課長磯崎勉ら)のあつせん勧説により、同月末頃に至り、控訴会社と被控訴会社との間に、本件協定を締結することの原則的な合意が成立し、次いで同年四月三日から約一週間に亘り、当事者両会社の担当者、運輸省の係官及び物価庁の係官等が、東京都渋谷の日通会館に参集し、協定の具体的内容を協議検討し、その結果を協定書、覚書及び附属協定書等の文書にまとめ上げ、これに双方会社の代表者の所要の署名押印を経て同月一五日本件協定の締結を見るに至つたものである。

ところで、

1 右の内、被控訴会社が本件協定の締結を応諾するに至つた経緯につき、控訴人は、被控訴会社の方から協定の締結を希望して運輸省自動車局当局に申出でたものである旨主張し、(疏明省略)には、右控訴人の主張に添う趣旨の部分が存するが、これらは後記疏明資料に対比して措信することを得ず、他にこれを認めるに足る疏明資料はない。却つて、(疏明省略)を綜合すると(これらの疏明資料の内、疏甲第二九号証は昭和二八年一二月七日附大場朋世の検察官に対する供述調書、同第三〇号証は、同年同月一〇附山本広治の検察官に対する答申書であるが、いずれも、協定第一〇条の有効無効が訴訟上の問題になつていなかつた当時のものであるのに、その中には、本件協定の締結は、磯崎監理課長から一年更新を含む条件を以て勧説されたものである旨、及び被控訴会社としては、同課長の提示した右条件を前提として本件協定の締結を応諾したものである旨の部分を含み、疏乙第二〇号証は、前記日時作成の磯崎勉の検察官に対する答申書であるが、その中には、本件協定は、協定第一〇条により一ヶ月以前の通告によつて一ヶ年後には一方的に破棄し得るものである旨の部分を含み(中略)疏乙第六六号証は、昭和二九年一月八日附磯崎勉の検察官に対する供述調書であるが、その中には、「昭和二五年三月、控訴会社から本件路線のバス事業免許の申請があつた当時、私共運輸省の責任者としては、円満かつ公正妥当に解決したいと考えていた。そのためには、当事者間の運輸協定が望ましいので、昭和二五年三月中頃から、数回に亘り、本省へ駿豆の大場朋世その他の重役を呼んで協定を結んだらどうかと勧告した。初めは、駿豆側は協定に反対であつた。駿豆側は自分が経営した自動車道で既に自社のバスが走つており、特殊な道路であるから他社のバス路線免許は絶対に反対である。という風に申していたと記憶している。私共責任者としては一般自動車道に経営者の承諾なしにバス路線の免許をすることはできないことではないかと考えていた。」旨、ならびに「かような訳で、三月中頃から、数回駿豆側を呼んで、牛島局長室で、牛島局長、中村部長、私、宮地道路調査課長等から、若し協定について話し合いする意思がないなら、本省としては免許審理を進めると申し渡した。そして結局駿豆側も協定の話し合いを進めるといい出し、公聴会の方は待つてくれといつて来た。」旨の各記載があることは、特に注目に値いする。)、昭和二五年三月、控訴会社が本件路線にバス事業の免許を申請したことに対しては、被控訴会社としては、本件自動車道は、被控訴会社が多年に亘つて苦心造成の上経営している一般自動車道であつて、一般の公道と異り、自動車道経営者たる被控訴会社の承諾なくして他社にバス事業を免許することは、私有財産権を侵害するもので、法律上許されないものである等の理由を以て強く反対したが、牛島自動車局長磯崎監理課長らから乗入協定を締結するよう種々勧説せられ、持に磯崎課長からは、乗入については、控訴会社をして、通行料の外に路線に対する相当の権利金を支払わせる。協定の期間は一年更新(協定第一〇条と同趣旨の意)とする。その他被控訴会社の申出る条件は十分に入れるから協定に応ぜられたい旨熱心な説得を受け、なお、右局長及び課長から、被控訴会社がもしこの協定の話合いに応じなければ運輸省としては、控訴会社の前記免許申請に関する審議手続を進めるであろうとか、これを拒否するならば運輸省としても考えがあるなどと、強く勧説せられたこともあり、三月二八日に至つて、遂に協定締結を応諾する旨の回答をしたのであるが、その応諾の条件としては、前記磯崎課長の提示した条件はそのままとし、その外に、(イ)前年被控訴会社が免許を得た小田原線の免許の制限は一年以内に解除すること(疏乙第九号証昭和二五年三月二八日の項中「小田原線の制限を考慮し(二・三字分空白とし)期間を一年間」とあるのは、右記載の内「期間を一年間」なる記載が「小田原線の制限を考慮し」なる記載と同一行で、かつその直後にあることに徴し、本文のように解するが相当である。原審及び当審(第一回)証人大場世朋の証言中には、右「期間を一年間」なる記載を、本件協定の存続期間が一年であるが如く述べている部分があるが、措信し得ない。)、(ロ)本件自動車道の政府買上の実現に運輸省が努力すること、(ハ)運輸省は、伊豆地帯において被控訴会社が申請中のバス路線の免許につき、有利な取扱いをすること、(ニ)運輸省は芦の湖の船の件につき、被控訴会社に有利な取扱いをすること、(この芦の湖の船の件とは、如何なることか、その内容を明かにする資料はない。)等の条件を申出でたところ、右の内、(ハ)、(ニ)は本件協定締結の条件としては認められないが、その他は了承する旨牛島局長及び磯崎課長から回答があつたので、被控訴会社としても、協定締結を応諾した次第で、次いで牛島局長から控訴会社に連絡し、その承諾を得て、翌二九日、その旨を更に被控訴会社に伝達し、その結果四月三日から協定の内容を協議検討することに決したという経過であつたことを一応認めることができる。(中略)

