東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2645号 判決 1962年9月20日
控訴人 被告 株式会社静岡相互銀行
訴訟代理人 内田善次郎 外一名
被控訴人 原告 国 代表者法務大臣 中垣国男
指定代理人 館忠彦 外一名
主文
原判決を次の通り変更する。
控訴人は被控訴人に対し金二六三円の支払をせよ。
被控訴人その余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠関係は、双方において次に記載の通り追加主張した外は、原判決の事実摘示の通りであるから、これを引用する。
(控訴人の主張)
一、相殺は二人互に同種の目的を有する債務を負担すること並びに両債務がいずれも弁済期にあることを要件とすることは民法五〇五条の規定するところである。しかし他面、債務者の関与しない債権譲渡(差押)によつて、債務者が従来債権者に対して主張することのできた利益を奪い、債務者の有する地位を不利益ならしむる結果を防がんとして、民法は四六八条二項の規定を設けている。この規定から見れば、債権譲渡(差押)の結果二人互に債務を負担していた対立関係がなくなつた場合でも、もし債権譲渡がなかつたなら、債務者において、相殺適状が生じたときに自己の債権で相殺し得ることが通常期待される場合には、債権譲渡のため右期待の利益を害することのないように債務者の地位を保護する必要があるものというべきである。即ちたとえ債権譲渡の通知当時は相殺適状になくても、他日相殺適状を生じたときは債務者は債権譲受人(差押債権者)に対し相殺をもつて対抗し得るものと解することが公平の原則に合致するものと考える。従つて被控訴人の差押当時まだ弁済期の到来していなかつた反対債権による相殺は差押債権者に対抗し得ないとの主張は当を得ない。
二、国税徴収法二三条の一第二項は国税滞納処分により納税人の有する債権が差押えられ、右被差押債権の第三債務者がその通知を受けたときは滞納処分費及び税額を限度として国が債権者に代位する旨定めており、右債権差押により国は当該債権の取立権を取得するのであるが、右取立権は単に納税人たる債権者に代つてその権利を行使し得るに止まるから、第三債務者の有する適法な相殺の抗弁権の行使まで制限することはできない。
三、仮りに民法の規定による相殺の主張が認められないとすれば控訴人は控訴人と訴外丸幸商事株式会社との間の相殺予約に基く予約完結の意思表示により相殺の効力が発生したものと主張する。
(一)、控訴人は昭和三一年七月一六日右訴外会社との間に手形取引契約(乙第一号証)を締結した。そして右契約ではその契約書の第一一条で(イ)債務者が控訴銀行に対し負担するすべての債務のどの一つについてでも債務の履行を怠つたとき、(ロ)他の債務のため根抵当物件その他債務者及び保証人の財産に対し仮差押仮処分、強制執行を受け、または破産和議の申立があつたとき、(ハ)債務者及び保証人が不渡処分を受け、その原因の如何を問わずはなはだしく信用を失墜し、控訴人において債務の履行に不安を認めたとき、(ニ)担保物件の価格を低落するような行為、その他信義誠実の原則に反するような行為があつたとき等には、債務者の控訴銀行に対する一切の債務は当然期限の利益を失い、控訴銀行から請求のあり次第直ちに弁済する旨、及び債務者の控訴銀行に対するすべての債務と、債務者又は保証人の控訴銀行に対する諸預け金、積立金、支払金その他の債権のいずれとでも、または全部とでも債権債務のいかんにかかわらず、債務者に通知しないで差引計算されても異議はない旨の約定がせられている。
(二)、訴外会社が昭和三二年一二月五日において同年分法人税一、九五六、〇三一円を滞納し、支払の意思及び能力を欠いたため重加算税、利子税及び延滞加算税まで課せられるような状態に立ち至つたことは被控訴人の主張するところである。そして前記約定はこれを相殺予約と見るべきであろうが、この約定の趣旨からすれば、右のような事態の発生した場合には、訴外会社の控訴人に対する本件差押に係る預金払戻債権と控訴人の右会社に対する手形金債権とにつき、右両者の弁済期如何を問わず直ちに相殺適状が発生し、控訴人は右相殺予約の完結の意思表示によりその対当額についての相殺を為し得るものと解すべきである。従つて本件差押に係る預金払戻債権は控訴人が昭和三二年一二月六日にした相殺予約完結の意思表示によつて対当額につき相殺せられたものである。
