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東京高等裁判所 昭和35年(う)1600号 判決 1960年12月12日

控訴人 被告人 込谷健

弁護人 堀内正己 外一名

検察官 坂本杢次

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、末尾に添えた各書面記載のとおりであつて、当裁判所は、主任弁護人天野憲治の請求により、事実の取調として込谷なか作成名義の昭和三十五年十月十六日付上申書、日本タイプライター株式会社取諦役社長本間乕治作成名義の同年八月十九日付上申書、東京芝浦電気株式会社管球生産管理部購買課長戸津川猛之助作成名義の同月二十六日付上申書、同会社トランジスタ工場生産部生産課長栃沢健作作成名義の同月三十日付上申書、同会社小向工場生産管理部購買課課長長寅次作成名義の同年九月六日付上申書各一通(いずれも当裁判所に宛てたもの)を各取り調べ、込谷なか及び込谷登志子を、それぞれ証人として尋問した上、右各趣意に対し、次のとおり判断する。

弁護人天野憲治の控訴の趣意第三点(法令違反、理由齟齬、審理不尽)について

刑法第二百十一条にいわゆる業務とは、各人が社会生活上の地位に基き、反覆継続して行う仕事であつて、一般に人の生命、身体に対する危険を伴うものをいうことは、所論のとおりである。しかし、その仕事が職業として、又は職業に関連してなされたものか否か、あるいは報酬もしくは利益を伴うものか否かは、これを問わないものと解すべきである。ところで、原判決挙示の各証拠を総合すると、被告人は、本件事故発生の以前である昭和二十六年七月頃米国において自動車運転の免許を受け、昭和二十九年十月帰国するまでの間、同地において、その所有にかかる自動車の運転に従事し、さらに帰国後も、昭和三十年頃から一週間に一回位の割合で小型自動四輪車を運転していた事実が認められるのであるから、被告人がなした本件自動車の運転も、また、被告人の業務に属するものといわなければならない。所論は、被告人がその社会生活上の地位に基いてしばしば自動車を運転した事実を認定するに足りる証拠は、記録上存在しないというのであるが、運転を業務とするいうのは、運転それ自体を反覆、継続して行うことをいうものであつて、これを職業として又は職業に関連して行うことをいうものではないのである。そして、被告人が本件事故発生前反覆、継続して自動車の運転をしていたことは、右説明のとおりであつて、原判示自動車の運転も、また、その一環としてなされたことが明白であるから、本件自動車の運転が被告人の職業と無関係になされたからといつて、本件の過失が業務上の過失ではないということはできない。それ故、被告人の本件過失を業務上の過失と判示した原判決には、なんら所論の違法はなく、論旨は、理由がない。

同弁護人の控訴の趣意第二点及び第一点(いずれも法令適用の誤)並びに右各点に対する判例等について

各所論の要旨は、被告人が原判示自動車を時速五十粁をもつて運転したことが業務上過失の内容をなしていることは、起訴状に記載されているのみならず、原判決の認定するところであり、この制限速度を超えた無課操縦の事実は、原判示第一の無免許運転の事実と想像的競合の関係に立つとともに、原判示業務上過失致死傷の事実とも想像的競合の関係にあるのであつて、この三者は、一括して想像的競合罪として重きに従つて処断さるべきであるにもかかわらず、検察官は、被告人の刑責を重からしめんがため、ことさらに右制限速度違反の事実を起訴せず、右各事実中無免許運転及び業務上過失致死傷の二つの事実のみを併合罪として起訴したのであるから、原審は、すべからく検察官に対し、刑事訴訟法第三百十二条第二項によつて訴因及び罰条(道路交通取締法第七条第二項第五号)の追加を命じた上、右制限速度違反の無謀操縦の事実をも認定すべきであつたにもかかわらず、事茲に出でず、しかも、原判示第一の無資格運転の事実と同第二の各事実のうち業務上過失致死傷の事実とは想像的競合の関係にあるところ、右二つの事実を併合罪として処断したのであるから、かかる原審の法令の適用は、論旨に引用した高等裁判所及び独乙大審院の判例並びにわが国の有力な学説の態度とは異なるものであつて、原判決には、刑事訴訟法第一条の精神に背反し、かつ、審判の請求を受けた事件を審判しなかつた違法があるというのである。

