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東京高等裁判所 昭和35年(う)1582号 判決 1960年12月14日

控訴人 原審検察官 二川武

被告人 丸山宣行

検査官 八木胖

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検事八木胖提出に係る松本区検察庁検察官事務取扱検察官検事二川武作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。

本件記録によれば、本件公訴事実は、「被告人は昭和三十四年六月十日午後四時三十分頃小型四輪乗用自動車(小松知典外四名同乗)を運転して長野県諏訪郡富士見町落合四千九百十七番地先道路を進行し、対向進行した氏名不詳者運転の特種自動車(大型ガーデントラクター)とすれ違うにあたり、右道路は非舗装で幅員も狭くかつ凹凸が多いのに、前方並びに左側の安全を確認することなく、漫然左側へ移行して道路より約一米五十センチ下の水田に転落し、以て道路及び交通の状況に応じ公衆に危害を及ぼさせないような方法で右自動車を操縦しなかつたものである」と云うに在るところ、これに対し原判決は、本件に於ける道路の状況及び交通の状況を確定した上、被告人が右ガーデントラクターと擦れ違つてから後ハンドルを右に切り道路中央に出でんとした際、道路の凹凸の状況を確めず右に切るのが不十分であつたためバウンドによりハンドルを左にとられ道路からすり落ちて転落したか、或は未だ道路中央の安全な箇所に行かないうちにハンドルを左に戻したため左側車輪が道路からはずれ転落したか、或はまた一旦道路中央に出た後ハンドルを左に戻した際左に戻し過ぎたため乃至左に戻した後道路すれすれを進行したため転落したか、証拠上本件転落の原因たる速度と方法とが右いずれであるか確定できないから、本件公判事実はその証明がないとし、進んで本件自動車の同乗者たる小松知典外四名は被告人と行を共にした友人同志だから道路交通取締法第八条第一項にいわゆる公衆に当らないとして無罪の言渡をしていることが認められる。

所論はこれに対し、(一)原判決は本件転落の原因につき、被告人がいかなる速度と方法で右自動車を操縦したため転落するに至つたかが証拠上明らかでないとしているが、なる程被告人の供述は、警察、検察庁、原審公判廷と一貫していない点はあるが、ハンドル操縦の具体的方法につき稍動揺しているのに過ぎなく、他の証拠と綜合すれば、公訴事実どおり、被告人が大型車とすれ違つた後、時速十粁で道幅五、五米のところから四、三米になつている道路の中央辺に出るべくハンドルを右に切り、これを左に戻す際道路の左端を確認しないまま左に戻したため自動車が転落するに至つた事実を認定し得るのに、原判決は、この点証拠の価値判断を誤まり事実を誤認したもので、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかである。(二)また原判決は、道路交通取締法第八条第一項の公衆とは不特定又は多数人を意味するが、本件自動車に同乗していた五人は前日以来行動を共にした友人等であつて不特定人でも多数人でもないから公衆とは言えないと判示しているが公衆とは単に道路を通行している他の車馬、軌道車、歩行者に限らず、道路上或は附近の人又は家屋物件等その他その操縦する車馬、軌道車に乗車している人をも包含しているものと解すべきであるから、本件同乗者も右公衆中に含まれることが明らかであり、原判決はこの点に於ても法令の解釈適用を誤つたもので、その誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであると云うに在る。

