東京高等裁判所 昭和34年(行ナ)58号 判決 1960年4月19日
原告 渡辺繁三
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨及び原因
原告訴訟代理人は、特許庁が昭和三十一年抗告審判第一、八四六号事件について昭和三十四年九月三十日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。
一、原告は、昭和三十一年三月十四日、別紙表示のとおり「どぜう」の文字を縦書して成り、第四十五類泥鰌味噌汁、泥鰌蒲焼、泥鰌煮を指定商品とする商標の登録出願をし、昭和三十一年商標登録願第八、二七四号として審査されたが、昭和三十一年七月二十五日拒絶査定を受けた。原告は、そこでこれに対する抗告審判を請求し、昭和三十一年抗告審判第一、八四六号事件として特許庁に係属したが、昭和三十四年九月三十日に至つて、右請求は成り立たない旨の審決があり、原告は同年十月十三日に右審決書謄本の送達を受けた。右審決の要旨は、淡水魚の一種である「泥鰌」を現在平仮名をもつて表示するときは「どじよう」の文字で表わされることは否定しないが、これを「どぜう」の文字で表わすことも亦古くから存することが明らかであり、また「どじよう」と「どぜう」とは称呼上ほとんど同一であること等を綜合勘案するときは、「どぜう」の文字を通常の書体で表わしてなるにすぎない本願商標については、看者はこれを直ちに「泥鰌」を意味する文字として直観し、または容易にこれを理解するところであるというを社会通念上相当とし、これはその指定商品については何人も自由に採択使用しうべき文字であることは、旧商標法(大正十年法律第九十九号以下同じ)第八条の法意の反面解釈上明らかであつて、特定人の商標としてその使用を独占することを許さるべきでないから、結局本願は旧商標法第一条第二項に規定する特別顕著性の要件を具備するものでない。というにあり、なお、本願商標が永年使用により取引者及び需要者間に広く認識せられた事実を認めることもできない、としている。
二、右の審決は次の理由によつて違法である。
(一) そもそも出願にかゝる商標の特別顕著性の有無を断定するにあたつては、当該商標の査定の時における社会通念に準拠してこれをしなければならない。すなわち、当該商標が普通の態様による文字又は図形をもつてその指定商品を表示しているに過ぎないから特別顕著性を有せず、と断定せんがためには、当該商標の査定の時における一般の社会通念上から見て、それが普通の態様においてその指定商品を表わしているに過ぎないものでなければならない。
いま、本願商標を見るのに、「どぜう」の文字は指定商品である「泥鰌」を現在における一般の社会通念上から見て、普通の態様において、言い換えれば現在普通に使用される仮名文字をもつて表示したものではない。現在普通に表示される仮名文字をもつて「泥鰌」を表示するときは、「どじよう」または「ドジヨウ」の態様において表示されるものであり、この点については、審決もこれを肯定していること、前にその理由の要旨として示したところによつて明らかである。
果してしからば、本願商標が現在における普通の態様、すなわち通常使用される仮名文字をもつてその指定商品を表示したものでないことは明らかであるにもかゝわらず、審決が本願商標につき旧商標法第八条の法意を適用して、その登録を拒否したことは、法令の適用を誤つたものといわなくてはならない。
(二) 審決は、その理由において、「泥鰌」につき、これを「どぜう」の文字で表わすことも亦古くから存することが明らかであり、看者はこれを直ちに「泥鰌」を意味する文字として直観するから、本願商標は単に指定商品を表示するに過ぎない、としているが、仮に「どぜう」の文字がかつて古く使用されたとするも、そのことは「どぜう」の仮名文字が現在普通に使用されているという証左にならない。さらにまた、「どぜう」が現在普通に使用されない仮名づかいである以上、この文字が直ちに「泥鰌」を意味するものと一般に直観されることはあり得ない。けだし、一定の文字を見て看者がその内容を直観し得るとするには、その文字が現在の社会通念上普遍的に広く、何人にもよく親しまれていることを前提としなければならないから、たとい、かつて古く「どぜう」の仮名文字が使われたとするも、現在普通に使用せられる仮名文字が「どじよう」または「ドジヨウ」である以上、この「どぜう」の文字から「泥鰌」を直観し得ることが現在の社会通念上普遍的に妥当であるとはなし得ない。