よつて按ずるに、原判示によれば、本件における被告人の業務上過失の原因は、制限速度超過による無謀操縦そのものではなく、被告人は、原判示自動車のブレーキが甘かつたことを知りながら、右自動車の進行前方の道路を横断中の被害者木畑重次が横断を中止して右自動車を待避してくれるものと軽信し、なんら衝突による事故防止の手段をとることなく、同人の進行前方を通り抜けようとして漫然その進行を継続したことにあることが明らかであつて、この事実は、原判決挙示の各関係証拠によつてこれを認めることができるのである。そもそも、道路交通取締法第七条は、道路における危険の防止その他交通の安全を図る目的をもつて、車馬又は軌道車の操縦者に対し、これらの目的を阻害するような無謀な操縦を禁止する趣旨の規定であつて、同条第一項違反の罪は、車馬又は軌道車の操縦者が同条第二項各号所定の「運転」ないし「操縦」をすることによつて成立する犯罪であるから、右「運転」ないし「操縦」という行為の性質上、多少時間的に同一違法状態を継続するいわゆる継続犯の性質を有するものと解せられるのに対し、業務上過失致死傷の罪は、ある業務に従事する者が、その業務上必要な注意を怠つたことに起因して人を死傷に致すことによつて成立する犯罪であつて、右道路交通取締法第七条違反の罪のように、継続犯的性質を有するものではないと解すべきであるから、被告人が同条に違反して制限速度超過という無謀な操縦を継続した行為と、右行為を継続中たまたま、その業務上遵守すべき必要な注意を怠つたことによつて惹起された原判示業務上致死傷の行為とは、それぞれ、別個独立の行為であり、右各行為は別個の犯罪と見るべきものであつて、これを一個の行為と見ることはできず、従つて、所論被告人の制限速度を超えた無謀操縦の行為が、同時に当然本件業務上過失致死傷の行為にあたるという想像的競合の観念を容れる余地はないものといわなければならない。そして、検察官が右制限速度違反の事実を起訴しなかつたことは、所論のとおりであるが、右両者の関係が右説示のとおりである以上、検察官がこの事実を起訴しなかつたことが、被告人の刑責を重からしめるためであつたということはできないし、原審が所論の罰条追加を命じて右事実を認定しなかつたからといつて、原判決に各所論の違法があるということはできないのである。そして、無資格運転により、業務上過失政死傷の事故を発生させた本件のような場合、最高裁判所は、右二つの事実は公訴事実としては、別個の事実であつて、公訴事実の同一性を認むべきものではなく、右両者は、別個独立の犯罪であつて、右両者の間に牽連関係ないし一所為数法の関係は存しない旨判示(昭和三十三年三月十七日判決最高裁判所刑事判例集第十二巻第四号五八一頁以下参照)しているのであつて、当裁判所の見解も右と同一であり、検察官が起訴しなかつた所論制限速度違反の事実と、本件業務上過失致死傷の事実とが想像的競合の関係に立つものでないことは、前説明のとおりであるから、原審が右無資格運転の事実と業務上過失政死傷の事実とを認定した上、右両者を併合罪として処断したことは、まことに相当であつて、原判決には、なんら各所論の違法はない(所論援用の各判例等は、いずれも本件に適切ではない)。論旨は、理由がない。

(その他の判決理由は省略する)

(裁判長判事 下村三郎 判事 高野重秋 判事 真野英一)

控訴趣意

第一点(法令違反)

原判決は判示第一の道路交通取締法違反の所為と同第二の業務上過失致死傷の所為とは刑法第四十五条前段の関係に立つものとして併合罪の加重をしている点において、刑法第五十四条第一項の解釈適用を誤つた違法がある。

