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東京高等裁判所 昭和34年(ラ)724号 決定 1959年11月28日

抗告人 高山伸作(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は、原審判を取消し、更に相当の審判を求める旨申立て、その理由として、別紙の通り主張した。

按ずるに、民法八七七条以下の規定による扶養の請求は、扶養を受けるべき者(本件では抗告人)が、自己の資産又は労務によつて生活をすることができない状態にある場合でなければ、これをなし得ないものである。ところが、本件調査の結果によつても抗告人が右のような状態にあることはこれを認め得ず、却て、抗告人も、あえてこれを争つていない原審判認定の事実に徴すれば、抗告人が現在右のような状態にあるといわれないことが明らかであるから、抗告人は現在扶養を請求する権利はないものといわなければならない。

抗告人は、抗告人の祖父鷲郎の弟幸郎が、昭和一一年八月中、抗告人に対して金三、〇〇〇円を贈与することを約束したとか、鷲郎は存命中、抗告人が郷里に帰つたならば必ず家を持たせてやると言明していたとか、抗告人が法定の推定家督相続人を廃除されたのは、鷲郎と高山信吉(抗告人の叔父)との間に、抗告人が郷里に帰れば分家をさせるという約束がなされての上のことであつたとかいうことをるる述べているが、たとえそういうことがあつたとしても、抗告人に現在扶養請求の権利がないという前記の結論に変りはない。尤も、抗告人が前記のようなことを述べているのは、そういう種々の事実に基き、抗告人には、相手方(高山治)に対し、金員又はその他の財産の分与を請求する権利があるものとし、その権利の行使として財産の分与を求めるのが本件審判の請求であることを主張するものであると解されないでもないが、もし、そういう趣旨だとすれば、それは純然なる財産上の請求であつて、身分上の権利である扶養の請求ではなく、従つて、家事審判の対象にはならないものであるから、そもそも本件審判の請求が許されないということになるのである(もし、抗告人が、どこまでも、そういう権利を主張するというのであるならば、別に民事訴訟を起す外はないであろう)。

以上の次第で、抗告人の本件請求を排斥した原審判は相当で、抗告は理由がないから、主文の通り決定する。

(裁判長裁判官 内田護文 裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 入山実)

(別紙) 抗告理由

私わ昭和十一年八月二十一日祖父鷲郎弟幸郎より当事の金で三千円をやくそく致し、幸郎の生きて居る間にかならず私にやるとのかたいやくそくの上北海道に旧母をたづねて行き函館市○○町に青物商を開業致して居りましたが其後店をやめ今日迄家に帰らなかつたので有ります其のうちにやくそく致した幸郎も死亡致しやくそく致した金も頂く事が出来ず、昨年十月二十年日家に帰り叔父信吉さんも親族会議を二回にわたり相手方治に祖父鷲郎が生きて居る時兄伸作が家に帰つて来たならばかならず生活の出来るよう、家を持たせてやると現在生きて居る叔父信吉さんに申して居たとの事、また私が北海道に行く時も、死んだ幸郎が三千円やると申した事も叔父信吉さんはぜんぶしつて居るので有ります。其てんを相手方治に昨年私が、家に帰つた時も色々と願つて下さいましたが、相手方はなんと致しても聞き入れず、親族の人達や叔父信吉さんに相談の上昨年十二月新潟家庭裁判所に調停をお願い致したので有ります。私が此度審判をお願い致したのも現在郷里に生きて居る叔父信吉さんが七十二才私が出所する迄は生きて居るかどうか知れませんそこで出来る事なら叔父さんが生きて居るうちに此の審判をお願い致したので有ります私を排除致したのも現在の叔父信吉さんで排除の時にも祖父と相談の上私が帰つたら分家に出すとのやくそくの上排除致したので有ります。私は後にも先にも昭和十一年当事の金で三百円頂いただけで有ります。それで現在生きて居ります叔父さんが、それでは私が、死んだ叔父とのやくそくがたたないと申され自分の田畑迄売り私をなんとか生活出来るようにと心配致して下さいましたが、私と致しては相手方が私に扶養するだけの力がなければ叔父さんにお願い致したので有りますが、現在は弟は田畑三町以上其他倉家と有るのであります。

親族の話に申す聞けば二、三年前酒の為或る女遊び迄致し、妻は家に帰り子供までがぜんぶべつべつに別れた事が有るそうで有ります、それを叔父信吉さんが仲に入つて現在のように幸福に致したので有ります。親族の会議の時も、此の事を叔父さんが申され兄が此度真人間に成ると出所して帰つて来たので有るから、何んとか此度出来るだけの事をしてやれと申されましたが相手方は聞き入れず此度抗告をお願い致したので有ります、此度の審判を却下になりました理由は現在私が昭和三十八年迄服役すなければならないので扶養のひつようはないとの理由で有ります。先ほども申上げましたが叔父信吉さんが現在七十二才其の上病気で身体のよわいので私が出所迄生きて居るかどうか知れないので此度御無理をお願ひ致して抗告をお願い致したので有ります。

申しおくれましたが、祖父の弟幸郎は、相手方治が若いので、昭和十九年死亡致す迄祖父の後をやりくつて居つたので有ります。

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