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東京高等裁判所 昭和35年(う)2048号 判決 1960年12月24日

被告人 平井等

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

控訴の趣意の第一点は、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認がある、原判決は被告人の本件尊属傷害致死の点につき、被告人が妻ミツに投げつけようとした鉄瓶を実母ミヨに取り上げられたため、更に炉に垂れ下つていた鈎吊をミツ目がけて振ろうとしたが、酩酊に加えていたく興奮していたところから、ミヨがミツと並んでかがみこんでいたのをミツと見誤り、ミヨ目がけて右鈎吊しを振りあて、同女の前頭部に打撲傷を与え、因つて同女を死亡するに至らしめた旨事実を認定しているが、被告人は実母ミヨを妻ミツと見誤つて鈎吊しを振り当てたのではなく、公訴事実のとおり最初から実母ミヨであることを認識しながら同女を目がけて右鈎吊を振り当てたものであり、従つて被告人の右所為は刑法第二百五条第二項に該当する犯行である、という趣旨である。

そこで記録及び原審において取り調べた証拠物を調査し当審の事実審理の結果を併せて考察するに、右の点に関する被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述並びに原審公判における供述は前後相異なつて一貫せず、あるいは鈎吊しを実母ミヨ目がけて振つたと言い、あるいは妻ミツ目がけて振つたのが誤つてミヨに当つたと述べ、更にまた母ミヨを妻ミツと見誤つて振り当てたとも言い変えるなど、転々としてその供述を変え、いずれが真実であるか全く捕捉し難く、右各供述は、それのみではいずれもたやすく措信することができない。殊に本件犯行の際被害者ミヨの直ぐ傍に居た妻ミツの司法警察員及び検察官に対する各供述、司法警察員作成の検証調書及び当審の検証の結果に被告人の前記供述を彼此対照すると、被告人が母ミヨを妻ミツと見誤つて鈎吊しを振り当てたとの被告人の供述及び妻ミツ目がけて振つたのが母ミヨに当つたとの供述はいずれも到底信を措くに足らず、また被告人が母ミヨのみを目がけて鈎吊しを振り当てたとの供述、従つて論旨主張の事実も真実とは認め難い。むしろ前記各証拠その他原審において取り調べた証拠及び当審の事実審理の結果によれば、当夜妻ミツが煙草を買いに外出した後も、被告人はなおも大声で隣家塩沢方の悪口を怒鳴るので、母ミヨがこれを制止しようとしてたしなめたところ、被告人は今度はミヨに喰つてかかり怒鳴りつけ、同女を泣かせたこと、そこへミツが帰りこの様子を見て、被告人に対し、母親をいぢめたことについて難詰したところ、被告人は今度はこれに憤慨し、囲炉裡にかけてあつた鉄瓶をはずし、ミツに投げつけようとしたので母ミヨがこれを取り上げた後、酒に酔うて帰つて来ては妻をいぢめるとて厳しく被告人に小言を言うたこと、ミヨはその時ミツと並んで被告人の坐していた囲炉裡の真正面の炉端西側の土間にしやがみ、二人とも炉端に肘をつき手を囲炉裡の火にかざし被告人と向い合つて居たこと、二人の並んで居た炉端は幅一メートルに満たず、従つて二人は殆んど身体を密着させて居り、二人の顔の間隔は五十センチメートル内外に近接していたこと、右囲炉裡中央に吊してあつた本件鈎吊しは、被告人の坐して居た東側炉端から、ミヨ、ミツ両人の並んで居た西側炉端に向い、正面、左右いずれにも自由に振り動かすことができること、被告人が母ミヨから前記のように妻をいぢめることを難詰されるや否やすぐさま右鈎吊しをミヨ、ミツの坐していた方向に振つたこと及びミヨが前頭部に鈎吊しを当てられ炉端に倒れ、ミツが驚いてミヨに取りすがり泣き出した時、被告人はミツに対し、母の味方ばかりしていると怒鳴り同女の頭髪を引張つたり、足蹴をするなどの乱暴をしたこと等の事実を認めることができるが、これらの事実を総合考察すると、被告人は隣家塩沢方の悪口を言つては母ミヨからたしなめられ、母をいぢめては妻ミツから難詰され、更に妻に乱暴しようとしては母から小言を言われ、かように母と妻の両人から交々小言を言われたので、酒癖の悪い被告人のこととて両人に対して憤懣やる方なく、たまたま右両人が囲炉裡の反対側に顔を並べていたので憤激の余り右両人を目がけて本件鈎吊しを振りつけ、それが母ミヨの前頭部に当つたものと認めることができる。即ち被告人は母ミヨのみを、又は妻ミツのみを目がけて鈎吊しを振り当てようとしたのではなく、右両人のうちいずれかに当ることを認識しながらこれを振つたものであり、その暴行はいわゆる択一的犯意によるものというべきである。従つて原判決が母ミヨを妻のミツと見誤り妻に振り当てる意思で鈎吊を母ミヨに振り当てたと認定したのは事実を誤認したものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすこと明白であるから、結局論旨は理由あるに帰し、原判決はこの点において破棄を免れないものである。