(1)  刑法第五十四条第一項の想像的併合罪(観念的競合)を如何に把握すべきかという問題については学説が極めて多岐に岐れており、判例も納得のできる理論的根拠を示していない。殊に近時銃砲等の不法所持罪の如き継続犯ないし集合犯に関連して既判力関係で生ずる実際上の不都合を除去するため、刑法第五十四条にいわゆる「一個の行為」を構成要件的に観念しようとする傾向がない訳ではない(中野判事、団藤教授)。私は右にいわゆる「一個の行為」とは「社会通念上または自然的観察において一個と認められる場合」をいうものと確信するが、仮りに一歩を譲り構成要件的見地から観察すべきものであるとしても、競合する構成要件上の行為が重要な部分において重なり合つた場合には、それは「一個の行為」と云わなければならない。このように構成要件上の行為の重要な部分が重なり合つている場合にもなお且つ想像的併合罪が成立しないとするならば、刑法第五十四条の存在意義が無くなつてしまう。何んとなれば想像的併合とは構成要件を基準とする本来の一罪に反撥して自然的行為の同一という契機によつて、この本来の罪数論を修正しようとするものだからである。

(2)  これを本件について見るに、原判決が認定した判示第一の無謀操縦行為は昭和三十四年九月十九日午後九時五十分頃、東京都新宿区西大久保四丁目一七〇番地先道路上においてなした自動車の運転であり、同判示第二の過失致死傷も右と同一の日時、場所における同一の自動車の運転によるものであり、自然的行為としては全く一個、同一の行為である。しかも、この一個、同一の自動車運転行為なかりせば、判示第一の違反行為の成立も、判示第二の致死傷の結果の発生も全然生起する余地がなかつたもので、判示各犯罪のいずれにとつても極めて重要な構成要件上の行為であることは云うまでもない。しかも、本件の場合には想像的併合を認めても、既判力関係において不都合を生ずるおそれは皆無である。従つて如何なる見地に立つも、本体の場合原判決が刑法第四十五条の併合罪に問擬したことは失当であると思料する。

(3)  尤も、無謀操縦と業務上過失致死傷との関係については、既に高等裁判所において少からざる判例が出されている。これらの判例は必ずしも同じ見解を示している訳ではないが、大体の傾向としては無謀操縦行為自体が過失の内容をなし、結果発生の原因をなしている場合には想像的併合を認め、単なる無免許運転の如き場合には想像的併合の関係に立たないとするもののようである。しかし、かくては無免許で酩酊運転して事故を起した場合には想像的併合となり、情の軽い単なる無免許運転の場合には却つて併合罪となる不都合を生ずるばかりでなく、検察官の起訴状の書き方如何によつて同じ事件の刑罰に差等を生ずることになり、罪刑法定主義にも背反することになる。本件の場合においても、被告人は法定の制限速度(四十キロ)を超えた時速五十キロで自動車を無謀操縦したことが過失の内容をなしていることは判文上極めて明かである。そして該事実は起訴状にも記載されている。只罰条に道路交通取締法第七条第二項第五号が掲記されていないだけである。このように罰条に記載があるか否かによつて被告人の刑責に重大な、しかも極めて不利益な影響を及ぼすことを許容する法解釈は到底正当なものとは思えない。(無免許運転とその他の無謀操縦とは想像的併合と解すべきことについては判例時報第二二三号附録「判例評論」第二八号登載の滝川春雄「無謀操縦の際の重過失致死傷を犯した場合の罪数」参照)

(4)  なお、本件の場合、原判示第二の事実は単純な過失犯ではなく、業務上過失と判示されている。しかも、該事実が業務上過失と判定された所以のものは、被告人が運転免許を受けないで自動車を運転した点にあることは判文上極めて明かである。従つて、原判示第一の事実は同第二の業務上過失の内容をなしているものと云わなければならないから、この点から云つても、本件における原判示第一及び第二の事実は想像的併合罪の関係にあるものと云わなければならない。

第二点(法令違反)

原判決が判示第二の事実につき道路交通取締法第七条第二項第五号を適用せず、判示第一の事実と同第二の事実を併合罪なりとした点において、被告人の刑事責任を不当に加重し、刑訴法第一条にいわゆる「基本的人権の保障を全う」しなかつた違法がある。

