東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1317号 判決
証拠を総合すれば、一般に肺結核の早期発見は決して容易でなく、その方法としてツベルクリン反応の検査、胸部レントゲンの透視及び撮影、喀痰の培養検査等が行われているけれども、これらの方法とてもいずれも絶対的なものではなく、ツベルクリン反応は、患者の体質、使用液の稀釈度、鮮度等によつては罹患者についても陰性に現われることもあり、レントゲン読影は高度の技術経験を要するもので内科医師ならば誰でも正確に判断できるというものではなく、読影に熟達した専門医でさえも誤ることがあり、これだけで初期の肺結核の有無を正確に判定できるのはその専門医の場合でも七、八十パーセント程度のものであつて、百パーセントの正確な診断結果を得る方法とはならないものであり、喀痰検査も初期の結核や病巣が閉錯している場合には菌を喀出しないためその用をなさず、しかも喀痰の培養検査には長日月を要し、かつ昭和二十三年頃は資材不足培養液不足のため普通の病院では多数の外来患者にこれを行うことは不可能な状況であつたこと、現在では断層撮影の方法によりレントゲン診断の確度が著しく向上したけれども昭和二十三年当時はその装置が普及していなかつたため一般には行われていなかつたこと、従つて昭和二十三年二十四年当時の医療の水準では肺結核の診断は今日ほど正確を期することが困難であつて、ツベルクリン反応の検査、レントゲン撮影、能うれば喀痰検査等を行うほか問診、視診、打診、聴診、血沈、既往症調査等を試み、その結果肺結核の疑があるときは万一の発病に備え万全を期するため肺結核に応ずる療法を行いつゝ経過を観察して病因の発見に努めることが医師として一般に執られていた態度であつたことが認められ、前掲甲第一号証の一ないし四、前記各各鑑定人の鑑定の結果及び原審におけ被控訴人村松みさ、同町田喜美子各本人尋問の結果を総合すれば、前掲甲第一号証の一ないし四のレントゲン写真はいずれも鮮明を欠き、撮影当時の経済状態からすればやむを得なかつたにせよ肺結核の診断資料とするには適当なものとはいえないがそれでもなおいずれにも肺結核によるものと疑えば疑い得べき陰影があり、右被控訴人等は、かような陰影の存在と、前説示の控訴人の血沈値、栄養状態、微熱倦怠感等の症状や前に診断した他の医師の所見等を総合し、当時ツベルクリン反応が陰性であること及び喀痰検査を行えないことを参酌しながらもなお当時控訴人が初期の肺結核に罹患しているものと診断したことが認められ、前記の資料からかような診断を下すことが当時の医療水準の下では決して無理とはいえなかつたことも前記各鑑定人の鑑定の結果により明らかである。すなわち右被控訴人等がかような診断を下したことはその当時においては合理的な根拠を具備したものであるから、たとえ現在から判断して当時控訴人が肺結核に罹つていたことを確認できないにせよ、右被控訴人等の診断を以て医師として通常用うべき注意を欠いた結果によるものということはできない。従つて右被控訴人等がその診断の結果に基き控訴人に病名を告げ、肺結核の療法として必要な安静を命じたことは、医師として執ることのできた適当な措置であり、しかもその後における控訴人の病状の推移が前記のとおりである以上、被控訴人町田喜美子においてその診断の結果を維持し、引続き控訴人に安静を命じたこともまた医師として当然執ることのできた態度であつたものというべきであつて、これらの措置についても過失はない。ただ被控訴人村松みさの場合は控訴人が唯一回来診しただけでその後は来診しなかつたこと前記のとおりであるから、その後の推移に応じて他の手段をとる余地もなかつたのに反し、被控訴人町田喜美子の場合は昭和二十三年六月以後昭和二十四年十一月に至るまで時々控訴人の来診を受けて引続き治療を続けていたものであるから、その間喀痰の培養検査等を行う時間的余裕はあつたのであるけれども、原審における被控訴人町田喜美子本人尋問の結果によれば、同人の場合も当時における前記一般の状況と同様、医療資材不足のため必要な薬液が少なく、かつ人手不足のためもあつて右検査を行うことが困難であつた事情が認められるので、前述のように喀痰検査を行うことが困難であつた事情が認められるので、前述のように喀痰検査も絶対的なものでないことをも考慮すれば、右検査をしなかつたことを以て同被控訴人の過失とすることはできない。なおもし当時右被控訴人等において、肺結核の早期発見の確実を期することが困難な事情に鑑み、自らは肺結核との診断に達していても控訴人にはその病名を告げず単に肺結核の療法として必要な安静を命じ投薬をなすに止めたならば、或は控訴人の気力を失わしめず、微熱、倦怠感等の症状も早く消失したかも知れないけれども、又、逆に患者に病名を告げ本人の自覚に基く療養への努力によつて治癒を早める方法も考えられるのであつて、既に当時右被控訴人等において肺結核との診断に達したことに過失が認められない以上、これが療法としていかなる措置を執るべきかは医師である右被控訴人等自らが患者の状況その他に基いて自己の専門的知識経験に従い決定すべきであり、考えられる幾つかの措置が医師の執るべき措置として合理的なものである限り、そのいずれを選ぶべきかは当該医師の裁量の範囲内に属し、必ずその一だけが正当であつてこれと異る他の措置をとることはすべて過失であるということにはならない。そして被控訴人等の診断及びその執つた措置が合理的なものとして是認できること前示のとおりであるから、被控訴人村松みさ、同町田喜美子に医師としての診断治療上の過誤があつたことを前提とする控訴人の各被控訴人に対する本件各請求は、既にこの点において失当である。
(川喜多 小沢 位野木)