以上の認定事実によれば、被控訴会社は、本件協定の締結に、当初は強く反対したが、後には、運輸省当局の強い勧説もあり、譲歩してこれに応ずることを承諾したものであつて、その間、被控訴会社は、譲歩の対価として多くの条件を提出して自社の利益の保持増大に努め、かつ、ある程度それに成功している事実もあり、この協定の応諾をもつて、被控訴人主張の如く、被控訴会社が運輸省当局の強圧に屈した結果であると即断することはできないが、さればといつて、被控訴会社から進んで協定の締結を申出で、それを運輸省当局が控訴会社に伝えてその応諾を得たという如き経過ではなかつたことが明かである。

なお、右認定事実によれば、本件協定の存続期間を一年更新とすることは、運輸省当局と被控訴会社との間では、本件協定締結の前提条件とさえされていたものであるから、被控訴会社としては、本件協定の存続期間は一年更新、すなわち、協定第一〇条の文言通りのものと確信していたものと認めるべきである。

もつとも、運輸省当局が、本件協定の存続期間につき、控訴会社に対しては具体的にどのように話をしたものか、これを明かにすべき資料は存しない。従つて、右当局が控訴会社に対しても一年更新の条件で承諾させたものと断定することはできないが、推測としては、協定の存続期間は乗入協定としては重要な事項であるばかりでなく本件協定では、一年更新は被控訴会社が協定締結を承諾した条件の一つであつたことを考えると、当局は、控訴会社に対し、被控訴会社には一年更新を条件として承諾させたものであることを話したと考える方が妥当であるというべきである。

2 控訴人は、本件協定の締結に当つて、控訴会社としては、協定第一〇条が、その文字通り、本件協定の有効期間は協定の効力発生の日から一年であり、当事者は右期間満了の日の一ヶ月前までに何らの理由なく更新を拒絶する権利を有するというが如き趣旨のものであることを看過していたものである。日通会館における協定書作成に関すを協議に際しても、協定第一〇条に関しては、運輸省当局の係官の作成した原案に、一、二些細な用語の訂正がなされたのみで、格別の論議もなくして確定されたもので、控訴会社としては、その原案は、この種協定を多数手がけている当局係官の作成したものであること、乗入協定は、一般に相当長期間存続する趣旨の契約でありながら、協定には、一応、一年とか二年とかの短期間を表示しておく例がよくあるので、深く気にも留めずにいたものである旨主張する。

しかしながら、(疏明省略)を綜合すれば、昭和二二、三年頃から東京都その他全国で行われた乗入運輸協定において、協定の有効期間を一年と定め、逐次更新する旨の条項を定めた事例が相当数存すること、しかるに、そのような条項を定めた乗入協定で、本件以外には、右条項に基いて協定が破棄されたものがないことは、一応認めることができるが、控訴人主張の前記事実中その余の部分については、(中略)これを認めるべき疏明資料はない。却つて、

(イ)  従来多くの乗入協定において、協定第一〇条と同様の条項を設けながら、その条項に訴えて協定を破棄した事例がなかつたとしても、それだからといつて、一般の業者や運輸省当局が、この種の条項を以て、発動されることのない無意味なものであるとか、ないしは協定の存続を無期限なものとし、又は期間の定めのないものとする趣旨のものと解していたものとは認められない。けだし、前段で認定したように、当時運輸省自動車局監理課長として本件協定の締結をあつせんした磯崎勉は、あつせんに当つて、被控訴会社に対し、本件協定の存続期間は一年更新とすることを以て本件協定締結の条件の一つとして強調し、なお、検察官に対し、本件協定の当事者は、協定第一〇条により、一方的に協定を破棄し得るものである旨陳述した事実があるのであつて、これらの事実は、運輸省当局が協定第一〇条、従つて一般の乗入協定に用いられている同種の条項を以て、現実には滅多に援用されることのない、いわゆる伝家の宝刀的なものと考えていたかどうかは別として、本来は文字通りの趣旨のものであると解していたもので、反対に発動されることのない無意味なもの、ないしは協定の存続を無期限なものとし、又は、期間の定めのないものとする趣旨とは解していなかつたことを示すに十分で、また、運輸省当局がそうであるのに、一般の業者だけが、右と反対に解していたとは認められないからである。