よつてその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に則り原判決を全部破棄し、なお同法第四百条但書に従い当裁判所は自ら次のように判決する。

(罪となる事実)

第一、原判示第一事実と同一であるからこれを引用する。

第二、原判示第二事実と同一であるからこれを引用する。

第三、被告人は昭和三十四年十二月十二日午後八時三十分ころ酩酊して帰宅したが、酩酊するといわゆる酒癖が悪く人に暴言を吐いたり、乱暴したりする癖のある被告人は、その夜もその癖が出て、些細な事を取り上げて隣家塩沢与一郎方に向つて悪口を怒鳴つているので、実母ミヨ(当時七十一歳)がこれを制止しようとすると、ミヨに喰つてかかり同人を泣かせ、妻ミツ(当時四十二歳)が見かねて母親をいぢめるなとたしなめるや、今度は妻ミツを怒鳴りつけ、同家六畳間の囲炉裡にかけてあつた鉄瓶をはずし、ミツに投げつけようとするので母ミヨがこれを取り上げ、酒に酔つて帰つては妻ばかりいぢめるとて厳しく被告人に小言を言つた。かように母と妻から交々小言を言われた被告人は益々興奮、激昂し、たまたま被告人の坐していた囲炉裡の真正面の炉端にミヨとミツが並んで炉に手をかざすのを見て、右囲炉裡の中央に垂れ下つていた鉄瓶をかける鈎吊し(当庁昭和三五年押第八四六号の一)を掴み、ミヨとミツの二人を目がけて強く振りつけ、ミヨの前頭部にこれを打ち当てて打撲傷を与え、因つて同女をして右傷害に起因する脳腔内出血による脳圧迫によつて翌十三日午前一時ころ同所において死亡するにいたらしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(法律の適用)

法律に照すと判示第一の所為は刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第二の所為は刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第三の所為は刑法第二百五条第二項に該当するところ、判示第一及び第二の罪についてはいずれも懲役刑を選択し、判示第三の罪については有期懲役刑を選択し、右は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条、第十四条に従い最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で、被告人を懲役三年に処し、本件各犯行のうち判示第三の尊属傷害致死の所為は被告人が酩酊暴行の結果実母を死にいたらしめたものでその刑責は必ずしも軽しとはいえいなのであるが、被害者のミヨは前年高血圧症により卒中で倒れたことあり、爾来同症状を続け、本件当時もその症状があつたこと、被告人は酩酊すると本件各犯行のような暴行、暴言等に及ぶ悪癖があるが、平素の行状、性格には特に非難すべき点はなく、従つて未だ前科その他刑事上の処分を受けたことはないこと、本件発生以後実母を死にいたらしめた自己の不行跡を深く反省し、爾来酒を断つて謹慎の生活を続け、改悛の情顕著であること及び被告人の家庭と現状等の情状に鑑みるときは、被告人に対しては刑の執行を猶予するを相当と認めるので、刑法第二十五条第一項を適用し、この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとし、なお当審の訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上文夫 久永正勝 河本文夫)

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