果してしからば、審決が旧商標法第八条の反面解釈上本願商標に商標法上の特別顕著性なしとしたことは、法律の解釈を誤つた違法があるものといわなくてはならない。
(三) 審決は、また、「どじよう」と「どぜう」とは称呼上ほとんど同一で、看者はこれを直ちに「泥鰌」を意味する文字として直観するから、本願商標は単に指定商品を表示するに過ぎないものとしている。
しかし、本願商標からは文字通り「どぜう」の称呼が生ずるものであり、これをもつて「どじよう」と称呼上ほとんど同一であるとした審決はその認定を誤つている。仮に本願商標から「どじよう」の称呼が生ずるものとするも、その故をもつて直ちに本願商標は単にその指定商品である「泥鰌」を普通の態様で表示するものに過ぎずと断定することはできない。けだし、商標の称呼がその指定商品を表示しているとするも、当該商標の外観が普通の態様においてその指定商品を表示しているものでないかぎり、当該商標の称呼と指定商品の表示とは当該商標の特別顕著性の有無を判断する過程において全く無関係のものであるからである。
これを従来の特許庁の審査例に徴するに、商標出願公告昭二六―七六四〇(商標登録第四〇二八一九号)、同公告昭二七―四八九六(商標登録第四一八五四八号)、同公告昭二七―四八九七、同公告昭二七―五六〇二(商標登録第四一八五四七号)、同公告昭二九―二八三四号(商標登録第四四八八〇五)の各商標は、第四十五類鰻寿司、鰻弁当及び鰻蒲焼を指定商品とし、鰻の文字をほゞ円形に図案化して成るものである。これらの登録商標はその要部をなす鰻の文字から「うなぎ」の称呼を生ずることは疑をさしはさむ余地がない。かく、鰻を指定商品とし、「うなぎ」の称呼を有しながら、なおかつこれらの商標に特別顕著性を認めた理由は、おそらくこれらの商標が鰻の文字を普通の態様において表示しなかつたという点にあるものと推測される。
果してしからば、本願商標の「どぜう」の文字自体が現在通常使用されている「泥鰌」を表示する仮名文字「どじよう」又は「ドジヨウ」と異なり、きわめて意外の表現態様であり、看者に奇異の感をいだかせる仮名文字である以上、本願商標から仮に「どじよう」の称呼が生じたとするも、本願商標に特別顕著性を認めることは、何ら奇とするに足りない。
審決は従来の特許の審査例に反するのみならず、法令の解釈を誤つた違法があるというべきである。
(四) 最後に、審決は、原告の主張する、本願商標はその指定商品につき永年使用により取引者及び需要者間に広く認識されているから特別顕著性を具有するものである、との事実につき、これを立証するに足る証拠がないとしているが、原告は数代にわたり、現在の場所において同一営業を経営して来たものであり、本願商標の文字を、店ののれん、包紙及び貼札等に表示して使用し来り、現在に至つたものであつて、したがつて、「どぜう」の文字がその指定商品につき永年使用により取引者及び需要者間に広く認識されていることは、明白である。
しからば、審決が本願商標を目して永年使用による周知標章にあらずとしているのは、事実の認定を誤つた違法があると言わざるを得ない。
三、よつて、こゝに右審決の取消を求める。
第二答弁
被告指定代理人は、主文通りの判決を求め、次のとおり答弁した。
一、原告主張事実中、本件商標登録出願からその拒絶査定に対する抗告審判において原告主張の審決の審決書謄本が送達されるに至るまでの特許庁の手続に関する事実、及び右審決書の理由の要旨がおうむね原告の主張するところのごときものであること(たゞし原告のこの点に関する主張は必ずしも正確に被告の見解を表わしていない点がある。)は、認めるが、右審決が違法であると主張して、原告のるゝ述べている点は、全くその理由がないものであること、次に述べる通りである。