(ロ)  (疏明省略)によれば、前記日通会館における協議検討に当つては、当事者会社は双方とも、有力な社員(控訴会社からは、自動車部長今井孝、営業課長小山一三、事業部長間瀬憲一ら、被控訴会社からは総務課長大場朋世、東京駐在員山本広治、顧問弁護士中島忠三郎ら)を担当者として出席せしめ、かつ、右担当者は、各自会社の首脳部に報告し、指示を受けながら事に当つたものであることを、一応認めることができる。そうだとすれば、右協議検討の経過及び結果は、当事者会社双方の首脳部によつて、十分に了知されていたものであることを推認することができる。

(ハ)  ところで、(疏明省略)及び弁論の全趣旨によれば、控訴会社と被控訴会社とは、本件協定前から、箱根地帯を中心とする旅客運送事業及び観光事業を二分して独占し、しかも、互いに対峙して激甚な競争を続けて来た間柄であつて、本件協定の締結もそうした激しい競争の一コマとしての出来事であつたことを、一応認めることができる。してみれば、本件協定の締結に当つては、当事者会社双方とも、相手方との競争上、自社の利益を図ることにおいて万遺漏なきを期する態度を以て臨んだであろうことは推認するに余りあり、従つて、協定第一〇条の意味の如きも、十分に検討を加えたものと推認すべきである。

(ニ)  (疏明省略)を綜合すると、本件協定の協定書の原案は、運輸省自動車局の係官が起案したものであるが同係官は、その起案に当つては、昭和二三年四月七日から同二五年一月二七日までの間に全国で締結された一方乗入協定二九件の実例について、協定の条項となつた各事項を詳細に分析統計し、一方、本件協定についての「協定の有効期間及び更新の条件」なる項目を含む問題点を拾上げ、これらに基いて本件協定の原案を作成したものであることを、一応認めることができる。してみれば、右原案の作成は、かなり周到な研究と準備との下になされたものであつて、協定第一〇条にしても、何らの研究も準備もなく単に、乗入協定の多くの例がそうなつているからというだけのことから、漫然これを取入れたという如きものではなかつたことを看取するに十分である。(中略)

(ホ)  (疏明省略)を綜合すると、昭和二五年四月三日から行われた日通会館における本件協定の具体的内容の協議検討に際して、協定第一〇条については、最初の原案(疏乙第五四号証の一)では、「本協定の有効期間は、効力発生の日より一ヶ年とし、期間満了前一ヶ月前までに、甲乙の一方より何等の意志表示を為さざるときは、更に満一ヶ年間継続するものとし、その後はこの例による。」となつていたが、その後、右の内、「何等の意志表示を為さざるときは」を、「…………為さないときは」に改め(同号証の二)、また、「効力発生の日より一ヶ年とし」を「………………満一ヶ年とし」 「満」の字を挿入した上、更に、この挿入した「満」の字を削除し、なお、「更に満一ヶ年間継続し」の「満」の字をも削除し(同号証の四)、結局、協定第一〇条の正文のように、「本協定の有効期間は効力発生の日から一ヶ年とし、期間満了一ヶ月前までに甲乙の一方より何等の意思表示を為さない時は更に一ヶ年間継続するものとし、その後はこの例による。」となつたものであることを一応認めることができる。そして以上のような訂正は、単なる字句の修正に過ぎないといえないこともないが(中略)それにしても、これだけの訂正を行う程度の検討をしながら、その字句の意味については、何ら心に留めずに看過していたということは首肯し難いところである。

(ヘ)  以上(イ)ないし(ホ)に認定した事実を綜合すれば、本件協定の協定書は、運輸省係官が相当に周到な準備研究の上作成した原案に基き、当事者会社双方とも有力な社員が担当者として出席し、なお、運輸省及び物価庁の係官も出席し、相当の日数を費し、それが連日全員が集合して協議したとか、厳密な逐条審議をしたとかいうことではないにしても、相互に隔意のない検討協議を遂げて作成したもので、しかも、当事者会社双方の首脳部においても協定第一〇条を含む協定書の全内容を熟知し、なお協定の結果生ずべき将来の事態の見透しや相手方の出方その他の利害関係を十分に吟味の上承認調印したものであることが認められ、なお、控訴会社にしても、協定第一〇条は、現実には発動されることのない無意味なもの、ないしは、協定の存続を無期限なものとし、または期間の定めのないものとする趣旨のものと考えていたものとは認められない。