よつて案ずるに、当審に於ける事実取調の結果を参酌し、原審が適法に取り調べた証拠を綜合するときは、被告人は、昭和三十四年六月十四日午後四時三十分頃小松知典外四名の友人等を同乗させ小型四輪自動車を運転し、南方から長野県諏訪郡富士見町落合四千九百十七番地先道路に差し蒐つたこと、右道路は非舗装で、宮の沢川と称する小川に架設された石橋手前は道路の幅員は五、五米あるも、右石橋の幅員は四、二米、その先は概ね四、三米であり、進行方向の道路右側は、柴垣を隔てて森山利一宅があり、左側は、高さ一、五米の斜面の土手、用水堀畦、水田が順々にあり、右石橋附近進行方向の稍左側に凹地が二箇所あること、当時右道路上には擦れ違つたガーデントラクターの外、車馬歩行者が見当らなかつたこと、以上の状況の下に於て被告人はガーデントラクターと互に速度を落し乍ら右幅員の最も広い箇所で擦れ違い、その直後、速度を時速五、六粁から十粁にあげ道路中央に出すべくハンドルを右に切り、次いで左に戻し、自動車の左前車輪を道路左端から逸脱させ自動車を転落させたことを認めることができる。所論は罪となるべき事実を略々右のとおり認定することができ、右事実が道路交通取締法第八条第一項に違反すると主張するが、しかし、道路交通取締法第八条第一項には「車馬又は軌道車の操縦者は道路、交通、積載の状況に応じ公衆に危害を及ぼさないような速度と方法で操縦しなければならない。」とあつて、これが過失をも処罰する規定がないから、いわゆる故意犯であると云わなければならない。従つて自動車の運転者が道路又は交通の状況に応ぜず公衆に危害を及ぼす虞ある速度と方法を以て操縦しなければ右第八条第一項の違反罪とならないことが明らかである。これを本件について見るに、右転落に至つたのは、被告人が自動車を安全に操縦すべくガーデントラクターと擦れ違つた直後道路左側から幅員の稍狭い道路中央に出ずべくハンドルを右に切り、速力を時速五、六粁から十粁前後にあげ進行するや否や、道路上の凹部のため二、三回バウンドしたためハンドルを左に戻したるも、道路の幅員、道路の左端の状況に対する観測を誤り、ハンドルを左に戻し過ぎたため、自動車の左前車輪を道路左端から逸脱させたことに因るものであることが証拠上明白であつて、結局本件転落は自動車の操縦方法を誤りハンドルを左に戻し過ぎた過失によるものと思われ、所論のように被告人に於て同乗者等いわゆる公衆に危害を及ぼす虞あることを知り乍ら、敢て道路左端を進行する等のためハンドルを左に戻す操縦方法を執つたことに因るものであるとは到底考えられない。それ故、本件に於ては、被告人が公衆に危害を及ぼす速度と方法で自動車を操縦したことにつき犯意の証明がないものと云わなければならない。なお、原判決が事実認定の参考として摘示するように、仮りに被告人がガーデントラクターと擦れ違つた真後道路中央に出ずべくハンドルを右に切り速度を時速五、六粁から十粁位に上げて進行した瞬間、路面の凹部により二、三回バウンドし右バウンドのためハンドルを左に執られそのまま自動車の左前車輪を道路左端から逸脱させ転落せしめたとしても、ハンドルを左に執られたのはもとより被告人の予期しないところであるから、被告人に道路面の凹部に注意しなかつた点のあることは兎に角公衆に危害を及ぼす虞ある方法で自動車を操縦したことにつき犯意があると云うことはできない。従つて以上説示のとおり本件公訴事実についてはその証明が十分でないから、その理由は兎に角本件公訴事実につきその証明なしとして無罪の言渡をした原判決は結局正当であつて、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認の違法はないから、爾余の控訴趣意につき判断するまでもなく、論旨は理由がない。

よつて本件検察官の控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却し、当審に於ける訴訟費用は、同法第百八十一条第三項により被告人には負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 山田要治 判事 滝沢太助 判事 鈴木良一)

検察官二川武の控訴趣意

原判決は「被告人は、昭和三十四年六月十四日午後四時三十分頃、小型四輪乗用自動車(小松知典外四名同乗)を運転して、諏訪郡富士見町落合四九一七番地先道路を進行し、対向進行した氏名不詳者運転の特殊自動車(大型ガーデントラクター)とすれ違うにあたり、右道路は非舗装で幅員も狭く、且つ、凸凹が多いのに、前方並びに左側の安全を確認することなく、漫然左側へ移行して、道路より約一米五十糎の水田に転落し、以つて道路及び交通の状況に応じ、公衆に危害を及ぼさないような方法で、右自動車を操縦しなかつたものである」との公訴事実に対し無罪の言渡をした。

然しながら、原判決は、左記のとおり事実の誤認、並びに法令の解釈適用の誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、当然破棄を免れないものと信ずる。

第一、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。

一、原判決は、本件事故の原因、すなわち被告人がいかなる速度と方法で右自動車を操縦したため、転落するに至つたかということが、証拠上明らかでない、としている。なるほど、本件犯行における被告人の本件自動車運転の「速度と方法」については被告人の供述が、警察・検察庁・裁判所と一貫していないことは判示のとおりである。しかし、この一貫していない理由は、後記のとおり決して矛盾なく理解できないものでないばかりでなく、「被告人が時速十粁位で進行中、ハンドルの操作を誤つて、本件自動車を向つて左側の約一、五米道路下の田に落してしまつたこと」は、被告人が自認しているところであり(記録二六丁検調、同二三丁裏警調、同三八丁公判調書)、同乗者の小林富次郎の検察官事務取扱検察事務官に対する供述調書(記録一二丁)、同小松知典の同供述調書(記録一五丁)、司法巡査一ノ瀬一茂の作成した実況見分調書(記録一八丁図面一九丁、二〇丁写真参照)等によつても亦明らかであつて、ただハンドル操作を誤つた「具体的方法」について、供述がやや動揺しているに止まるだけである。

