東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2228号 判決 1960年7月05日
控訴人 二葉林業株式会社
被控訴人 岩淵運吉
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、原判決添付の目録記載の土地につき、横浜地方法務局磯子出張所昭和三十一年七月二十四日受付第三五七六号を以てなされた所有権移転請求権保全の仮登記の本登記として所有権移転登記手続をなし且つ同目録記載の建物を収去して右土地を明け渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに建物収去土地明渡の部分につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の陳述した事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、左記のほかは、原判決の摘示と同一であるから、これを引用する。
控訴代理人は、甲第十ないし第十二号証を提出し、同第十二号証は、被控訴本人が作成したものであると述べ、当審での控訴会社代表者松野鎌吉、被控訴人の各本人尋問の結果を援用し被控訴代理人は当審での被控訴本人尋問の結果を援用し、右甲各号証はいずれも成立を認めると述べた。
理由
一、木材業者である控訴人が、昭和三十一年四月製材業者である訴外磯全亮及び被控訴人との間に、磯及び被控訴人が控訴人に木材を木材市場でせり売することを委託する趣旨の委託販売契約を締結したことは、当事者間に争がなく、成立に争のない乙第十一号証、原審証人磯全亮、小沢和雄、島本周吉の各証言、原審及び当審での控訴会社代表者本人松野鎌吉の尋問の結果を綜合すれば、控訴人は昭和三十一年四月磯全亮及び被控訴人に対し、上記委託販売契約の締結とともに、原木購入の資金として金百万円を、右委託販売により得た売上金で弁済に充当する約定で貸与、更にその後控訴人が追加して金員を貸与したことを認めることができる。(右金員授受の点は当事者間に争がない。)原審及び当審での被控訴本人の供述中右認定に添わない部分は、前掲各証拠に照して信用できないし、他に右認定を動かすことのできる証拠はない。そして、昭和三十一年七月二十三日当時控訴人の債権が合計金百二万千五百四十四円となつたので、同日控訴人と被控訴人との間で、右債権を目的として、利息を日歩二銭六厘、弁済期を同年八月十五日と定めて、準消費貸借契約を締結するとともに、(上記認定の弁済、充当の契約の関係については後に認定する)その際、被控訴人は右債務の担保として、その所有の原判決添付目録記載の土地(以下本件土地という)に抵当権を設定し且つ右債務を弁済期に支払わないときは、控訴人は予約完結の意思表示により本件土地の所有権を控訴人に移転する趣旨の代物弁済一方の予約を締結し、同年七月二十四日横浜地方法務局磯子出張所で右抵当権設定登記とともに、同出張所受付第三五七六号を以て代物弁済による所有権移転請求権保全の仮登記を経由したことは、当事者間に争がない。
二、被控訴人は、「本件土地の昭和三十一年七月二十三日当時の価格は金二百万円以上であるところ、被控訴人は無経験のため軽率にも控訴人のいうままに、自己の安息場所である本件土地を時価の約半額に当る百二万百余円の債務の代物弁済に提供することを約したものであるから、本件代物弁済に関する契約は、公序良俗に反する事項を目的とする無効の法律行為である。」旨主張するので判断する。
本件土地について代物弁済の予約が締結された昭和三十一年七月二十三日当時、その価格が被控訴人主張のように金二百万円以上であつたとの点は、これを認めることのできるなんの証拠もない。反つて、原審での鑑定人田辺晃の鑑定の結果によると、当時の本件土地の価格は、地上に建物が現存するものとして金七十三万五千二百八十円(本件土地の上に建物が現存することは当事者間に争がないところである)であり更地の場合と仮定しても金百四十七万五百六十円であることが認められるし、また控訴人が上記代物弁済の予約締結に当つて、被控訴人の無経験や軽率、窮迫等に乗じたものであると認められるようななんの証拠もないから、右代物弁済の予約が公序良俗に反する事項を目的とする無効の法律行為であるということはできない。
三、次に、被控訴人は、「本件土地の代物弁済の予約は、抵当権の被担保債務である百二万千五百四十四円の債務全部の弁済に代るものであつて、債権中の相当額が弁済によつて消滅した場合には、控訴人は予約完結権を失う趣旨の契約であるところ、控訴人に対し磯の送付した木材の売上金中三十七万四千二百八十円が右債務の一部弁済に充当されたので、これによつて控訴人の右予約完結権は消滅した。」旨主張し、これに対し控訴人は、「磯から送付された木材の売上金中の三十七万四千二百八十円は、磯の控訴人に対する別口の約束手形に関する債務の解決に充てらるべきもので、抵当権の被担保債務の弁済に充当されるべき筋合のものでない。仮に抵当権の被担保債務の弁済に充当せられて、その一部が消滅したとしても、代物弁済の予約完結権が発生しないことに確定し又は消滅する筈はない。」旨主張するので判断する。
昭和三十一年八月十六日頃から同年九月十六日頃までの間に控訴人が四回に亘つて磯から送付を受けた木材を市場でせり売し、その売上金から諸経費を差引き残額三十七万四千二百八十円が控訴人の有する債権(どの口の債権であるかは争があるので後に判断する。)の弁済に充当されたことは、当事者間に争がない。そして、控訴人が被控訴人と上記の抵当権設定並びに代物弁済の予約を締結するに当つて、磯と被控訴人両名の負担する従前の債務を、被控訴人の単独債務に改めたことを認めることのできる証拠はない。反つて、いずれも成立に争のない乙第一ないし第十号証、原審証人磯全亮、染谷栄久(後記信用しない部分を除く)の各証言、原審及び当審での被控訴本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。被控訴人と控訴人間に上記抵当権設定並びに代物弁済の予約が結ばれた際、その被担保債務の弁済方法については、従来どおり、磯が控訴人に対し送付する木材を控訴人においてせり売しその売却代金で弁済してゆく趣旨で、昭和三十一年四月控訴人と被控訴人及び磯との間に締結せられた当初の木材委託販売契約に基く取引が続けられてきたのであつて、磯は前記木材を控訴人に送付するに当り、その売上金は当初の契約の趣旨に従い、抵当権の被担保債権である金百二万千五百四十四円の貸金債権の一部弁済に充当されるものと考えていたのであり、また控訴人も当時右売上金が右貸金債権の一部弁済に充当されたものとして帳簿上処理し、その都度磯に対しその旨の仕切精算書を送付していた。