(ト)  なお、もし、控訴会社としては、協定第一〇条は真意でなかつたとすれば、特にたんげいすべからざる競争相手である被控訴会社との取引である本件協定のことであるから、協定第一〇条の文言はそのまゝにしておくとしても、たとえば、当事者間だけで交換しておく文書であるところの附属協定書の中に、協定第一〇条に基く更新拒絶権の行使を制限する趣旨の条項を置くなど、いうところの真意を明確にする方法を講じておくか、少くとも、口頭によつて、その趣旨を明確にしおくぐらいのことをするのが当然であつたと考えられる。

しかるに、本件の全疏明資料を検討しても、本件協定の締結に当つて、控訴会社が右のようなことの申出をしたことすらこれを認め得ないのである。そうだとすれば、控訴会社の真意が控訴人主張の如きものであつたと見ることは至難であつて、むしろ、控訴会社としては、何らか成算のあるものがあつて、協定第一〇条の条項を甘受したものと推認するのが相当である。

(チ)  以上の次第で、控訴人の前掲主張は到底採用し難い。

(ニ)  (疏明省略)によれば控訴会社は終戦後、強羅―早雲山間の鋼索鉄道の復旧を図るとともに、これに接続して芦の湖方面えの旅客輸送のルートとして、なお、同会社の免許バス路線である小田原―宮の下―小涌谷線(以下小田原線と称する。)と湖尻方面をつなぐバス路線として、本件路線のバス事業の免許を熱望していたが、本件路線は被控訴会社の既免許バス路線であるため、控訴会社が右免許を申請すると、被控訴会社から交換条件的に控訴会社が永年独占して多大の利益を挙げていた小田原線の免許を申請されることを恐れて、本件路線の免許申請をひかえていたが、被控訴会社は昭和二二年中小田原線のバス事業の免許を申請し、控訴会社が強く反対したにもかゝわらず、公聴会の討論を経て、同二四年一二日遂にその免許を見るに至り(以上の内、被控訴会社の小田原線のバス事業免許申請からその免許までの事実は当事者間に争いがない。)、なお、早雲山の鋼索鉄道の復旧完成も近づいていたので控訴会社は、昭和二五年三月一〇日頃本件路線のバス事業免許を申請したのであつたが、前段認定の経緯で本件協定の締結となり、控訴会社は右免許申請はこれを取下げるに至つたものであることを一応認めることができる。

控訴人は、控訴会社が本件協定を結ぶに至つた経緯が右の如きものであつたことを根拠として、控訴会社としては、本件協定を以て、免許に代るもので、従つて無期限に存続すべきものであると考えていた旨主張する。しかし、前段(一)で考察した諸事情を併せ考えると、控訴会社が本件協定の締結に応じたのは、免許を得る代りであつたという事実から、直ちに本件協定は無期限のものであると考えていたものと即断することはできない。却つて、(疏明省略)を綜合すると、運輸省当局と控訴会社とは、ともに、本件協定締結当時から、被控訴会社に対する小田原線の免許と、控訴会社に対する本件路線の免許とを関連せしめて考えており、前者に対する制限が解除されるまでには、後者も免許になるのが至当であるとの見解を有し、かつ、前者の制限解除は遠からず実施せざるを得ないものとの見透しを持つていたもので、当局が控訴会社に対して本件協定の締結を勧説するに当つても、右の趣旨を仄めかしたので、控訴会社としては、本件協定を以て、遠からず実施さるべき小田原線の制限解除と交換的になさるべき本件路線の免許までの暫定的措置であるものと考えていたものであることを一応認めることができるのであつて(なお、右今井孝の証言によれば、小田原線の制限は、昭和二六年九月に一部解除となり、同二七年六月には全部解除になつたことが一応認められる。)、このことは、控訴会社が、本件協定を以て、無期限なものないしは期間の定めのないものと考えていたとの控訴人の主張の反証となるものというべきである。

(三) 控訴人は、右の点に関連して、昭和二五年三月控訴会社が本件路線のバス事業免許を申請した当時の情勢では、その申請は免許になる公算が極めて大であつたもので少くとも控訴会社としては、相当な理由に基いて、そのように信じていたのであるが、運輸省当局の切なる勧奨により、これを無下に断ることもできないので、本件協定の締結を応諾したものである旨主張する。そして、(疏明省略)には、右控訴人の主張に添うには、右控訴人の主張に添う趣旨の部分が存する。しかしながら、右各疏明資料は、左に説明するところに照らして措信し難く、他にこれを認めるべき疏明資料はない。却つて、