二、原告が、初めに、出願商標の特別顕著性の有無を判断するにあたつては、当該商標の査定の時における社会通念に準拠してこれを断定しなければならない、と述べていることは、一応首肯し得られるが、これに続いて原告が展開している考え方は全く誤まりであると言わざるを得ない。
何故ならば、「泥鰌」が現在は「どじよう」の仮名文字をもつて表わされることを通常とすることは、被告も必ずしもこれを否定するものではないが、かつてはこれを「どぜう」の文字をもつて表わすことも正しい表現方法であつて、決して誤まりでないことは、審決も説示するところである。また、現在においても、現実にはこのような仮名づかいをする人も決して少なくなく、このことは現に新聞、雑誌等に掲載されている小説その他の記事に「どぜう」の仮名づかいが用いられることを、しばしば見出し得ることによつて明らかである。
次に、仮に原告の主張するように、現在一般に雑誌その他の刊行物において「どじよう」の仮名づかいが広く用いられているとしても、「どじよう」と「どぜう」の両文字の称呼はほとんど同一であるといわなくてはならないから、この点において区別し得られないことも明らかである。
三、そもそも、商標は字体等外観により目に訴えて商品を区別させる作用を営むだけでなく、電報、電話による場合はもちろん、一般口頭弁論の注文の場合を考えて明らかなように、音によつてその商品を指示し、他の商品とを区別するに使われ、また観念によつて記憶されるものであるから、ひとり字体等の外観ばかりでなく、称呼、観念において指定商品をそのまゝに表わしているような商標は、やはりこれを特別顕著性ありとしてこれを登録して排他的使用権を与えるには適さないものと解さねばならないことは、東京高等裁判所昭和二十九年(行ナ)第三五号事件の判決(昭和三十年九月二十七日言渡)において説示されたとおりである。しからば、本件事案において、仮に本願商標を構成する文字が、「泥鰌」を表わす平仮名文字として、外観において「どじよう」の文字と異なることが認められるとしても、その称呼において両者はほとんど同一であり、また前記のごとく「どぜう」の文字をもつて表わす用例も存し、かつ現在においても現実に「どぜう」の仮名づかいを用いる人も決して少なくないから、これらの点を綜合的に勘案すれば、観念においてもその指定商品を表わすものとして理解し、または少なくともこれを直観するものであることは、社会通念上疑をいれない。
以上のように考えるときは、原告の主張の全く誤りであることは、明らかである。
四、また原告は登録例を引用して、本件審決の判断は不当であると主張しているが、これらの登録をみるのに、いずれも「鰻」の文字と思われるものを、きわめて図案化した態様で表わして成るものであつて、本件とは事案を異にするものであることが明らかであるから、これらの審査例の存することをもつて、本件審決の当否を論ずる基準とすることはできないものである。
五、原告は、最後に、本願商標は永年使用により取引者及び需要者間に広く認識されたものである旨主張しているが、原告の提出にかゝる証拠をもつてしては、或いは本願商標が仮に取引者及び需要者の一部の間に知られていることは認めることができるとしても、広くこれらの人々の間に認識され、かつ原告が指定商品についてこれを専用しているという事実を認めるには十分なものではないか、或いは「どぜう」の文字よりなる本願商標とはその構成が異なるものが示されているものであることが明らかであるから、これらの証拠をもつてして何らの原告の主張事実を立証するに足るものでないことは、疑をいれない。
六、要するに、原告の主張するところは何らの理由のないものであつて、審決の認定は正当であると信ずる。
第三証拠<省略>
理由