(1)  道路交通取締法第七条の無謀操縦とその際における業務上過失致死傷との関係が極めて微妙であり、検察官の起訴状の書き方如何によつて被告人の刑事責任に重大な影響があり、想像的併合罪の理解如何によつては罪刑法定主義が破られるおそれのあることは前段に記述したとおりである。して見ると、かりに無免許運転とその際における業務上過失致死傷との間には想像的併合罪が成立しないとの見解に従うとしても、裁判所は審理の過程において無免許運転及び業務上過失致死傷の双方と想像的併合の関係にある無謀操縦の事実が明かになつたときは、刑訴法第三一二条第二項により訴因又は罰条の変更追加を命じて、被告人のため法律で定められた刑事責任を明確にする措置を構じなければならない筈である。検察官が故意に一つの犯罪事実を訴因から外し、罰条を掲げなかつたため、本来想像的併合罪として重きに従つて処断さるべき被告人の刑事責任が併合罪として不当に加重されることを裁判所が許容するのであつては、基本的人権の保障は全うされず、罪刑法定主義は検察官の恣意に委ねられることになるからである。

(2)  本件の場合、原判示の道路における法定の最高速度が時速四十キロに制限されていることは裁判所に顕著な事実であるばかりでなく、原審第一回公判において提出された実況見分調書にも明記されて居り、従つて被告人が時速五十キロで進行したことは明かに道路交路交通取締法第七条第二項第五号の無謀操縦に該当するものと云わなければならない。しかも、被告人が時速五十キロで自動車を操縦して来たことは業務上過失の内容として起訴状にも記載され、原判決も認定しているところである。そして、この制限速度を超えた無謀操縦は一方において原判示第一の無免許運転と想像的併合の関係に立ち、他方において業務上過失致死傷と想像的併合となり、従つてこの三者は一括して想像的併合罪として重きに従つて処断さるべき関係にあるものと云わなければならない。従つて、かような場合には裁判所としては制限速度を超えた無謀操縦の事実を認定し、被告人のため本来の刑事責任に問擬することが裁判所に課せられた当然の責務であると云わなければならない。殊に本件の如く、かくすることによつて検察官が不当に被告人の刑事責任を加重せんとした意図を未然に紛砕することができる場合には特に然るものと云わなければならない。

(3)  要之、本件の場合原審が判示第二の事実につき、刑訴法第三一二条第二項により訴因又は罰条の追加変更を命ずることなく、制限速度超過の無謀操縦を認定せず、検察官のした不当な起訴を認容して判示第一の事実と第二の事実を併合罪に問擬した措置は裁判所に課せられた責務を全うせず、刑訴法第一条の精神に背反したものと云わなければならない。またかような措置は審判の請求を受けた事件を審判しなかつた違法があると云つても過言ではないと思料する。

第三点(法令違反、理由齟齬、審理不尽)

原判決は判示第二の過失致死傷の事実につき、「被告人は自動車の運転免許を受けないで、しばしば自動車の運輯に従事していたものであるが」

と認定しただけで、刑法第二一一条前段を適用処断している点において同法条の解釈適用を誤り、理由齟齬、審理不尽の違法がある。

(1)  刑法第二一一条にいわゆる「業務」とは、人がその社会生活上の地位に基き、継続反覆して行う仕事であつて、一般に人の生命身体に対する危険を伴うものをいうことは大審院以来の判例とするところである。従つて、人の社会生活上の地位に基かない行為は、如何に継続反覆してなされても業務とはいえない。例えば被告人がリクリエーシヨンのため、しばしばゴルフに行つても、それは被告人の業務とはいえない。蓋し、ゴルフに行くことは(ゴルフも極めて危険を伴うスポーツであるが)、人の自然的地位に基く生活現象としての行為にすぎないからである。

(2)  本件の場合、被告人が原判示の如く「しばしば自動車の運転に従事した」としても、それが被告人の社会生活上の地位に基いて行う行為でない以上、ゴルフに行くことと同様であつて、業務とはいえないのである。

補充趣意

一、論旨第一点に関するドイツ大審院判例

一九二五年九月一七日判決(R・G・E・Bd・59S317ff)

