大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(う)883号 判決

被告人 若塚一栄

〔抄 録〕

原判決によれば、本件公訴事実中、被告人が今弘から同人が他人から窃取して来た煙草、貴金属の売却方依頼を受けその賍品であることの情を知りながら、一、昭和三十四年七月二十九日頃東京都新宿区角筈一丁目一番地パチンコ遊戯場東新において外国製紙巻煙草二十本入約十箱並びに外国製葉巻煙草百四十五本を代金合計金四千七百円で氏名不詳者に売却してやりもつて賍物の牙保をなし、二、翌三十日頃金製カフス釦、金指輪ほか一点を横尾章を介し同都新宿区角筈一丁目八百四十二番地平和商事において菅野盛久に対し代金千五百円で売却してやりもつて賍物の牙保をなしたものである、との点については、犯罪の証明が充分でないとの理由によつて、原審が無罪の言渡をしていることが明らかであり、原審はその無罪とした理由を詳細説明していないのであるが、原審の審理の経過及び所論援用の各証拠によれば、右各公訴事実中、被告人が今弘から売却方依頼を受け、右一、二の各日時、場所において、それぞれ、右各煙草及び貴金属の売却斡旋をしたこと及び被告人も、これを自認し、ただ、右各物品が賍物であることを知らなかつた旨を述べ、賍物たることの知情の点を争つていることが認められるので、原審が無罪の言渡をした理由は、被告人の賍物の知情の点についてその証明が充分でないというにあるものと考えられることは、所論のとおりである。

よつて進んで、被告人の右各煙草及び貴金属等の物品についての賍物であることの知情の点について、原審に所論の採証法則の違反に基く事実の誤認があるか否かについて検討することとする。

原審で取り調べた証拠中には、被告人の右知情の点について、所論(一)の1の(イ)及び(ロ)において援用の被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書及び弁解録取書中の各供述記載、同2の(イ)及び(ロ)において援用の窃盗本犯今弘の原審公判廷における供述及び検察官に対する供述調書中の各供述記載、同3乃至5において援用の証人横尾章、同平原定次及び同菅野盛久の原審公判廷における各供述があつて(所論(一)の5において援用の菅野盛久の昭和三十四年八月十八日付司法警察員に対する供述調書中の同人の供述記載は、検察官から刑事訴訟法第三百二十八条による証拠として提出されたものであるから、事実認定の資料とすることができないものである)、これらの各証拠だけをみると、被告人が、前記各物品につき、窃盗本犯たる今弘からその売却依頼を受け、これを承諾して売却斡旋の行為をするにあたり、右各物品が賍物であるかも知れないとの認識を持つていたものと認め得るような観がないではない。また、所論(二)の1乃至4において援用の各証拠によれば、1、被告人と窃盗本犯たる今弘とは、かつて同時期に神楽坂警察署で監房生活をしたことがあり、今が刑務所から出所した直後に再会したのち間もなく、右各物品の売却方依頼を受けたこと及び被告人は、昭和二十九年十月及び昭和三十三年九月の二回にわたり窃盗罪等により執行猶予付の懲役刑に処せられていること、2、煙草の売却代金四千七百円中、今の手に入つたのは、その五割余の金二千六百円位に過ぎず、そのうち、約六百円は仲介者への謝礼、金千円は被告人への謝礼として差し引かれ、なお、被告人は別に今から金五百円を借り受けたこと及び貴金属三点の売却代金千五百円中金五百円は、今が仲介者たる横尾章及び被告人に提供したこと、3、窃盗本犯たる今弘は右各物品の売却依頼をするにあたり値段を指定していないこと、4、被告人は、今から右各物品の売却依頼を受けるに際しては、右各物品を見せられていること、右各物品は今の所有物であるとすれば身分不相応な品であつたこと及び右各依頼を受けた場所が原判示東新パチンコ店裏側の空地等であること、をそれぞれ認めることができ、これらの事情は、他に確実な証拠があれば、被告人の右各物品についての賍物の知情の裏付となり得るものであることは、所論のとおりである。しかし、他方、被告人は、原審公判廷において、被告事件に対する陳述として、賍物であることは知らなかつた旨弁解しているのであり、警察における取調においては、当初、昭和三十四年八月十五日付司法警察員に対する弁解録取書では、私は本年七月末頃と思うが、留置場で知り合つた今という男から貴金属の品物を売つてくれないかと頼まれ、あるいは不正品であるかも知れないと思つたが、顔見知りの横尾に紹介して売つてやつてくれと仲介し、そのお礼として今という人から二百円もらつたことは間違ない旨供述し、未必的に賍物であることの情を知つていたことを自認したのであるが、翌八月十六日付司法警察員に対する供述調書では、今の持つて来た品物が「ヤバイ」品物であるということは横尾と今が売つて二、三日ほどたつてから判つた旨供述し、一たん自認した賍物であることの知情の点を直ちに飜えし、検察庁における取調においても、同月十八日付検察官に対する供述調書で、右貴金属につき、今に頼まれ、横尾に頼んでやつて売つてやつたことは事実であるが、当時は、それらの品が盗品とは知らなかつた、それらの貴金属を売つてやる前日に今は葉巻二十五本入一箱、バラ二十本、五本宛箱入二十箱(全部外国製らしいもの)と外国紙巻煙草一包を持つて来て露店で売つている位の値段で売つてくれというので、パチンコ屋に来ていたお客さんに両切紙巻煙草を六百円、葉巻は三千五百円で売つてやり、お礼に千円もらい、更に五百円借りた、今とは私が窃盗で四谷警察から神楽坂署へ移監されたとき同房で二、三日過して知り合つた、翌日私は今が貴金属を頼むので、品物は大丈夫だろうなと尋ねると、今は立川の友人から頼まれたというので、私は、今の身分には不相応な品であつたが、一応信用した、そして、私は、売るところを知らないので、横尾を紹介してやり、横尾と今とが行つて売つて来た、私は、このとき、お札に二百円もらつた、千五百円に売つてお札に二人に五百円くれたので、横尾に三百円やり、私は二百円取つた。私がこれらの品の盗難の新聞記事の切抜を今に見せて、盗んだ品ではなかつたのかと聞いたのは、この処分をしてやつてから二日位後のことである旨供述し、賍物であることの知情の点を否定し、同年九月三日付検察官に対する供述調書では、紙巻と葉巻を東新にいたおじさんという人に売つてやつたのは、確か七月二十九日と思う、その翌日の三十日貴金属の処分を横尾に頼んでやり横尾が今弘と同行して処分に行つたとき、私は、東新でパチンコをやつていた、すると、おじさんが新聞の切抜を持つて来て、こんな記事が出ていが大丈夫だろうなというので、新聞記事を見せてもらうと、真珠の腕輪等の盗難というよう見出しで、フランス大使館付武官のなんとかいう人の家に泥棒が入つて、葉巻千五百本、真珠の腕輪、金のカフス釦等の貴金属が盗られたという記事であつた、私は、自分が今弘から頼まれた品物と同じような品が盗難にかかつたという記事だつたので、今弘の持つて来た品はおかしいと思い、その切抜を借りて、今を見付けて、東新の裏で同人にその記事を見せて、やばい品じやないだろうなと尋ねると、今弘は、とんでもない、大丈夫だといつた、しかし、私は、内心はやはりやばい品ではないかと思つた旨供述し、本件盗難被害に関する新聞記事を見て初めて、右各物品は、賍物ではないかと考えたが、それまでは、賍物であることを知らなかつた趣旨に解し得る供述をしており、原審公判廷においても、骨子においては同趣旨の供述をしているのである。