四、本件においては、控訴人が相殺の用に供した自働債権たる手形金債権の弁済期は、その受働債権たる本件差押にかかる預金債権の弁済期より前に到来するものであつて、かかる場合にあつては控訴人は相殺適状の発生次第何時でも手形債権を以つて預金債権と相殺し得る地位にあり、且つ相殺し得べき利益を有するものであるから、このような確実な控訴人の期待と利益とを予知しない差押によつて剥奪することは相殺制度の趣旨に照して妥当なものとはいい難い。また他面差押の目的たる債権について見れば、差押債権者の地位は、差押の当時における当該債権者のそれと同一であるべきであり、それ以上に有利な地位を取得すべきいわれはなく、第三債務者が不利な効果を甘受すべきいわれもない。差押債権者はもともと相殺の抗弁権をもつて対抗せらるべき債権を差押えたものであるから、相殺をもつて対抗せられる不利益を受ける状態で債権を行使するの外はないものである。
(被控訴人の主張)
一、支払の差止を受けた第三債務者が相殺を主張するためにはその自働債権が差押前にすでに弁済期にあることを必要とする。
支払の差止を受けた第三債務者はその後に取得した債権により相殺をもつて差押債権者に対抗できないことは民法五一一条の定めるところであるが、この規定の反対解釈として、差押前に自働債権を取得しておれば、その弁済期の到来の有無にかかわらず差押債権者に相殺をもつて対抗できるとすることはできない。なるほど、右民法の規定の文言を裏から見れば、差押前に取得したものであればよいと見ることができるかも知れない。しかし相殺によつて相対立する債権債務を対当額において消滅させるためにはその相殺をすることができる場合に限られ、相互の債権債務がともに弁済期にあつて相殺適状にあることがその前提となつているもので、この相殺適状がない限り相殺ということはあり得ないことは当然であつて、民法五一一条の解釈をするに当つても、その前提に相殺による対抗の問題を云為する以上、この法理を度外視して決することはできない。
また相殺をするためには、相殺適状時に各当事者にその債権の処分権の存することを必要とすると解せられる。けだし相殺は一種の債権処分行為であり、かつ各債務について現実の弁済をすることに代えてされるものであるからである。然るに債権差押はこれにより被差押債権について債務者の処分権を奪うものである。即ち差押は、これにより債務者の総債務のための最後的保障である財産を強制的に債務の履行に充てる着手であつて、かかる場合にはその財産の分配についてすべての債権者が平等に扱われる建前であり、従つて債権の差押があれば、被差押債権はその時以後債務者から切り離され、その支配から脱して、もつぱら法定の方法により第三債務者の反対債権を含む総債務の弁済に充てられるものであり、この場合被差押債権の第三債務者に対する関係は、あたかも差押時に即時にそれが取り立てられたと同様に観念すべきが相当であり、その結果第三債務者はその時点において行使し得た抗弁権以外のものを以つてはこれを差押債権者に対抗し得ざるに至るものというべきである。故に第三債務者が差押前から有する反対債権をもつて差押後に相殺をする場合においては、その相殺は対立債権が差押前に相殺適状にあつたか否かによつてその効力に差異を生ずることは当然である。対立債権が差押当時既に相殺適状にあつた場合には、元来差押以前にその相殺が可能であつたものであつて、現にそれが行われていたとすれば被差押債権は対当額の範囲内で消滅していた筈のものであり、かつ相殺の効力は相殺適状時まで遡るものであるから、差押当時たまたま相殺行為がされていなかつたとしても、この既に実質的には消滅したに等しく観念されている被差押債権について敢て第三債務者に履行を強いいわば確認的になされる第三債務者の相殺を否定すべき理由はなく、従つてこの場合には第三債務者は、差押の影響を受けず差押後の相殺をもつて差押債権者に対抗し得るものというべきである。しかし、これと異つて、差押当時反対債権がまだ弁済期になかつたような場合には、もともと差押までに相殺のされる余地は全くなく、被差押債権は差押当時名実ともに現存していたものであるから、第三債務者は後日反対債権の弁済期が到来したからといつて、元来右弁済期までしか効力の遡らぬ相殺をもつて右差押の基礎を覆すようなことはできず、従つてこの場合第三債務者は、差押の効力により、差押後の相殺をもつて差押債権者に対抗し得ないものといわなければならない。