1 右今井及び武田の証言にしても、その当時控訴会社の免許申請が免許になる公算が大であり、控訴会社においてそのように考えていたということの根拠は、(イ)控訴会社としては、控訴会社の右申請は、被控訴会社に対する小田原線の免許と交換条件的になされたものであるが、被控訴会社に対して右免許がなされた以上、箱根地帯の旅客輸送の実情、控訴会社と被控訴会社との関係その他従来の経緯に鑑み、控訴会社の右申請も免許になるのが至当であると考えていたこと、及び(ロ)、控訴会社としては、運輸省当局者が、控訴会社の右申請につき、免許相当の意見を持つているものと観測していたこと、に止まるものである。(中略)

しかしながら、右の如き事情はともあれ、控訴会社の前記申請は、予じめ被控訴会社の同意を得ることなくしてなされたものであることは、前記各証言からもこれを窺い得るところであるところ、本件路線は、被控訴会社経営の民有一般自動車道であり、かつ、被控訴会社としては右の点を理由として、本件路線に対する他社のバス事業を免許することは、私有財産権の侵害であるとして強く反対していたものであることは、前にも認定した通りであつて、その他控訴会社と被控訴会社との前認定のような対立競争の関係にも鑑み、控訴会社の右申請は、被控訴会社の同意を期待し得ないことはもちろん、その猛烈な反対を予期しなければならなかつたものであることは明かなところであり、なお、疏乙第六六号証によれば、被控訴会社の主張する前記法律論も、その当時から問題になつていたことが一応認められるから(尤も、同証によれば、運輸省自動車局としては、研究の結果、民有の一般自動車道の場合でも、その自動車道業者の同意なくして、バス事業の免許をすることは法律上差支なしとの一応の結論を得ていたことは、一応認められるが、)、控訴会社の前記申請は、当然、公聴会の手続を含む道路運送審議会の審議を受けなければならないわけで(旧道路運送法第八条第一三項第一号、同法施行令第一四条)、しかも、原審証人磯崎勉の証言(第一回)によれば、公聴会にかけた場合免許になるか却下になるかの比率は、事案によるもので一概にはいえないが、公算は五分と五分と見るのが一般常識であることが一応認められる。そして、以上のような状況の下においては、たとえ前記(ロ)のような事情があつたとしても、控訴会社の前記申請が免許になることの公算が極めて大きかつたということは、客観的事実としてそういわれないばかりでなく、控訴会社としてそのように信ずべき相当の理由を持つていたともいい難い。

2 もし、その当時、控訴会社の前記免許申請が、免許になる公算が極めて大であるというのが客観的事実であつたとすれば、運輸省自動車当局が、そのことを認識しなかつたということは考え難い。そして、同当局がそれを認識しながら、控訴会社に対して、免許申請の撤回を意味する本件協定の締結を勧説するということは、控訴会社に対する重大な不当処置ともいうべきものであつて、当局者としてそのような態度に出るとは考え難い。換言すれば、運輸省自動車局当局が控訴会社に対して、本件協定の締結を勧説したことは、むしろ、同当局が控訴会社の前記申請が免許になる公算が極めて大であるとは見ていなかつたこと、従つて客観的事実としても、そのようなものでなかつたことを示すものと見るのが相当である。

3 また、その当時、控訴会社が前記免許申請につき、控訴人主張のような観測をもつていたのに、当局の勧奨により止むを得ず本件協定の締結に応じたものとすれば、控訴会社としては、現に被控訴会社の場合がそうであつたように、本件協定の締結を勧説せられた際、応諾を渋り、それがため交渉に若干の日時を費し、なお、結局はいれられないまでも、極力自社に有利な条件を持出すのが自然であつたと認められる。ところが、控訴会社がそのような態度に出たことの疏明資料は全く存在せず、却つて、

(イ)  (疎明省略)を綜合すると、昭和二五年三月二八日、被控訴会社の当時の総務課長大場朋世が、牛島自動車局長に対して、被控訴会社としては本件協定の締結に応ずべき旨を答えるとともに、控訴会社としてはこの協定に応ずるものかどうかを尋ねたところ、牛島局長は控訴会社には、その点をまだ確かめていないが、大丈夫である旨を答えたが、翌二九日には、同局長は大場に対し、控訴会社も被控訴会社の好意を受入れて協定の締結に応ずる旨回答したことを告げ、こゝに協定締結の合意の成立を見た次第であることを一応認めることができる。そして、この事実によれば、控訴会社は、極めて短時日の間に本件協定の締結を応諾したものといわざるを得ない。