一、原告が昭和三十一年三月十四日に別紙表示のとおり「どぜう」の文字を縦書して成り第四十五類泥鰌味噌汁、泥鰌蒲焼、泥鰌煮を指定商品とする商標の登録出願をし(昭和三十一年商標登録願第八、二七四号)、同年七月二十五日にその拒絶査定を受けたので、抗告審判を請求したが(同年抗告審判第一、八四六号)、昭和三十四年九月三十日に右請求は成り立たない旨の審決があり、その審決書謄本が同年十月十三日原告に送達されたことは、当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二四号証(審決書)によれば、右審決の要旨は、「泥鰌」は現在平仮名をもつて表示するときは「どじよう」の文字で表わされることは否定しないが、これを「どぜう」の文字をもつて表わすことも亦古くから存することが明らかであり、また「どじよう」と「どぜう」とは称呼上ほとんど同一であること等を綜合勘案するときは、「どぜう」の文字を通常の書体で表わしてなるにすぎない本願商標については、看者はこれを直ちに「泥鰌」を意味する文字として直観し、または容易にこれを理解するところであるというを社会通念上相当とし、これはその指定商品については何人も自由に採択使用しうべき文字であることは、旧商標法第八条の法意の反面解釈上明らかであつて、特定人の商標としてその使用を独占することを許されるべきでないことは商標法全般の精神に照し相当とするところであるから、結局本願商標は上記の理由により旧商標法第一条第二項に規定する自他商品甄別標識としての特別顕著の要件を具備するものでないと判断せざるを得ず、なお、抗告審判請求人(原告)は、本願商標はその指定商品について数十年来これを使用してきたものであり、永年使用により取引者及び需要者間に広く認識されているから特別顕著性を具有するものであると主張し、証拠をも提出しているが、そのあるものについては、それのみをもつてしては未だ本願商標が永年使用により取引者及び需要者間に広く認識せられ、原告が指定商品についてこれを専用するの事実を認めることはできないし、また他の証拠に表わすところのものは、「どぜう」の文字より成る本願商標とは別異のものであること明らかであるから、これをもつてしては原告の主張事実を立証するに足るものでないことはその証拠の性質上疑をいれないところであつて、ひつきよう原告の主張理由はこれを採択するに由ない、というにあることを認めることができる。
二、ところで、指定商品の普通名称を通常の方法で表示するに過ぎないものは、自他商品甄別の標識たるべき商標の機能を果し得ないものであるから、旧商標法第一条第二項に規定された特別顕著なることの要件を欠くとして、その登録を拒否さるべきことは当然であり、そのことは、登録された商標権の効力が普通に使用される方法でその商品の普通名称を表示するものには及ばないとする旧商標法第八条の法意を推考するまでもなく、明白なところといわなくてはならない。
ところで、本願商標の指定商品の材料である泥鰌は、現在平仮名をもつてこれを表示するときは「どじよう」の文字を使用することが多いことは、被告も敢て争わないところであるが、成立に争のない乙第二号証の二(大言海)によるも明らかなとおり、「どぜう」と表示する方法も亦存在し、しかもそれは仮名の古来の用法として、歴史的好尚を有する一部の人士によつて現在もなお使用され、これを見る一般の人においても、直ちにこれを泥鰌を意味する文字と理解して怪しまないことは、当裁判所に顕著なところであつて、「どぜう」とは、通常の方法によつて指定商品(本願について言えば、厳密には指定商品の材料というべきであるが、およそ食品については、材料名をもつて直ちに完成された食品を表示することも日常しばしば行われるところであり、「泥鰌」といつて本願商標の指定商品である泥鰌味噌汁、泥鰌蒲焼、泥鰌煮を意味することも、必ずしも通常の言葉の使用方法でないということはできない。)の普通名称を表示したものと言うに妨げないと考えるのが相当である。