この判決は貨物自動車の運転手が証明書を携帯せずに運転中、警察上の運転取締規則に違反して過失により人を死に致した場合、過失致死と自動車取締規則第二四条一号違反は想像的併合かどうかという問題に関するものである。原審はこれを実体的併合としたが本判決は想像的併合としたのである「第七三条の行為単一とは、行為者の作為、不作為が自然的観察の見地から、行為単一として観念せられ、かつ少くともこの行為単一の範囲内の行為が数個の刑罰法規の構成要件の実現に対して寄与する(beitragen )場合であり、その責任形式の相異は決定的ではない。本件において場所的及び時間的に特定された被告人の運転者としての活動は自然的意味においてそれ自身完結的な単一の過程――その中で全体の可罰的行為が行われたところの――として観念される。正にこの自動車運転行為において、一方それが証明書の不携帯運転行為が許されないことにより、他方運転の方法の不注意が問題とされることにより自動車取締規則第二四条一号又は刑法第二二二条違反が実現されるのである。なお、この外に原審は認定及び適条をしていないけれども、被告人はその他の運転取締規則に違反している。彼は運転の機会においてではなく正に彼が運転行為をしたこと、かくの如き態度方法で運転したこと(即ち、数個の取締規則に違反して)によつて、彼は刑法第七三条の意味における単一の行為をしているのである。それは恰も運転に際して許された速力を超えかつ信号の懈怠によつて、一方は警察上の取締規則に違反し、他方過失により人を死に致したと同様に。これによつて彼の全行為は一個の行為として処罰される。この場合証明書の不携帯が、既に以前の時点において又は他の場合において開始されかつ法的意味において既遂となつていることは何等影響をもたない。何となれば、その行為がなお、継続して他の犯罪として発現するという点が決定的であるから」。即ち、この判決においては、先ず自然的な意味における完結的な単一過程ということが問題となり、この範囲内の行為について構成要件的重なり合いという前述の方式が適用されて結論が出されているのである。

二、論旨第二点に関する高等裁判所判例

昭和二九年一〇月七日仙台高等裁判所判決(高裁刑事裁判特報一巻七号三一六頁)「被告人は自動車運転者の免許を受けないで昭和二十五年四月頃から盛岡冷蔵株式会社において自家用自動車運転の業務に従事していたものであるが昭和二十八年七月十五日午前十一時二十分頃自動車運転の資格なきに拘はらず自動三輪車岩六――二三七七号を運転し紫波郡乙部村手代森から盛市菜園に向い時速約三十五キロで進行し盛岡市神子田二百八番地先道路にさしかかりたるが同所は幅員五米九十の狭い道路である上側溝工事中で人夫二十名位が附近道路で働いて居り又その両側には砂利を積置いた為有効幅員は僅か二米位しかなかつたから自動車運転者としては斯様な狭溢なしかも多人数働いている道路を進行するときは絶えず前方を注視し警音器を鳴らして稼動中の人夫や通行人に警告を与えると共に即時急停車出来るよう除行し事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず不注意にも(酒に酔つていた為)右義務を怠り前方を注視せず響音器も鳴らさず除行もしないでその儘時速約三十五キロで進行を続けた結果被告人の運転する自動車を避けんとして道路左側から道路右側に走り出した女児を前方三米の地点で発見したるも道路左側において砂利とうし作業に従事していた森田千代、米沢ワカの両名に気付かず右女児の左側を通過せんとして把手を左に切つた瞬間右森田千代等の作業していた砂利に前車輪を入れたのであわてて急停車の措置を構ずると共に把手を右に切らんとしたが急速力で進行して来た為と酒に酔い正常に運転出来なかつた為間に合わず自動車を前記森田千代、米沢ワカの両名に衝突させ因て森田千代に加療四週間を要する右頬部同眼瞼部右前肘右肘部挫傷及右大腿部挫創を、米沢ワカに加療五ケ月を要する………の傷害を負わしめ以て無謀な操縦をしたものである」との事案について。「職権を以て調査するに、原判決は原判示無謀操縦の点につき道路交通取締法第七条第一項第二項第二号第九条第一項を適用し、これと業務上過失傷害とを併合罪として処断している。即ち、原判決は無免許運転だけを無謀操縦とみたのであつて、それのみの限りにおいては業務上過失傷害と併合罪の関係にあるものといえる。しかし、原判決は無免許運転のほか、飲酒酩酊による運転、及び警笛も鳴らさず速力も減じなかつたことをも判示している(起訴状も同様であつて、無謀操縦を無免許運転のみに限定していない)のであつて、前者は道路交通取締法第七条第一項第二項第三号に違反し、後者は同法第二項第四号の「ハンドルその他の装置による安全な操縦に必要な操作を怠つて車を操縦すること」に該当するものというべく、同法条第一項第二項第四号に違反する。そして、これらは包括して無謀操縦の一罪となる。ところで、右警笛も鳴らさず速力も減じなかつたことは本件業務上過失傷害罪の過失の一内容をなすものであるから、包括した無謀操縦全体が業務上過失傷害罪と観念的競合の関係にあるものというべきである。されば、原判決はこの点について、原審第二回公判において、被告人は裁判官の問に対し次のとおり答えている。問、被告人はこれまで度々、自動車を運転していたのではないか、答、会社のトラツクをいたずら程度に運転したことはありましたが、乗用車は運転しておりません。トラツクを運転したと云つても、会社の用事で運転したことはありません。即ち、被告人は、いたずら程度に運転したことがあるだけで、被告人が勤務している会社の業務として、またその業務の附随的な行為としても自動車を運転したことがないのである。そして被告人がその社会生活上の地位に基いて自動車をしばしば運転したと云うことを認定するに足る証拠は記録上存在しない。込谷明の検察官に対する供述調書によるも、被告人が如何なる目的、理由で如何に自動車を運転したかと云う点までは明かにされていない。