(ロ)  控訴会社が本件協定の締結を応諾するに当つて、何か一つでも条件を持出したことを認めるべき資料はない。(疎明省略)によると、日通会館における協定書の内容の協議検討の際、被控訴会社が提出した小田原線の制限解除の件に関連して、控訴会社から、交換条件として、控訴会社の本件路線についての免許申請に対し、被控訴会社が反対しないことを約諾するようにとの申出をしたことが一応認めることができるが、それは、本件協定の締結の原則的合意の成立した後のことであって、その合意をなすことの条件とされたものではない。のみならず、日通会館での協議検討の結果でも、被控訴会社申出の前記条件は、附属協定の第一、二項として、ある程度容認されたことが一応認められるのに(疎甲第一号証の三)、控訴会社の右申出は、如何なる形式にもせよ、それが被控訴会社の容認するところとなつたことは、これを認めるべき資料がない。

(四) 昭和二五年三月、運輸省自動車局の当局から、本件協定の締結を勧説せられた際、被控訴会社は、その応諾の条件として、前記の、本件協定の存続期間を一年更新とすることの外に、(イ)控訴会社をして、通行料の外、本件路線に対する相当の権利金を支払わせること、(ロ)被控訴会社に対する小田原線の制限解除は一年以内に解除すること、(ハ)、本件自動車道の政府買上げの実現に運輸省も努力すること、(ニ)、運輸省は伊豆地帯において被控訴会社が申請中のバス路線の免許につき、被控訴会社に有利な取扱いをすること。(ホ)、運輸省は、芦の湖の船の件につき、被控訴会社に有利な取扱いをすること(ただし、この(ホ)の件の内容は不明である。)等の条件を提示し、これに対し、牛島自動車局長及び磯崎監理課長から、右の内、(ニ)(ホ)は本件協定締結の条件としては認められないが、その他は了承する旨の回答を得た事実は、前段((一)の1)で認定した通りである。そして、右の内(イ)の権利金の件、(ロ)の小田原線の制限解除の件(ただし、控訴会社はこれに反対しないことという形で)は、その外の、(ヘ)、本件自動車道が非常事故により破損した場合は、控訴会社は、その復旧に好意的に協力すること、という条件とともに、日通会館における協議検討の際、控訴会社に対しても提示され、その内、右(イ)については、列席した物価庁係官の注意によつて取止めとしたが、(ロ)は附属協定書の第一、二項として、(ヘ)は同第三項として、それぞれ控訴会社の認容するところとなつたことは、(疏明省略)によつて疏明されるところである。なお、控訴人は、被控訴会社は、以上の外芦の湖の遊覧船に関し、箱根観光船株式会社の競争行為を抑制することをも、協定締結の条件として提出した旨主張するが、その事実を認めるべき資料はない。(中略)

ところで、控訴人は、被控訴会社が提示した以上のような条件は、本件路線に僅かに一年間の乗入を許容することの対価としては均衡を失する。そして、被控訴会社が右の如き各条件を提出し、控訴会社が、その内前記の程度のものを認容した事実に徴しても、控訴会社の真意は、協定第一〇条の文言の如きものではなく、本件協定を無期限とする意思であつたこと、そして、被控訴会社も、控訴会社の右真意を知り又は知り得べかりしものであつたことを推認し得る旨主張する。

しかしながら、協定第一〇条は、いわゆる一年更新の条項であつて、必ず一年間で終了すると限つたものではなく、当事者双方とも、所定の更新拒絶権を行使しない限り、相当年月に亘つて協定を継続せしめ得べく、たゞ、その長年月に亘つての存続についての保障がないだけのものである。従つて、このような契約を締結することの対価として要求される利益は、何ほどを以て均衡のとれたものというべきか、必ずしも明かではないから、被控訴会社が提示し、かつ獲得した前記の利益を以て本件協定締結の対価として、はなはだしく均衡を欠くものとは即断し難い。

のみならず、前段でも考察したように、被控訴会社としては、もともと本件協定の締結に反対であつたのであり、かつ、被控訴会社と控訴会社とは、激しい対立競争の関係にあつたもので、これらの事実を弁論の全趣旨に綜合すると、被控訴会社が前記のような条件を提示したのは、少くとも当初においては、協定の締結を拒む方便としたものであり、後には、協定の締結を免れないとすれば、これを機会として、極力自社の利益を図るとともに、競争相手たる控訴会社に対しては、できるだけ大きな犠牲を払わせようとの意図の下に最大限の条件を提示したものであつて、控訴人主張の如き利益の均衡などは、もともと被控訴会社の念頭にはなかつたものであることを、一応認めることができる(尤も、弁論の全趣旨によれば、競争相手に対する露骨な利己主義的傾向は、ひとり被控訴会社にだけではなく控訴会社についても、同様に、これを看取し得るところである。)。