右認定の事実に徴すれば、金三十七万四千二百八十円の上記売上金は、合意上右抵当権の被担保債権の一部弁済に充当されたものと認めるのを相当とする。もつとも、いずれも成立に争のない甲第四ないし第六号証、原審証人小沢和雄、染谷栄久の各証言、原審及び当審での控訴会社代表者本人松野鎌吉の尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。控訴人は磯の申出により、昭和三十一年六月十九日磯が宮崎県下の小林営林署で公売することになつていた原木を落札する資金を融通する趣旨で、額面合計百万円の約束手形三通(二通は額面各三十万円、一通は額面四十万円のもの)を振り出しこれを磯に交付した。ところが、磯は右原木を落札しなかつたので、右手形を控訴人に返還しなければならなかつたのに、そのうち額面四十万円の手形一通を返還しただけで、額面三十万円の手形二通を返還しなかつた。そこで、被控訴人は前記代物弁済の予約を締結した頃、磯と交渉して同年八月十五日頃までに右二通の約束手形を取り戻して控訴人に返還するか、又は磯から控訴人宛に委託販売用の木材を送付させ、その売上金によつて解決するかいずれかの処置をとることとし、もし同日までに右いずれかの処置をとらないときは、控訴人は右二通の手形につき事故手形としての手続をとつても異議がなく、且つそれによつて控訴人の蒙る損害は、被控訴人が賠償することを控訴人に約したが、右約定の期日までに右二通の約束手形は控訴人に返還されなかつた。(うち一通だけは、本訴提起後の昭和三十三年九月頃返還された。)
しかし、右認定のような事実があつたからといつて、ただこのことだけで上記認定を覆し、控訴人の主張事実を認めることはできない。また、原審証人小沢和雄、染谷栄久の各証言により、いずれも真正に成立したものと認められる甲第九号証の一ないし三によると、控訴会社の帳簿上、現在では、前記売上金三十七万四千二百八十円が額面三十万円の前記二通の手形による金六十万円の貸金債権の一部弁済に充当されたものとして記帳されていることが認められるけれども、原審証人小沢和雄、染谷栄久の各証言、原審での控訴会社代表者本人松野鎌吉の尋問の結果並びに前掲乙第一ないし第十号証によれば、右記帳は、磯から送付された木材をせり売してその売上金を精算した当時には、右売上金はいずれも抵当権の被担保債権である百二万千五百四十四円の貸金債権の一部弁済に充当された旨、帳簿上記入されていたのであるが、後日になつて控訴会社代表者松野鎌吉の指示によつてこれを廃棄し、改めて上記認定のように記帳したものであることが認められるから、右帳簿上の記載は信用できない。さらに、原審証人小沢和雄、染谷栄久の各証言及び原審並びに当審での控訴会社代表者本人松野鎌吉の供述中には控訴人の右主張事実を裏付ける趣旨の部分があるけれども、前掲各証拠に照して信用することができない。他に右認定を覆して控訴人の主張事実を認めることのできる証拠はない。
してみると、本件土地の抵当権の被担保債権は金三十七万四千二百八十円の限度で弁済により消滅したものといわなければならない。
ところで、一定の金額の債権担保のために不動産に抵当権を設定するとともに、債権者の選択により、債権全額の弁済に代えてその不動産の所有権を債権者に移転する趣旨で、いわゆる代物弁済一方の予約を締結した場合には、かく別の事情のない限り、当事者の意思は、後日被担保債権のうちの相当額、すなわちその残額と目的物の価額とを比較し、客観的にみて、余りにその権衡を失するような場合には、債権者は代物弁済の予約完結権を失い、抵当権の実行だけで満足する趣旨であると解するのを相当とする。
本件においては、抵当権の被担保債権の内入弁済額は三分の一を超え相当の額に達していることは上記認定の事実に徴して明らかであるし、また、本件土地の昭和三十一年七月二十三日当時の時価が金七十三万五千二百八十円であることも上段認定のとおりであり、かく別の事情についてなんの主張、立証もないから、同年九月十六日当時にも少くとも右価額であつたものと認めるを相当とする。従つて、控訴人は本件土地の抵当権による被担保債権について上記の金三十七万四千二百八十円の内入弁済を受けたことによつて、昭和三十一年九月十六日には、本件土地についての代物弁済の予約完結権を一応失つたものといわなければならない。
その後、控訴人の債権が増加すれば本件土地についての代物弁済の予約完結権を復活することはあり得るが、その点については、控訴人はなんの主張、立証をしていないのであるから、その直後である本件訴状送達の日であること記録上明らかな昭和三十一年九月十八日当時、右代物弁済の予約完結権を控訴人が有していたことを前提とし、右予約完結の意思表示によつて本件土地の所有権を取得したと主張し、その所有権の移転登記手続を求めるとともに、地上建物の収去並びに本件土地の明渡を求める控訴人の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかであるから、棄却を免れない。従つて、右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項を流用してこれを棄却することとし、控訴費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 土肥原光圀)