従つて、差押前に反対債権を取得している場合に民法五一一条の反対解釈をするに当つては、その反対債権が差押前に弁済期にある場合とそうでない場合とを区別し、前者にあつては差押後に相殺をもつて差押債権者に対抗することができるが、後者にあつてはこれをすることができないものと解するのが相当である。
二、なお第三債務者の反対債権が差押当時まだ弁済期にない場合、一般的には右の反対債権による差押後の相殺をもつて差押債権者に対抗し得ないとしても、被差押債権の弁済期が反対債権のそれより後に到来する関係にあるときは、その第三債務者の相殺上の地位から考え、差押後においてもなおその相殺をもつて差押債権者に対抗できるとの見解があるかも知れない。なるほどかかる場合には執行債務者の債権は反対債権の弁済期まで確実に存続し、かつ右弁済期が到来したときは第三債務者は相殺という一方的決済方法によつて右債権から反対債権の弁済を受得るものであるから、右第三債務者の相殺上の地位ないしその債権の担保的関係は全く堅固であるかのように考えられる。しかし、これはもともと相殺の事情を当事者間だけについて考え、他の利害関係者の介在する場合、殊に差押があつた場合の関係を全く度外視することによつて得られる結論にすぎない。また差押がない場合に常に相殺による利益を受け得るからといつて、差押があつた場合にも当然に相殺ができなければならないという議論は成立しない。けだし、取立又は弁済の一便法たる相殺については、同種の目的を有する債権の対立及び両債権の弁済期の到来と並んで当該債権について両当事者に完全な処分権のあることを必要とする。然るに前記対立債権間の弁済期に関する事情は、それ自体単に将来の反対債権の弁済期到来時における債権対立の蓋然性の問題にすぎず、しかもかかる蓋然性の如何は、いやしくも差押と相殺の効力が問題となる如き場合即ち既にして反対債権の弁済期の到来時ないし相殺行為時に債権の対立が存することを前提とする場合には、最早遡つて論ぜられる意義を有しないのであつて、現にかくの如き債権対立のある場合には対立債権間の弁済期の先後により相殺上反対債権の保護に何等の差異を設くべき理由もない。即ち、既にして対立債権がともに弁済期にあるときは、差押を度外視すれば、被差押債権の弁済期が反対債権のそれの先である場合も後である場合も、等しく有効に相殺をなし得るものであるし、また、右相殺適状の生ずる以前に債権差押が生じたことを前提とするときは、被差押債権の弁済期が反対債権のそれより後の場合も、それが先である場合と同様に、等しく相殺と差押との衝突を生ずることに当然であつて、第三債務者の相殺上の立場は固よりこれを前提として考えられなければならないものである。従つてかかる衝突が生じた場合その問題の解決は債権対立の蓋然性の如何ではなく、これとは自ら別個の観点、すなわち差押及び相殺の性質如何にこれを求めるべきであるが、相殺が本来弁済期の到来した対立債権の簡易合理的な決済方法たることを本質とすることに鑑みれば、差押当時まだ弁済期になかつた反対債権による相殺は、すべてこれをもつて差押債権者に対抗し得ないものと解すべきである。
三、控訴人主張の手形取引契約書による相殺契約は、控訴人と訴外会社との間において控訴人に対し控訴人が有する自働債権につき期限の利益を剥奪して相殺することができる旨の相殺権を付与することを内容としたいわゆる相殺予約に当るものと見るべきで、このような予約に基く相殺の効力は、相殺権を付与された者が予約完結権の行使によつて相殺の意思表示をしたときに始めて生ずるものであつて、差押後における相殺をもつて差押債権者に対抗するためには、差押前に期限の利益を剥奪する旨の意思表示がされる必要があるものというべきである。そして、債権の差押によつて支払を差止められた第三債務者が差押にかかる債権と反対債権との相殺をもつて差押債権者に対抗できるかどうかは、法律の規定によつて決せらるべきものであつて、単なる私人間の契約によつて法律の認めるところ以上の相殺の対抗力を拡張しようとすることは、差押による処分禁止の効力を維持するために、第三債務者による相殺に対して一定の制限を設けようとした法律の精神をみだりにふみにじることを容認する結果を招くこととなり、到底許されるべきものでないといわなければならない。また、他方被差押債権の相殺禁止に関する民法五一一条は、差押債権者を保護するための強行規定であつて、当事者間の特約によつてみだりにこれを排除することができないものであるから、仮りに、本件において自働債権の弁済期が受働債権の弁済期より先に到来しても、それが差押の後である以上、これが特約によつて、差押債権者に対し相殺の効力を主張することはできないものというべきである。