(3)  また、本件において被告人が運転した自動車は、被告人の兄込谷明の友人(米国人)ヂヤツク・カーの所有車であり、原判示の日に同人が一時米国に帰国したのでその間込谷明が保管方を依頼されたもので、被告人が継続使用するために借りたものではない。偶々判示の日に該車が会社にあつたので込谷明と同乗の上、被告人が運転させて貰つたにすぎないのであつて、偶発的な運転行為であり、到底業務行為とは認め難い。

(4)  要之、原判決は事実摘示において本件過失が業務上の過失であることを十二分に判示せず、また記録上、業務上過失と認め難い事案につき卒然として刑法第二一一条前段を適用処断しているのであつて、法律の解釈適用を誤つた違法があるばかりでなく、理由齟齬、審理不尽の違法があるもめと云わなければならない。畢竟法律の解釈適用を誤り乃至はその適用を遺脱したもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない。」この判決に対して伊達秋雄判事は次のような意見を述べている。「しかし、無免許運転と過失致傷との一行為性は、過失行為の内容の一部を為す酩酊運転等を媒介とすることなくしては、しかも無免許運転と酩酊運転とが法律上一罪を構成するということを前提とせずしては考えられないであろうか。法的見地からみた無免許運転または酩酊運転は、実にこの一個特定の運転行為(一定の日時場所に制約された)に基くものではなかろうか、この運転行為が一個のものといい得る以上、ここに右全犯罪の想像的併合を認め得ないであろうか。直接過失行為の内容を為す運転行為、即ち、酩酊運転は、とりもなおさず無免許運転行為そのものではないか。この両者を強いて別個の行為とみること、或は両者が法律上一罪を構成するという理由によつてのみ、初めて一個の行為となり得るとみることは、何れも程度の差こそあれ、犯罪概念に把はれた観方ではなかろうか。………継続犯か即時犯という犯罪の性格に基いてただそれだけで行為の一個性を否定する考えはおよそ想像的併合の本質論と相容れないものといわねばならない。」(最高裁判所調査官室刊行、伊達秋雄著『想像的併合罪論』二三二頁以下)註、右伊達判事の著作はわが国における、想像的併合罪に関する最も権威ある論文と思料します。

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