そうだとすれば、被控訴会社が前記諸条件を提示し、控訴会社がその一部を認容した事実から、直ちに控訴人主張の如き推断を下すことは相当でない。

(五) 本件協定の発効した昭和二五年七月一日以後、昭和三一年三月一〇日、被控訴会社が本件協定破棄の通告をするまでの間、被控訴会社は、協定第一〇条を援用したことがなく、しかも、右協定発効後間もなくから、本件協定の実施に関連して当事者間に紛争を生じ、ことに、控訴人主張(当審における控訴人の主張第二、三、(二)(1)ないし(7))の如く、仮処分、訴訟、告訴等の事件が起つたことは、被控訴人の明かに争わないところである。控訴人は、以上の事実は、被控訴会社において、協定第一〇条が控訴会社の真意に非ず、本件協定は無期限に存続すべきものであることを知つていたものであることを示すものであると主張する。

しかしながら、前段((一))において認定した通り、一年更新ということは、被控訴会社が本件協定の締結を応諾した条件の一つであつたのであり、なお、同所で特に指摘したように疏甲第二九、三〇号証によれば、本件協定の締結に関し、被控訴会社の担当者として、運輸省当局及び控訴会社との接衝の任に当つた大場朋世及び山本広治は、いずれも昭和二八年一二月中、すなわち、控訴人主張の(6)の仮処分申請及び(7)の行政訴訟提起前において、検察官に対し、本件協定は、被控訴会社としては、一年更新を条件の一つとして応諾したものである旨陳述していることが疎明されているのであつて、この事実によれば、被控訴会社の当務者としては、少くとも、既に昭和二八年一二月中から本件協定は一年更新であること、すなわち、協定第一〇条は、その文言通りの趣旨のものであることを熟知していたものであるといわなければならないから、被控訴会社の前記訴訟提起等の態度は、同会社が、協定第一〇条を以て、前記控訴人主張の如きものであると解していた結果であると即断することを得ず、むしろ、何らか他の事情に因るものと推認するのが相当である。

(六) なお、控訴人は、(イ)、本件協定は、特殊な臨時的目的を以てなされた一時的な乗入運転の協定ではなく、協定のあつせんをした運輸省当局及び当事者双方とも、控訴会社をして、本件路線において、継続的な定期バス事業を経営せしめる意図を以て締結したものである。このことは、本件協定締結の経緯に照らして明かである。(ロ)本件協定の協定書は、運輸省当局が、一応、東京都周辺その他において広く行われている事例をそのまゝ踏襲して原案を作成し、これを交渉の途次具体的に本件に則応するよう若干修正したに過ぎず、協定第一〇条の趣旨も、たかだか、将来における本件路線の輸送の需給状態等の変更に応じ、協定事項の改訂をする必要を生ずる場合に備えて、その改訂期間を定めたものであつて、協定の存続期間を定めたものではなく、また、当事者に一方的な解約権を留保した趣旨でもなかつた。(ハ)、却つて、当事者間には、双方が本件協定の廃棄に合意するとか、行政庁の何らかの行為によつて、協定の認可が取消されるとか、控訴会社に本件路線につきバス事業の免許がなされるとか、その他本件協定成立当時と比べて、著しく事情の変更があつた場合や、当事者が、協定の条項に違反する等の事実がない限り、有効に存続するものとの合意が成立していたものである旨主張する(中略)

しかしながら、後段で説明するように乗入協定は、法の立前上、存続期間の定めを必要とするものであるから、少くとも、存続期間の点については、免許と等価値の実質を有するものとはいわれない。のみならず、本件協定締結当時の運輸省当局及び当事者会社双方の本件協定の存続期間についての意図が、前記控訴人主張(イ)の如きものであつたと認めることを得ないことは、前段で検討した通りであるし、控訴人の前記(ロ)(ハ)の主張を採用し得ないことも前段で検討した通りである。控訴人は、本件協定の協定書前文や第九条の文言を援用して右(ロ)、(ハ)の主張の根拠としているが、協定第一〇条は、本件協定が必ず一年だけで廃棄されてしまうものと規定したものではなく、当事者の意思如何によつては、一年毎に更新して相当年月に亘つて存続し得る趣旨のものであるから、協定書中の控訴人主張の文書は、右(ロ)(ハ)の主張の根拠とするに足りない。また、協定第一〇条の趣旨がその文言通りのものであつたからといつて、それが道路運送法の法意に反するものではないから、それがその文言通りの趣旨であることの故に運輸省当局が本件協定を認可する筈がなかつたと推論することはできない。(中略)

(七) 以上の次第で、協定第一〇条は、民法第九三条但書によつて無効であり、本件協定の存続期間は、無期限とする旨の暗黙の合意が成立していたものである旨の控訴人の主張はすべて採用することを得ず、却つて、協定第一〇条は、その文言通りの趣旨のものとして、有効に成立したものと認めるのを相当とし、従つて、本件協定は、その存続期間の定めがなかつたものということもできない。