理由
一、訴外丸幸商事株式会社が昭和三二年一二月五日現在で同年分法人税(重加算税、利子税及び延滞加算税を含む)金一、九五六、〇三一円を滞納していたことは成立に争いのない甲第一号証の一によつてこれを認めるに足り、静岡税務署長において右滞納金徴収のため、右訴外会社が岡田清一名義で控訴銀行静岡支店に対して有する、昭和三二年七月三一日預入れ、預金額八〇万円、支払期日昭和三三年七月三一日、利率年六分なる普通定期預金債権について、昭和三二年一二月五日国税徴収法第二三条の一の規定による差押処分として右債権の差押通知書を同支店に送達したことは当事者間に争いがない。
二、また成立に争いのない乙第三号証の一、二、原審証人望月幸雄及び堤敏夫の各証言によつて成立を認める乙第一、二号証に右各証人の証言を総合すれば、控訴銀行は昭和三一年七月一六日右訴外会社と手形取引契約を締結し、前記差押のあつた昭和三二年一二月五日当時、右訴外会社振出、金額八〇万円、振出日同年一〇月八日、満期同年一二月六日、支払地振出地ともに静岡市、支払場所控訴銀行静岡支店、受取人控訴銀行なる約束手形の所持人であり、右訴外会社に対し右手形債権を有していたが、前記のような預金債権の差押があつたので、その差押の翌日であり、右手形の満期である同年一二月六日附翌七日到達の書面をもつて右訴外会社に対し、右差押にかかる預金債権については期限の利益を放棄し、右預金債権と前記手形金債権とを相殺する旨の意思表示をし、被控訴人に対してもその旨の通知をしたことが認められる。
三、そこでまず、本件差押債権は控訴人の右相殺によつて消滅したとの控訴人の抗弁について判断する。
(一)、民法五一一条は「支払の差止を受けたる第三債務者はその後に取得したる債権により相殺をもつて差押債権者に対抗することを得ない」旨規定する。この規定の文言自体からすれば、その反面解釈として、差押前に取得した反対債権による相殺は、その反対債権の弁済期が差押の前であると後であると、また被差押債権の弁済期の前であると否とを問わず、相殺をもつて差押債権者に対抗できるものと解せられるようである。しかし、執行債務者の債権が差押を受けた場合、差押の効果として、債権者(執行債務者)は被差押債権につき取立、弁済の受領その他債権を消滅させるような一切の処分を禁止せられるものであり、その結果被差押債権の債務者(第三債務者)もこの禁止に反する執行債務者の行為に応じてはならない制約を受けるに至るものであるが、これは執行債務者に対する差押の効果としての処分禁止の結果、第三債務者も、いわばその反射効として右のような制約を受けるにすぎないものであつて、第三債務者は、差押があつたからといつて、自己に何等の責任のないこの差押なる第三者の行為の介入によつて、被差押債権について差押前から有する抗弁権その他正当に保護せらるべき利益を害されてはならない。民法五一一条は、この理を、第三債務者からする相殺について、第三債務者が差押後に取得した反対債権をもつてする相殺はこれをもつて差押債権者に対抗することができないとの消極面からとらえてこれを規定したものと解すべきである。
従つて右規定の反面解釈をするに当つても、当然右の趣旨を参酌の上その解釈に当るべきであり、差押前取得の債権による相殺について、この相殺権の行使が右にいう第三債務者が被差押債権について差押前から有する正当に保護せらるべき利益の主張に当るか否かを検してその許否を決すべきである。右の見地に立つてこれを検討すれば、
(1)、差押前相殺適状にある相殺権の行使の許されることは当然として、
(2)、差押後に弁済期の到来する反対債権をもつてする相殺にあつては、
(イ)、その反対債権の弁済期が被差押債権のそれより後に到来するものは、第三債務者として被差押債権の弁済期が到来すれば、反対債権による相殺はこれを主張するに由がなく、被差押債権の弁済請求に応じなければならない関係にあるもの(従つて殆んど担保的な意味もないもの)であるから、かかる場合にあつては第三債務者において相殺を主張すべき正当な利益を有しないものであり、従つてその相殺はこれを許さないものと解するのが相当であり、
