東京高等裁判所 昭和35年(う)2067号 判決
被告人 金沢治夫 外一名
〔抄 録〕
原審における審理の結果と当審における事実の取調の結果とを対比検討し、原審第四回公判調書中被告人金沢治夫の供述記載、同第五回公判調書中被告人笹崎久の供述記載、同第二回及び第六回各公判調書中証人三宅改三、同田中広三及び同松浦司の各供述記載、被告人金沢治夫の検察官に対する昭和三四年一一月二八日付及び同年一二月八日付各供述調書並びに司法警察員に対する同年一一月一九日付(二回目のもの)及び同月二三日付各供述調書中の供述記載、被告人笹崎久の検察官に対する同年一二月九日付供述調書並びに司法警察員に対する同年一一月二〇日付及び同月二六日付各供述調書中の供述記載、司法警察員作成の検証調書(排除決定のあつた立会人の説明部分を除く)の記載並びに鑑定人の船尾忠孝及び同根本昇共同作成の鑑定書の記載と当審公判廷における被告人ら並びに証人三宅改三、同田中広三及び同船尾忠孝(二回とも)の各供述及び証人松浦司に対する受託裁判官の尋問調書中の供述記載を総合すれば、昭和三四年一一月一八日午後七時五〇分頃、原判示工事事務所に本件建築工事の施工者大林組の建築係員たる被告人金沢治夫、右工事の鳶職の仕事を下請した松村組の現場責任者代理たる被告人笹崎久のほか、右大林組の現場主任代理たる三宅改三、同事務係員たる田中広三及び右工事の左官の仕事の下請をした本田工業所の現場世話役たる松浦司の五名が翌日の工事の打合せをしていたところ、かねて酒癖の悪いことで知られている本田工業所所属の左官のこね屋である本件被害者丹羽三郎が、酩酊して、同人らのような労務者が立入りを禁ぜられている右工事事務所に来て、右の者らに対し、しつこく金借を迫つたので、被告人笹崎がやむなく金三〇〇円を貸与したが、丹羽は、右の者らが快く金借の申出に応じなかつたことを不満として、なおも同人らに対しいやみを言い、容易に立ち去ろうとしなかつたので、被告人金沢が「金を借りたんだから帰れ、酔つ払つて事務所に来てはいけない。」と言つて丹羽に強く退去を促し、丹羽の上役たる松浦司も、丹羽を立ち去らせるため同人に注意を与えたところ、これに憤激した同人は、一旦その場を立ち去つて向側の建築中の食堂内に駈け入り、上衣を脱ぎ捨てた上、皮靴を脱いでこれを両手に持ち、直ちに大声を挙げながら引き返し、皮靴を振り上げ、暴行の態勢を示して右事務所に乱入しようとしたので、右事務所の入口から最も近い位置にいた被告人金沢及びその隣席にいた被告人笹崎は、いずれも、とつさに丹羽の入室及び暴行を阻止しようとして入口へ飛び出し、右事務所の入口に足をかけた丹羽の身体を押したが、その際、同様丹羽の入室を阻止しようとして引き続いて入口へ飛び出して来た三宅改三が更に被告人らの後からこれを押したので、丹羽は、この三名の力によつて右事務所の入口から屋外に押し飛ばされ、庭先に置いてあつた「馬」と称する左官用の踏台に衝突してその場に転倒し、コンクリート破片、小石、木片等の混入した地面に後頭部を強く打ち突けたため、間もなくその附近において脳震盪による脳機能障碍により死亡したことが認められるのである。以上によれば被告人らが被害者の身体のどの部分を押したかは、これを明確にすることができないこと及び被害者が押し飛ばされたのは、被告人らが押した力だけによるものではなく、被告人らの背後から更にこれを押した三宅改三の力が加わつたことによるものであることは、原判示と異るのであるが、被告人らがその部位はともかく被害者の身体を押したこと、被告人らのこの行為と被害者の死亡との間に因果関係の存すること及び被害者の死因については、原判示に誤はない。ことに、被害者の死因については、右証拠中の鑑定人船尾忠孝及び同根本昇共同作成の鑑定書の記載及び証人船尾忠孝の当審公判廷における供述(二回とも)に徴すれば、到底所論のように原判示とは異る心臓麻痺によるシヨツク死であるとすることはできない。しかしながら、前記証拠によれば、本件被害者丹羽三郎は、かねてから酒癖が悪く、本件当日も、酩酊の上、同人らのような労務者が立入りを禁ぜられている右工事事務所に来て、そこで執務していた係員らにしつこく金借を迫り、金員の貸与を受けた後も、いやみを言つて立ち去らなかつたので、被告人金沢や上役の松浦が当然の訓戒や注意をしたことを憤慨し、一旦その場を立ち去つて附近で上衣を脱ぎ捨てた上、皮靴を脱いで両手に持ち、大声を挙げながら引き返し、皮靴を振り上げ、暴行の態勢を示して右事務所に乱入しようとしたものであつて、もはや口頭による勧告によつてこれを退去させることは望むべくもなく、これを放置するにおいては、丹羽の右事務所への侵入及び同所内の執務者に対する暴行は必至と見られる情勢にあつたことが認められるのであるから、丹羽の行動は、急迫不正の侵害というに妨げなく、これに対し、被告人らが前示のように丹羽の入室及び暴行を阻止するため右事務所の入口に足をかけた丹羽の身体を押したことは、右急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずになした行為と見ることができるから、被告人らの右行為は、まさに正当防衛たるを失わず、従つて、右行為は、違法性を阻却するものといわなければならない。たまたま、被告人らの背後から思わぬ三宅改三の力が加わつて被害者が強く押し飛ばされるに至つたことと右事務所の前が建築工事場の庭先で障碍物が多かつたことのために、不測の重大な結果を招いたとはいえ、これがため、前示のような場合に相手方の身体を押したに止まる被告人らの行為が、防衛の程度を超えたものということはできない。従つて、右のような正当防衛の事由を認めないで被告人らを有罪として認定した原判決は、事実の誤認をおかしたものといわなければならないのであつて、この誤認は、もとより判決に影響を及ぼすことの明らかなものである。この点において、論旨は、理由があつて、原判決は、砂棄を免れない。
そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項により、原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、当審において更に左のとおり判決をする。
すなわち、本件公訴事実は、「被告人金沢治夫は、株式会社大林組に勤務し、東京都大田区雪ケ谷町五五〇番地の一住友生命保険相互会社独身寮新築工事現場の建築係員、被告人笹崎久は、右工事下請の鳶職松村組の現場責任者であるが、両名共謀のうえ、昭和三四年一一月一八日午後七時五〇分頃同工事人夫小西こと丹羽三郎(当三〇年)が酔余被告人らのいる右工事現場事務所に到り、執拗に金員の貸与方を求める等したことに憤激し、同事務所入口附近において同人に対し交々手でその体を突きとばして同人を屋外に顛倒させると共にその後頭部を傍のコンクリートに激突させる等の暴行を加え、因て即時その場で同人をして脳震盪のため死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、事案の真相は、さきに認定したとおりであつて、被告人らの行為は、正当防衛として違法性を阻却するものであるから、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条前段により、被告人らに対し、いずれも無罪の言渡をすべきものである。
(堀真 堀義 裁判長判事尾後貫荘太郎は海外出張中のため署名押印することができない)