そうだとすれば、控訴会社に本件協定違反の事実ありや否やの争点を判断するまでもなく、本件協定は、被控訴会社が昭和三一年三月一〇日及び同月一三日にした本件協定廃棄(更新拒絶)の意思表示により同年六月三〇日限り、消滅に帰したものというべきである。

三  しかるに、控訴人は、本件の如き運輸協定は、旧道路運送法第二三条(現行道路運送法第二〇条)により、運輸大臣の認可を受けるものであつて、一旦その認可を受けた以上、その事業の休廃止についても、行政庁の認可を要し、ほしいまゝに私契約を以て休廃止し得ないものであるから、被控訴会社がした本件協定廃棄の通告は効力を生じ得ないものである旨抗争する。

しかしながら、元来乗入に関する運輸協定は、その存続期間を定めることが法の立前となつているものであるから(旧道路運送施行規則第二六条第一項第五号、現行同規則第一五条第一項第四号)、反対の特別な規定も存在しない現行法の下において、協定中に定めた存続期間の満了によつて当該業者の事業が休廃止に帰することは、むしろ、法の予定しているところというべきで、反対に、これを以て違法視すべき理由はない。そして、本件の場合、協定第一〇条に従つて協定を終了させることは、協定に定めた存続期間の満了によつて協定が終了することに外ならないものであるから、これに伴う事業の休廃止について、改めて行政庁の認可を要するものと解すべき理由はない。よつて、控訴人の右抗弁は採用し得ない。

四  控訴人は、更に被控訴会社の本件協定の廃棄は、権利の濫用である旨主張する。

しかし、本件協定の廃棄によつて、箱根地帯の旅客輸送に支障を来し、公衆の利便が害されるものと認めるべき疎明資料はなく、また、もともと道路運送法施行規則に従つて一年更新の期間を定め、運輸大臣の認可を得たものであるから、その条項に従つて協定を廃棄することが道路運送の法意に反するものということもできない。なお、本件協定の廃棄が控訴会社の事業に対して致命的打撃を与えるものであることについても、これを認めるに足る疎明資料がなく、本件協定締結の経緯及び協定第一〇条の趣旨がそれぞれ上記認定の如くである以上、仮りに被控訴会社の意図が、本件路線におけるバス事業を被控訴会社の独占に帰せしめることにあつたとしても、被控訴会社の本件協定の廃棄を以て、信義則に反するものとはいわれない。よつて控訴人の右抗弁は採用し難い。

五  更に、控訴人は、被控訴会社は、一般自動車道たる本件自動車道の経営者として、なにびとに対しても、道路運送法に定められた場合を除くの外、本件自動車道の供用を拒絶し得ないものであるとて、あたかも、本件の場合も、右の理由によつて控訴会社が、本件協定の失効後も、本件協定に基き運輸大臣の認可した事業計画に従つて本件自動車道においてバス事業経営のための定期バスを乗入れ運転する権利があり、被控訴会社としては、これを許容する義務があるかの如く主張する。

しかしながら、本件においては、本件協定以外に、控訴会社が本件自道車道においてバス事業を経営することの免許または認可を得ていることの主張も疎明もないのであるから、被控訴会社の前記本件協定廃棄の通告が有効である以上、昭和三一年七月一日以降は、控訴会社が本件自動車道においてバス事業経営のため定期バスの運転を行うことは、道路運送法に違反するものである。また、控訴会社が本件自動車道に定期バスを乗入れ運送することの権利ありとするのは、本件自動車道の認可を受けた供用約款(中略)による供用を主張しているものでもないことは控訴人の主張自体によつて明かであるから、本件自動車道の事業者たる被控訴会社としては、控訴会社の右バスの乗入れ運転に対する本件自動車道の供用を拒絶し得ることはもちろんであつて現行道路運送法第六五条第一号)、しかも、被控訴会社が右供用を拒絶しているものであることは、被控訴人の主張自体によつて明かである。そうだとすれば、控訴会社としては、本件自動車道が一般自動車道であることを理由として、被控訴会社に対し、本件自動車道において、本件協定に基き、運輸大臣の認可した事業計画に従うバス事業経営のための定期バスの乗入れ運転を許容することを請求し得るものではない。よつて、右主張もまた採用し難い。

六  以上の次第であるから、結局、控訴人の主張する本件仮処分による被保全権利はその疎明を欠くものであつて、なお、本件の全疎明関係ならびに弁論の全趣旨にかんがみ、本件は右疎明に代えるに保証の供託を以てすることを許すに適当ではないと認められる。

七  よつて、控訴人の本件仮処分の申請は理由がなく、これを却下した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条を適用して、主文の通り判決する。

東京高等裁判所第六民事部

裁判長裁判官 内田護文

裁判官 鈴木禎次郎

裁判官 入山実

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