(ロ)、これに反し、反対債権の弁済期が被差押債権のそれより前に到来するものにあつては、第三債務者として差押当時既に、将来反対債権の弁済期が到来すれば被差押債権とこれを相殺すべき期待と利益を有するものであり、この期待と利益はこれを保護するのが相当であると考えられるところであるから、右のような反対債権をもつてする相殺はこれを差押債権者に対抗するを得るものと解しなければならない。(なお、わが民法に継受されてはいないが、ドイツ民法第三九二条にはこれと同趣旨の規定がある。)
(二)、被控訴人は差押の効力からいつて差押後に弁済期の到来する反対債権での相殺は許されないと主張するが、民法五一一条は差押の効力にもかかわらず、差押前取得の反対債権による相殺はこれを前記の限度において許したものと解すべきである。
(三)、原判決は第三債務者が差押後なお相殺をなし得るのは、双方の債権が差押前相殺適状にあつて、相殺の効力が差押前に遡及するような場合に限る趣旨の判断をしている。しかし差押後第三債務者がなおその反対債権をもつて被差押債権と相殺し得るものと解するのは、その相殺の効果が差押前に遡及するからによるのではなく、差押に対する第三債務者の地位を適当に保護せんとする法の趣旨によるものと解すべきこと、前記の通りであるのみならず、これをもし原判決のように判断すべきものとすれば、反対債権の弁済期は差押前であつても、被差押債権の弁済期が差押後であれば、この反対債権による相殺はこれを許すことができないものとの結論にならざるを得ないものと考えられ、採用し難いところである。
(四)、本件においては被差押債権である預金債権の弁済期は昭和三三年七月三一日であり、控訴人が相殺のために援用した反対債権の弁済期は昭和三二年一二月六日である。従つて本件の場合に前記の理論を適用すれば、第三債務者である控訴人において右反対債権での相殺をもつて差押債権者たる被控訴人に対抗することのできることは明かである。右に反する被控訴人の主張はこれを採用することはできない。
四、以上の通りであつて、被控訴人の本訴請求にかかる本件差押債権は控訴人の有する反対債権との相殺によつて、その対当額につき消滅したものであるが、本件差押にかかる預金債権は金額八〇万円、その弁済期は昭和三三年七月三一日、利率年六分の利息付債権であつて、その差押のせられた昭和三二年一二月五日当時その利息を生じつつあつたものであり、被控訴人は右差押債権の支払として元本八〇万円の外に差押の日である昭和三二年一二月五日以降の右約定利息の請求をしている。そして右差押債権に対して相殺の用に供せられた控訴人の反対債権は金額八〇万円、満期昭和三二年一二月六日の約束手形債権であつて、右手形の支払場所は控訴銀行静岡支店であるが、右手形が満期に支払場所に呈示せられたことについては何等の主張も立証もない。この状態で控訴人は昭和三二年一二月七日到達の書面をもつて差押にかかる債務についての期限の利益を放棄して右差押債務と前記反対債権との相殺をしたものである。そうすれば右両債権は差押債務についての期限の利益が放棄せられて相殺のせられた右昭和三二年一二月七日にその相殺適状になつたものと解すべきであり、右反対債権についての利息ないし損害金は右相殺に至るまで何等その発生がないのに比し、差押債務にあつては同年一二月五日と六日は約定利息が生じており、この利息は本件相殺によつては消滅しなかつたものといわなければならない。(なお一般に定期預金債権にあつては、その期限の利益は債務者債権者の双方のために定められているものと解せられるが、本件にあつては、前記乙第一号証に控訴人主張のような約定がせられており、この約定からすれば、控訴人は格別本件定期預金の弁済期までの利息を支払うことなくして期限の利益を放棄できるものと解せられる)。
五、そうとすれば、被控訴人の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、その請求中本件定期預金に対する二日分年六分の割合による金二六三円の支払を求める部分は正当であるがその余は失当としてこれを棄却すべきである。
よつて右と趣を異にする原判決を主文記載の通り変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条但し書を適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 原増司 裁判官 山下朝一 裁判官 多田貞治)