二、そこで被告人の供述内容を慎重に検討すると、1、先ず被告人の供述内容の変化は、次のとおりである。(1) 昭和三十四年六月十七日付(本件事故発生三日後)警察調書(記録二三丁裏)では「約五粁の速度で大型自動車とすれ違つた後、時速を十粁位に出して、道路左端から中央辺へ出るべくハンドルを右に切つたところ、道路の凹みに車が落ちて二回バウンドし、そのため、ハンドルを左にとられて車が道路左端から田に落ちかけた、そこで急いてハンドルを右に切つたが、そのまま落ちてしまつた。」と供述し、(2) 同年九月三日付検察官調書(記録二五丁)では、「すれ違い後十粁に加速し、道路の中央へ移ろうとしたが、道は丁度五米巾から四米巾に狭まつたところなのにまだ五米巾だと思つて、ゆつくり右にハンドルを切つたところ、路面の穴にタイヤが落ち、三回バウンドして道路の左肩から車が落ちてしまつた。」と述べている。すなわち両調書における供述には殆んど喰い違いはなく、いずれも「道路の左端から中央へ出るべくハンドルを右に切つたところ、車が道路の凹みに落ち、バウンドしてハンドルを左にとられ、左側下の田に落ちた」という事実は同じであり、ただバウンドの回数、道巾の点に若干の相違をみせているだけである。事故発生三日後に行われた警察の実況見分調書(記録一六丁乃至二〇丁)によると、「既に車輪の痕跡はなくなつていたが、道路に凹みが二箇所あり、その一は、径五十糎、深さ十糎、その二は、径六十糎、深さ十糎であること」が明らかである。従つて、左前輪だけ落ちれば二回バウンドしたことがうなずかれるし、又左後輪まで続いて落ちたとすれば、三、四回バウンドしたことがうなずかれる。又道巾については裁判所の検証調書によれば「大型車とすれ違つた場所が道巾五、五米、転落した場所が四、三米」となつていることも明らかである。(記録五四丁図面参照)(8) 公判における供述は、十月十二日の第一回公判においては「起訴状記載のとおり相違ない」と自認し(記録七丁裏)翌三十五年二月十一日第二回公判においては、「大型車とすれ違うときは、時速五粁乃至十粁程度で道路の左端一杯に車輪の巾を残す程度に寄つて、すれ違つたが、大型車との間隔は、約一米位であつた。

すれ違つた後、道路の中央に出るためハンドルを右に切り一五粁乃至二〇粁に増速して進行し、中央辺へ出たと思つたので、ハンドルを左に戻したところ、車輪が道路の左肩からはずれて落ちてしまつた」とする(記録三七丁乃至三九丁)。すなわち、ハンドルを先ず右に切つた点については、従来と同じであるが、時速及びバウンドしたことについて供述をかえ、且つハンドルを左にとられたのではなく、自ら左に戻したというように供述を変化させている。しかし、被告人は、「バウンドしたことは、車に乗つていたときは気がつきませんでしたが、後で現場を見たところ穴があつたので、バウンドしたのだろうと後で考えた」(記録四〇丁)、「道路の真中へ出ようとハンドルを右へ切つた後、既に道の真中へ出たと思つて右へ切つたハンドルを左に戻したところ、完全に真中へ出ていなかつたためか、車輪が道の端からはずれて落ちてしまつた」(記録三八丁)と述べ、又、時速の点については、「警察で述べた方がより正確で現在は記憶が薄れている」(記録四一丁裏)と述べているのであり、要するに、「自分の運転技術が未熟であり、大型車とすれ違うに際し、大型車のみに注意を奪われて、道路左端を見なかつたための事故である」と説明しているのである(記録四〇丁及び四一丁)。

2、なお、被告人は、昭和三十三年六月十四日に小型四輪自動車の運転免許を受けてはいるが、松本市技師で日常自動車運転の業務に専従していた者ではなく、時々運転している程度で運転経験が少なく(記録四一丁裏)、本件自動車も「同乗した友人に頼まれて運転を引受けたものであり、前日から富士五湖巡りをしていて、相当疲労していた」(記録四一丁裏及び四三丁裏)ことがうかがわれる。

3、これらの証拠を綜合すると「被告人が大型車とすれ違つた後、時速十粁で道路巾五、五米のところから四、三米になつている道路の中央辺に出るべく、ハンドルを右に切り、これを左に戻す際、道路の左端を確認しないまま左に戻したため、車が転落するに至つた」ことを明らかに認定し得るのである。従つて本件の「速度と方法」は、具体的にも充分認定し得るものと主張せざるを得ない。

以上の次第で、被告人の本件犯行における「速度と方法」は充分に具体的に確定できるわけであるのに、原判決が、証明不十分としたことは、結局、証拠の価値判断を誤り事実の誤認を犯したものと断ぜざるを得ない。

第二、原判決は、法令の解釈適用を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決は、道路交通取締法第八条の「公衆」とは、不特定又は多数人を意味するが、本件のように同乗していた五名の者は、被告人の友人等で、前日から行動を共にしているのであるから、不特定人でも、多数人でもなく「公衆」とは云えない、と判示している。しかし、道路交通取締法第八条にいう「公衆」とは、単に、通行している他の車両、軌道車や歩行者に限らず、道路上或は附近の人、又は家屋、物件等又は、その操縦する車馬や軌道車に乗車している人をも凡べて包含するものと解すべきである(警察庁警ら交通課発行、道路交通取締法令解説一九頁参照)。本件の如き五名の同乗者については、多数人であつて、当然同条の「公衆」の中に含まれるものと解すべきものと信ずる。従つてこの点においても原判決は、同法条の解釈適用を誤つたものであつて、到底破棄を免れないものと信ずる。

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