そこで、右弁解録取書にあらわれた右各物品について未必的に賍物であることの情を知つていた旨の被告人の供述と右各物品が賍物であることは当時知らなかつた旨のその他の被告人の供述のいずれが措信し得べき供述であるかについて考えてみると、前者は極めて抽象的な供述であるのに反し、後者はその裏付となる具体的事情にふれた具体的供述であるのに加えて、窃盗本犯たる今弘の原審公判廷における供述によれば、その供述内容は前後矛盾したり、動揺したりしているところもあるが、昭和三十四年七月二十八日麻布のフランス大使館に侵入して、貴金属、葉巻煙草、紙巻煙草等を盗んだことがある、それらの品物を、東新で偶然顔を合わせたので、被告人に、友人に頼まれたので売るところがあつたら売つてくれと頼んだ、私が言葉巧みに頼んだので、被告人は安心したと思う、横尾と一緒のとき被告人に品物を見せたとき、被告人は大丈夫かと聞いたのに対し、言葉巧みに頼んだ、被告人から新聞の切抜を見せられ、盗品ではないかと聞かれたので、盗品かどうか知らないが、自分も友人に頼まれたといつた、私は、このことで調を受け、八月十六日警察で、八月二十五日検察庁で取調を受けたとき、調書に署名押印したことは相違ない、そのときいつたことは、当時は、自分の分と被告人の分とがあつたので、間違つたことをいつたことがあるが、今日(昭和三十四年十一月五日第三回公判期日)いつたことは本当のことである旨を述べ、被告人の右各物品が賍物であることは今弘から依頼を受け売却斡旋をしてやつた当時は知らなかつた旨の前記各供述に添う供述をしているので、被告人の右各供述はこれを措信することができるものというべきであり、被告人の前記被告事件の陳述として述べられた弁疏のうち、前記本件公訴事実一及び二の煙草及び貴金属に関する部分は、これを排斥することができないものといわなければならない。そして、前記説明のとおり、所論(一)の1乃至5の各証拠は、それだけをみると、被告人が右各物品について賍物であるかも知れないとの認識を持つていたものと認め得るような観がある資料であり、また、所論(二)の1乃至4の各証拠によつて認められる前記1乃至4の各事情は、他の確実な証拠があれば、被告人の賍物であることの知情の点の裏付となり得る資料ではあるが、所論(一)の1乃至5の各証拠は、原審において、前記措信し得べき被告人の各供述及びこれを裏付けるに足る証人今弘の原審公判廷における供述と対比して措信できないものとして排斥し、あるいは、それだけでは、被告人の右賍物であることの知情の点を認めることができないものと判断したものと考えられ、所論(二)の1乃至4の各事情も、原審において、それだけでは、被告人の右賍物であることの知情の点を確認できないものと判断したものと考えられるのであつて、右原審の証拠の採否や証拠の価値判断には、採証法則の違反はないものと解されるのである。そして、以上の判断は、当裁判所における事実の取調の結果によつても、これを覆えずに足りる程の有力な資料を発見できなかつたのである。右のとおりであるから、原審が前記公訴事実一及び二の点につき、犯罪の証明が充分でないとの理由によつて無罪の言渡をしたことには、採証法則の違反に基く事実の誤認があるものということができないから、論旨は理由がない。

(下村 高野 真野)

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