原告は商標の特別顕著性の有無を断定するには当該商標の査定の時における社会通念に準拠してこれをなすべく、仮に「どぜう」の文字がかつて使用されたことがあるとするも、それが現在普通に使用される仮名文字をもつて表示したものでない以上、前記基準に照し普通の態様によつて指定商品を表示したものと言うこともできないし、またこれを見て直ちに「泥鰌」を意味するものと一般に直観されることもあり得ない旨主張するが、「どぜう」の仮名づかいは現在もなお使用されており、これを見て直ちに泥鰌を意味するものと解するには、必ずしも特別の知識を必要としないことは前に認定するところによつて明らかであるので、これらの原告の主張はすべて採用しがたい。
原告はさらに本願商標からは文字通り「どぜう」の称呼を生じ、称呼上指定商品の普通名称である「どじよう」とは異なるものであり、仮に両者が称呼上ほとんど同一であるとするも、特異の態様において表現されているから、特別顕著性を認めるに妨げない、と主張する。しかし、泥鰌を表示するに「どぜう」をもつてするような、いわゆる旧仮名づかいにおいては、仮名文字を文字通りに発音することなく、直ちに意味をとつて発音するのがかえつて普通であることにかんがみれば、「どぜう」と「どじよう」とは少なくとも称呼上ほとんど同一であると言い得べく、また、「どぜう」は仮名文字をもつて泥鰌を表示する通常の方法であること、前に認定したとおりであり、しかも成立に争のない乙第一号証(本件商標登録願書)によれば、本願商標は「どぜう」の平仮名を通常の書体で単に肉太に縦書して表わして成るに過ぎないものであることが明らかであるので、泥鰌を材料とする指定商品につき、これに自他甄別の標識たる特別顕著性を肯定することは、とうていできないものと言わなくてはならない。成立に争のない甲第一六号証、第一七号証の一、二、第一八、第一九号証(各商標公報)により認めうる他の査定例も、指定商品の普通名称である鰻の文字を要部とするものではあるが、該文字はいずれも極端に図案化され、その表現の態様において特異なものであるので、これらの商標が登録を許されているからと言つて、本願商標の登録も亦これを許すべきものであるとすることは妥当でない。
三、原告は、また、本願商標は永年使用によつて原告の商標として広く知られ、特別顕著性を具有するに至つた、と主張する。そこで、証拠を検討するのに、真正の成立を認め得べき甲第六号証(東京蔵前料飲組合長の証明書)は、単にこれのみによつて、原告の主張事実を認めるに十分なものではなく、また、これ亦真正の成立を認め得る同第七、第九、第二〇号証の各二(各説明書)並びにこれらの書証によつて明治四十年十一月十二日と昭和三十三年一月十日とに原告の店舖を撮影した写真であることを認め得る同第七、第二〇号証の各一及び原告が商品の貼札として使用しているものであることを認め得る同第九号証の一を見れば、原告は古くから「どぜう」と表示したのれんを店頭に掲げ、また単に「どぜう」と記載した貼札を商品に貼布使用していることを認めることができるけれども、同時に右甲第二〇号証の一(昭和三十三年一月十日撮影の写真)並びに真正の成立を認め得べき甲第八号証の二(説明書)及びこれにより原告が使用している商品のつつみ紙であることが明らかな同第八号証の一によれば、原告はその商品を「駒形どぜう」とも呼んでいることがうかがわれ、「どぜう」が原告の専用する商標として広く取引者、需要者に認識されているという事実はこれを認めることができないから、たとえ本願商標はそれ自体特別顕著性を有しないとしても、永年使用により原告の商標としての特別顕著性を具有するに至つた、との原告の主張は、これを採用することができない。
四、本件出願商標は、旧商標法第一条第二項に規定する特別顕著なることの要件を具備しないので、これが登録は許さるべきでない、とした本件審決は相当であつて、その取消を求める原告の請求は理由がない。
よつて、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 内田護文 鈴木禎次郎 入山実)
本件出願商標<省略>